【4】 秋も終わり近いとはいえ、アッシセグの街の風景だけをみればまだ冬は遠いのではないかと思わせる、そんな陽気の昼下がり。この街の領主の館、しかも賓客をもてなすこの館で一番豪華な客室では、優雅な午後の茶会が開かれるところだった。 「奥様、今日のお茶はいかがでございましょう?」 「え……あの……」 とぽとぽと注がれるちょっと赤み掛かった琥珀の液体を見つめて、『奥様』と呼ばれたいかにも高貴な身分の貴婦人……らしき格好の人物は顔をひきつらせつつため息をついて言った。 「ウィア、なんだか楽しそうですね」 そうすれば直前まで侍女らしく一見慎ましやかに見えていた人物は、にんまりと笑ってポットを置くと、その場で楽しそうにスキップをした。 「いやーだってさ、こういうのって楽しまなきゃソンだろ」 ついでにスカートを摘みながら一回ターンしてみせる。 「もうさー、なーんも知らないここの使用人の連中とかさ、俺が荷物持ってると急いで手伝いにきてくれるし、『何かわからない事があったり困った時は何でも言ってください』なんてそりゃもう真剣に言ってくれたりしちゃってさー」 思い出して肩を震わせるウィアを傍目に、ドレスを着て貴婦人然とした格好のフェゼントは憂鬱そうにため息をついた。 「私は……緊張しっぱなしで疲れましたが」 「ま、そりゃフェズはなにせあのシルバスピナ夫人役だからなぁ」 つまるところ、ここでフェゼントはシルバスピナ夫人、ロージェンティの身代わりをしているのだった。ちなみにウィアはその侍女のふりで、傍の赤子用の籠には顔だけは本物と間違うくらいそっくりなシグネットの人形が入っている。ラークはその人形を作った傭兵団の魔法使いのところに勉強がてら助手をしにいっていた。 これらは全てはセイネリア側の提案によるものであった。 シーグルの処刑後、王に対する国民の不信感は日々増していて、必然的にロージェンティとシグネットは政権を持つ者、狙う者達にとって重要な存在となっていた。となれば現在、王の監視下から逃げて彼女達がここアッシセグでセイネリアに保護されているという噂を広めれば、恐らくはこっそり彼女らを強奪、または亡き者にしようという輩が送り込まれてくるのは確実だろう。それらを捕まえて、派出な行動に出る前にある程度敵対勢力を確定して手を打つというのがセイネリアの計画だった。勿論、ウィア達がこんな芝居をして身代わりをしているのは、万が一でもロージェンティとシグネットに何かあってはならないからそのための保険である。 現在、セイネリア側としてもウィア達側としても、ロージェンティとシグネットの無事が一番に優先するべき事項である事は間違いなかった。だからその提案自体には、ウィア達は納得の上協力する事にした。 ただウィアは、セイネリア側の提案に従いはしたし彼の計画を信用もしているが――どうしても納得出来ていない事があった。本人にあって、確かめたいことがあった。 どうして、シーグルを助けなかった、と。いや――本当に、シーグルは死んだのか、と。 逃げた先でシーグルの処刑を告げた後、フェゼントやロージェンティ――シルバスピナ家の関係者の嘆きようは覚悟していても見ていられない程のものだった。掛ける言葉もないから、ウィアはただ泣くフェゼントの傍にいる事と謝ることしか出来なかったし、ロージェンティは人前では気丈に振舞っていたものの部屋でずっと泣いていたとターネイは言っていた。 それでも彼らが嘆きの淵から行動に移れたのは、セイネリアからの提案があったからだ。 『俺は現王を許す気はない。必ず奴を討ち、あいつの名誉と誇りを取り戻してやる。その為に協力してほしい』 セイネリアの部下から伝言としてその言葉を伝えられたとき、ただ嘆くしかなかった彼らの表情が変った。シーグルの為、そして幼いシグネットの為、彼らは悲しみを乗り越えて王に復讐する為に立ち上がった。 ……けれどウィアは逆に、その言葉に疑問を感じた。 それを聞くまではただひたすら、セイネリアにあったらどうしてシーグルを助けなかったのだと責める気でいたのに、その言葉を聞いた途端ふと思ったのだ――本当にシーグルは死んでいるのか、と。 本当にシーグルが死んでいたなら、あの男がこんな冷静にマトモな手で王を倒そうなんていいだすだろうか。怒り狂うか、嘆き狂うか、どちらにしろそんなマトモな状況でいられるなんて思えない。なら本当は生きているのではないか――ウィアはそう思った。 だからそれをセイネリア本人に会う事でウィアは確認したかった。……彼本人を見て話すことさえ出来れば、ウィアは彼の返事に関わらず真実を判別する自信があった。 「いつもお茶はいれる方でしたので、いれてもらう方がこんなに緊張するとは思いませんでした」 ため息と共に呟かれたフェゼントの言葉に、ウィアはにっこりと笑みを返す。 一時期はずっと表情が暗かったフェゼントだが、ここでドレスなど着せられてこんな役をやっている所為もあるのか、疲れは見えても大分ウィアに対して話す感じには元の明るさが戻っていた。 「中身はラーク特性のハーブ茶だぜっ。ここの領主様にも大好評だっ」 勿論、愛しい恋人を沈ませないためにウィアががんばって明るく振舞っているのもある。言いながら偉そうに胸を張ったウィアを見て、フェゼントの表情が緩んだ。 「いえ、その……お茶の中身ではなくてですね……」 と言ってフェゼントがウィアを見て苦笑をすると、そこで音もなく部屋の中に一人の人物が現れた。 「そりゃー、いつあんたがお茶をこぼしてそのお高い借り物のドレスを汚すんじゃないかって心配だからじゃないっスかね」 それはセイネリアの部下として今までもちょこちょこ接触をとってきたフユという男で、現在ここでも護衛兼連絡役として毎日見る顔になっていた。 「ったくあんたは、いつも気配なくやってくるよなー」 「まぁそれがお仕事なんで」 「不審者よりあんたが来るのが一番心臓に悪いぜ」 「そんな事言われてもっスねぇ……ま、今日は土産も持ってきましたので機嫌を直してもらえないスかね」 そういって黒ずくめの風貌には似合わない、レースの布をピンクのリボンで覆って止めたファンシーな籠を出してきたので、ウィアは彼に近づいていくとその中身をのぞき込んだ。 「え、なになに? おぉっ、こりゃ美味そうじゃん」 中にはやはりこの男には似合わない、可愛いらしく砂糖やナッツで飾り付けされたクッキーやらケーキやらの焼き菓子が入っていた。 「ま、ウチの相方がですね、優雅な貴婦人のお茶会にはそれにふさわしい菓子が必要だろって事ででスね」 「へーへーへー、あの傭兵団にそんな事いう奴がいるんだっ」 この男に似合わない、というより黒の剣傭兵団のイメージに合わないそれらの菓子に思わず手をのばしたウィアだったが、それはペシリとフェゼントにたたかれて阻止されてしまった。 「折角ですから、貴方もご一緒にどうですか?」 そう言ってにっこりと笑ったフェゼントにフユも笑うと(いやそもそもこの男はいつでも笑ってる気もするが)、灰色の目と髪の男はその場で丁寧にお辞儀をしてみせた。 「そうっスね、では今日はご相伴に預からせていただきましょうか。……と、んじゃその前にここの領主さんを呼んでくるっスかね」 「お願いします」 それでまた男はきた時と同じく、ふっと消えるようにその場を去った。ただしそれはいつもの事なので特に驚くという事もない。 この毎日のお茶の時間は、別にただの息抜きの時間という訳ではなかった。領主をはじめ、事情を知っている協力者達が集まって、現状の確認やらこれからの予定やらを話し合う場になっているのだ。集まっても不自然さがない上に、食事時間と違って事情を知らない使用人を排除できるというのがその理由だった。基本はウィアとフェゼントに、傭兵団からの報告者とここの領主、それからたまにこの街の有力者や、他の地の領主がやってくることもある。状況が状況であるから、実際は傭兵団の人間は護衛として遠巻きにもっといるらしいが、ウィア達の前に顔を出すのはこのフユかカリン、それと青い髪のアッテラ神官くらいだった。 だからいまのところ、まだウィアはセイネリアに直接会えていなかった。ただこうして彼らに協力していれば、いつか会う事は出来る筈だった。 そしてもしシーグルが生きているなら……セイネリアが傍に置いているのは間違いない筈だと、ウィアはそう確信と共に思っていた。 首都にあったセイネリアの部屋といえば、入っただけでなんとなく圧迫感を感じる重苦しい空気があった。けれど今のこの部屋にはそこまでの重いイメージはない。机の配置や物の置き方は殆ど変わらないし、前に比べて明らかに広いという程でもないのに……前よりずっと明るくて居心地がいい。 その最大の理由は明白で、この大きな窓とそこから見える風景だろうとシーグルは思う。首都の部屋は窓も小さく、見える風景といえば建物に囲まれたあまり明るくない訓練場の風景だけだった。しかも隣合う寝室には窓さえなくて、部屋の中にある光の量が圧倒的に違う。 あとは、自分の心情的な感覚が違うというのもあるか――この部屋に対してというより、この部屋の主に対しての自分の心情の変化というのが大きいのかもしれないとシーグルは思った。 それとも、覚悟が出来たからだろうか――もう、帰る事は出来ないのだと。 首都にいたころ、セイネリアの部屋で思った事は殆どどうやって帰ろうか、帰らなくてはならないとそればかりだった気がする。けれど今はそんな事を思う気もその必要もない。 自分が死んだ事になっている、というのは最初は驚いたものの、考えればセイネリアの周到さに改めてシーグルは感心してしまう。つまり彼は今度は帰れない状況を作り上げたうえで自分に選ばせたという事になる。前の時も死んだ事にはなっていたが、今回は本気で帰ろうと思っても帰れる場所がない。前回、それでも帰った自分に次はないと言った通り、それが出来ない状況を彼は作り上げたのだろう。 ……と、そこまで考えてから、シーグルは苦笑してため息をつく。 「あいつがこの状況に追い詰めた訳じゃない。俺が――甘かったから、この状況になったんだな」 部下の犠牲や家族の危険を覚悟してでも大人しく捕まらずに逃げてしまえば。もしくはいっそ、王が動く前に王に敵対するだけの覚悟が出来ていたら。 シーグルは自覚している。自分は、ある意味逃げたのだと。 王はそこまで愚かではない、シルバスピナ家が今までのままでいることも可能ではないか――そんな希望を捨てきれなかったから、結局セイネリアにあれだけ忠告されていても何も行動に起こせなかった。 「俺が何も捨てられないから、この状況になったんだ」 リシェの領主として、国を憂う旧貴族当主の一人として私情を捨てられたなら、自分は今、ここにいなかったろうとシーグルは思う。クリュースという国の行く末を第一に考えていたのなら……ウォールト王子が死ぬ事もなかったかもしれない。 一人でいれば考える事しか出来ないのは捕まっていた時と同じで、そして現状考えれば考える程自分の愚かさを痛感するだけだ。 だが、そうして重いため息を何度もつく事になったシーグルのところ、セイネリアの執務室であるその部屋の外に訪問者が現れた。 それは気配を隠そうともしていなかったからフユやカリンといった者達ではない筈で、ドアの前でこそこそと話し込んでいる感じから一人でもない。どうやら廊下で何か言い合いというか相談をしているようで、あえてこちらから声を掛けずに待っていればやっとドアがノックされた。 「えーと、えーと、入っていいかな?」 声は子供といってもいいほど若く、ただその声に僅かに聞き覚えがある気がしてシーグルは少し考えた。 「だめだよラスト、まず名乗らないと」 「でもさレスト、シーグルさんって僕達の名前知らないでしょ、名乗ったからって入れて貰えるのかな?」 それでシーグルも思い出す、恐らくそれは樹海からトンボ返りとなったアッシセグの港で、ここの領主からを装って自分を呼び出したアルワナ神官の少年だろうと。少なくとも彼ならばこの傭兵団の者である事は確実だろうと、シーグルはドアの向こうに声を掛けた。 「あぁ、入ってきて構わない」 ドアがそっと、ほんの少しだけ開かれる。 そこから様子をうかがっているらしく二人分の赤い瞳が現れて、それと目があったシーグルは笑ってみせた。 そうすれば、今度はゆっくりドアが開いて、白い髪に赤い瞳の見覚えのある人物が姿を現した……のだが、確かに外にいるのが二人なのは分かっていたものの、同じ姿が二つ並んでそこにいた事でシーグルは少なからず驚く事になった。 --------------------------------------------- このまま次回は双子とシーグルのお話。 |