喜びと後悔の狭間で




  【4】



「いや、大変でしたね」

 くすくすと笑う自分と同じ銀髪の青年に、シーグルは同意しながらも自然と湧く笑みを抑えきれなかった。

「そっりゃぁ皆さん、シーグル様が帰ってきたって話聞いてから会いに行きたくてうずうずして何時復帰するんだってぇ〜グスさんに詰め寄ってましたからねぇ」

 シーグルとエルクアの二人にお茶を入れながら、キールは大げさにため息をついてみせる。実はここはエルクアの執務室で、シーグル達は今彼の客人という状況なのだが、キールいわく「私達もおまけでお邪魔するのですからお茶くらいはぁこちらに振舞わせてくださいな」という事でお茶セットをわざわざ持ち込んでまで皆に茶をいれて回っていたのだった。

「でも本当にご無事で良かったです」

 手に取ったカップのお茶の香りを楽しんでから、相変わらず善良そうな笑みでそう言ってくれた青年にシーグルは礼を返す。

「ありがとうございます。そして隊の者達を見ていてくださったことも礼を言わせてください」
「いえいえ、ウチの隊の連中にもいい刺激になってよかったですし、貴方の隊の人たちも協力的でしたから楽でした」

 遊んで待遇がよくなることしか考えないほかの貴族騎士と違って、彼はちゃんと訓練に参加して自分も鍛え、そしてなにより兵民出の部下達の話を見下さずに聞く。騎士としての実力はまだ正直世辞にも褒められる程ではないものの、その部分だけでもこの騎士団本部にいる貴族騎士の中では一番信頼出来る人物だと言えた。

「私がいない間隊を任されたのが貴方でよかったです」
「それは私としても貴方と友人でよかった、というところですよ。おかげで一時的とはいえ二つの隊を受け持った訳ですから、上からの扱いが違いました」

 それには二人して笑い声を上げる。
 確かに二隊を受け持つとなれば、自動的に予備隊隊長の中ではトップ扱いになる。形式と地位に拘る上の連中としては、彼に対する待遇を変えなくてはならなかったろう。

「――まぁ、それでもこうして笑っていられるのは、やはり貴方が無事帰ってきてくれたからです」

 笑みを収めたエルクアに、シーグルもまた口を閉じる。

「貴方の隊の皆さんは……私を見てたまに辛そうに目を逸らしていたんですよ。多分、この髪で貴方を思い出してしまっていたんじゃないでしょうか」
「彼らには本当に……心配を掛けた」

 シーグルが目を伏せると、普段ならいかにも貴族の青年らしいおっとりとした印象の青年は、らしくなく強い声を出して言った。

「貴方はたくさんの人に愛されて必要とされているんです。だから絶対に軽率な行動で自分の身を危険に晒すようなマネはしてはいけないんです。貴方が貴方の身を軽んじる事は、貴方を想う人達の気持ちを踏みにじる事だと思って下さい」

 シーグルは少し驚いて彼の顔を見つめる。
 あまりにもらしくないその顔を見て、それから真剣な顔で彼に頭を下げた。

「貴方の言う通りだ……ありがとう」

 シーグルが今日騎士団に顔を見せに来た時、皆シーグルの無事を喜んでくれるばかりで誰も怒らなかった。だからこうして彼がちゃんと怒ってくれた事で、シーグルとしても安堵した部分があったのだ。結果としては無事皆と会う事が出来たとはいえ、シーグルの行動の所為で皆を危険な目に合せて、そして皆に心配を掛けた。それを絶対に忘れてはならない。

「いやっ……そのっ……私がそんな事言える権利なんてないんですけどね」

 シーグルが余りにも真剣に謝った所為か、エルクアは表情を一変させて焦り出す。
 そうすれば傍にいたキールが間に入って、にこりと二人に笑い掛けた。

「ところで隊長様達〜今日のお茶はどうでしょうか?」

 それで二人共顔を見合わせて疑問を投げかけ合い、訝しげな表情で魔法使いを見返す事になる。

「美味いと思うが……何か特殊なモノでも入っていたのか?」

 シーグルが聞けばキールはにんまりと人の悪そうな笑みを浮かべ、それから彼の後ろで小さくなっていた青年をひっばると前に押し出した。

「今日はですねぇ、ナレド君が調合したお茶なんですよぉ。彼は私のようにシーグル様の体調に合わせてお茶を入れられるようになりたいと言ってですねぇ、そりゃ〜たくさん香草や薬草の勉強したんですよぉ」
「そうだったのか、美味いぞ、ありがとうナレド」
「うん、とっても美味しいですよ」

 恥ずかしそうにしていた青年は、シーグルとエルクアの言葉にはにかみながらも嬉しそうに笑う。キールと並べば、ひょろっとした印象の魔法使いよりも彼の背が高くなったというのが分かって、シーグルは自分がいない間にたくさん変わった事があるのだとしみじみと思ったのだった。







 首都の西門を出ると、大分低くなってしまった太陽の姿がよく見える。
 本当はもっと早く帰るつもりだったのだがと思いながら、シーグルは馬に乗った。

「この分だとリシェに着く頃には日が沈みそうですね。急ぎますか?」

 先頭を行く事になっているウルダが、馬に乗る前にシーグルに尋ねてくる。

「そうだな、少しだけ急ぐか。馬を走らせない程度で」
「了解、それじゃ適度に軽く急ぎます」

 言いながら馬に乗って、一度後ろを振り向いてから彼は出発を告げる。
 それにナレド、シーグル、リーメリの順でついていく。実は首都を抜けるまでは前のようにアウドも付き添うといってきたのだが、訓練時間が終わる前に帰るという事で自動的にそれは断る事になった。それでただでさえ愛想のよくない顔を更に憮然とさせていた彼を思い出して、シーグルは微かに笑った。

「まぁ、遅くなるとは思ってましたよ。なにせ皆がそうそう帰してくれないと思いましたし」

 後ろから掛けられたリーメリの言葉に、シーグルは軽く振り向いた。

「喜んでたんでしょう、皆。そりゃもう泣く勢いで」

 目があった彼が珍しくにこりと笑ったので、シーグルも笑みを返した。

「あぁ、随分泣かれた」
「でしょうねぇ、連中、揃いも揃って単純で暑苦しいですから」

 相変わらず口が悪いリーメリだが、彼もまたシーグルがリシェに帰って来て最初に出迎えてくれた時は、目を潤ませて顔を赤くしてまで懸命に泣くまいと顰めた顔でいた事を思い出す。普段の言動は斜に構えたところがあるリーメリは、その実結構情に脆い。満面の笑みで嬉しそうに笑って出迎えてくれたウルダと並んで対照的な彼だったが、他の警備兵やナレドが大泣きを始めたので、それを見て結局泣かずに済んだらしかった。

「皆さんそれだけすっごく嬉しくて喜んでたんですよっ」

 今度は前からナレドの声が聞こえて、それにすかさずリーメリは返した。

「そんなの分ってるさっ。というか最近お前も随分俺に言ってくるようになったな」

 それでシーグルも、確かに前よりナレドはリーメリに言い返すようになったかもしれないと思う。

「リーメリ、最近体力で勝てないからってあんま苛めるなよ」
「ウルダっ、苛めるってなんだ、苛めるって」
「それじゃいびりか、お前の口調だと先輩騎士が新人苛めてるようにしか聞こえないんだ」
「その手の連中と一緒にするなっ。それと勝てないって言い方はやめろ。手合せで負けた事はないからなっ」
「んでも、先にバテて終わらせるのはいつもお前だろ」

 相変わらずの二人のやりとりに笑えば、それにつられたようにナレドも笑う。
 こうして4人で夕陽を追いかけるように馬を歩かせるのも前の通りだとシーグルは思う。丘になっている場所から前を眺めれば、街道沿いに続く畑の先にリシェの街が見える。それからその先にはきらきらと光る水平線。もう少しすればあの水平線に陽が降りて、辺りは赤く染まるだろう。何度も何度も見たこの風景を馬上から眺めて、思わずシーグルは目を細める。心地良い風に頬を撫でられ、見慣れた筈の風景が見れる事を嬉しく思う。

 だが、見惚れるように眺めていると、それに気づいたのか乗っている馬が自然と足を止めてしまった。少し遅れてそれに気付いたシーグルは、自嘲を込めて笑うと足で軽く馬の腹を擦る。行っていいぞと呟けば、馬は何事もなかったように歩き出した。
 そういえば、こいつも随分と喜んでくれたなと、前に比べて少し白っぽくなった気がする葦毛の愛馬を見て思う。騎士になった時に祖父から貰ったこの馬は、冒険者時代はいつでも一緒だったものの、騎士団に入ってからは騎士団との行き来と休日の遠乗りくらいにしか乗らなくなっていた。その所為で機嫌をそこねさせる事も結構あったのだが、シーグルがアウグから帰って来た時は全身で喜んでくれて、自分をちゃんと覚えていてくれた事が嬉しかった。

 自分が帰ってきた事をこれだけの者が喜んでくれている――やはり自分には彼らを裏切る事は出来ない、自分の役目、自分の立場を投げ出す事は出来ない。
 シーグルは遠くに見えるリシェの街を見て、それを呪文のように心に言い聞かせた。




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 次回はテレイズさんとこに行きます。



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