運命と決断の岐路




  【2】



 その日は幸いにして、というべきか、キールに追い出されるように早く帰れと言われたせいで、シーグルは夕礼の後すぐに騎士団から帰る事になった。
 その為、丁度首都の館に来ているロージェンティと共に夕飯はフェゼント達ととることにして、その後シーグルは一人でリシェに帰って祖父に報告するつもりであった。
 だから思い切って、兄達にも夕飯の席で自分の隊が近く派兵される部隊に選ばれた事を告げたのだが……そのせいで、いつもの賑やかな食卓は、一気に無言の味気ないものになってしまった。

 派兵について話してから、ウィアやフェゼントとの最初のやりとりが済んだ後、食堂の中はただ静まり返って食器やスプーンが立てる音だけが聞こえるという状態になっていた。もちろん、普段ならいつの間にか始まるウィアとラークの喧嘩も起らなければ、フェゼントが諌める声もない。彼らをみて笑う声もない。まるでシルバスピナ家での食事のようだと思ったシーグルは、内心今ここで皆に告げてしまったことを少し後悔していた。

「その……大丈夫だ、国境の小競り合いなら冒険者時代にも参加した事がある」

 とは言ってみたものの我ながらだからどうなんだと言いたくなる内容に、シーグルはそれ以上続けられなくなる。当然それに誰かが何かを返してくれる事もなく、やはりもそもそと静か過ぎる食事風景が続くだけだった。
 そこで、食事を終えたらしいロージェンティが笑みを浮かべて口を開いた。

「皆さま、心配な事は分かりますが、主の出立前にそんな沈んだ顔で送ってはいけません。アルスオード様は心配性ですから、そんな顔の皆さまを残して行かれたら現地でも心配して、また食事や睡眠をおろそかにしてしまうかもしれません。それにそもそもアルスオード様の立場上、戦場でもそこまで危険な状況へ置かれる事はあり得ません、ご安心ください」

 明るく確信に満ちた彼女の言葉で、場の空気が僅かに軽くなる。
 シーグルは心底、今ここに彼女がいてくれて良かったと思った。

「そっか、そだよな。シーグルは旧貴族の当主様だもんなっ。ンな危険な目に合う筈はないよなっ」

 ウィアがそう返せば、フェゼントも、そうですね、と不安そうだが笑みを浮かべる。
 だからそこからお茶の時間へはほぼ普段通りの賑やかな風景が戻って、表面上はいつも通りに過ごす事が出来た。







 食事が終わって、リシェに帰る準備をしに部屋に行ったシーグルは、そこでロージェンティに出迎えられる事になった。

「ロージェ、どうしたんだ?」

 外出着に着替えて、すっかり出かける準備を整えている彼女を見たシーグルがそう言えば、彼女は優雅にお辞儀をしてみせた後当然のように答えた。

「貴方が御爺様への報告にお帰りになられるなら、勿論私もご一緒します」
「いや、ロージェ、この時間から女性が外に出るべきではないだろう。君は明日の昼にリシェへ戻ってくれれば……」
「いえ、私も一刻も早く帰って、貴方の出立の準備を指示しなくてはなりません」
「大丈夫だ、そこまで急がなくても時間はまだある」

 けれど、そこまで背を伸ばしていつも通りの毅然とした態度をとっていた彼女は、急に目に涙を一杯溜めて責めるようにシーグルを見つめる。

「嫌です」

 声も完全に涙声になって、ぽろぽろと涙を流しだした彼女を見て、完全にシーグルはどうすればいいのか分からなくて何も言えなくなってしまった。

「嫌です、絶対にご一緒します。貴方が行く日まで出来る限りお傍にいさせてください。騎士団にまでついて行くとはいいませんから……お願いです」

 貴族らしい威厳と所作を自分以上に完璧に身に付けている彼女のそんな姿にシーグルは胸が痛くなる。そうして声を出すよりも先に、彼女をそっと抱き寄せた。

「分かった、一緒にリシェについて来てくれ」
「はい」

 胸の中でしゃくりあげる彼女を見て、シーグルは彼女が食事の時からずっと無理をしていたのだという事に今更に気付いた。そうして、絶対に、生きて帰ってこなくてはならないとの思いを強くする。
 だがそこへ、唐突にノックの音が部屋に響いた。
 反射的に顔を上げて姿勢を正したロージェンティは、涙をぬぐいながらドアに背を向ける。シーグルは行き場のなくなった手を急いで下して、ドアに向けて返事を返した。
 そうして少しの間を置いて入ってきた人物は、シーグルの弟であるラークだった。

「あー……そっか、邪魔した、かな」

 入ってすぐ場の空気をなんとなく読んだらしいラークは、いつでもあまり愛想のよくない顔を更に顰めた。

「いや、いい。何の用だろう?」

 すると彼は、言うよりも先に、手に持っていた袋をシーグルの目の前に押しつけるように差し出した。

「これは?」
「いつもの胃薬。と、中で青い紙に包んである種は水を浄化させる奴、水にいれればすぐに成長するから、枯れるまでは何度か使える。黄色い紙に包んである粉薬は飲めばちょっとした腹痛とか治る。赤い紙包みは――」

 薬の種類を説明しながらも目を逸らしたままの弟に、シーグルの口元に自然と笑みが浮かぶ。

「――以上、一応包みにはメモ程度に何なのか書いてあるけど、何が入ってるかは予め把握しといた方がいいでしょ」
「ありがとう、ラーク」

 袋を受け取った後、その手を握って言えば、中々シーグルを兄と言ってはくれない弟は、僅かに顔を赤くして睨み付けてきた。

「あんたに何かあったらにーさんがすっごい悲しむからっ、だから絶対にちゃんと帰ってくるって約束してよっ、いいっ?」
「あぁ、約束する」

 シーグルから手を取り返すように引いた彼は、それですぐに部屋から出て行ってしまった。
 彼が去った後のドアを静かに締めた後、シーグルが振り向けば、そこに笑っているロージェンティがいた。






 ノウムネズ砦の陥落と、シーグルの隊に正式に出兵命令が出たという報告は、最速の手段でアッシセグにいるセイネリアに伝えられていた。特にノウムネズ砦の近くへは蛮族が集まり出したとの報を受けた後から別に人を行かせてあった為、砦が落ちたという情報が来たのは首都の騎士団よりも早かった。

 だから、シーグルの出兵が決まったという事も、当然セイネリアにとっては分かり切った報告だった。蛮族がノウムネズ砦に集まっていると聞いた時から、その陥落と、シーグルの出兵命令まで、全てが彼にとっては笑える程予想通り過ぎた内容だった。
 そうして、そこから先も予想通りだというのなら、増援部隊が揃ってからの次の戦いは、まずはクリュース側の敗退で終わる。一度退いたクリュース軍はそこで再び戦力の増強をして、次に仕掛ける時は相当の規模の戦いになる。そうしておそらく、そこでは蛮族共を退ける事が出来るのだろう。
 アウグ側の動きも予想は出来る。2度目の戦いでアウグは自国本軍の準備を進めるだろうが、3度目の戦いの後、クリュース側の戦力の増強ぶりとアウグ国境にも更に兵が増やされた結果に軍を動かすのを躊躇する事になる。へたをすればそのまま冬が来て、結局向うの計画は失敗に終わる。もし思い切って攻めてきたとしても、その頃には兵力的に準備がされきったクリュース軍に手も足も出ないだろう。
 つまり、アウグは策に拘りすぎて機会を逃す。慎重になりすぎず、蛮族共と一緒に、クリュースが油断している間に一気に攻めてくるべきなのだ。

 頭はそうして理性的に、冷静に、ただ戦況の分析と予想をする。
 けれど感情はそんな理性に対して答える『だがそれに何の意味がある』と。
 冷静に先を読む自分に腹さえ立ってくる感情に、セイネリアは自嘲する事しか出来なかった。

 感情が求める事は単純だ――戦場に行く前に彼を攫うか、戦場に行って彼を救えばいい。そうすればシーグルは死なない。立場を失い、帰る場所を失い、自分の元にいるしかなくなる。
 けれどそれには理性が答える――そうすれば彼は彼でいられなくなる。全てを裏切った彼は、その罪に苦しみもがき、やがて壊れる。

 いっそ彼を壊した後、自分も壊れてやろうかという思いは――それが自分に不可能な事で歯止めを掛けられる。それはセイネリアに許されていない選択肢だった。
 だから今、感情と理性のバランスをどうにか取って選べる選択肢は、戦場に行く彼が生き残る為に出来得る限りの手を尽くしておくことだけだ。後は自分の覚悟の為に――そこまで考えて、自分がフユに命じた事を思い出し、セイネリアは顔の上に手を置いて力なく嗤った。

「俺も、女々しくなったものだな……」

 後は願うしかない。ただ彼が生きて帰ってくる事を。
 だがそこまで考えて、セイネリアはアウグ出身の部下である男の言葉を思い出した。

『ならいっそ貴方がその位置に立てば、そんな煩わしい事など何も考えなくて良くなるのではないのですか?』

 確かにな、と呟きながらも、それが出来ない、否、したくない理由がセイネリアにはあった。ここ数年平和なクリュースの連中と違って、軍事国家アウグ式の考え方は単純だ――力あるものが上に立つべき――だからセイネリアが更に上を目指さない事を、ラタが不満に思っている事は知っていた。

「権力というのが、目指したくなるほど困難なモノなら……まだ話は違ったんだろうがな」

 そうして笑ったセイネリアの顔は、恐ろしいと言えるものだった。




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次回はこのセイネリアがちょっとしたものをシーグルに渡します。



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