【5】 「ン……」 一瞬、抗議するように腕を掴んできたシーグルだったが、すぐにその手からは力が抜けて、口腔内で舌を掬えばそれに合わせてくる。だからセイネリアは彼の体を引き寄せて顔を軽く倒し、より深く彼と繋がろうとした。 「ふ……ン……ぁ」 シーグルの手が腕から離されて、代わりにセイネリアの肩に置かれる。迷うように遠慮がちに……だがまるで抱きつくように置かれた彼のその手を感じたら、我ながらやたらと嬉しくなってしまって――その感覚に自分でも呆れてしまって、セイネリアは一度唇を離した。そうしてなんだかそんな自分が滑稽で、それでいてこの感覚が心地よくて、幸せで、その訳の分からなさに思わず笑ってしまった。 「セイネリア?」 唐突にキスを中断して笑い出したのだからシーグルが困惑するのは当然だろう。だからセイネリアは苦笑を顔に張り付かせたまま、彼の額と両頬に触れるだけのキスをした。 「どうにも俺はおかしいんだ。お前が俺の腕の中にいるというだけで気分があがりすぎる。感情の起伏が唐突にやってきて制御出来ない。……だがそれが妙に心地好い。多分、これは浮かれているという奴なんだろうな」 「浮かれてる? お前が?」 「そうだ、お前を手に入れたと確信してから、俺はずっと浮かれているらしい」 シーグルが僅かに顔を顰めて考え込む。 「なんだか……お前のイメージから想像出来なくて信じられないんだが」 どうにも口元が笑みを浮かべて仕方ないセイネリアは、目の前にある彼の顔のその目元にまたキスをした。 「そうだな、俺もだ」 そうすれば彼は余計に顔を顰めてこちらを睨んでくるから、セイネリアは彼の頭に手を伸ばし、今は恐らく他人には青い色に見えている彼の髪に指を入れて梳いてやる。 「お前が俺といてくれるだけで妙に気持ちが浮ついて、その分お前に拒絶されると気分の下がり方が激しい。正直、感情の揺れ幅が大きすぎて自分でどうにも出来ないんだ」 笑みを浮かべたままそう言えば、彼は表情沈ませて僅かに視線を落した。 「……昨夜は、すまなかった」 彼の生真面目さに苦笑しつつも、彼が自分の事を考えてくれているその事自体も嬉しいのだから自分は相当におかしいのだろう、とセイネリアは思う。 「別に謝ることじゃない。俺も何も出来なかった」 「お前が悪い事なんかないんだ、お前の考え方は正しいし、俺がお前に文句を言う資格なんかない。ただ……気持ちの整理がつかなかった。あのままお前を見ていたら、お前に怒りをぶつけそうで……だから、逃げたんだ」 それはセイネリアにも分かっていた。彼は、この状況と情勢を理解して、セイネリアの取った方針が正しいとは判断するだろう。ただ、父親として感情面で納得出来ない。自分が投げた責任を息子に負わせたとそう考えてしまうだろうと。 セイネリアにとって一番苛ついたのは、それで彼に拒絶された事よりも……彼がそれで苦しむ事が分かっていたのに、自分が何も出来なかった事だった。彼がこちらに怒りをぶつけてくれるなら受けとめるつもりでいたのに、拒絶をされたらただ手を離す事しか出来なかった。その自分の間抜けさにむかついて、彼が感情を自分にぶつけてくれなかった事が悔しくて……結果、ただ落ち込むしかなかった。 「シーグル、お前はいつもそうだな。自分には資格がないと言い出す」 だからここでそう言ってしまったのは、いわゆる愚痴だ。 「セイネリア?」 「お前はいい子すぎるんだ、基本的に自分の否を必要以上に気にして、他人を責めない。それは見方を変えれば、他人に期待しない、他人に頼れない人間の考え方だ」 「エルにも……俺は人に頼れない、と言われた」 そこでエルの名が出てきて、反射的にセイネリアの声が固くなる。 「あいつはうまくやったようだな」 「あぁ、とても……ありがたかった。彼には世話を掛けさせてばかりだ」 そう言った彼の言葉に、セイネリアの中で軽く苛立ちが湧き上がる。その理由をセイネリアは理解していたが、あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑いたくなった。 「エルの奴は大人数の家族で育ったとかで、そのせいか人付き合いが上手い。冒険者時代でもいつもパーティでは皆の仲裁とまとめ役だった。あいつは情で動くくせに、交渉事も上手いから不思議だ」 そこでシーグルが柔らかく笑う。 「そうだな、確かに彼は感情がすぐ顔に出て、親身になってくれて……つい、心を許してしまうタイプだ」 そんなシーグルの様子に益々苛立ってしまうのだから、本気で自分は相当におかしい。自覚はあってもどうにもならない感情に、セイネリアはため息をついた。 「セイネリア?」 不思議そうにこちらを見てくるシーグルを、セイネリアは軽く睨む。 「正直、あいつの所為でお前が立ち直ったというのは、俺はあまり楽しくない」 それに本気で訳が分からないという顔をシーグルがするから、それもまたこちらの感情を逆撫でる。 「……何故だ? エルを俺のもとに行かせたのはお前の指示じゃないのか?」 「あぁそうだが、本当はお前は俺だけを頼ってくれればいい、と俺は思っているらしい」 「だが、そもそも俺が彼に相談しやすいように弟という事にしたのはお前じゃないのか」 「そうだ、エルはそういう面でのフォローがうまいし適任だろう」 「どうしたんだセイネリア、言っている事が矛盾している、一体お前はどうしたいんだ?」 シーグルは困惑している。当然だろう、セイネリア自身でも言っている事の矛盾を理解しているのだから。 「あぁ、おかしいのは分かってる。つまり俺は……悔しいんだ。おそらくこれは嫉妬という奴だろうな」 言えば、シーグルが本当に驚いたように大きく目を開く。 それをセイネリアが不機嫌そうに見つめるしか出来ないでいれば、シーグルは軽く俯いて、それから顔を隠すようにしてこちらの肩に頭を寄り掛からせてくる。 「……セイネリア、分っているな? 俺は……お前の部下だ」 彼自身にも言い聞かせるようなその言葉を、セイネリアは苦々しい思いで聞く事しか出来なかった。 「分っている」 だが、とセイネリアは心で彼に問う。 だがシーグル、お前も本当は分かっている筈だ、と。 セイネリアがシーグルを愛している事、他全て捨てても彼だけの為にセイネリアが動くだろう事を、シーグルは分っていて『愛している』という言葉を封じた。 ただ彼がそうせねばならない理由をセイネリアは理解している。シーグルはあくまでも家族の為、家の為にここにいる事を忘れたくなかった。代償としてここにいるのに、愛されて、守られて、自分が幸せを感じていい筈がない――そう考えるだろう事が分かっていたからこそ、セイネリアは他の者達と同様のカタチで『部下になれ』と言ったのだ。 シーグルはいくらセイネリアを愛してくれたとしても、彼自身の望みの為にセイネリアのもとにくる事はない。いつでも他人の為に自分を犠牲にしてきた彼は、自分の望みのために義務や責任を投げ捨てる事なんて出来ない。だがだからこそ、家族や兄弟、家の為の代償としてなら、セイネリアにその身を渡す。家族を騙し、裏切って愛する男のもとにいても、それが家族の為であるという事でシーグルは自分を保てる。罪悪感に押しつぶされなくてすむ。 だから後はセイネリアが出来る事をすればいい。 彼の家族が幸せでいればいる程、彼の罪悪感は軽くなる。 セイネリアが彼の家族の為に働けば働く程、代償として彼はセイネリアから離れられなくなる。 生真面目で融通の利かない彼が自分から逃げられなくなる為だけに、セイネリアは全ての状況を利用して、彼を自分のもとに縛り付ける鎖を完成させた。 その為に彼が苦しむ事も、彼に憎まれる事さえ想定して――なのに覚悟できていたのは理性だけで、自分という人間は感情に振り回されるポンコツだったというのが現実なのだから笑える話だ。 「分かっているが……俺にとってのお前という存在は変わらない。お前も、本当は分かっているんだろ?」 セイネリアは、シーグルを見つめてまたその髪に手を伸ばす。 大人しく髪を撫でられてこちらを見つめ返している彼の表情は、こちらに対しての後ろめたさで満ちていた。 「だめだ……セイネリアっ、俺は……」 「あぁ、だからお前はお前の在りたい通りに振舞っていればいい。必要ならこの状況は全て俺の所為だと思え、それは事実だ。お前には他に選択のしようがなかった、それは全て俺の所為で間違っていない、お前の所為じゃない」 愛している――と続けようとした言葉をそこで止めて、口元を歪ませてまた彼に口づける。シーグルは目を閉じて大人しくそれを受け入れる。ただし、唇が触れる直前、彼の唇はまた、すまない、と呟いて動いたが。 「ふ……」 触れて、すぐ深くなる口づけに、シーグルは軽く鼻を鳴らして苦しそうに眉を寄せる。ただしそれはそこまで長い間でもなく、暫くすれば彼の表情から険が取れる。 セイネリアは自分でも不思議に思う事がある。 セックスという行為の最初にキスをする事は多いが、それは始める為の合図ともいうべき儀礼的な意味しかなく、それ自体に何か意味を感じる事など今まではなかった。 なのに、彼にキスをすればそれだけで自分の中に膨れる感情を抑えられなくなって、もっと彼と深く繋がりたいという欲求に支配される。彼を求めて、求められるその感覚が欲しいのだという思いが止められなくなる。 だから、唇を合わせて。 彼の顔を引き寄せて、髪を撫ぜて、体を擦り付けて。 出来るだけ彼を感じたくて、更に彼の口腔内の深くを探る。唇を強く押しつけて、唇同士を出来るだけぴったりと密着させる。 「ン……ふ……ン」 唇を合わせ直した合間に漏れた彼の声をすぐ傍で聞いて、彼の手が戸惑うように上げられて自分の胸に置かれれば、セイネリアはその手を掬い取るように指を絡ませて手を組ませる。絡ませた彼の手は最初は遠慮がちにこちらを握り返してきて、それがいつしかしっかりと握られ……そうして今度は力が抜けていく。彼の体全体から力が抜けていくのと同時に。 彼の顔を見たくて唇を離せば、ぼうっと呆けた深い青の瞳の中に自分の顔だけがあって、今の彼の目に自分だけしか見えていないというその事に満足する。 愛してる。 そう、言いそうになってセイネリアは開き掛けた唇を閉じ、自嘲に歪めて彼の頭を自分の胸に押し付けた。大人しくされるがままになっている彼の髪に鼻を埋めて、その匂いを感じながら指で髪を梳く。 「このままここでいいか? それとも隣の部屋がいいか?」 わざと楽しそうに言ってやれば、シーグルは少し怒った声で返してきた。 「ここは人が入ってくるだろ、冗談じゃない」 「今は入ってこないさ、奴らも分かってるだろうからな」 こんな夜遅く、やっと待っていたシーグルが部屋に帰ってきたという状況だと知っている連中が、不用意にこの部屋に入ろうとする筈はない。だからそう言った言葉は、予想通り彼を更に苛立たせたらしく、今度は完全に怒った声で彼が言ってくる。 「……ここで、立ってやる気か?」 「立つのか嫌なら椅子でも床でも、好きなところで」 「本気で言ってるのか?」 とうとう顔を上げてこちらを睨んできたシーグルに、セイネリアは少し悲しそうに笑った。 「お前は、俺に抱かれるなら痛い方がいい、と言った事があったじゃないか」 そうすればシーグルは少しだけ目を見開いて、それから逸らすように僅かに瞳を下に向けた。 「あれは……あの時は、否定、したかったからだ。だが今は違う、今は……抱かれるならちゃんとお前だと感じたい」 セイネリアはそれを聞いて、自分でも意識せず笑っていた。 それはシーグルが驚くくらいに彼らしからぬ幸せそうな笑みだった。 --------------------------------------------- はい、次はやっとこさエロです。しかしセイネリア、どれだけシーグルにキスしたいんだ……。 |