願いと想いが向かう処




  【7】



 先代ヴィド卿であるロージェンティの父親が亡くなってから、ずっと僅かな緊張と不安に包まれていたこの館は、ある日を境に一転して活気と笑顔に包まれるようになった。
 活気の理由は婚儀の準備の為ではあるのだが、空気的な部分ではそれよりも館の主の精神的な変化が大きい。父を失って、宮廷から追い出されて、大貴族ではあっても貴族達からつまはじき者とされたその時に、それでも気丈に屋敷を前のままに維持してこようとしてきた彼女も本当は不安だったのだ。あれだけ彼女を褒め称えてきた取り巻き達は掌を返し、修道院に入って貴族としての全てを捨てる覚悟さえしなくてはならない程、状況はどこまでも最悪で絶望的だった。彼女の立場で普通の女性であったなら、不安で不安でたまらなくて、厳しい現実に嘆く事しか出来なかったろう。
 それでも彼女は、領地を継いだ兄とは違って誇りを失わず貴族らしく振舞い、屋敷の者達に泣き言を言ったり等はしなかった。苛立ちを自分より弱い立場の者にぶつけたりもしなかった。だからこそ使用人達は、この状況がどうにもならないと分かっていても、どうにか彼女が救われる事を願っていたのだ。

 それがまさか本当に叶うとは思わなかったのに……とこの館の主であるロージェンティ付の侍女ターネイは、満面の笑顔で鼻歌まで鳴らしながらも主の衣装をかき分けて、その中から一着を取り出した。

「姫様、これはどうでしょう? シルバスピナ卿の瞳のような濃いブルーのドレスでございます」

 シルバスピナ卿、という名を聞いただけで僅かに頬を赤くしたこの館の主が、それにはすぐ返事をくれる。

「え、えぇ、そうね。いいわ、それにしましょう」

 いつも通り背を伸ばして澄まして答えているものの、それが少し無理をして平静を保っているのだということがわかるから、ターネイは更に浮かれてしまう。ドレスをドレス掛けに掛け、汚れやほつれがないかチェックをしようとしたターネイは、夜着姿の主が宝石箱を見ているのに気付くと、その手元を覗き込んでから彼女の元へと近づいていった。

「このドレスに合わせるのでしたら、ネックレスはこちらがよろしいのではないですか?」

 銀の装飾の中、真珠細工の首飾りを指させば、主の手は別の首飾りを大事そうに持っていた。

「これは……やはり、だめかしら」

 それは最近ずっと彼女がお気に入りの深い青の宝石の首飾りで、それを彼女が選んだ理由が分かりすぎてしまうから、思わずターネイは笑ってしまう。

「青いドレスに青の宝石は目立たないかと思いますが」
「そ、そうよね、確かに貴女の言う通りだわ、いいわ、貴女が勧めてくれたそれにしましょう」

 一瞬残念そうな顔をして、それでもすぐにいつも通りの澄まし顔をつくって背筋を伸ばす彼女の様子が可愛らしすぎて、ターネイは嬉しくなると同時に、主とか侍女とかいう立場以前に彼女の為にどうにかしてやりたくてたまらなくなる。だから別の箱から、別の青い宝石のついた小さなティアラを取り出して彼女に差し出した。

「なので頭の方にこれを付けましょう。こちらもとても深くて綺麗な青い石がついています、あの方の瞳のように」

 それでまた彼女は頬を僅かに染めるものの、顔を軽く見られないように背けて、ピンと背筋を伸ばして精一杯威厳を保とうとする。その姿は以前の誇り高い貴族の見本のようだった主ならあり得なかったもので、本当に可愛らしいとターネイは思う。

「……分かりました、そうしましょう」
「はい、ではすぐに靴の方もそれに合わせた青いものを用意しますね」
「……ありがとう、ターネイ」
「勿体ないお言葉です、私、姫様のお幸せの為でしたらなんでもいたしますので」

 そうすれば主であるロージェンティは、今度は嬉しそうに笑顔を浮かべて、再びターネイに礼を言う。

「本当に、ありがとう」

 今の彼女はとにかくとても機嫌が良かった。そして、一際可愛らしかった。なにせ明日は、一月半ぶりに彼女の婚約者であるシルバスピナ卿がこの館に訪れるのだから。
 ちなみに今までの彼女なら、ドレス選びは条件を言った後は人任せで、ターネイが3着程候補の準備をしておいて、そこから当日彼女が選ぶ、というのが常の事だった。けれど今回、シルバスピナ卿からの連絡があった後からずっと、彼女は常に落ち着かずそわそわしていて、当日の天気やら、庭に今咲いている花が何かあるか、どこが一番それが綺麗に見れるか等使用人達に聞いて屋敷のあちこちを歩き回り、ドレスの事など三日前からどうしようとターネイに何度も相談してきていたりしたのだ。

――あぁ本当に、姫様がこんなにお幸せそうで良かった。

 考えれば考える程、ターネイは嬉しくなって、涙まで出てきそうなる。

 シルバスピナ卿が初めてこの館に現れた日から、この館の主であるロージェンティは、いい意味で言葉通り人が変わってしまった。昔から同い歳の令嬢達より飛びぬけて落ち着きがあって、いつでも何処か纏っていた緊張感はなく、今の彼女はぼうっと考え込んだり、かと思えばそわそわする事が多くなって、使用人達への指示もミスが出る事さえあった。とはいえ、どれだけ彼女がらしくないミスをしても、言った事を忘れたりしても、使用人達はそれが嬉しくて微笑ましくて仕方なくて、自然と皆笑顔になってしまうのだが。

 ロージェンティのそんな様子は言葉にすれば簡単で、ようするに彼女は今、恋をしているのだ。

 相手はこれ以上なく見た目も性格もとびきりの好青年で、家柄的にも問題なく、しかも婚約者であるから結ばれる事が決まっている。彼女の初めての恋には障害も懸念事項もなくて、彼女の幸せを願っていた者達にしてみれば手放しで喜んで祝える状況だった。それであるから、自然と館の空気全体までもが明るくなるのも当然であった。

 ヴィド家の事だけをみれば喜べる事など一つもない現状だが、ターネイとしては言葉には絶対出来ないものの、実はこっそり、不謹慎にもこの状況は逆にロージェンティの為には良かったのではないかとさえ思っていたりする。
 公然の秘密というか予定調和の計画というか、もし彼女の父親が生きていてヴィド家がそのままだった場合、彼女はウォールト王子の元に嫁ぐ予定で、父親の計画の元、ゆくゆくは王妃となる事になっていた。
 ウォールト王子はロージェンティの幼馴染であり、ターネイも本人を何度か見ているが、悪い人物ではないものの気が弱くてただ大人しいだけの青年で、世辞にもお似合いと手放しで喜べるような人物ではない事は確かだった。彼女がウォールト王子と結婚して絶対に幸せになれないとは言わないが、王妃になればいろいろと苦労することが多いだろうし、しかも父親の政治の駒にされるのだからいろいろ辛い立場になる事は予想出来た。その上あの頼りない王子では、彼女を支えてもやれないだろう……と余りよくない想像ばかりしていたのだ。
 けれども、貴族としては底辺近くまで落ちてしまったこの状況で、彼女は夫としてはこれ以上望みようがない程の最高の相手と結婚する事になったのだ。

――私は思うのです、やはり姫様も女性なんですもの、王妃になんかなるよりも、好きな方と結婚して、女としての幸せを掴む方が幸せになれるに決まっています。

 そもそも、王妃となるべく教育をされた所為で、いつでも女性としては威厳ある態度を取っていた……けれど悪くいえば可愛げのない態度を崩さない彼女は、ひたすらちやほやしてくれるだけの馬鹿な取り巻き達はいても、本気で恋をするような相手と会った事もなかった。その彼女が恋をして、少女のように頬を赤らめる時がくるなんてターネイは想像も出来なかった。そして、そんな彼女を見る事が、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 残念な事に、宮廷から追い出されるように領地へ戻った手前、ロージェンティはそうそう気安く首都方面に行く訳にはいかないし、忙しいシルバスピナ卿も滅多に彼女に会いに来ることは出来ない。
 それでも、親書を定期的に送ってはくれるし、逆にそういう事情があるからこそ早く婚儀を上げてしまおうという話も出ている。
 主の幸せは、侍女として何年も過ごしてきたターネイにとっての幸せでもある。
 ヴィド家の事情によって、結婚式を盛大には行う事は出来ないだろうという事はあるものの、結婚後の彼女の幸せを思えばそんな事は些細に思えた。

 ともかくターネイとしては、主が結婚するのが待ち遠しくて楽しみて仕方なかったのだった。







 ヴィド家の領地であるロスティール地方の中心地クォンクスの街、その外れにあるロージェンティの館の名は通称『星見の館』と呼ばれる。それはこの館が繁華街から離れた高台にある為、星と街の明かりがよく見え、かつてはこの館でよく星見の夜会が開かれていたところから名付けられたのだという。

「確かに、ここからの眺めは素晴らしいですね」
「喜んで頂けました?」
「はい、とても綺麗です」

 バルコニーから下を眺めたシーグルが思わず感嘆の声を上げれば、椅子に座ったままのロージェンティから嬉しそうな声が返る。
 屋敷の中でもこの部屋からの眺めが一番良いと彼女が自室に案内してくれたのだが、確かに星見の館という名に相応しく、空には一杯に星明かりが広がり、それが地上の街の明かりと繋がって星空の中に自分が浮いているような錯覚さえ覚える。
 ふと真下を見れば、そこは丁度広いテラスと中庭が広がっていて、かつてはここで夜会が催されていたという事を教えてくれた。
 今でも掃除や手入れはちゃんとされているものの使われた気配のない暗いテラスに、ヴィド家の現状を思ってシーグルの表情は曇る。とはいえ、それは彼女に気付かれないようにして、シーグルは顔に笑みをうかべると彼女を振り返った。
 ランプ台の調整は部屋を照らすには十分明るいものの、バルコニーに出れば少し暗く顔には影が落ちる。それでもよく映える青空色の瞳をきらきらと月の反射で光らせて、ロージェンティはじっとシーグルを見つめていた。

「ここはとても良いところですね」

 言えば彼女の顔が少しだけ苦笑に歪む。

「ただの田舎ですわ」
「クォンクスは田舎ではないでしょう」
「その内ただの田舎町になりますわ、このところ挨拶にくる商人達も大分減って、街には活気がなくなっていますから」

 落ちる声のトーンとそれにつられて俯いた彼女だったが、ふいに顔を上げると急いだように笑顔を作る。

「申し訳ありません、そういう話はいけませんね。私、子供の頃からここで星を見るのが大好きで、どうせ嫁ぐまでの間だからって、お父様にせがんでこの屋敷を貰ったのです」

 シーグルも、そんな彼女に静かに微笑む。
 そうすれば、ロージェンティは困った顔をして、また少し顔を俯かせてしまった。

「その……どうせ私はお父様の都合がいい方と結婚するのですからって……わがままを言って……お父様は私にはそういう事には甘い方でしたので……」

 『お父様』という言葉に、つきりとシーグルの胸が痛んだ。

「お父上は、貴女には優しい父親でしたか?」

 シーグルの表情を見て、自分が失言をしたと思った彼女の顔が強ばる。けれどシーグルがそこで笑い掛けた事で、彼女は安堵したように息をつくと表情を和らげた。

「基本は厳しい父でした。兄よりも私に一番厳しくて、私は幼い頃からひたすら勉強をさせられました。パーティに連れていかれても、各貴族の顔と名前と領地や地位を覚えさせられるだけだったので、最初の頃は楽しいと思えませんでした。……ただその分、欲しいと言ったものは大抵なんでも与えてくれたのです」

 それは、自分の政治の駒にする娘に対しての彼なりの愛情だったのだろうか。先ほどの屋敷をねだる時の彼女の言葉を思い出して、シーグルはそう思う。娘に対して、彼でもやはり良心の呵責はあったのだろうかと。
 シーグルから見れば許せない男であっても、彼もまた家族を想う父親だったのだろうか。……どしらにしろ、結果として彼女から父親を奪った事になるのは変わらない。シーグルはかろうじて、笑みを保ったまま彼女にまた尋ねた。

「お父上の事は好きでしたか?」
「そうですね……」

 それには、ロージェンティは更に表情を曇らせた。それでもシーグルに対して気を使っているのか、彼女は口調が暗くならないように努めて返してくる。

「正直、好きではない……えぇ多分嫌いでした。子供の頃から兄以上にあちこちに連れて行かれて『父親に溺愛されている娘』のふりを強要されていましたし、父の近くにいたからこそ、父の汚さを見て知っていましたし。……ただ、不思議なものですね、嫌いだと思っていたのに、父が死んだと聞いた時は泣きました、自分でも何故泣けるのか不思議でたまらないのに、涙が止まりませんでした」

 最後の言葉が微かに震えて、シーグルは強張りそうな顔の筋肉を無理に動かして、やはり微笑んだ。

「貴女が泣く事が出来たと聞いて、安心しました。……私は、父が死んだ時に泣けませんでしたので。それを、今でも悔いています」
「貴方はお父様の事がお嫌いだったのですか?」
「いえ、大好きでした。父に近づきたくて、私は騎士になったと言ってもいいくらいです」
「ではなぜ……」

 心配そうに、苦しそうにこちらを見つめてくる真剣な水色の瞳を見つめて、シーグルは大きく息を吸う。
 そうして話し出す、自分と新しい家族を作る彼女に、自分の家族の話を。――父と母の事、自分が一人シルバスピナの家に引き取られた事、そして、父が死んだ時の事を。
 大きな水色の瞳から、ぽろぽろと涙を流しながら黙って話を聞く彼女の為に、シーグルは自分の過去を話した。

 ただそれでも、セイネリアの名と、彼との間にあった事については、シーグルは一言も口に乗せる事は出来なかった。




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なんだろうこのノーマルカプ全開の展開は(==;; 大丈夫です、BLです、BLなんですよぉ。




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