行く者と送る者の約束




  【4】



 やっぱり、というべきか、何してるんだと呆れるべきか。シーグルが自分の部屋に帰れば確かにそこにはセイネリアがいて、しかも彼はここを出て行った時と同じ格好のまま立ち尽くしていた。

「何やってるんだ、お前は」

 シーグルが少し怒って声を掛けて、そこで初めて彼は動いた。

「帰って来たか」

 セイネリアの顔には自嘲がある、自分でも馬鹿な事をしているとは気づいているんだろうと思っても、やっぱりシーグルとしては呆れるしかない。

「まさかそのまま突っ立っていると思わなかったぞ、それこそ先に昼食を取っていれば良かったじゃないか」

 セイネリアはそこで自嘲だけではなく、彼『らしく』皮肉気に笑った。

「聞いてないのか? ドクターから食事はお前と取るように言われてる」
「……聞いてるが、馬鹿みたいにそのままの体勢で待っているとか何を考えてるんだ」

 近づいていけばセイネリアの手が伸びてくる。抱き寄せられるそれには素直に応じて、シーグルは今度は目前にある男の顔に向かって言った。

「俺は主を立ったまま待たせる部下にはなりたくない」
「それは悪かった」

 そうして笑いながら自然とキスしてきた彼は少なくとも辛そうな顔はしていなくて、だからシーグルも許して彼の唇を受け入れた。
 彼のキスは優しくてもどこか強引で必死で……そうして、シーグルは分かってしまった。いつも通りを装っている彼だが、その実かなり今の彼は精神的に動揺している。それが自分を許しはしても本当は許したくなかったのだと、離れる事を不安に思っている事をシーグルは理解出来てしまった。
 だから唇が離れて、一瞬、瞳に苦痛の色を見せてしまったセイネリアに、シーグルは背の高い彼の肩に額を押し付けて呟いた。

「必ず……帰ってくる、絶対だ」

 そうすればセイネリアも笑った気配がして、彼はこちらの髪を撫ぜてくると呟きに呟きで返した。

「あぁ……分ってる」

 最強の筈の男は一度こちらの頭に鼻を埋めて、それから顔を上げるとこちらの顔も上げさせる。目が合えばその顔が優しく笑っていたからシーグルも笑みを返して、そうすればセイネリアはこちらの頬に手を置いて額に触れるだけのキスをしてくる。そっと、唇を離して、それから彼は体も離して部屋の奥へと歩き出した。

「ならメシにするぞ、お前を待っていた所為で腹が減った」
「待て、まだ準備が出来ていないんじゃないか?」
「ソフィアが知らせたろうから、すぐカリンが持ってくる筈だ」

 あぁつまり、自分が帰って来たらカリンに知らせろとソフィアに予めいっておいた訳か――とシーグルは思って、ゆったりと、けれど大股で歩く男の黒い背中を追った。

 食事中は、いつも通り。
 他愛のない会話をして、笑い合って、セイネリアの食べっぷりに呆れて、料理を貰って……こうして必ず一緒に食べる事にしてからまだそんなに長く経っていないのに、今では彼とこうしている事が当たり前のように感じられる。

「俺がいないと、お前がまた食べるのを怠けるんじゃないかとそれが心配だ」
「食べない事を普通怠けるとは言わないだろう」
「お前限定ではアリだな。お前、面倒だからという理由で食べない事もあるだろ」
「まぁ、それは……」

 セイネリアは殊更明るく話し掛けてきて、やはり感心するくらい美味そうに食事をしていた。シーグルが言葉に詰まればにやりと楽しそうに意地の悪い笑みを浮かべて、フォークに肉を刺したままこちらを差し、それから偉そうに言ってくる。

「よし、特別な理由もなく飯を抜くような事があったら首都に帰らないとならない、とそれも条件につけてやる」

 シーグルは思わず彼を睨んだ。

「なんだそれは、というか了承してから条件を付けたすな」
「仕方ない、お前はそれくらい言わないとちゃんと食べないからな」
「……お前こそ、俺がいないと眠れないとか言い出すんじゃないか」

 言ってからまた後悔してしまったシーグルだったが、セイネリアはそれにもにやりと普通に笑って見せた。その上……。

「そうだな。だから毎日報告する事も条件だとエルもいってたろ、連絡用の石をありったけ渡してやる、それで毎晩の連絡ついでにお前には子守歌を歌ってもらおう」
「ば……子供かお前はっ」

 冗談なのか本気なのか……本気ならとんでもなさすぎる発言の内容に、シーグルはカッと顔を赤くして怒鳴る。

「その程度の条件はいいだろ。あぁ『食事を抜いたら帰る』が嫌なら、抜いた日はいいというまで歌い続けて貰う事で許してやってもいいぞ」

 セイネリアはどこまでも楽しそうで、シーグルはがくりと項垂れた。

「……分かった、ちゃんとした事情もなく食事を抜いたら帰る……くらいの覚悟はしておく、それでいいだろ」
「しーちゃんの子守歌もね♪」
「だからそれは勘弁してくれ……」

 頭を抱えてシーグルがいえば、セイネリアは笑って楽しそうに喉を揺らす。それには呆れながらシーグルも苦笑してしまって、それから豪快に肉を噛み切ったセイネリアを見て笑った。

 本当は、行くな、と言いたいのは分かってる。
 それでも彼は許してくれたのだから、自分は絶対に強くなって帰って来なくてはならない。絶対に、彼に勝てるくらいに。

 そうしていつも通りの食事を終えてかたずけられた後、互いに食後のハーブティを飲んで一息をついてから……会話が途切れたところでセイネリアはこう、切り出してきた。

「シーグル、条件をあと一つ追加と、もう一つ……頼みがある」

 セイネリアの顔に笑みはなかった。あの、人を威圧する琥珀の瞳に正直に不安を映すと、彼は真っ直ぐシーグルの顔を見つめてきた。

「追加ばかりで悪いがこれで終いだ、これ以上はもう何もいわん」

 そこで僅かに自嘲じみた苦笑をして弱さを見せる……そんな彼を見てシーグルがだめだといえる筈がない。

「本当に最後なら……言ってみろ」

 だからそう言えば彼の顔からその苦笑も消える。真っ直ぐあの金茶色の瞳を向けてしっかりとした声が告げてくる。

「まず、条件の追加分だが、一人で行くのはだめだ、アウドとソフィアを連れて行け」

 シーグルはため息をついた。実は許可が下りた時点でそれは言われそうな気はしていたからだ。

「目的が目的だ、出来れば一人で……と言いたいところだが、お前の言い分も分かる」

 なにせいくらジクアット山は安全だとは言っても、今までの自分の狙われやすさと厄介ごとに巻き込まれやすい性格を考えれば一人でも大丈夫だ、なんていえる立場ではない自覚はある。

「あぁ、一人はさすがに許可出来ん。これでも人数は最小限に絞った、この程度は諦めろ。 ……特にアウドはお前の部下としてお前の盾になる為ここにいるんだ、置いて行ったら奴がいる意味がないだろ」

 それは確かにその通りで、この時点で彼を置いていくという選択肢はシーグルにとってなくなった。

「そうだな、わかった……だがソフィアは……彼女は今でも迷惑を掛け過ぎている。行く場所も場所だ、出来れば今回は彼女の世話になりたくない。場所的に彼女の術が必要になるような危険もない筈だ」

 転送術のあるソフィアが傍にいれば、確かにかなり安心の度合が増すだろうとはわかっている。だがこれからいく場所の事を考えれば女性を連れていくのは躊躇われた。
 セイネリアはそれに薄く笑みを浮かべる。

「迷惑か……迷惑と本人が思っていないのだから気にしないでいいと思うぞ。それどころかノウムネズの時もアッシセグでの時も、ソフィアは自分の役目を果たせなかったと後悔している、俺としても挽回のチャンスを与えてやりたいんだがな」

 その言い方は少々狡いではないかとシーグルは思う。だからシーグルがわずかに顔を顰めれば、逆にセイネリアは笑みを深くして椅子の背もたれに片腕を掛けた。

「そもそも……ソフィアが俺と契約している条件をお前は知っているか?」
「いや、聞いていないが」

 やけに楽し気な彼を怪訝そうに見ながら即答すれば、セイネリアはその笑みのままで答えた。

「お前の役に立ちたい、その為に強くなりたい、だ。それでもお前は連れていけないというのか?」

 今度は一転してシーグルは目を見開く事になる。あまりの内容に思考が追い付かなくて、しばらくは何も言えず彼の顔を見返す事だけしかできなかった。

「……何故彼女がそんな事をお前に望むんだ」

 やっと思考が追い付いてきてもシーグルの目は見開かれたままだった。セイネリアはそれに軽く喉を揺らして笑う。

「分からないのか? どれだけ鈍感なんだお前は」

 シーグルは顔をうつ向かせた。

「いやだが……俺は、彼女の気持ちには応えられない」
「ソフィアも別に応えてもらいたいわけじゃないだろ」
「だが……ならなおさらだ、彼女を連れていく事はできない」
「お前は、お前のそばにいて役に立てるだけでいい、という女のささやかな望みさえ叶えてやれないのか」

 その言葉には反論できず、シーグルはうつむいたまま黙るしかない。

「お前のために強くなりたい、と言うだけあってカリンに鍛えられているからな、その辺の冒険者の男よりもずっと強いし役に立つのは確実だ。女だからとへたな気遣いは必要ないし邪魔にはならん、連れて行け」

 正直に言えばシーグルだって、彼女の想いをまったく気づいていなかったというわけではない。彼女の好意はわかっていて、だからこそ彼女に近づきすぎないようにしていたのだ。それが正しい行動だったのかはわからないが、少なくともシーグルは『応えられないなら相手に気を持たせるような事をしてはいけない』と思っていた。
 彼女の望みがただそばにいたいというだけなら……それ以上を望まない相手を遠ざけようとする方が酷い事なのだろうかと、シーグルは考えて悩むしかない。

「俺に……どうしろというんだ」

 だから抗議するようにそう呟けば、おそらく女性相手の事にはこちらより数十倍の経験があるだろう男はさらりと軽く返してきた。

「別に、お前の好きにすればいい。気づかないふりをして今まで通りに接してもいいし、応えられないとはっきり伝えてもいい。いっそ体だけだと割り切って抱いてやれば……」
「そんなことできるかっ」

 シーグルが怒鳴ればセイネリアは一度黙る。だが怒りを露わにして睨むシーグルの目をしばらく見つめて、彼は苦笑しながら言葉をつづけた。

「潔癖なお前は考えもしないだろうがな、相手に誠実である事が必ずしも相手のためになるわけではない。……ともかく、お前がどんな選択をするにせよ、付いて来るなというのがソフィアにとって一番残酷な選択である事は確かだ。あと、来るなというのならお前自身が彼女に言え」
「待て、それは……」
「俺はソフィアにお前についていけと命令する。それをお前が断ったら……どんな反応をするかはわかってるんだろ?」

 それはもう脅迫ではないかと思いつつ、それで彼女がどれだけ悲しい顔をするのかが予想できている段階で――結局、ついてくるなというのが一番彼女にとって酷い選択肢だというのは自分でもわかっているわけだとシーグルは自嘲する。

 シーグルがそれで黙って考え込んでしまえばセイネリアが軽く息をついて、それから深く座っていた椅子から背を離してテーブルの上で腕を組んだ。

「さて……あとは言っていた通り、最後に俺の頼みを聞いてほしいんだが」
「あ……あぁ、そうだったな」

 顔を上げたシーグルに、セイネリアは柔らかく笑う。

「実際お前が出発する日の事だが……今年の鎮魂祭が終わるのを待って欲しい」

 そこまで待つとすぐ冬が来てしまう――だから最初は冬が明けるまで自分を足止めするつもりかと思ったシーグルだったが、何故、と咄嗟に返した言葉に告げられた理由を聞けば、それは断れる筈がない内容だった。



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 セイネリアの頼みの真相は次回。
 



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