行く者と送る者の約束




  【9】



 今夜はあちこちで賑やかな歌が聞こえてくるセニエティの街中で、人目を忍んで静かな通りに入って行くちょっと小柄な人影が二つ。

「なんだよラーク、こんな夜に外に出るなら酒場かと思ったのに……なんだか静かなとこにくるしさ」
「何いってんの、酒場なんか行くのにわざわざこっそり抜け出せなんて言う訳ないでしょ。俺なんか皆で盛り上がってる領主の館から出てきたんだからね、そんなどうでもいい事の為にここまですると思うの?」
「えぇ〜、だって今日のこの街で内緒で出てこいっていうならなぁ」
「あーもう全く、ならこれから何処へ向かってるかも全然分ってないんだね」
「え? 何、俺が知ってるとこ?」
「……お師匠様のとこ、一度行ったでしょ」
「あー……」

 ラークが頭を押さえながらもウィアの腕をひっぱれば、ウィアも周囲を見渡してそういえば見覚えがないこともないかもしれない、と思い出す。ただ前に来た時は夜ではなかったから見た印象が全然違って分らなくても仕方ない、とは自分に対する言い訳だ。
 けれども一際細い通りに入って、明かりのついた建物が見えればそのドアにははっきりウィアも見覚えがあると思う。そういえばこの緑の看板が目印だっけとラークに引かれるままその扉を開けて中に入ったウィアは、途端賑やかな空気と……そしてラークの師匠の他に3名の人影と、その一人が前に来た時にいた元リパ主席大神官の爺さんである事に気がついた。

「なんだよあんたが来てるなら、なんかまた正義の悪巧みかなにかか?」
「正義の悪巧みって……何それ」

 すかさずラークが突っ込むが、ウィアは胸を張って答えた。

「いいか、このじーさんは善人だが悪戯は大好きというタイプだ。つまり結果としてはイイコトをするにしてもその過程はガキの悪巧み並の事を考えてる、という訳だ」
「……はぁ?」

 尚もラークは言い返そうとするが、その言われた老人――元主席大神官が大笑いしたことで口を閉じた。

「いやいや、その見解は間違っていないさね。しかしうまいことをいう、正義の悪巧みとはね……」
「だろー、じーさんなら分かってくれると思ってたぜ」
「本当に兄さんは発想が斬新で楽しいね」
「おー、やっぱあんたは話分かるわ」

 と、そこまではウィアと老人の一見微笑ましい会話だったのだが、その老人の隣に座ってフードを頭からすっぽり被って座っている人物が突然立ち上がれば和やかムードは吹き飛んだ。

「だー、だからウィア、流石に元主席大神官様をじーさん呼びはやめろ、いくらなんでも失礼過ぎるのが分らないのかっ」

 立ち上がった勢いでその人物のフードが上がり顔が見える。その長身から睨み付ける目と目があって、ウィアはその場で石化したように固まった。
 そうして、たっぷり二、三呼吸分の間をあけてから唐突に叫んだ。

「う、うぇあああぁぁぁ兄貴っ? なんでここにいんだよっ。だってもう身内には会えないってぇ」

 一応お忍びらしく身を隠す恰好をしているテレイズは、完全にフードを頭から剥ぎ取るとウィアに向かって一歩前に出た。

「……そういう事にはなっているしその覚悟をしてほしいからヘタな事は言わなかったが、そもそもこの方がたまにこっそり外に出ていた、という話を聞いた時点でこういう事もあり得ると思わなかったのか、お前は」

 それで手をぽん、と叩いたウィアだったが、直後に思い切り兄を睨み付けて怒鳴った。

「ってかそれならそうってさっさと言やいいだろっ、今の今まで音沙汰ないからそりゃー俺だってもう兄貴にはオツトメ終わるまで会えないって思うじゃねぇかっ」
「馬鹿者っ、その覚悟をしてほしいから今の今まで黙っていたと言ってるだろ。というか久しぶりに会う兄にその言い方はなんだウィア、いつまで子供と同じなんだ」
「なんだよ偉い神官様のクセに騙すとかやっぱ兄貴は性悪神官だな、リパ神殿史上一番の悪人神官だろ、こらーリパの未来も暗いなっ」
「お前みたいなのが神官になれる未来の方がずっと暗い、というかお前が王の家庭教師という段階でもう……陛下の将来が心配で心配で……」
「なぁに言ってんだよ、俺ァこれ以上なくシグネットを可愛がってるぜ」
「だから陛下だ、せめてシグネット様と言えと……」

 ここまで至ってさすがにこのまま放置しておくとキリがないと思ったのか、そこで唐突に横やりが入る。というか、どかん、ととんでもない音がして二人の口論は一時停止した。

「客人様方、ここは一応治療師の家だ、騒ぐのはそれくらいにしてもらえないか」

 この家の主であるラークの師匠、自称肉体派魔法使いダンセンが、その見事に筋肉のついた右腕で木製の椅子を叩き割った体勢のままにっこりと不気味な笑みを浮かべていた。

「失礼をした……本当に申し訳ない、ほらウィア謝れ」

 無理矢理兄から頭を押さえつけられて、ウィアも一緒に頭を下げる。

「ごめんなさい」

 それで、はー、と大きなため息をついたのはラークで、彼もまた師匠である魔法使いに謝った。

「すみません師匠、やはり事情を言って来てから連れて来た方が良かったです。もしくは入った途端少し縛り上げて置けば良かったかもしれないです」
「まー……このちびが来るだけでこーなることは分ってたからな、仕方ないといや仕方ない」
「んだちびって……でっ」

 つっかかっていこうとしてウィアは、兄に頭を叩かれた上に首根っこを掴まれた。

「キリがないから少し黙って話を聞け。全く、お前ももう立派な大人だろ、少しは我慢してまず人の話を聞く事を覚えなさい」
「う……」

 大人だろ、と言われると自分より年下のラークがいるのもあってウィアも黙る。というかむこうが最近大人になったのが分る分、その言葉はウィアには効いた。

「いいかウィア、一応誰にも知られずこっそり大神殿を抜け出してくる、というのはまぁ……問題さえ起こさないでやり過ぎなければ出来ない事じゃない。ただ、お前には一人で生きる覚悟をしてもらいたかったからこのことは言わなかったんだ。基本的には禁止されていることだし、用事があるからといって気楽に会える訳ではないのは変わらないからな。だからお前に会えるのは偶然かどうしてもの時だけだ」

 言いながらため息をついてテレイズはウィアから手を離す。だが逆にウィアは兄に詰め寄ってじとりとその顔を睨んだ。

「偶然、っていうのは何だよ……」

 とはいえ睨んだ程度でこの兄が動揺などする訳がない。テレイズはわざとなのか、やたらと事務的に答えた。

「俺が外に出てくるのは、基本はこの方に会いにここへくるためだ。その時にお前がいれば会えるかもしれない……くらいだからな。今回は抜け出し易い状況もあったし、事情を説明する為にお前を連れてきて貰っただけだ」
「なんだよ、俺に会いに来るんじゃないのかよ」
「当たり前だ、そもそも規則では身内に会ってはいけないんだ。だからウィア、どうしても俺に伝えたいことがあるなら今後はここのダンセン殿に言伝を頼め」

 そこまで言うと話は終わりだとでも言うように、テレイズは椅子に座った。
 ウィアはなんだかやたらと胸がもやもやしてむかつくのを感じていたが、それでも辛うじてそれ以上の文句は飲み込んで、勧められるまま椅子に座った。









 ジクアット山は険しい山だ。だからいくらセニエティよりずっと南にあると言っても、冬が近づけば山頂付近は白い雪化粧を纏うのが普通である。鎮魂祭が終わるまで待ってほしい、と言われてここまで待ったものの本来なら冬が近い今は少しでも早く現地にいかなくてはならないところで、だからシーグルは鎮魂祭が終わった翌々日、さすがに翌日は事後処理的に無理だったが、明後日の朝に出発する事になっていた。

「出発の準備は?」
「それはほぼ終わってる。荷物も一部は既に送ってある、知ってるだろ?」

 言えばセイネリアは、そうだったな、と自嘲ぎみに呟いて口を閉ざす。元から彼は放って置いてもべらべら話すような人間ではないが、今日はやけに口数が少ない。

「お前、今日は飲むのか?」
「いや……」

 それは予想していた答えであったから、シーグルは苦笑する。どこか重苦しい空気の中、だからシーグルはふと思いついて言ってみた。

「なら、俺は少し貰うかな。本当に一口だけだが」

 言いながら酒瓶が並んでいる棚へむかって、さてどれにするかと悩んでいれば、彼が立ち上がって近づいてくるのが気配で分かる。それには気づかないふりをして尚も棚を眺めていたシーグルは、後ろにやってきた彼に抱きしめられてふぅと大きく息を吐いた。

「だめだ。ここで飲んでお前に意識を飛ばされたら困る」

 こちらの肩に顔を埋めながらそう呟いた彼に、シーグルは苦笑する。

「俺は明日潰れる訳にはいかないんだが」
「そうならないように慎重にしてやる」

 言いながら首元と目元にキスしてきて、シーグルはさてどうしようかと考える。……いや、ここで『嫌だ』というのは流石に無理だろうなというのは分かっているのだが。

「本当に抑えられるのか、お前は」
「あぁ、抑える」

 そういわれればそれを信じるしかない。彼としても明日――さすがに出発前夜は無理だからこそ言ってきたのだろうし。それにシーグルだって最後に彼をちゃんと感じておくのが嫌な訳ではない。いや、本当は彼にしっかり抱きしめられてどれだけ愛されているかを感じておきたいと思う。……ただ、これでは本当に女のようだと思う心と、彼に対して癪だと思う心のせいでそれを認めたくないだけだ。

「それにドクターが、明日の朝はロスクァールと共に準備していてくれるそうだ」
「なんだそれは」
「だから安心しろ、と奴には言われている」

 それで本気で抑える気があるのかこの男は――と思ってシーグルが思い切り顔をしかめていれば、今度は少し笑いながら彼が耳に囁いてくる。

「大丈夫だ、俺も今日はお前をゆっくり感じたい。これ以上なく優しくしてやる」

 こういうところがこの男の困ったところで、ヘタにその手の経験値がやたら高いから結局シーグルは毎回彼に折れる事になる。赤くなった顔を見られたくなくて振り向かなかったシーグルだったが、そこで黙っていればさすがにしびれを切らした彼にまた抱きかかえられてベッドに連れていかれる事になってしまった。



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 ウィアサイドももうちょっとお話ありますので。
 



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