【2】 そうして、結局のところ。 部下達の強い勧めもあって、シーグルはその翌日から休暇を取り、ヴィド家の領地であるロスティール地方の街クォンクスに向かっていた。 「たい……いえ、我が主よ、女性関係ならウルダに聞けば良かったんです。女性の機嫌を取るのはこいつの特技ですから」 「リーメリっ、最近そんな暇もない事くらいお前分かってるだろ」 「古参のオッサン連中にちょっとしごかれたくらいで音を上げてるお前が悪い」 「そりゃーお前は猫被ってうまくやってるからなっ」 言い合いだけを見ていれば一見仲が悪いように見える二人だが、これで友人以上の関係である事は隊にいた時から皆知るところであった。 リーメリとウルダの二人はどちらもリシェの商人の家の出で、かつては騎士団にいてシーグルの隊に所属していた。とはいえ彼らがいたのは後期組で、その任期はほぼ冬場のみに限定される上、前期に比べて短期間という事もあって、予備隊の中でも更に予備扱いであったのだが。ただ、殆ど戦力として期待されていない後期組みにあっても、この二人は元々剣の腕はかなりのもので兵士として十分有能であった。 そんな彼らだが、どうやら騎士団の規定期間を終えて家に帰った後、各自実家の方から『騎士になったのならシルバスピナ家の役に立て』といわれたらしく、シーグルが領主になった途端、彼らをシルバスピナ家の守備兵として雇って欲しいという話が商人組合を通して打診されて来たのであった。 シーグルとしてはそれは勿論歓迎すべき話で、程なくして彼らはまたシーグルの下につく事になった。騎士団内で既に気心が知れている事もあって、シーグルとしては個人的な事や出来るだけ内密にしたい仕事が頼みやすく、今回の件でも彼らを護衛に連れて行くという事でクォンクス行きを身軽な人数で行く事が出来たのだった。 「ナレド、大丈夫か?」 「あ、は、はいっ、大丈夫ですっ」 唐突にシーグルが振り向いて、後ろをついて来ている青年に声を掛ければ、乗りなれない馬の上でぐったりしていた青年はぴんと背をのばす。 「実は歩いた方が楽だと思ってんだろ」 ウルダが意地悪そうに言えば、正直に小声で『はい』と返すナレドに、シーグルも苦笑するしかない。 今回、馬車を使うか、もしくはナレドは誰かの後ろに乗せていくか置いていくかという話になった時、自分も馬に乗っていくと言ったのはナレド自身であった。 ナレドは馬に乗った事がなく、従者になった途端に、乗れなくては話にならないとグスやアウド達から相当特訓をさせられたらしい。グス曰く『上達は早いですし根性はあるから大丈夫でしょう』と馬で行く事を反対はされはしなかったものの、やっとどうにか乗れるようになったばかりでいきなりの長距離は、後が大変だろうなとはシーグルも思う。 護衛をウルダとリーメリの二人にしたのは、現地で彼が身動きが取れなくなった場合も考えたというのもある。アウドはそれなら置いていけと言ったのだが、シーグルはナレドの意志を尊重させてやりたかった。それに、クォンクスには先に、シーグルが行く事を知らせる為の使者を行かせてある。ナレドが動けなくなった場合は、その使者と共に後から帰せばいいと思っていた。 「ま、がんばって一緒に帰ってこれたら、きっとアウドもお前さんを認めてくれるさ」 それには先ほどよりも力強い声でナレドは返事を返す。ウルダの言い方からすると、もしかしたらシーグルの知らないところで、アウドはナレドに何かを言ったのかもしれなかった。 とはいえそれに口を出す気はシーグルにはない。 「そういえばた……アルスオード様、大変失礼な質問ですので答えて下さらなくてもよいのですが、相手の方の年齢はその……おいくつでしょうか?」 まだ慣れない名前の方で呼ばれた所為で一瞬自分の事だと気づかなかったシーグルだが、気付いてから急いでウルダの方に顔を向けた。 「あぁ……1つ下、だった筈だ」 「それはまた……」 言いかけて、流石に失礼過ぎると思ったのか、ウルダは口を閉ざした。とはいえシーグルには、彼がその後に何と続けたかったのかは理解していた。 貴族の娘で、二十歳で婚約が決まるというのはあまりにも遅い。 結婚だって二十歳では遅すぎる。婚約なら、通常は12、3までには決まっていて、ヘタをすると生まれた時点で決まっているのも珍しい事ではない。 勿論、彼女の場合、それには理由があった。 ヴィド卿は、ウォールト王子の次期国王という地位が確定した後で、自分の娘を彼と結婚させるつもりだったのだ。 正式に婚約というカタチをとっていないのは、派閥外の貴族達からの反感を考慮した所為であって、宮廷貴族の間では当然のように語られていた話だった。ヴィド卿の姉にあたる現王妃が生んだ王子が幼くして亡くなった後、その後の子に恵まれなかった時点で、当時わざと後ろ盾の弱いウォールト王子の支援にヴィド卿が回ったのはそれが目的だと言われていた。つまり、娘を王妃にして自分の孫を将来の王にするのが彼の計画だったのだ。 「彼女は事情が複雑なんだ。わざと婚約していなかった」 その理由までは話さなくても、彼女の名誉の為にそれだけを言えば、ウルダも事情を察してそれ以上聞こうとはしない。 気まずそうな空気が流れた中、今度はリーメリが少し大きな声で言ってくる。 「ウルダは、貴方のお相手があのヴィド卿の娘だって聞いた途端にですね、それはきっとかなり高慢で意地の悪い女じゃないのかと心配してたんですよ」 「おいっ、リーメリっ」 「いっそかなり年下なら貴方の姿を見た途端に問題解決だろうとかまぁいろいろ余計な事をあれこれ考えていた訳ですので……」 「リーーーメリっ」 赤くなってウルダが叫べば、リーメリが馬を並べてきてシーグルのすぐ傍にくる。 ちなみに、リーメリは長い髪で整った顔立ちをしている為、彼もまたシーグル同様、仕事仲間や同僚達から邪な目で見られる事が多く、そういう意味で苦労してきた所為か性格はかなり警戒心が強くてきつい。ウルダとはいい相方ではあるが、そのウルダに対しての言葉が一番辛辣なのは、それだけ彼に一番心を許しているからだろう……とシーグルは思っている。 「それでですね……我が主よ、失礼を承知で単刀直入に聞きますが、もし奥方になるお方が、とんでもなく高慢でわがままなお方だったらどうなさるおつもりですか?」 「お前……本当に歯に衣着せないっていうか……失礼極まりないな」 呆れたウルダの言葉は無視して真剣な顔でこちらを見るリーメリに、シーグルは苦笑した。 「大変かもしれないが、出来るだけ彼女の言う通りにしてやってくれ。後、もし彼女が俺の事を悪く言っても、黙って聞くだけにして欲しい」 「……悪くって……どう考えても理不尽に酷い中傷だった場合にも、ですか?」 「あぁ、彼女は俺を恨むかもしれないから」 シーグル以上に目元がきつい印象のリーメリが眉を跳ねあげて、酷く不機嫌そうに顔を顰める。それから再び口を開くと、その口調は表情以上に不機嫌極まりないものになっていた。 「何言ってるんですか、貴方と婚約しなかったら、彼女はプライド守って一生独身か、貴族とは名ばかりの下っ端貴族の馬鹿息子と結婚するしかなかったんじゃないですか、感謝こそすれ恨むような立場じゃないでしょう。父親が生きてた頃のようなわがまま放題をするようなら、一度ご自身の立場をはっきり分からせるくらいの事を言った方がいいのではないですか」 「リーメリ」 だが、流石に毒舌家な彼も、シーグルに強い口調で名を呼ばれれば口をすぐに閉ざす。 シーグルに対しても時には失礼と言える程の事を平気で言ってくる彼だが、考えなしに好き勝手に言っている訳ではない。ちゃんと主と僕の立場を理解して、彼は自分がシーグルの意に沿わぬ事をしたと思えばすぐに引く。今回もまた、彼はすぐに非礼を詫びて軽く離れた。 「彼女はおそらく頭のいい女性だ。自分の状況は人に言われなくても一番分かっていると思う。分かっているからこそ相当に辛い筈だ、だからもし彼女が感情のはけ口にするのが俺に対してなら、それで構わないと思ってる」 シーグルは婚約者である彼女本人に会った事はなかった。だが、あのヴィド卿が将来は王妃にしようと思っていたなら、相当に高度な教育を受けていただろう事は想像できる。 実際に、彼女から送られた手紙は、礼儀と形式をきっちりと守った上で、やりすぎないようにうまくこちらの非礼を非難する文面になっていた。しかも、敬称の書き方や細かい表現は全て自分よりも上の家に対しての書き方だった。前ヴィド卿の生前であれば明らかに逆の書き方をしていたろうに、あえてその書き方を使ったという事は、自分のプライドを主張すべき時と抑える時の使い訳が出来るだけの人物だという事になる。 まだ会った事はなくても、誇り高い聡明な女性だろうと、シーグルは絵でしか見た事のない相手の事を想像していた。 だからもし、そんな彼女が自分を非難する事があるなら正統な理由――父親の死因を知っての事か、もしくは感情面の吐き出し口としてだろう。どちらにしろ、それでも自分の立場を十分分かって、抑えるべきところでは抑えられる人物だとシーグルは思っていた。 「隊長……ってあのすみません、アルスオード様。その、俺は例えどんな事情があっても相手の方は貴方のことを恨んだりはしないと思います。もし今恨んでいても……貴方に会えば恨めなくなると思いますよ」 にかっと笑顔を浮かべる彼を見ると、シーグルも思わず気が抜けて気分的に楽になる。けれどそこでリーメリの冷たい声が入って、シーグルは思わず笑う事となる。 「まぁ、俺も同感ですが……しかしウルダ、お前、とうとう隊長って完全に言い間違ったな」 「うるせ、お前だってさっき、もう少しで隊長って言うとこだったろ」 「言う前に直したから俺のはセーフだ。次はちゃんと間違わなかったし」 「似たようなモンだろっ、お前だって油断すると言いそうになるって事だし」 「俺はお前程気が緩んでいない」 そのやりとりには思わず軽く声を出してまで笑ってしまって、場の空気が一転する。尚も二人は一見仲悪そうに仲良く言い合いを続けていて、黙っていればいつまでもやっていそうなその様子にシーグルも口を出す事にした。 「別に、聞かれて困るような者がいる人前でなければ、呼びやすいように読んでくれても構わないんだが。キールも普段は俺のことを『シーグル様』と呼んでいるし」 旧貴族の当主となったシーグルを旧名で呼んでもいいのは、基本的に身内か同格以上の相手だけである。例え『様』をつけていても、部下が言うのは罰せられても仕方がないくらい非礼となる――のだが、シーグル個人的には、前からの知人には『シーグル』と旧名で呼ばれた方が実は嬉しかった。だから人前でなければ、旧名で呼んでもいいというより、本当は呼んで欲しいのだ。 「いえ、あのトロそうで実はクセ者の文官殿と違って、ウルダは普段からなれてないと公の席でもやらかす可能性がありますので、そういう甘やかしはなしでいいです」 「あのなっ、俺だってお偉いさんの前なら緊張してそうそう間違いはしないぞ」 「成る程、我が主はお前的には『お偉いさん』に入らないわけだな」 ちなみに、シーグルの僕としての立場なら『我が主』、もしくは王から賜った名の『アルスオード様』か、後は普通に『シルバスピナ卿』と呼ぶのが正しい。どれで呼んでも問題ないが、前にいく程、部下の中でも位が上、つまり主の側近である者が使う傾向がある。 つまり、リーメリが『我が主』と呼ぶのには、自分はシーグルの直属の部下である、と宣言している意味もあったりする。 「……お前、それこそ言いがかりって奴だろう。ってもさ、その、見られちゃ困るって連中がいないとこだと、騎士団時代くらいの話し方で構わないって言われたからさ、思わずな」 「つまりお前は、自分が間違えたのを我が主の所為にしようとする訳か」 「お前、本当に意地が悪いよな」 「安心しろ、ここまで言うのはお前にだけだ」 つんと澄まして先を行こうとするリーメリに、追いかけるようにウルダが馬を並ばせる。その後も二人でいろいろ言い合っているのを、シーグルは柔らかい表情で見ていた。 ――ただ。 「あの……お二人は仲が悪いのでしょうか?」 心配そうに言ってくるナレドには、どう言えばいいだろうかとシーグルも少し考える。こういう場合は、テスタあたりだと巧い切り替えしが出来るのだろうなと思いながら、思いついた言葉を言ってみる。 「いわゆる、喧嘩する程仲がいい、という奴だから心配はいらないさ」 本当は、『痴話喧嘩』と言う言葉も思いついたのだが、そこまではまだ彼に言うのは早いかとシーグルも思ったのだった。 --------------------------------------------- 騎士団編の後期編で出てた二人は、無事二人揃ってシルバスピナ家に就職しました。 次回はシーグルと婚約者のお話なので……女性とのやりとりとか見たくないって方には予め謝っておきます。 あ、でも流石に女性とはいわゆるラブシーン的なものはないのでご安心ください。 |