【5】 ノウムネズ砦襲撃の報を聞いて、予めその場合の救援にかけつけるよう決められていた部隊の面々は、長くその役目が回ってこなかったというのもあって戦力としては数だけといってもいい状態だった。 さすがに、付近の砦から派遣されてきた者やノウムネズ砦の生き残りの者達は実戦経験もあり、現状のクリュース軍の中でも精鋭ともいえる戦力なのだが、付近の領主が率いてきた部隊の方は本当に酷い有様でまさに数だけの部隊だった。兵の大半が普段は農民というのは仕方ないとはいえ、主力の訓練を受けた兵士もいいところ盗賊を追い払うくらいの仕事しかしたことがなく、それも脅して追い払って済む程度までだ。問題は、それなのに隊を率いてやってきた領主達はやる気満々で、兵数だけなら多いというのもあってやたらと出しゃばりたがる事だった。待機している間も、連日それぞれの責任者同士が会議で喚きあっている状態だったらしく、部隊として全く纏まっていなかった。 それでも、首都からの増援部隊にシーグルがいたことで、それはかなり緩和される事になった……らしい。 「成程、そもそも領主達が騎士団の隊長達につっかかっていたのは、自分の方が貴族として地位が高いという見下した考え方があったからなんでしょうな」 作戦会議から疲れ切った顔で帰ってきて愚痴を言ったシーグルに、グスは笑ってそう答えた。 つまるところ、騎士団の連中は例え隊長クラスでも貴族としては下っ端もいいところな人間ばかりの為、領地持ちの貴族達がそんな指示に従う訳がない、という訳だ。だから、旧貴族の当主として、血筋的な意味だけでは田舎貴族など問題外のシーグルがいた事で、彼らは嘘のようにおとなしくなってしまった、という事なのだろう。 「あくまで血筋だけで、政治的な地位はまったくないのにな」 自虐的に呟けば、グスは益々笑う。 「ンでも彼らからしちゃ、明示的に貴方の方が上って決める肩書がありますからな、文句言えやしないでしょう……それにまぁ……でしょうしなぁ」 「……なんだ?」 まじまじとシーグルの姿を下から上までじっくり見てから、妙に含みのある言い方をしてくるものだから、シーグルはグスに不審な目を向ける。 「いやいや、貴方のその容姿で旧貴族の証明とも言える魔法鍛冶の鎧を着て出てこられたらですね、所詮お山の大将な田舎貴族さん達は黙るしかないだろうなと」 シーグルはその言葉に更に眉を寄せる。 「どういう事だ」 グスは肩を揺らして笑う。 「見ただけで自分たちとは格が違うって分かったろうって事ですよ」 尚もシーグルはよくわからなくて顔を顰めるが、グスは笑うだけで何も言わない。 そこでふと視線を巡らせてみると、後ろではナレドが、誇らしげというかやけに嬉しそうに何度も頷いていて、シーグルは余計訳が分からなくなる。 「まぁ、ともかく。その所為で作戦会議自体はちゃんと進められた訳でしょう。こういう時は、気に食わなくても貴方のその地位は最大限に利用すべきですよ。少なくともここにいるお偉いさんの中で、貴方以上に正しい意見を言える人間はいないと思いますからね」 それには、そうだな、とシーグルは呟く。 普段なら、出来るだけ騎士団の規律を守る為、貴族としての地位を使って意見を通す事はしないのだが、戦場ではそうしなくてはならない事もあるだろう。なにせ、ここで懸かっているのは人の命だ。下らない上のプライドを通した所為でいらぬ死者が出るのなら、上から睨まれても貴族の名を利用して押しきる事もしなくてはならない。 そこまで考えて、ふぅと一つため息をついたシーグルは、覚悟を決めたようにグスに背を向けて自分の天幕から出て行こうとした。 「どちらへ?」 それには、苦笑しつつ振り返る。 「バッセム卿の天幕だ。個人的に話がしたいという事だ。それが終わったらガヤズ卿、それからティティーブ卿だ」 「――はぁ、成程」 間の抜けた声で返したグスも、すぐに察したのだろう。そのまま素直に頭を下げて、見送りの声を掛けてくれる。 ――まぁ、彼らを味方につけておくのは悪くない。 現状、シーグルが来た事で、すんなり話を聞くようになった領主達は勿論、待機中に彼らに手を焼いていた付近の砦関係者たちは、やたらとシーグルを持ち上げてくる。当然ながらシーグルにとっては上官……部隊の総指揮官に当たるフスキスト卿やその周りの人間からすれば面白くない事は間違いない。騎士団内の地位としては同じ筈の、他の予備隊隊長達にとっても気にいらない可能性は高いだろう。 ――それでも、今回はあえて憎まれてやるさ。 現状、落されたノウムネズ砦の代わりに、柵と櫓(やぐら)が周囲には建てられていた。天幕はそれぞれの部隊に別れて建てられているのだが、騎士団所属の部隊の場所から領主達の天幕はかなり遠い。シーグルが自分の天幕の外に出て歩き出せば、当然のように外で待機していたランがシーグルの前につき、そしてナレドの後ろからはアウドが付いてくる。 セイネリアから前に聞いた忠告の通り、味方の中にもこの機会にシーグルを亡き者にしようと狙っている人間がいる可能性は高かった。だから今回は面倒がらずに、警備は部下達の言うままにやらせていた。食事に関してはケルンの実だけで済ますことを、今回ばかりは部下達も文句を言わず……これに関しては、いいのか悪いのかは判断できないところだろうが、少なくともシーグルはケルンの実を食べる事が苦痛ではないのだから問題はなかった。 「ラン、バッセム卿の天幕だ。位置は分かるか?」 「はい」 前を行く部下の背中を見つめて、彼が自分を守る盾になろうとしているのが分かるからこそ、シーグルは重い息を付きたくなる。 彼の息子から父親を奪う事はしたくないのだと思っても、彼を自分の犠牲にしなくてはならない時が来るかもしれない。だからシーグルには、その時がこないようにと祈る事しか出来なかった。 昼間は日差しの下では暑いものの、夜になればぐっと涼しくなる。 クリュース軍の野営が他国と大きく違うのは、その野営地の明るさであった。魔法の結界があるクリュースでは侵入者がいればすぐに分かる為、周辺を警備している兵士の数がまず少なく一人で広範囲を見ている事になる。だから単純に明るくしているのだが、これが魔法の熱のない炎な訳だから、いくら燃やしても危険もないしその維持にも手間がかからない。 特に今回は敵の目から隠れる必要も意味もないのだから、好きなだけ明るくしているのだろう、と『彼女』はオレンジ色の光に浮かび上がる野営地の景色を見て思う。 勿論、明るいのは柵の周囲だけで、偉い人々が寝ている天幕の中は暗いし、兵士たちの寝る場所は明かりが遮られている。彼女がいる場所もそこまで明るくはなく、だからこそ『仕事』をする事が出来た。 「ラタは何だと?」 木の影から聞こえた声に、彼女は答える。 「アウグ側には動きがないそうです。ですが蛮族達の連合軍は、明日予定の部族が全て揃うという事なので、数日中には攻めてくる気だと」 「あいつに伝えておくか?」 「……いえ、マスターはそれはいいと言っていました。現状、既にいつ来てもいい準備は出来ているだろう、という事です」 「成程、そういえばマスターに、あいつが来た事で会議がすんなり終わるようになった事は言ってみたか?」 「はい、『だろうな』だそうです」 「そうか」 最後の言葉は満足そうで。木の向うにいる男――クリムゾンが、主の事に関してだけはその無表情を崩すというのを知っている分、彼女は思わず笑みを漏らす。自分とは違う隊に所属させられている赤い髪の剣士の気配は、それからすぐに消えた。定期連絡の時だけ現れる彼だが、本当に見事に気配を消すものだと彼女はいつも感心する。 ただ、彼女の能力的に、彼の気配とは別に彼を『見る』事は出来るのだが。 そうして彼女は、未だ中に明かりがついているシーグルの天幕へと目をやると、僅かに微笑んだ。 --------------------------------------------- 最後の彼女が誰かは次の話で……既にバレバレですけどね。 |