【1】 クリュース王国は大まかに言って、国の西を海に、北を険しい山脈に、東は小国家群、そして南は広大な樹海に囲まれて存在していた。ただもう少し正確に言えば北は少し複雑で、真北周辺は険しい山が連なる為に高地の少数部族が転々と暮らしている程度だが、北東はクリュースに非友好的で好戦的な少数部族が点在し、北西には軍事国家のアウグがあった。 その為、国としての戦力は主に北部方面に集まっていて、元ファサン領である南部には、国の軍にあたる騎士団管轄の施設は殆どないといっても良かった。南の国境のかなりが樹海に守られているとも言える為、砦の数も相当に少なく、必然的に常備兵の配置も極端に少なくなるのは仕方ない。 そういう事情があれば、当然、それぞれの領内の治安やら街道の警備等は領主の貴族の力に委ねられていて、だから北部にくらべ南部は、王権よりも各領主の力が強い傾向にあった。 セイネリアが、ここアッシセグに傭兵団の拠点を移す事にした背景にはそういう理由がある。王宮側が本気で傭兵団をつぶす気になったとしても、すぐに兵がくるという事にはならないからだ。少なくとも領主であるエデに許可なく兵を送る事などできるはずがないし、そもそもその兵自体も、この周辺ではすぐに用意する事が出来る筈がないのだ。 つまり、相手がどう出てこようとしても、対応をする時間が十分にとれるという事になる。 しかも、南部は元がファサン領だったという事もあって、領主達自体も元がファサンの貴族だったものが多い。王側がどう動くにしても、首都周辺に比べて動きがとりにくいのは確実だった。 ただし、逆に考えれば、セイネリアが何か起こそうとしても首都にはそうそうたどり着けるものではないとも言える訳で、それで向こうも多少は安心して、こちらへの警戒も弱くなる……という狙いもあったのだが。 「明らかに何か動きを見せなければ、王の方も当分はこちらにちょっかいを出している暇はないだろ」 「確かに、そうでしょうねぇ。そして貴方と言えば王座に興味がない」 「たかだか『王である』という自分の自尊心を満足させる為だけに、大量の他人の面倒を見てやる気にはなれないだけだ」 「……というよりも、貴方にとって『王』という立場は、目標になるほどの魅力がないという事でしょうね」 どこか陽気ともいえる声でそう答えた吟遊詩人は、鼻歌とともに手に持っていたリュートを鳴らし出す。 ケーサラー神官でもあるこの男は、最近この団に入った者で、過去を『見る』事が出来る能力を持っていた。更に言うなら、起こり得る未来の可能性をもたまに見る事も出来るらしい。ただし本人いわく、あくまで不確定な未来の可能性を見れるだけであって、予言ではないという話だが。 彼は元々、吟遊詩人として、神官の能力を使ってシーグルの詩を作るためにその過去を調べていた。その途中で見えたセイネリアに興味を持って、傍に置いて欲しいとここへやってきたのである。能力的におもしろい人間である事は確かであるし、役に立つとは思えたのもあって、セイネリアはその願いを聞いてやる事にした。 ただ、心情的には、別の理由もあるのだが……。 「俺が本当に欲しいモノは一つだけだ。それ以外は、他人の為にわざわざ面倒を引き受けてまで欲しいとは思わんな」 器用に動く詩人の指先を眺めながら、セイネリアは呟いた。 それを聞いた途端、弦を叩くようにジャラっといかにも雑な音をだし、詩人はくすくすと笑った。 「相変わらずですねぇ、今の貴方は、何をするにも彼を守るか彼を手に入れる為なわけですね」 「そうだ」 迷い無く返したセイネリアに、詩人は口元から笑みを消すと、被っていた幅広帽を少しおろして目元を隠す。 「――かつて貴方は、自分という人間の価値を自らの力で掴む為、生きていた筈だったのではないのですか? もうそれはいいのですか?」 過去が見える男に言われれば誤魔化す気もなく、セイネリアは静かな声で返した。 「そうだな、『剣』を手に入れる前の俺だったら、王座は自分に価値を作るという事の最終目標になり得たかもしれんな。だが……それでは奴らには意味がないだろうよ」 皮肉を纏った口元だけの笑みが指す『奴ら』の事に、もちろん詩人が気づかない筈はない。詩人らしくおどけたような態度を取りながらも、神官として過去を見透かす彼と話す事をセイネリアは割合楽しんでいた。何かを隠してこちらに本心を言わせようとする彼と、逆に彼から新しい情報を引き出そうとする駆け引きは、状況の整理を客観的にしなおし、たまに新しい発見につながる事もある。 「そりゃまぁ、魔法使いの方々は、貴方が剣の主であるからこそ王になって欲しい訳でしょうからね。というか、既に彼らの中では貴方はもう王扱いですよ、あれ」 くすくすと笑い声を返す彼は、先ほどやってきたいかにも御大層な身分らしく偉そうな魔法使いの悔しそうな顔でも思い出したのか、楽しそうに肩を揺らした。 「迷惑な話だ、ついには現王が即位する事態になったのは俺の所為だから俺が責任を取るべきだと言い出したぞ」 「まぁ前半部分は間違ってないでしょうね」 「そうだな」 軽口をたたく詩人に、セイネリアも笑って返す。 それでも、琥珀の瞳はまるで笑ってはおらず、机に置いたグラスを昏く見つめていた。 「だが、それが奴らの本心だとして、奴らが何を企てているかが問題だ。ただ何度も断ってきた話をしにきただけではないだろう」 「でしょうね」 グスターク王子の即位が決まった直後から、魔法ギルドからの使者が頻繁にセイネリアの元にやってくるようになっていた。即位後からは、それこそしつこいくらいに。当然のごとく、それらを全て追い返していたセイネリアだったが、思うところがあって、彼らの出方を一度見てやろうと、カリンに次の時は話し合を受けるように言っておいた。 それから数日後、返事をして即やってきた魔法使い達に、この吟遊詩人も会わせてみたのだ。 詩人の能力は、正確には、風景の記憶を見る事、その『場』が記憶している光景を見る事が出来るというものだった。 とはいえ、人物の服や持ち物、それらの『物』から関連づけて多少は何かを見る事も出来るらしいという事で、だから何か、欠片程度の情報でも手に入ればいいと思った程度の思惑だった。 「却ってあいつの名を出さないところが、奴らの胸糞悪いところだな」 ぽつりと呟かれたセイネリアの言葉に、吟遊詩人は声を出さずに口元だけで笑う。 魔法使い達はセイネリアを王にしたいと思っている。 その理由も、もう何度もしつこく聞いてうんざりしていた。――絶大な力を持つ、黒の剣の主であるセイネリアをこの国の王に据え、その力で周辺諸国をまとめ、他国ではまだ迫害される事も多い魔法使い達の居場所を確保する事――彼らの願いはそれだけだという。 かつて、剣を手にいれた時、彼らは剣の事をセイネリアに伝え、上記の願いの元、セイネリアが王になろうとするなら魔法ギルドで全面的に協力すると言ってきた。それを一笑に付し、以後何度も断ってきたセイネリアに、今になって同じ事をただ言いに来ただけの筈がない。 セイネリアを動かすなら、シーグルを使えばいい。 それを、魔法使い達が思いつかない筈がない。けれどもその名を一度も出さなかったという事は、それなりの理由があるのだと考えるのが自然だった。 「何かしらの手を回しているとは思いますよ。実際、シーグル様の傍には、ギルドの関係者を送り込んでいますしね」 「今のところは普通に部下をしているようだがな。少なくとも、あいつに危害を加える気はないようには見える」 シーグルの文官としてついている魔法使いが魔法ギルドからの派遣された人物だという事は、既にフユからの報告でセイネリアには分かっていた。シーグル自身も何か察してはいるらしいが、部下としては有能で役立っている為、今ではかなり信頼しているらしいと聞いている。その事自体は彼の性格上分かるとしても、セイネリアとしては苛立つのは仕方ない事でもあった。 「あのですね、ここで一つ提案があるのですよ。さっきやってきた彼らの内、あの金髪で仮面を付けていた魔法使いと話してみると面白いかもしれません。……どうやら、あの魔法使いはほかの魔法使いとは結構仲が悪いようで、いろいろ口論しているのが少し見えましたので」 「それは確かに面白い提案だな」 先ほど魔法ギルドからきた、魔法使いは3人。 基本はその中で一番地位が高いと思われる人物がセイネリアと話をしたものの、一番魔力が高いのは金髪の魔法使いだという事がセイネリアには見えていた。付け加えるなら、代表者とセイネリアが話している最中、その人物は相当に不機嫌そうであった。 「えぇ、もしかしたら、魔法使い側の実情を多少は漏らしてくれるかもしれませんよ」 満面の笑みで言う詩人をちらと見て、すぐ目を逸らしたセイネリアは、面白くもなさそうな顔をしたまま何度か机を指で叩いた。トントンと動く指を琥珀の瞳で暫く見つめて、それから徐に口を開く。 「いずれにしろ、魔法使い達も一枚岩でないのは確かのようだ。その辺りから少しつついてみるのはありだろうな。状況によっては、多少は奴らの言い分をきいてやるのも手だろう。……正直なところ、魔法使いとなどと話したいとは思わないが」 明らかに不機嫌そうな顔で、明らかに嫌そうに言うセイネリアを見て、詩人は少し皮肉げに口元を歪めると、唐突にリュートを軽く弾き、その場で芝居がかったお辞儀をしてみせた。 「セイネリア・クロッセス、余程貴方は魔法使いが嫌いと見える」 言ってから、その体勢のまま顔だけを上げて、詩人は真っ直ぐにセイネリアの顔を見て言った。 「……そういえば、先程貴方は王になる為に面倒事を引き受ける気はないとおっしゃいましたが……逆に、彼の為ならどんな面倒事でも引き受ける訳ですね」 「その通りだ」 考える事もなくやはり即答されたその返事に、詩人は満足げに笑った。 首都騎士団、シーグルの執務室、そこに呼ばれた彼の部下達は、皆が皆、顔に困惑を張り付かせ、緊張して……単純に言えば困っていた。とはいえ、シーグル本人の方は、それ以上にとてつもなく困っていた。 シーグルの知る範囲で、女性の扱いに慣れている者、といえば、それはかなり限定される。 「えーと……隊長、そりゃぁその……ヤバイどころの話じゃないですねぇ」 「一度拗ねた女性の機嫌を直すのは並大抵の事じゃないです」 「すぐに謝りに行くべきかと」 シーグルの前に背を伸ばして並んで立っているのは、シーグルの隊所属の部下である、テスタとマニクとランの三人だった。女好きで遊び回っていると知られているテスタはいいとして、マニクは割と途切れる事なくいろいろな女性と付き合っているらしいという噂があるという事から、ランは勿論、隊唯一の妻帯者だからという事での人選であった。 各自、普段から女性に接してきている人物として、意見を聞かせて貰いたいという事で呼び出したのだ。 「いやその、そもそも前提が我々には少し難しいですな。なにせ一度も会わないで婚約成立ってぇとこからして下々の者には状況が分かりません。そして会っていないという事は、相手の性格とかも全く分からねぇ訳ですからね」 「おやぁテスタ殿、貴方にしては珍しく慎重でマトモな意見ですねぇ〜」 「いやそら俺でも、事が深刻だってぇのは分かりますからね」 落ち着かないように口髭をたまに触っているテスタは、キールに嫌味を返せないくらいには本気で緊張しているらしい。 ――やはり、難しい事だろうな。 つい、縋るようにキールの言う通りに彼らを呼んでしまったのものの、ここにきてシーグルは少し後悔をしていた。やはりここは、自分が悪いのだから自分で考えなくては相手に失礼ではないのだろうか、と思うのだ。 「とりあえず謝りにはいくとして、何か贈り物を持っていくというのはどうでしょう?」 マニクが一歩前に出てそう言えば、テスタが速攻で返す。 「贈り物って、何持っていくんだよ」 「は、花とか?」 「花ぁ?? この時期、ロクな花は手に入らねぇぞ。しかもその辺に生えてるようなありきたりの花じゃ見向きをしねぇだろ、相手は偉い貴族のお姫様だぞ」 「で、では、珍しいと言われるものを何か……隊長なら取ってこれるかと、何なら俺らも手伝って……!!」 どうにか一生懸命考えようとしているマニクなのだが、彼の意見は怒るテスタよりもランの冷静な一言で却下となった。 「そんな事に時間を掛けるくらいなら、まず出来るだけ早く会って謝る事です」 しゅんとするマニクに見せつけるようなため息をついて、テスタがやれやれと肩を竦める。 「……ですね。初対面でいきなり気合入りすぎた贈り物持っていくってぇのは、いかにもご機嫌とりっぽくて逆効果だと思います。……まぁ、大丈夫ですよ。隊長なら俺らと違って、その御姿を見せるだけでかなり相手の怒りを削げるとは思いますからね、後はひたすら謝るしかないでしょう」 「そうですっ、隊長を見て嫌う女性はまずいないと思いますっ」 前に出て、力強くマニクが言いきる。それを押しやって代わりに前に出たテスタは、こほんと一つわざとらしく咳払いをすると、にっと砕けた笑みを見せた。 「まー、出来るだけ早く会いに行って謝る、やる事はそれだけですよ。ただですね……俺がアドバイス出来るとしたら――そうですね、会いにいかなかった理由は一応言うとしても、言い訳がましくしつこく言わない事、悪い事は悪いと認めて潔く謝る事、誤魔化したり嘘はつかない事、不自然に相手を褒めようとする必要はありませんが、相手が何かをしてくれたら細かくその度に礼を言う事、相手が話している間はどんなに理不尽な文句でも反論はせずに黙ってひたすら聞く事……とかですかね。まぁともかく、最初は向うに文句を言いたいだけ言わせて、こちらはひたすら謝る姿勢をとるのが大事です」 そのテスタの言葉にはランも頷く。つまりそれは、女性と話す上で当然な事なのだろうと、シーグルは真剣な面持ちで今言われた事を頭の中で反芻した。 そうすればテスタは更に声を潜めて、彼もまた真剣な目でシーグルの顔を見つめてくる。 「……後はですね、怒りが収まったところで、彼女が自分にとっては特別だってのを匂わせれば、貴方の容姿ならどんな女性でもころっと落ちるかと思われます」 けれどもそう言った途端、テスタは後ろから――正確には上からだが――ランに頭を小突かれた。 「それは余分だ」 テスタは頭を押さえて、隊で一番体の大きな同僚を睨んだが、普段が無口な分、ランがいう時の言葉は反論し難い重さがある。睨みはしても文句を諦めたテスタがため息をついて姿勢を正せば、ランもその場で姿勢を正して、低く、よく通る声で発言する。 「隊長はただ、誠意を持って正直な言葉で相手に謝れば良いです。それ以上は考える必要ありません」 ランの発言の後、テスタもマニクも黙って頷いたのを見て、シーグルも大きく息をついた。 「そうか……ありがとう三人とも。とても参考になったし、少し気持ちも落ち着いた。ともかく今は出来るだけ早く、彼女に謝罪に行く事にしよう」 それでほっと場の緊張感が取れたところで、少し考え込んでいたマニクがおそるおそる声を出した。 「あの……隊長、その、出来るだけ早くっていうと……いつ、行かれるご予定でしょうか?」 「そうだな……次の休日はラテス婦人のパーティだから……こちらは既に出席の返事を出しているから無理だが、次のエージェナム卿にはまだ返事を出していないから、彼なら事情を話せばどうにか……」 と、真顔でシーグルが答えた途端、部下3人が3人ともずいと前に出て各自怒鳴る。 「隊長ッ」 「いやいやいや、それはないですからっ」 「あのですねっ、こういう場合はっ」 それから3人共に一斉に口を閉じ、互いに顔を見合わせる。そして結局、マニクとランが一歩引いた事でテスタが前に出る格好になって、彼は思い切り苦い顔をしてからシーグルに向き直って口を開いた。 「そのですね、隊長、えっとお相手から手紙が来たのはいつでしょうか? ……あーいや、相手の署名の日付は何日になってましたでしょうか? 差し支えなければ教えていただきたいのですが」 「ここに届いたのは今朝だそうだが、署名は5日前だな。最初はリシェの屋敷に届いたから少し遅れたんだろう」 事態が良くわかっていないようなシーグルの発言に、テスタはひくりと唇を引き攣らせると、大きくため息をついてその場で軽く頭を抱えた。 「えー……隊長ッ、あのですね、出来るだけ急いでってぇのは今すぐという意味です。時間が出来次第じゃなく、時間を無理に作って行くんですよ。とにかく時間勝負です、こういう場合は時間があけばあくほど向こう側の怒りが積もり積もってこじらせますからっ」 「そ、そうなのか?!」 テスタの勢いに押されたシーグルは、思わず体を引いてしまう。 「い、いやだが……まずは相手に訪問日程の伺いを立てないと失礼に当たるのでは……」 いくら急ぎと言ってもいきなり行く訳にはいかない、というのはシーグルにとっては常識ではある……のだが。その言葉は、だんっとテスタが机を叩いた音でかき消された。 「隊長っ、女性に謝る時はっ、まずはともかく即本人のところへ行って、向うが会えないといったら会ってくれるまで外で待ってるくらいの勢いで行くものですっ」 流石にそのテスタは後の二人に押さえつけられたものの、シーグルはやはり自分は女性の事を全く分かっていなかったのだと改めて実感したのだった。 --------------------------------------------- セイネリアと話してる神官の吟遊詩人は番外編で仲間になった人物です。金髪の魔法使いが誰か、は……ピンときた方はその通りの人物です(笑) そしてやっぱりシーグルサイドはギャグっぽくなるという(==;; いやそのシーグル、女性とは仕事仲間以上の付き合いしたことないから……。 |