【5】 子供の成長は早い。 一日単位で大きくなるから、一月ぶりになんて見た日にはびっくりするくらい大きくなっている。ただ一月ぶりだと子供の方も相手を忘れていて、誰、と言い出すから、まぁ驚きたくてもあまり時間を空けるもんじゃないな……などと、ウィアは今朝の謁見で半年ぶりに首都に来たある地方貴族に向けてキョトンとした顔をしていたシグネットを思い出した。 「うぃあ、ずるいっ」 積み上げたおもちゃを崩さないように取っていく、というウィアが考えたゲームは最近少しルールが追加されて、おもちゃの山の頂上に木製の小さな剣を刺し、これを倒したら負けという事になった。だからちょっと上から剣を支えておもちゃを取ろうとしたウィアはすかさずシグネットに怒られた、という訳である。 「はいはい、悪かったよ」 「ウィーア、先生のズルは大罪です。陛下、この不届き者をどうしましょう?」 そこでフェゼントが入って来て恭しくシグネットに言えば、もうすぐ三歳になる子供は誰のマネなのか、わざと難しい顔をして考え込んでみせる。 「んぅ〜うぃあにはばつがひつようであるな」 口調もどこかの誰かの受け売りか、わざと大人の言い方をマネていうから部屋の中の者は笑いを堪えるのに必死になる。 「申し訳ございません陛下、どうぞお許しください」 そこでいつも通りウィアが頭を下げていえば、難しい顔をしていた子供は途端に元気よくウィアを指さして言うのだ。 「よし、ゆるすっ」 つまるところこのくだりがやりたいからで、ウィアの『ずる』も実はわざとだったりする。レイリースに『許す』と言ったあのやりとりから後、その言葉を言うのがシグネットの中ではブームで、だからこういうごっこ遊びをしているのだ。 「ありがたき幸せ」 さらに頭を下げてウィアが言えば、これがちゃんとごっこ遊びだと理解しているシグネットは、じゃぁ続き〜、とすぐに切り替えて自分が取ったおもちゃの数を数え出した。 「おれねーいつっつ、うぃあはいくつー?」 「俺も五つだよ、んじゃ取るからなー」 寝ころんで、足をパタパタさせてウィアがおもちゃを取るのを見ているシグネットは上機嫌だ。というかこのところやけに機嫌がいいとウィアは思う。だから自分の番になって、真剣な顔ながらもやはり足をパタパタさせているシグネットに聞いてみた。 「なーシグネット、なんかいい事あったのか?」 途端、シグネットは飛び起きると、満面の笑みをウィアに向けてくる。 「うんっ、しょーぐんがね、やくそくしてくれたのっ」 「約束? なんの約束だ?」 「しりたい? しりたい?」 「おー、しりたいぞー」 やたらと楽しそうな子供は、嬉しそうに体を揺らしながらもったいぶって言ってくる。 「そーれーはーねー……しょーぐんがね、ちちうえにあわせてくれるって」 部屋の中に一瞬、沈黙が下りる。それからウィアもフェゼントも、そして回りにいた護衛官達も、全員が目を見開いて声を上げてしまった。 「なんだってぇ?」 アルスオード・シルバスピナの命日に罪人を裁く為に彼の魂が姿を現した、というニュースは瞬く間にクリュース中に広まった。当然ながら城内でもあちこちで噂話をする者が後を絶たず、そうなれば幼いシグネットの耳にも入ってしまうのは避けようがなかった。 シグネットにとっては死んだ父親がどうして出てきたかなんてわからなくても、皆がその姿を見た、見ない、なんて話をすれば何故自分は見れなかったのだと思ってしまうのは仕方ない。更には丁度そこに将軍がいたと聞けばそれをセイネリアに聞いて来るのも当たり前で、滅多にごねない子供が『ずるい』といってセイネリアを責めるのも当然の事だった。 だからセイネリアはシグネットに約束した、なら鎮魂祭の時に父親を呼んでお前に会わせてやろう、と。 「勿論、本当にお前に会わせる訳じゃない。ようはリーズガンの時と同じだ」 「つまり、キールの幻術か」 「そうだ」 シーグルは微妙な顔で考え込んだ。 確かにそれなら姿だけでもシグネットに見せてはやれる。ただそれならそれで問題があるのは確かだった。 「また槍を持って駆け抜けていく姿を使うのか? 流石に不自然だと皆気付くぞ」 「まさか、ちゃんとお前が立ってシグネットを見る姿にするさ」 「どうやって?」 「お前が居るんだ、いくらでもやりようはある」 そこで彼らしい何か企みのありそうな笑みを浮かべたセイネリアは、ソフィア、とクーア神官の彼女の名を呼んだ。程なくして現れた彼女は一人ではなく何者かを連れていて……と一瞬そう思ったシーグルだったが、彼女とともに現れたソレを見て、すぐに言葉が出ずに呆けたように固まってしまった。 「……まさか、何故……ここに?」 ソフィアが持ってきたソレは、シーグルがノウムネズ砦の戦いでアウグに捕まった際、失われた筈のシルバスピナ家の鎧だった。本物の魔法鍛冶の鎧でなければ絶対に出せない表面の光沢といい間違いない。 「クリムゾンがお前の代わりにそれを着て死んだんだ……なら、俺のもとにあるのは当然だろう」 言われれば確かにそれを全く考えなかった自分の馬鹿さ加減が嫌になるが、『紛失しても必ずいずれは主のもとへ帰ってくる』筈の魔法鍛冶の鎧が何故見つからなかったのか、それに全て合点が言った。 「あの魔法使いの幻術はその『場所』が持つ記憶から映像を作るそうだが『場所』はある程度固定出来るなら『モノ』でもいいらしい……例えば馬の鞍とかな。つまりお前がその鎧を着て馬に乗れば、当日は馬だけを連れていけばいいという訳だ」 馬に乗って、そこからシグネットに会った時にする動作をしておけば、確かにあとはそれを幻術で映せば姿を見せる事は可能だろう。確かにこれなら上手くいくだろうとシーグルも思う。 「あとはリオロッツを倒した時に協力したアルワナの大神官に一芝居うってもらうようにもいってある。アルワナの術で死者を一時的に呼び戻す、という事にすれば意図的にお前の魂を呼べても不思議はない」 いつもの事だがセイネリアの計画には落ち度がない。どこまでもよく考えてある計画にシーグルは今更ながら感心してしまうが、それでもそれを全面的に肯定する訳にはいかなかった。 「ここまで考えてくれるのは有難い……が、この鎧を着るのはだめだ、それだけはなしにしてほしい」 「何故だ? 失われた筈のその鎧を着ている事で、生前のお前の姿だというのに信憑性が増すだろ」 確かにそれはそうだろう、だがシーグルにはけじめとしてどうしても妥協出来ないことがあった。 「あぁそうだろうな……だが、俺はもうこの鎧の主ではない、これはシルバスピナ家のモノだ、もうその名を名乗れない俺が着る訳にはいかない」 「打ち直しをしてない以上、今のこの鎧の主人はまだお前だ、お前以外は着れないお前のモノだ」 「それでもだっ、たとえまだ俺用に調整されていても、家の名を捨てた俺には着る資格がないっ、これはシルバスピナ家に返してくれ」 そこまで言い切ればセイネリアも暫く黙って、部屋は一時的にしんと静まり返る。 だが、そこでセイネリアが片手を上げれば、いつの間にか消えていたソフィアがまた、今度は絶対にここにいてはならない筈の人物を連れて現れた。 「あぁもうっ、相変わらずそういうところは頑固っていうか馬鹿みたく真面目なんだよな、あんたは」 最後に傍で見た時からまた背が伸びた青年は、少しクセのある髪の毛を面倒そうにぐしゃぐしゃと掻きながらそう言ってシーグルに向き直った。その手には、魔法使いの印である長い杖がある。 「ラーク……」 驚くしかないシーグルは、それ以上声が出なくて固まってしまった。 そうすれば記憶通りの不機嫌そうな顔でシーグルを見あげた弟は、大きくため息をつくと持っていた杖の先端をシーグルに突きつけた。 「俺は魔法使いになったんだよ、だからあんたの事も今じゃぜーんぶ知ってる。まぁ相変わらず一人で抱え込んでぐだぐだぐだぐだやってるみたいだけどさ、ここまで来たら規則も資格もないでしょ、あんたが意固地にならなきゃ皆上手く行くんだからっ」 「ラーク、だが……」 「あーもうっ、だったら現シルバスピナ卿が許可すりゃいいんでしょ、許可するから着て息子にあんたの一番あんたらしい姿を見せてやりゃいいよ!」 苦手というかどうにも強く出られない弟の言葉に、勢いで押されながらもシーグルは考えた。というか、話の流れ的にいろいろ引っかかって混乱してきた。 「待ってくれラーク、それはつまり、今のシルバスピナ卿は……」 「そうだよ、俺が今のシルバスピナ卿っ。にーさんはなりたくないみたいだったし、魔法使いになっていろいろ分ったらリシェの制度って面白いなって感心したしやってみたい事も思いついたからさ、だから俺がなるってにーさんに言ったんだよっ」 いつもいつもシーグルに対しては喧嘩腰で話してくる彼だが、その実なんだかんだと自分に気遣ってくれていることは分かっていた。それでも今回は……迷惑を掛けたというには余りにも申し訳なさすぎて、今のシーグルに言える言葉は一つしかなかった。 「……すまない、ラーク」 言えば彼は益々怒った声で怒鳴る。 「だからいーんだよ、全部俺自身で決めたんだしっ、別に犠牲になったつもりはないからね、俺やりたいことあるしっ、リシェの屋敷に領主権限で植物栽培用の温室作っちゃったもんねっ」 「すまない……」 「あーだからっ、俺は好きにやってるんだから謝られる筋合いもないからねっ、あんた人前だと堂々としてたクセに本っ当ーに俺に対しては強く言えないよね」 「あぁ……そうだな、確かにそうだな」 怒った顔をしていても彼は自分を責めているのではないとシーグルにはわかっていた。けれどもやはり申し訳なくて、声がどうしても沈んでしまうのを止められない。 「まったく、ほんっとーーーに面倒なんだからっ」 唐突にラークはそういうと傍にいたソフィアに杖を渡す。それから一歩、シーグルに向かって大股で近づいてくると両手を広げながらシーグルへと伸ばし、そのままバチンとイイ音をさせてシーグルの両頬を手で挟むように叩いた。 「片手は俺でもう片手はにーさんの分ねっ、そりゃもう本当は文句ならいくらでも言いたいけどさっ……ってかにーさんになら謝りまくってほしいけどっ、あんたの事情も分かってるからとりあえず今はこれで許してやるよっ、だからもう終わりっ、少なくとも俺にはもう謝らなくていいからっ」 「あ……あぁ」 面食らったように目を見開いたシーグルは、睨み付けてくるラークをぼうっと見返すことしかできなかった。けれどもわずかにじんじんと痛む頬を感じたら、なんだか泣きたいような笑いたいような気分になってしまって、頬を手で押さえながらその中間のような顔をして呟いた。 「ありがとう、ラーク」 今では目線が大分近くなった弟が、わざと腕を組んで、ふん、とふんぞりかえる。 その姿がなんだかおかしくてシーグルの口元が緩めば、ラークもその偉そうな態度のまま偉そうな笑みを浮かべた。 「まぁ前シルバスピナ卿としてあんたがどうしても何か言いたいっていうなら、ここは引継ぎ代わりに『頼む』って一言くれればいいかな」 それにはとうとう軽く吹き出してまで笑ってしまって、けれどできるだけ心を込めてシーグルは彼に言った。 「あぁ……そうだな、リシェを頼む、ラーク」 そうすれば偉そうに腕を組んだままの末の弟は、堂々とした声で笑って返してくれた。 「ん、任せてくれていいよ、シーグル……兄さん」 流石に最後の言葉を言う時は目を逸らしたラークに、シーグルは目の端に浮かんだ涙を感じながらも満面の笑みを浮かべた。 シーグルは分かっているつもりだった。 セイネリアが立てる計画はとにかくいつでもよく考えられていて徹底している。だから現シルバスピナ卿であるラークが協力してくれるというなら、確かにここまでやって当然だろう――と。 鎧を着て、あとは馬の上で当日の動作をしてみるだけ……という段になって厩舎にやってきたシーグルは、普段ここにはいない筈の、けれどよく知っている馬を見て足を止めた。 「シルバスピナ卿であるお前が乗ってくるんだ、当然馬だってお前の馬でないとおかしいだろ」 セイネリアのその言葉に苦笑して。それからシーグルは既に自分を見つけて激しく首を振っているかつての愛馬に向かって走った。 「よかった、お前も元気だったんだな」 シーグルが近づくと馬は興奮して前足を上げ、人間でいえば手招きのように必死に床を蹴って騒ぎ出す。シーグルがその首に縋り付けば馬も激しく顔を擦りつけてきて、あまりの勢いによろけて倒れそうになった。 祖父から騎士になった祝いとして与えて貰ったかつてのシーグルの愛馬。冒険者として出かけていた時は黒の斑点が多くて黒っぽい印象だった葦毛の馬は、今では全身がほぼ真っ白の白馬になっていた。見た目だけなら驚くほど変わったその姿を、けれどもシーグルは一目見てすぐにわかった。葦毛の馬はだんだん体毛が白くなって、やがて白馬になると祖父から聞いたのを思い出す。それで自分はこの馬がいいと祖父に言ったのだ。 「すまない……お前を放っておいて。本当にすまない……でもきっと、お前に乗るのはこれが最後だ、まだ俺の言う事を聞いてくれるか?」 早く乗れと促す馬をなだめながら、シーグルは呟いた。 --------------------------------------------- 次回は鎮魂祭当日。 |