【9】 「似合うじゃないか」 執務室に帰ってきたセイネリアは、鎧を着たシーグルを見てまずそう言った。 「いいのか? こんな高価なものを……」 「いいのかも何も、お前には必要だろう」 「あぁ、だが、これだけのものを作るとなれば相当金が掛かったろう」 不安そうな声のシーグルを鼻で笑って、セイネリアは自分の椅子に座った。 「使って役立つものなら使え、金なぞ気にするな。俺は必要なものに掛ける金はケチらない主義だ。ただ流石に魔法鍛冶の鎧は無理だからな、常時着るものとして出来るだけ軽くしろとは言っておいたが……どうだ?」 椅子に座ったまま見上げてきたセイネリアに、シーグルは軽く腕を動かしてみせる。 「あぁ、かなり軽いな、動き易い」 それからシーグルが近づいていけば、セイネリアは自分の隣にある椅子を指さす。つまり座れと言う事かと思ったシーグルは、大人しくそこに座った。 そうすればセイネリアは、唐突に手を伸ばしてきてシーグルの兜のバイザーを上げると、顎の留め金を外して開いてそのまま兜を取ってしまった。 「俺と二人の時は、顔は隠すな」 その言い方が明らかに不機嫌そうだったので、シーグルは吹きだしそうになった。 そしてまた、セイネリアはじっとシーグルの顔を睨むように見つめて言った。 「ふむ、青い髪もなかなか似合うじゃないか」 言われて思わずシーグルは自分の髪を触る。 「そうか?」 「あぁ、ただ目は……やはり少し物足りなさを感じるがな」 実は、今のシーグルの髪の色は銀髪ではなく薄い青色で、ついでに言えば瞳の色も少し違う。見慣れないせいかそれをセイネリアの琥珀の瞳がじっと見つめてくるのだが、そこまでじっと見られればなんだか居心地が悪く、シーグルは黙って大人しくしているしかなかった。 さすがに用意周到というか、やるならやるで徹底しているというべきか。 鎧を着こんでそれだけで正体を隠せるとはセイネリアは考えていなかったらしく、鎧の調整が終わったシーグルは、次に鍛冶屋と喧嘩した魔法使いクノームからいろいろと魔法の道具を渡された。 『いいか、この腕輪を両手にしてる限り、あんたの髪色には少し青が入る。後は瞳の色も僅かに薄い色に見える。逆にいやその腕輪を外すだけで元に戻る。で次にこのネックレスだが、これをしてる限りは声が変わる』 その後は実際着けてみて、それから調整をしつつ延々と使い方や注意事項を説明された。 彼は魔法使いの中でもそういう魔法の篭った道具や装飾品を作るのが得意らしく、渡してくれたそれらの道具も彼が作ったものだという事だった。 「そういえばお前の前だからつけてなかったんだが、声の方もつけて変えて見せようか?」 だがそれでシーグルが銀色のネックレスを取り出すと、すかさず伸びてきたセイネリアの手に止められた。 「それはいい、俺との時はそれはつけていても外せ」 その声がやはり不機嫌そうで、シーグルは口元が笑ってしまうのを抑えきれない。 「兜も、これも、お前の前でつけるなというのは命令か?」 「そうだ。これは拒否権はやらないからな」 ならどういう時なら拒否権があるんだ、と思いながらも、何故かそんなセイネリアの態度が可笑しくて、シーグルはとうとう耐えきれずにぷっと吹きだしてしまった。 その様子を見たセイネリアもつられたように僅かに笑った……と、思ったら。 笑って彼からシーグルが目を離した途端、顔を引き寄せられてキスされた。 「ン……ンンっ」 流石に驚いて最初は抵抗したシーグルだったが、体毎引き寄せられて、じっくりと口腔内を舌で撫でまわされればそれに応えるしかなくなってしまう。 手を伸ばして、相手の頬に触れる。 自分から強請るように唇を押し付ける。 舌と舌を擦りあわせて、溢れる唾液を飲み込んで、求められるまま応えて口づけを交わす。 「ふ……ん、ぁ……」 それでもやがて、ゆっくりと唇を離したセイネリアの金茶色の瞳が少し困ったように細められたのをぼうっと見ていたシーグルは、次に言われた彼の言葉で瞬時に顔を赤くした。 「お前が顔を隠していたら、俺が好きな時にキス出来ないだろ。声もだめだ、お前の声じゃないと喘がれてもつまらん」 「ばっ……毎回そんな好き勝手に突然されてたまるかっ」 そうすればセイネリアは嬉しそうに唇を歪めながら、兜をしていた所為で額に張り付いていたシーグルの前髪を撫でて散らした。 「そうだな……だがまぁ確かに、そうそう好き勝手にするのは止めた方がいいかもしれんな」 シーグルとしては、彼が素直に自分の非を認めたような事を言ったので少し驚いた……のだが。 「お前をそのまま欲しくなっても抑えなくてはならんのが辛い。まったく、この後の予定が詰まっていなければすぐにでもベッドに連れていくんだが」 なんでこの男はそんな事を恥ずかし気もなくいえるのだろうと思っても、それもまたセイネリア・クロッセスなんだろうと思って、シーグルは赤い顔のままため息をついた。 「つまりいっそ、俺はお前を抑える為に兜とこのネックレスは着けていたほうがいい気がするんだが」 「それはだめだ、命令だといったろ?」 「なら腕輪も外すか?」 「それはどちらでもいい。所詮幻術の応用だから、意識して受けようとしない限り俺には効かない」 「そうだったのか?」 驚いて聞き返せば、彼は当たり前のように答える。 「俺には基本、魔法は効かないんだ」 驚いたものの、それがなぜかと聞く前にシーグルは思い出して納得した。 魔法は基本、より強い魔力で打ち消せる――それは魔剣から伝わった記憶で知っている。ならば、黒の剣の主であるセイネリアに効く魔法などまずなくて当然だ。 「えぇ〜と、そろそろ俺も入っていいかな?」 そこで廊下から聞こえた声に、シーグルは思わずセイネリアから離れて椅子の上で背筋を伸ばした。 「あぁいいぞ、もう終わった」 終わったって何が終わったんだ、とシーグルが考える中、声の主であるエルが部屋へ入ってくる。 「ったく、ノックしても全然返事ないしよ、二人っきりの時に勝手に入ったらあんた絶対怒りそうだし……」 「それはお前にしては英断だな。あそこで入ってこなかった事は褒めてやる」 ぶつぶつと恨めしそうに話すエルに申し訳なく思う反面、そういえばノックなど何時されたのだろうとシーグルは思う。いくらセイネリアと話していたとはいえ、ノックが聞こえた覚えがシーグルにはないのだ。 「そりゃ嫌な予感がするだろ、中から声さえしなかったんだからよ」 それでシーグルはノックが聞こえなかった理由を大体察した。 「そんで話し声が聞こえてきたからそろそろ呼ばれるかなって思ってたのにやっぱ何も言って来ないしよ」 なら確定だ――つまり、エルがノックしてきたのは丁度キスの最中だったという事だろう。 思わず赤くなった顔を隠す為に手で覆ったシーグルだったが、ふと考えてみればセイネリアの発言的に彼の方はノックの音が聞こえていたという事で、確認するように彼の顔を見てしまう。 「なんだ、お前はあそこで止めて欲しかったのか?」 にやにやと分っていて聞いてくるその顔が憎らしい。 ここで自分はノックの音が聞こえてなかったなんて言った日には、なんだか更にこの男が喜びそうな気がしてシーグルはただ睨むことしか出来なかった。 「あー……ほらっ、痴話喧嘩は暇な時にいくらでもしてくれっ。俺だって暇じゃないし、マスターはもっと暇ねぇんだろっ」 「まぁ……そうだな」 エルが言えばやっとセイネリアはこちらで遊ぶ事は止めたようで、顔から笑みを消して椅子に深く腰掛けた。 「外見の準備はそれで出来たという事で、後はお前のこの傭兵団での名前と立場だ。エル、あれをシーグルに渡せ」 言うとエルはそっとシーグルに持っていたものを渡した。 「これは、冒険者支援石……だが」 ただ手に持った違和感で、すぐにそれが自分のものでないのは分かる。 シーグルの冒険者支援石は罪人として拘束された段階で取り上げられていた。だからここにある筈はなくて当然だと納得しても、ならどうして他人のものを渡されたのだとシーグルは考えた。 「お前のここでの名はレイリース・リッパーだ。そしてそれがその名での冒険者支援石となる」 「待て、支援石は書き替えも偽装も出来ない筈だ」 だからこそこの国で身分証明証として使えて、国も人間を管理できる。相当に厳重な魔法のロックが掛けられているという話で、実際今まで偽装できたという話はシーグルは聞いた事がない。 「魔法は基本、より強い魔力で打ち消す事が出来る……忘れたのか?」 言われれば確かに、とまたシーグルは思う。 それを踏まえれば当然、セイネリアなら……彼の持つ黒の剣の魔力ならば、どんな魔力でも打ち消す事など容易いと思い至る。どうやら冒険者としての自分の常識が邪魔をしてそこへ気が回らなかったらしい。 「元の書き込みが消せれば上書きは大して難しい事じゃない。ちゃんとお前の魔力波長で調整してあるからな、普通に使えるぞ。ただし、事務局内の記録は勿論お前のものではなくレイリース・リッパーのものになるが」 その言葉の差す意味は、元々レイリース・リッパーという人物が存在していてこの支援石がその人物の物だったという事になる。そこまで考えてシーグルは、その名前の意味とそれをエルが渡してくれたという理由を理解した。 「エル、もしかしてレイリース・リッパーというのは」 青い髪の気のいいアッテラ神官は、少しだけ辛そうに笑った。 「あぁ、俺の弟の名だ。その支援石は死んだ弟のモンだよ」 自分も皆も彼を『エル』としか呼んでいなかったから、ずっと前に聞いた彼のフルネームがシーグルにはすぐに思い浮かばなかった。あの時、セイネリアが去った首都の傭兵団で待っていた彼は、確かに自分は『エルラント・リッパー』だと名乗っていた。それが分かれば、髪の色をどうしてわざわざこんな珍しい色にさせたのだと思っていたその疑問も全て判明する。 呆然と、今はきっと自分も同じ色に見えるだろう青い髪色のアッテラ神官の顔をシーグルが見ている中、セイネリアの淡々とした声が続けた。 「レイリース・リッパーはヴィド卿の企みによって護衛していた貴族と共に殺され、そして他の護衛の冒険者達と同様、その事件の犯人の一人に仕立て上げられた」 それは初めてエルに会った時に聞いていた。だからエルはセイネリアと契約して、ヴィド卿を討とうとしたと。 「……だが、その時実はレイリース・リッパーは生きて逃げ延びていた。ただそれでも犯罪者として追われる身ではクリュース国内にはいられずアウグに逃げて……そこで傭兵をしていたところ、ノウムネズ砦の戦いに参加し、偶然、シルバスピナ卿を匿う事になった」 さすがのシーグルも、それには目を丸くする。 「生きていたというのはいいとして、何故そこで俺と結びつけるんだ」 「匿った先でレイリース・リッパーはシルバスピナ卿に剣の指南を受けた……という事にしておけば、お前の剣技がシルバスピナ卿と似ていると言われても誤魔化せるだろ?」 そう言われれば感心するしかない。というかよく考えたものだとシーグルは思う。 「ついでに、本当はレイリース・リッパーはシルバスピナ卿と共にクリュースへと帰って来ていた。シルバスピナ卿は彼が追われているのを知っていたから彼の名を隠す為に『告白』を拒絶した――とすれば軽く美談の出来上がりだ。これでシルバスピナ卿の汚名を雪(すす)ぐ事も出来る」 辻褄の合わせ方が凄いというか、用意周到すぎるというか、シーグルは聞いている最中感心の息を漏らす事しか出来なかった。それでも考えればふと疑問も沸いて、シーグルは話を中断させて彼に聞いた。 「だがそれを美談にするなら、レイリース・リッパーが無実だという事を証明しなくてはならない。どうするんだ?」 「それはお前の妻に約束を取り付けてある。全ては父である前ヴィド卿の企みだったと証言すると」 「ロージェが……」 「助ける為の条件の一つとして出したら了承をしたぞ。それともお前としては彼女を巻き込んだと文句を言いたいか?」 「いや……俺にそんな権利はないだろう」 割り切ると決めても、妻のことを思い出せば表情が曇るのは仕方ない。 そんなシーグルの顔を見つめながら、セイネリアは椅子の上で足を組んで話を続けた。 「ちなみに、貴族の護衛で襲撃を受けた時、顔に酷い怪我をしたという事にしておけば、人前で兜をかぶったままにしていても問題はないだろ。そしてエルの弟という事なら、突然やってきて傭兵団で俺の側近についてもおかしな話じゃないし、何かあった時にエルが世話を焼くのも不自然ではない」 「おう、だから困った事があったら何でも俺に相談してくれ」 それでずいと前に出てきたエルに、シーグルは思わず立ち上がって聞いてみた。 「それは……とてもありがたいが、その……いいのだろうか、貴方の弟の名を俺が名乗って……彼の形見なのだろう、この支援石も……」 --------------------------------------------- 楽しそうなセイネリアさんですが、次回は一波乱あります。 |