【3】 ドクターの部屋に入ろうとしたシーグルは、中から聞こえた声で入る事を躊躇した。 「いててててて、ドクタぁー、それは痛いってぇ」 「はいはいおめでとう、痛いって事は神経が無事って事だから喜んどいてね」 何があったのだろう、と驚いたシーグルだったが、思い切ってドアを開ければそこにはベッドに寝かされたエルとそれを診察しているサーフェス、それからホーリーはともかくロスクァールまでもが居て、皆一斉にこちらに視線を向けてきた。 「エル、どうしたんだ?」 ともかく彼が怪我をしていると分かったシーグルはそう声を掛けたが、彼らは即答せず、まず黙って顔を見合わせた。それからため息をついたサーフェスが代表で言う事にしたのかシーグルに向き直って口を開いた。 「エルはね、アッテラの強化術を使ったんだよ。勿論普通使うレベルじゃなく限界ぎりぎりまで上げる奴ね。ご丁寧に痛覚まで切ってさ」 「なんでそんな事を……」 と、そこまで言ってからシーグルも察した。セイネリアが突然離れる事を許す気になった訳、エルに感謝をしろと言っていたその言葉を考えれば――。 「最大限まで強化して、セイネリアと戦ったのか?」 「そういう事」 何故か、なんて聞くまでもない。きっと自分が離れる事を許してもらう為にだ。 「いやー、やっぱマスターは化け物だわ。んでも一発は当てたぞ、すげーだろ。あいつも驚いてたぜー、黒の剣を手に入れてからは初めてだってな」 こちらに心配させない為にか殊更明るくエルは言ってくる。 それに呆れたようにサーフェスが続けた。 「たった一発当てる為にリスク高すぎじゃない? まったく、マスターもよく勝負を受けたもんだと思うけどね、エル壊したら後々大変なの分ってるだろーにさ」 「そんでも俺とあの男には戦う意味があんだよ、戦わないと納得できねーことってのがさ」 「脳筋な戦士さん達の気持ちは僕には分からないけどね」 「るっせ、いーだろ、結局どうにかヤバイ事にならなくて済んだんだからよ」 「運が良かっただけでしょ、それにそこまで治すのにこっちがどれだけ苦労したか分ってるのかな?」 呆然と立ち尽くしてエルとサーフェスの言い合いを聞いていたシーグルは、そこで気が付いて聞いてみる。 「どれだけの怪我だったんだ?」 途端、ぴたりと二人の言い合いは止まる。それからバツが悪そうにエルが苦笑して、サーフェスがまた大きくため息をついてシーグルを見た。 「骨折した箇所はいちいち数えてなかったけどもうたくさん。それは大神官様が苦労して治してくれたけど、まだ筋肉があちこちで悲鳴上げてて相当全身痛い筈だよ。幸い奇跡的に神経が無事みたいだから全部治せるとは思うけどね」 「ってことだから安心しろ、レイリース……ってぇ……たたたた」 そう言って手を上げてみせたエルは、直後に痛がってベッドの上で蹲る。 「俺の為、なんだろ? エル」 エルは蹲ったまま顔だけを向けて、困ったように頭を掻きながら笑ってみせた。 「まぁ、な。もう戦いってモンに諦め切ってるあいつにさ、ちょっとでも戦う喜びっていうか、熱い何かを思い出させてやれればいいなーってさ。そうすりゃお前が強くなりたいって気持ちも分かるだろっていうか……まぁ流石にここまでやっても勝つのは無理だったんだけどさ」 エルは笑っている。本当は相当に痛いのだろうという事は、彼の青白い顔とその顔に浮かぶ汗で分かる。それに我知らず顔を顰めてしまったシーグルを見て、その理由を察したのか急いでエルが言ってくる。 「あー……いやンな痛そうな顔すんな。痛覚は多少切ってるから実際はそこまで痛くねーんだからさ。まぁ完全に切ると異常が分らなくなるから多少痛いのは仕方ねーくらいでさ、だから気にすんなよ、結果的にちょっと俺が痛い目あっただけなんだから」 エルが焦って起き上がろうとして、また顔を顰めて動きを止めた。シーグルはそこで深くエルに頭を下げた。 「すまない……いつもいつも俺の為にたくさん力を貸してくれて、俺はいつでも一方的に助けてもらうばかりで……すまない」 それに返す青い髪のアッテラ神官の声は明るい。 「んな畏まった礼なんていーんだよ、なにせここじゃ俺はお前のにーちゃんなんだからさ、兄としてお前の為にやれることがあンならやってやろーって思っただけだ、お前は一言にーちゃんありがとうって頼ってくれりゃいいんだよ」 「あぁ……ありがとう、エル……兄さん」 自然に口をついた言葉に、エルは大きく目を見開く。シーグルが魔法で変えている瞳の色とよく似た青色の瞳が大きく見開かれて、それからくしゃりと彼の顔が笑みとも泣き顔ともとれない表情に変わった。 「んだよ……不意打ちかよ……ったく本当に言ってくれると思ってなかったぜ……やっとかよ」 少しだけ涙ぐみながら、エルの顔は次第に満面の笑顔へと変わる。にこにこと嬉しそうなここでの『兄』に、シーグルも笑ってまた頭を下げた。 「本当に……ありがとうエル……兄さん、セイネリアが行っていいといってくれた、貴方のお蔭だ」 「おう、そっか。マスターはちゃんとそう言ったか。……他に何か言ってたか?」 「あぁ、詳しい事はエルに聞けと言われた」 「そっか……んじゃ、条件は俺が出したのでいいってこったな」 エルはほっと息をついて安堵すると、ちょいちょいと手招きをしてベッドの上に背をつけて寝転ぶ。 「ちょっとこの態勢は辛いんでこっちこいや」 「あ、あぁっ、すまない」 焦ってシーグルが彼の傍に寄れば、エルは完全にベッドに背をつけて寝転がると笑いながらまた手招きをする。今度はもう少し顔を近づけろとその意味を取ったシーグルが少し屈めば、エルは寝たまま手だけを伸ばしてシーグルの頭をぽん、ぽん、と軽く叩いた。 「心配性のマスターをちっとは安心させる為にな、お前が行く条件を提示したんだ。まず、あてなくただ旅に出るってのはだめだ、マスターが心配し過ぎて大変なことになっちまう」 「だがそれでは……」 意味がない、と返そうとしたシーグルの顔の前にエルの手が開かれる。 「まぁまて、それでお前が行く先だがな、アッテラ大神殿のあるジクアット山だ」 「アッテラ大神殿?」 アッテラ神殿の総本山はジクアット山にある、というのは冒険者達の間でも有名な話ではある。相当に険しい山で、山頂近くにある大神殿に行くだけでもかなりの覚悟がいると、そこまではシーグルも聞いた事があった。 「そう、お前もアッテラの神官修行がどんだけ厳しいかって話は聞いた事あるだろ、神官になる奴ぁ皆ジクアット山で修行すんのさ。強くなりたいからアッテラ信徒になるって奴はたくさんいるけど、その中でも神官にまでなりたいって奴はただ強くなりたいってだけじゃなくてな、どうしてもって目標を持って命がけで鍛えてる。しかもアッテラは戦い方自体を教えてるんじゃなくて戦い方は自由だ、いろんなタイプのいろんな強さを持った奴がいる。勿論そこで導師って呼ばれてる指導役の上位神官連中は馬鹿みたく強ぇぞ。……ま、そういういろんな戦い方、鍛え方してる奴が集まってるんだ、お前が強くなりたいというならうってつけのところだと思うんだがな。それにあそこならヘタな奴は入ってこれねぇ、魔法使いだってあそこには行きたがらねぇし、お前を狙ってヘンな事考えてる奴なんかいたら導師につまみ出される、マスターもちっとは安心できる筈だ」 確かにシーグルも、アッテラ神官が皆そのジクアット山で厳しい修行を積むというのは知っていたし、神官希望ではなく強くなりたいアッテラ信徒も修行に行くとも聞いた事がある。エルに詳細を聞けば確かに心惹かれるが……ただ、シーグルには問題があった。 「だが俺はアッテラ信徒じゃない。それでもいいのか?」 エルは歯を見せてにかりと笑う。 「いーんだよ、アッテラはそういう細かい事は気にしない。己を制し、ひたすら磨きあげようと鍛錬する者は誰でも受け入れる。だからアッテラ信徒でなくても真に強さを求める者にはいつでも門は開かれるんだ」 「そう、なのか……」 それならぜひ行ってみたいとシーグルは思う。いろいろな強さの人間に会えるというなら、彼らから話を聞いてその強さを見るだけでも行く価値があると思う。 「ついでに言っとくと、その導師って呼ばれる神官の一人が俺とレイリースの養父でな、だからお前の事を頼むって予め連絡はつけてある」 「養父、なのか? ならレイリースと名乗るのは不味いんじゃないのか?」 アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナは死んでいる、だから当然今のシーグルはレイリースを名乗るしかないのだが、エルとレイリースの養父というならその名を名乗って相手を騙す訳にはいかないだろうとシーグルは思った。だがエルは真剣な顔で聞いたシーグルのその疑問を笑い飛ばした。 「その事も含めて親父さんに事情は説明してある、レイリースはジクアット山に行った事もないから他の奴にバレるって事もねぇ。顔を見せられない事情も全部話してあるし、親父さんもお前にはレイリースとして父親代わりに頼ってくれて構わねぇって言ってた。まぁ、あの人はすげー厳しーから甘やかしちゃくれねぇけどな」 それをウインクで締めたエルに、シーグルも笑みを浮かべた。 「それは構わない。……本当に、ありがとう、何から何まで……」 そこでまた頭を下げかけたシーグルの頭を、またエルの手が伸びてきてぽんぽんと叩いた。 「いーんだよ、俺はお前の兄貴だっていったろ。強くなって帰って来たらマスターぶったおして俺の仇とってくれりゃいいからさ」 「あぁ、必ず……約束する、エル兄さん」 言えばまた照れながらも嬉しそうに笑ったエルから更にジクアット山の事を聞いて、そうしてシーグルは今度は恐らくそのままあの部屋で待っているだろうセイネリアのもとへと向かうことにした。 --------------------------------------------- エルにーちゃん痛い目にあった分は報われた……かな。 |