【10】 確かにセイネリアの作り上げた話はよくできていた。シーグルがここにいる為に、まるで最初からその状況を作り上げたかのようによくできていた。けれど……復讐の為にセイネリアと一生の契約をするくらい大切だった弟の名をこんな事に使ってしまう事は、エルにとっては辛い事ではないのかとシーグルは思ったのだ。 だが、青い髪の気のいい青年は、満面の笑みでシーグルの前にやってきて言った。 「弟はな、騎士になりたかったんだ。あんたみたいな人間がその名を名乗ると知ったらきっと喜んで……そうだな、恐れ多いとかいいそうだな、あいつ真面目だったから」 「だが、貴方は辛くないのか?」 「辛いのはもうとっくに過ぎたさ。俺としちゃ、あんたが俺の弟代わりになってくれるってのは嬉しくて仕方ないくらいだ。だからな、何かあったら何でも俺に相談してくれていいし、思いっきりにーちゃんに甘えていいからなっ」 言いながらがしがしと頭を撫でられて、シーグルはほっとしながらも照れくさく思う。ただ撫でている内にシーグルの方が身長が高いせいか、なんだかエルはちょっとそれに顔を顰めて一度手を引いて……それから今度は両手を伸ばしてきてシーグルの頭を引っ張って抱え込んだ。 「エ、エル?」 「これからはにーちゃんだ、あぁ、あんたの場合は兄さん、かな」 「いやその……それは……」 「んじゃエルでもいいぜ。別に兄弟で名前呼びもおかしかぁねーしな」 そういってこねくり回すように頭を撫でられて、シーグルは困りながらもそこで逃げたら悪い気もしてどうしようかと思う。 だが、本格的に困り果てる前にシーグルは解放される事になった。 「エル、あまり調子に乗るな」 セイネリアの不機嫌そうな声が響けば、途端にエルは手を離した。 「はーいはいはい、でも俺の弟って事にしたのはあんただろ?」 「それでも調子に乗り過ぎだ」 それにエルは声を上げて笑う。 その状況でやっぱりどうすればいいかシーグルは悩むしかなくてただぼうっと立っていれば、その肩をエルはぽんと叩いて離れていく。 「ま、あんまやるとマスターが妬くからな、こんくらいにしとくわ。でもいつでもあんたは俺に甘えてくれていいからな。マスターのいないとこなら思いっきり可愛がってやるぞ」 「……エル」 やっぱり不機嫌なセイネリアの声に彼は笑って、それからそのまま青い髪のアッテラ神官は扉に向かって歩いて行く。 「俺も忙しいから準備に戻るわ。お客さん方が来たらまた呼びにくるよ」 そうしてエルが部屋を出て行ってしまえば、当然部屋にはセイネリアとシーグル二人だけが残る事になり……シーグルはそっとセイネリアの様子を伺って聞いてみた。 「お前……まさか本当に妬いてたのか?」 「お前が俺以外の人間に触られてて、俺が面白くないのは当然だろ」 それが本当にむすっとした、見てすぐに分かる程不機嫌そうな態度で言った言葉だったので、シーグルはまた吹きだして笑ってしまった。そうすればセイネリアは立ち上がってシーグルの顔を掴んで引き寄せると、また有無を言わさずキスをしてくる。 「ンッ……」 ただ強引にしてきた分今度はすぐに離してくれて、それから顔をじっと見つめてきて彼は告げた。 「今夜は領主の館に協力者共の貴族が集まる。そこで正式に反王政勢力としての旗揚げをする事になる。お前も勿論出席だが……何があってもその場では黙っていろ、分かったな」 北の大国クリュース――とは言われていても、北国のイメージがあるのは首都周辺の北部であり、南部はあまり雪も降らず、冬の間は身動きが取れなくなるという程にはならない。 それでも冬の近い今、王に対して宣戦布告し、反乱軍を立ち上げる時期としては疑問が残る。 『つまり、首都が動けない冬の間にこちら側の戦力を整えるつもりか』 『いや、それならまだ早い。今なら向うからこちらを攻める分には問題なくやってこれる。逆にこちらが向うを攻めるのは厳しいかもしれん。何を考えているんだ、あの男は』 『最強などと呼ばれてもたかが傭兵だ、深くなど考えておらんだろうよ』 『だが……既に宣戦布告代わりとして城内の塔を一つ壊してきたというのだろう。どんな力を持っているのか得体が知れない。本気で自信があるともとれる』 今晩、この領主の館に集まっている連中の殆どは南部の貴族達で、彼らは一様に自分たちの不安を語り合いながら、セイネリアという男に対してどう出るべきかを悩んでいた。ただシーグルとしては、南部の気質をある程度知っていたとはいえ、貴族達が王に対して反旗を翻す事自体にはあまり躊躇いがなく、セイネリアが王を本気で倒す事が出来るのかという事を議論しているのが少々驚きではあったのだが。 ――だからこそ、セイネリアはここに拠点を置いた訳か。 長く続いたクリュース王家を滅ぼし、セイネリアが王になる――という事になれば、北部の貴族、特に旧貴族達はいくら王を危険視していたとしてもそうそうにこちらに付きはしないだろう。彼らをこちら側に呼び込むなら、少なくとも王位継承権のある人物がセイネリアとは別に柱として必要となる。――たとえば、シーグルのような。 そこまで考えて、シーグルは兜の下で苦い笑みを浮かべた。 本当は分かっていたのだ。もし本気で王に逆らうのなら、シーグルが中心となって貴族達をまとめ上げ、協力者としてセイネリアがシーグルに付くという図が理想的だった。ウォールト王子が存命の内なら、そこで彼を王として擁立すれば主要な貴族達はほぼこちら側についたろうとも予想出来る。……自分が早くそれを決断出来ていたなら、ウォールト王子は死ななくて済んでいた。 ――すべて、俺の甘さと臆病さが原因だ。 王に対する反逆者となる。それを、シーグルは決断できなかった。愛する人達との平和な日々を、そのまま維持することも可能ではないかと考えてしまった。 内乱が起これば確実に多くの血が流される。本来なら戦う筈のなかった同国人同士で血を流さなくてはならない。 果たして、今選んだこの道も本当に正しいのか。それもシーグルには自信がなかった。 「さて、そろそろ時間か」 セイネリアはそう言って座っていた椅子から立ち上がった。天井近くにある、このバルコニーのようになっている小部屋は、下にある広間の様子をうかがう事が出来るようになっていた。そこから立ち上がって下に降りる階段へ向かうセイネリアに、シーグルはカリンとエル、そしてこの館の主であるネデと共に従った。 広間に出ると、上からは見難かったその場の面々の姿がハッキリ識別できるようになる。特に、広間の中でも一段高くなっている上座の椅子にセイネリアが座り、その後ろに部下として並んで立つシーグルには、彼に注目する人々の顔がよく見えた。 だが、そこで見えた顔の中に、明らかに旧貴族の当主らしき者を数名見かけてシーグルは驚く事になる。どうやら彼らは先程の貴族達の会話に参加していなかったこともあり、壁際にいた所為か上からは見えていなかったらしい。 ――セイネリアはどうやって彼らをこちらに引き入れたんだ。 しかも見えた顔は、いわゆる最近代替わりした若い当主などではなく、伝統と血筋を重んじる貴族院役員等、シーグルが見知っている顔が多かった。何故かシーグルはその事に不安を覚える。 「この度は、皆様方、遠いところをご足労頂いて――……」 主賓席である上座から一歩下がった場所では、ネデが他の貴族たちに向けて儀礼的な挨拶の言葉を掛けてるところで、セイネリアは緊張した風もなく椅子の上で偉そうに足を組んでいた。セイネリアが何があっても黙っていろと言った事を考えれば、シーグルにとって何か意外な事が起こるのかと考えられる。それに得体の知れない不安を感じていたシーグルは、ネデが挨拶が終わって下がった時にその予感を益々強くした。 頭上に天蓋のある、主賓席にあたるセイネリアの座る椅子の隣にはもう一つ椅子があった。 このアッシセグの領主であるネデなら、その椅子は当然彼のものだと思っていた。だが彼は挨拶が終わっても椅子に座らず、シーグル達と同列ともなるセイネリアの後ろに下がったのだ。 となればあの椅子は、誰の為のものなのか。 下がったネデの代わりに今度はセイネリアが立ちあがり、見上げてくる貴族達に向かって口を開いた。 「まず、俺は教養もない所詮傭兵風情だからな、品のない言葉遣いは許して貰いたい。堅苦しい挨拶も、正統な話の手順なんてのも無視させてもらう。その分話す内容に関しては、必ずここにいる面々が満足してこの場を去れるだけのモノを約束しよう」 言って恐らくあの琥珀の瞳で人々を一瞥すると、集まっていた者達の間からざわめきが消えた。 「さて、この場にあつまった皆が知りたいのは、本当に王に敵対して勝てるのかどうかという事と、王を倒せたとしてもその後戦乱に陥る事なく国政を安定させる事が出来るのかという事だろう」 こちらを向く貴族達の真剣さが変わる。セイネリアがここでそれを示せるかどうかが彼らの運命を決めるのは間違いないからだ。 「とりあえず、順に説明しよう。まずは、勝てるかという点だが……現状、王リオロッツは民衆にも兵士達にも支持されていない。不満を持ちながらも命が惜しくて従っている者と、権力者のおこぼれに群がるハイエナくらいしか現王を支持する者はいない状況だ。つまり、王の為に命を掛けて戦おうなどという者はほぼなく、民衆や兵士をこちらに付けるのは容易だという事だ」 「それでも、戦うとなれば純粋な戦力は向うが圧倒的に上だろう。それにいくら王を支持していないと言え、民衆がこちらを支持する理由がない」 貴族たちの中からそう声が上がれば、セイネリアは怒るでもなくゆっくりと言葉をつづける。 「確かに、最初だけは王も数が揃えられるだろうな。だが最初だけだ、戦いは一度だけ、それで勝てば後は勝手に向うが崩れ出す。なにせ王についている者の大半は『勝つ方につきたい』だけだろうからな。民衆の支持を得る為の材料はこの後にまとめて説明するとして、その一度の戦いで勝てばいい」 「勝てるのか? 王の軍に?」 ごくりと喉を鳴らした質問者の言葉に追従するように、他の貴族たちも口ぐちに呟きだす。 「勝てるさ。……まぁ言葉だけでは納得できないのはこちらも承知している、だから勝てるという根拠の一つを示そう」 そう言ってセイネリアが部屋の隅に控えていたこの館の使用人に視線を向けると、彼らはこの部屋に繋がっている別の小部屋へと走っていく。それから間もなく、その小部屋から姿を現した人物達を見て、貴族たちの間にざわめきが広がっていく。 『あれは、魔法使いか?』 『何者だ?』 自分の背より長い杖を持った人物は、長い髭と深い皺を持った見るからに高齢の魔法使いだった。ただし、その足取りはしっかりとしていて若々しくさえ感じる。高位の魔法使いならば見た目通りの年齢ではないというのは常識とはいえ、彼の年齢は一般人では予想が出来ない。そして彼の後ろにはまた、二人の魔法使いが付き従うようについていた。彼らも長い杖を持ち、そこらの下っ端魔法使いとは思えない空気を纏っている事だけは素人目にも分かる。 魔法使い達が使用人達に引かれて上座近くまで上がれば、セイネリアが先頭にいたその人物を傍に招いて彼を紹介する。 「彼は、現魔法ギルドの長、ガウルランド・ドトーだ」 それで貴族たちの間のざわめきの声が大きくなる。 魔法ギルドは、魔法使いではない王族以外の貴族達にとってはまったく未知の存在だと言っていい。魔法使いと共存しているのがこのクリュースという国の特性であっても、魔法ギルドは魔法使い達の為の組織であって、魔法使い以外の者達に基本関わる事はない。貴族達は冒険者登録された魔法使いを雇った事はあったとしても、ギルドとして魔法使い全体との接触は全くない。 言い方を変えれば――魔法ギルドは王族のみと接点がある――つまり、魔法ギルドがついている事こそが王の強みだと言える。 ならばそれがセイネリアに付くというなら、戦力という話では根本的に前提が変わってくる。 「既に魔法ギルドとの誓約は済んでいる。王側に従う魔法使いもいる事はいるが、魔法ギルドとしての決定はこちらにつくことで話はまとまっている」 それは、他国との戦争と言えば魔法によって常に有利に進めてきたクリュースの人間にとって決定的とも言える言葉であった。ノウムネズ砦の戦いで魔法が使えない所為で崩れたクリュースの兵達からも分かるように、既にクリュース軍は魔法に頼らなくてはならなくなっている。 人々のざわめきの中、魔法ギルドの長ガウルランドが杖でトン、と床を叩いた。強すぎず、だが確実に聞こえたその音に貴族達の瞳が魔法ギルドの長に集まる。年齢の分らない見た目は老いた魔法使いは、人々の目が自分を見るのを確認してからゆっくりと口を開いた。 「我々が建国王アルスロッツとした契約は、この国の存続と安定の為に力を貸すという事である。つまりそれは王家を守るという約束ではなく、この国がより良く在れる為にこの国を統べるものに協力するという事である」 その『統べる者』として魔法ギルドはこの黒い騎士を選んだのだと、魔法使いはそこまでは言いはしながったが、その場にいる者達はそう理解して息を飲んだ。かつて建国王アルスロッツとした契約を、今度はこの黒い騎士と結ぶのか――自然と人々の口が閉じられ、広間は次第に静かになっていく。それを待っていたように、セイネリアがまた口を開いた。 「さて、戦力面をある程度納得してもらったなら、次は王を討ち破った後の話と同時に、どうやって民衆の支持を得るかという事を説明しよう」 そうしてセイネリアはまた使用人に声を掛け、誰かを呼びに行かせる。だがシーグルは魔法ギルドの長という人物もまた、椅子に座る事なく立ったまま後ろに下がっていくのに目を奪われていた。 ――一体、あの椅子は誰の為のものなのか。 だが、その疑問は次の瞬間、わっと起こった人々の驚愕の声にシーグルが目を向けたことで解ける事になった。 驚愕が歓声に代わり、壁にいる旧貴族の当主達が姿勢を正して礼をとる。その中を優雅に、威厳を持って歩いてくる人物の姿を見た途端、シーグルは本気で驚きのあまり声を出しそうになった。 「リオロッツを倒したとしても、俺は王になろうなどとは思わん。俺はあくまで戦闘の指揮をとるだけだ」 そうしてセイネリアは上座の中心に立った『彼女』の後ろに一歩下がる。 「王になるのは、ここにいるシグネット・ワール・リア・シルバスピナ。但し成人するまではその母親であるロージェンティ・シルバスピナ夫人が摂政として実質の政治をとりおこなう事になるだろう」 シグネットを抱いたロージェンティは、促されるままセイネリアの隣の椅子に座った。 --------------------------------------------- そんな訳で後一話で終わりです。 次回は二人の喧嘩(?)から。 |