【3】 廊下に立ち並ぶ兵士達、その装備を見れば彼らは最近増えたという王の親衛隊の連中だというのが分かる。大きな改装をした訳でもないというのに記憶よりもずっと重苦しく感じる王城の長い廊下を、シーグルは歩いて謁見の間へと向かっていた。 どうにも気が重いのは、事前に聞いた王宮の様子のせいか、それとも今の恰好の所為か。着慣れない貴族らしい装飾過多な衣装を着てその軽さに不安を覚えるのは仕方ないものの、このどうにも嫌な感覚はその両方のせいだろうとシーグルは思う。 アウグに捕まるまでの段階で旧貴族の証である魔法鍛冶の鎧は失われ、現在どこにあるか不明であるから、王に会うなら普通の貴族としての正装で行くしかなかった。特に今は騎士団に復帰する前であるから他の鎧姿では正式な服装と認められず、シーグルとしては自分の恰好だけでも酷く居心地が悪い思いをしていた。 先程からすれ違う、いわゆる宮廷貴族達は皆見覚えのない顔で、前よりもずっと若い者が多く、宮廷における貴族の勢力図がごっそり入れ替わった事がこの手の事情に疎いシーグルでさえも実感できる。覚えている限りでは、城の警備は騎士団の守備隊の仕事であって、親衛隊は王の傍について歩いている者達くらいしかいなかった筈なので、随分と城の中が王個人の勢力に固められている事が分かる。 だからこそ、気のせいではなく、シーグルに対する回りの視線は好意的でないものばかりだった。 貴族院の役員であるクストゥス卿が付き添いで来てくれなかったなら、まさに敵地に乗り込んだ気分だろう。 謁見の間は、他の国の城と同じく、広く開けた空間の奥の中心に玉座がある。 自分の名が呼ばれるのを聞いて、シーグルは元グスターク王子――現クリュース王リオロッツの前に跪いた。 「登城が遅れて申し訳ありません。アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナ、無事生還致しました事を報告に参りました」 「ふむ、体の調子が優れなかったのなら仕方ない。長い敵地での生活を考えれば当然であろう、気に病む事はない、養生せよ。ともかくも、偉大なる初代王に仕えた血筋の者を失わずに済んだのは喜ばしい事である。そなたの生還を私も嬉しく思う。今後も王国の騎士としての役目を果たせ」 王への決められた挨拶の定型文を言えば、王もほぼ定型通りのこちらへの労いの言葉を返してきて、それに礼を言って一度下がる。 一応は、シーグルが無事帰還した報告を王にする為に来たという事になっているが、ここで詳しい説明をシーグルがする必要もないし、逆に王がここでシーグルに何か言及してくるという事もない。こういう公の場では決められた形式を守る事が重要であって、実務的な意味はなくただの儀式であると言った方がいい。ただ王の臣下としてこの儀式を済ませておかないと、シーグルは貴族としての行動を一切出来ず、シルバスピナ卿として復帰する事が出来ないのだ。 王が玉座を去り、滞りなく儀式が終れば、シーグルにも退出が許される。立ち会っていた宮廷貴族達に知り合いがいないシーグルといえば、付き添いのクストゥス卿以外から話し掛けられることもない。となれば控えの間に行って雑談に混じる事もなく、さっさと来た道を引き返して文字通り城から退出する事にする。不快な視線を向けてくる者達は多いが、呼び止められていないのであれば無視して構う事はない。どうせもう王の派閥からは疎まれているのは承知しているので、今更彼らに取り入ろうとも思わなかった。 それに関しては貴族院役員であるクストゥス卿も同じような立場という事もあって、彼も話し掛けてくることなくシーグルと共にさっさと王城を後にした。中庭に出てから一言二言のやりとりをしたものの、詳しい話はまた後ほどという事で彼ともすぐに別れた。……それは事前に、ここへ来る前に迎えにきた馬車の中で言われた通りであり、互いにすんなりと自然に行動できたと思う。 現在、王が独断ですぐに国政をどうこう出来ない理由は貴族院の存在が大きく、その所為で貴族院は王から遠まわしな圧力が掛かっていてへたに動けない状態らしい。元々貴族院の役員長はヴィド卿が務めていたこともあって、役員にヴィド派の者が多いというのも王から目の仇にされる理由であろう。今はまだ、嫌がらせや周囲から力を削ぐような決まりごとを作ったりする程度で済んでいるが、貴族院側が強く出れば王側も強硬手段を使う可能性がある。そういう状況であるから王城で話など出来る訳でもなく、シーグルに対しての貴族院としての話は、後日貴族院役員の各貴族本人の館に帰還の挨拶という名目で出向いてする事になっていた。 ――やはり、蚊帳の外を保っていることは不可能だろうか。 シルバスピナ家は代々、政治に関わらない事で生き延びてきた家である。それでも既に王に敵視されているこの状況では、それを維持していくのは難しいだろうとシーグルも思っている。家と領地のことだけを考えるのならここで徹底的に媚びて王の派閥に入るという手もあるが、セイネリアから聞いた話を思い出せば無条件に現王に従うと決める事は出来なかった。なにより既に王はノウムネズ砦の戦いで、犠牲となる兵よりも宮廷謀略を優先させた疑いがある、それを考えれば単純に現王を『主』と呼ぶ事さえ迷いが生まれる。 謀反を起こすなどシーグルは考えたことはない。ないが――王が明らかに民や従う者達の害となると判断したなら、自分はどうするべきかと考える。セイネリアは、王が恐怖政治をするかもしれないと自分に教えて、そうだったらどうしろと言う気だったのか。 「アルスオード様っ、どちらへ行くのですか?」 その声に足を止めたシーグルは、後ろから息を切らして追いかけてきた青年を見て苦笑する。王城の中まで入る事が許されていない従者の少年を門のところで待たせていた事を今になって思い出す。どうやら考え事に没頭し過ぎて、彼の前を素通りしてしまったらしい。 「すまないナレド、少し考え事をしていた」 「そう、ですか。俺、忘れられたかと……」 拗ねたように恨みがましく見つめてくる彼に、シーグルは今度は普通に笑ってしまった。身長が伸びて自分と同じくらいになったくせに、表情が子供っぽくてわかりやすい彼のその反応が微笑ましかった。 「折角ここまで来たからな、騎士団の方に寄っていこうと思うんだ」 そうすれば顔を途端にぱっと輝かせる青年を、シーグルは目を細めて見つめる。 「そうですか、それはいいと思います。皆さんきっととても喜びますよ」 「うん……皆には迷惑を掛けてたくさん心配をさせた。申し訳なくて合わせる顔もないくらいだが」 そう返せば今度はナレドの顔が真剣になって、怒る勢いで抗議してくる。 「そんな事言わないでください、皆さんはきっと元気なアルスオード様に会える事を一番望んでらっしゃいます。あの方達に応えようとされるなら、そのお姿をお見せするのが一番だと思います」 じっと訴えてくる彼の顔には苦笑しか返せなくて、背がありすぎて違和感がある彼の頭を前と同じくくしゃりと撫でてやる。 「そうだな、彼らはずっと待っていてくれたそうだからな」 「はいっ」 満面の笑顔で返した従者の青年の顔を見てシーグルは思う。こうして待っていてくれた者達を自分は裏切ることは出来ない。彼らの為にも自分はこうして帰ってくるべきだったのだと。 見かけ上だけの話であれば、騎士団はかわりなかった。 ただ騎士団としては正式にはシーグルは死者であるから、団に来たとしても部外者となり、当然ながら前のままの居場所がある訳はなかった。けれども受け付けに顔を出せば、すぐに察した係の者は機転を利かせてキールを呼び出してくれた。 「おかえりなさいませ、シーグル様」 普段は飄々とした風貌を滅多に崩さない彼が、感慨深げに目を細めて言ってくれた第一声に目頭が熱くなる。余りにもその言葉が嬉しくて、会ったらまず謝らなくてはと思っていた事さえ忘れてシーグルは返した。 「ただいま」 そうすれば彼はにこりといつも通りの含みがありそうな笑みを浮かべて……けれどいつもならそこでお小言の一言二言いう筈の唇を閉じたまま震わせて、それから深く頭を下げた。 「本当に、ご無事で……良かった」 それにシーグルは泣きそうになってしまったが、どうにか抑えて笑顔を返した。 「待っていてくれて、ありがとう」 「えぇ、待っていましたよぉ。必ず貴方が生きてると皆信じていましたからねぇ」 「すまない、心配を掛けた」 泣く事は抑えても、声が震えるのは抑えようがなかった。すると彼は、にこりと今度はいつも通りに少し気楽そうな力のない笑みを浮かべて、茶化しながら言ってくる。 「えぇ、本当に心配しましたよぉ。ですから皆さんにもそのお姿を見せてあげてください、きっと喜びます。なにせぇ、そんな麗しいぃ〜格好のシーグル様を見れるならそれだけで彼らにとってはご褒美だと思いますからねぇ」 シーグルは思わず、それに涙を浮かべながらも笑ってしまった。 「俺としては慣れない格好でかなり気まずいんだが」 彼に合わせてシーグルも冗談めかしてそう返せば、キールは大げさな身振りをつけながら顔を左右に振る。 「いやぁあぁ、シーグル様が兜してないだけで喜ぶ方々ですからねぇ、その格好で行けば見蕩れて怒る事さえ出来なくなると思いますよぉ」 調子が乗ってきたらしいキールの言葉の後には今度は二人して声を出して笑ってしまい、シーグルは軽く目尻に残る涙を拭った。 ひとしきり笑った後、キールは落ち着いた声で再びシーグルに「おかえりなさいませ」と言ってくれて、それから隊の者達に会う為に訓練場の方へと案内してくれた。 シーグルは死んだという事になっているので、隊には当然だが新しい隊長が配属されていて、シーグルが使っていた執務室はその新隊長が使っていると思われた。だから既に自分が騎士団に復帰するにしても前の場所はないと思っていたシーグルは、キールの言葉に驚く事になる。 「えぇ、シーグル様の隊長室の方はですねぇ、荷物の片づけが終わらないってぇ事にしてましてぇまだ誰にも明け渡していませんよぉ」 その名目を保つ為に隊の者達で協力して部屋には荷物が詰め込んであるらしいと聞けば、シーグルは呆れながらも笑うしかなかった。 「それに新しい隊長さんもですねぇ、なかなか貴方の後任になろうってぇ者もいないしぃ上はごたごたしてるしぃ時期もすぐ後期に入ってしまいましたからねぇ〜仮処置として第3予備隊の隊長さんが兼任って事になってますよ」 「第3予備隊といえば、エルクアか」 「えぇえぇ〜あの御仁は頼りないですが貴方のご友人ではありましたからねぇ、あの方の言う事なら従うだろうってぇ事で決まったそうですよ」 「そうか、なら彼にも後で挨拶にいかないとな」 「えぇ、あの方もシーグル様は生きていると思ってらした一人ですから」 とりあえずは自分の代理が彼だった事にシーグルは安堵する。彼なら他の貴族騎士と違ってまともに職務を果たしているし、なによりシーグルがいなくなった所為で立場が悪くなったろう隊の者達に理不尽に酷い扱いをする事がないからだ。 グスが来た時に聞いた話では、シーグルが戦死したことを受けて、貴族法によりあの時の総指揮官であるフスキスト卿は騎士団を辞める事となり、シーグルの部下であった第七予備隊の面々はそれぞれ3年ずつ騎士団での従事期間が追加される事となったそうだ。シーグルが帰ってきたからと言ってもそれが取り消される事はないから皆には申し訳なく思うものの、彼らには騎士団に復帰する事で償うしかないだろうと思っている。 そして、フスキスト卿にも一度、謝罪と挨拶にいかねばならないだろうとシーグルは思っていた。今考えてみても、少なくとも彼はまともな判断が出せる指揮官ではあった。今の騎士団上層部の現状を考えれば、彼以上はそうそうに望めないくらいまともな人物であったと思える。 外に面した長い廊下を抜ければ訓練場が見えてくる。遠くに訓練をしている人影が見えた辺りで一度キールは立ち止まると、くるりとシーグルの方を振り返った。 「とりあえず言っておきますがシーグル様、早い話が貴方の居場所はちゃんとそのままにしてありますからぁ、何も心配する事なく何時でも帰ってきてくださいってぇ事ですよぉ」 それにシーグルが礼を言えば、キールは満足そうに笑ってから、隊の者達に向けて声を張り上げた。 「みっなさ〜ん、シルバスピナ卿をお連れしましたよぉ〜」 その後の大騒ぎぶりは、シーグルの予想を越えて大変な事になってしまったのだが。 --------------------------------------------- さすがにこれ以上長くしないように隊の連中に泣きつかれるシーグルのシーンはやめときます(汗)。 |