【7】 その男は強かった。 それしか言いようがなかった。 甲冑の胸にはおそらく自分の紋章を隠す為だろう何かが張り付けてあって、だからこそ彼らがアウグの部隊であり、男が今回の指揮を任されるだけの地位ある者である事は確かだと言えた。 部隊の先頭に立つ男は、大剣を掲げ、周りのクリュース兵を威嚇する。 逃げる蛮族達を追ってきた者が、その男を見て足を止め、恐怖に動けなくなる。男の気迫に飲まれ動けない兵士の上を、無造作に刈り取るように大剣が走れば、血が飛び、やがて首を失った人間であったものがゆっくりと倒れる。 次々と積み重なる死体の山を男が蹴る。怯えて動けない者達を、今度は他のアウグ兵が殺して行く。 ――勝敗なら決している。敵を無理に追う必要などない。どう考えても彼らの死はただの無駄死にだ。なのに何故退かない、追うなという命令を誰もあそこまで伝えない。 「……ありがとう、もう、いい」 震える声でどうにかそれだけを言うと、シーグルはソフィアをそっと馬から降ろした。 そして、すぐに馬首を前線に向けた。 「キールっ、少しだけ出てくる。無理はしない、追う連中を止めてくるだけだ」 それにキールが驚いている間に、シーグルはランと、自分の護衛として置かれた本営の兵二人についてくるように指示を出した。 「だめです、隊長っ」 勿論ランは抗議してシーグルを止めようとするが、彼の馬に邪魔される前にシーグルは上手くそれを逸らして前に出る。 「待って下さいっ、ここは貴方が危険を冒すとこじゃぁないでしょう」 キールも縋るように叫んでくる。 「この状況なら出ていっても危険はない」 「そりゃもう敵は退いてるとこですから……ってぇ、シーグル様っっ」 キールが尚も止めようとする中、シーグルは馬の腹を蹴って走らせた。 そうなればランも止めようがなくシーグルを追いかけ、すぐに指示を出された他二人の馬もそれを追い掛ける。 「シーグル様ぁっ」 さすがのキールも反射的にそれを追って走りかけたものの、まさか追いつける筈がない。 シーグル一行は、勝負が決して力の抜けている後衛陣を一気に抜けると、そのまま前線のアウグ兵の一群まで駆けていった。 男は、この戦場において常に不機嫌だった。 いや正確には、本国から出陣して以降ずっとだが。 アウグ本国では、『吼える男爵』とも呼ばれるレザ男爵は、剣についた血を払いながら、険しい顔で戦場の敵を眺めた。 自分の任務の重要さは分かってはいても、基本が見ているだけという立場など根っからの武人であるこの男が耐えられる訳がない。更に言うと、今回の彼の仕事は雑族達――クリュースでは蛮族達と呼ぶらしい――のお守りとでもいうもので、放っておけば何も考えずつっこむだけの彼らをどうにか抑えて作戦を与え、軍隊として成り立たせるというものだった。 その為この地に来てから彼のストレスはたまるばかりだったのだが、予定通り彼らが敗走しだしたのを受けて、やっと暴れられると小躍りする勢いで前線にやってきたのだが。 ――つまらない。 一言で済ませばそれだけなのだが、早い話、敵があまりにもふがいない、戦いがいのない連中ばかりなのだ。 聞いた話では、今回の戦いには雑族達がいうところの『紋章付き』、つまりクリュースの上級貴族が来ているという事で、ひそかに見る程度でも出来ないものかと彼は楽しみにしていたのだ。 憎しといえどもこの辺り一の大国として周囲が認めるクリュースにあって、数家しか残っていないという建国時からの王国の騎士の家系――彼らは代々特殊な鎧を受け継ぎ、王家に順ずる地位を持つという――ここ何年もその姿が戦場に現れる事が無かった彼らの一人がいるというのだ、多少は期待をしてもいいではないかというモノだろう。 ――まぁ、兵士がこんなんばかりじゃ、たとえ見れたとしても実力の方はたかが知れてるか。 怯えて動けない兵士をまた無造作に薙ぎ倒しながら彼は思う。 とにかく、クリュース軍の兵士は余りにも弱かった。いや別に、アウグでも勇者扱いの彼に適うような者がいるとは最初から思っていないのだが、ともかく戦慣れしていないのが分かり過ぎる程に、腕もなければ度胸もない、戦士として使えないような雑魚しかいないのだ。雑族共相手なら装備と魔道具で優位を持てる為まだ戦えているのだろうが、一度強い相手を見ればすぐに心が負ける。まさに平和ボケした国に相応しいクズ兵士ばかりだと彼は思う。 しかも胸糞が悪い事に、前線にはどうみてもそれなりに地位がありそうな者がいない。例の上級貴族様が総大将というなら出てこないのは分かるからいいとしても、貴族やら役職持ちらしい連中が全く見当たらないのだ。――実はこれには理由もあって、マトモな部隊や傭兵達ほど無駄な戦闘は避けて逃げる蛮族を追っていかなかったという事情もあるのだが、それを彼が知る由もなく――ともかくも全く暴れる事も出来ないような敵ばかりを倒していることで、彼の苛立ちは相当に酷いことになっていた。 「クリュースには腰抜けしかいないのかっ」 吼える男爵の名に相応しくそう叫べば、言葉はわからないだろうに敵の兵士達は恐れて足を止める、もしくは逃げ出す。 もう立っている障害物を斬るだけの作業に嫌気が差していた彼は、後は部下に任せるかと剣をおろした。 だがそこで、彼の目に、他とは明らかに違う人馬の影が映った。 「何をしているっ、追うなっ、止まれっ」 若い声が響いて、見ただけで格の違う装備につつまれた騎馬が近付いてくる。お付きらしい者も三騎程つれているとなれば確定だろう。どうやら深追いして突出しすぎた兵士達を止めに来たらしいその馬上の人物は、近付いてくればその鎧が見たこともない光沢を放っていることと、その胸に目立つように紋章がついているのが分かる。 「ラウっ、あれはクリュースの貴族だな?」 後ろを振り向いて聞けば、彼の参謀兼紋章官でもある部下が即答する。 「はいバロン、あれはクリュースの上級貴族シルバスピナ家の紋章です」 レザ男爵の口角が大きくつりあがる。彼は歯さえ見せてその顔に凄惨な笑みを浮かべると、その場で一度歓喜の咆哮を上げ、その騎馬に向けて走りだした。それに続くように彼らの部下達も走りだす。 目指す人物は、突撃前の咆哮で気付いたらしく、そこで馬を止めていた。 ――逃げるなよ、期待を裏切るな、シルバスピナ。 もし、相手が止まったのがこちらに怯えての事であったならどれ程の落胆だろうか、そう内心では思いながらも走っていれば、目的の人物は馬から降り、そうして傍にいた者達を下がらせた。 レザ男爵は、それを見た途端大声で笑っていたかもしれなかった。 この俺とやる気なのかと、勝てる気なのかと、心の中で相手に問いかけ、期待に湧き立つ血の流れに走りながらも再び吼える。 今度は確実に、その声は相手を圧倒した筈だった。そのくらいの距離にまで近づいていた。 だが、銀色の美しい光沢の鎧に包まれた相手は、その場で静かに構えを取る。流れるように美しくぶれのない動作で構え、ぴたりとこちらに剣先を向けて止まる。動揺など微塵も見えないその人物の所作に、レザ男爵はまた興奮のあまり声を上げた。勿論、相手の構えはまったく動かず揺れる事さえしなかった。 ――逃げないで真っ向から勝負してくれるのか。 しかも部下を盾にせず、自ら周りから引かせたとしたのなら大した自信だ。 「お前等、手を出すなよっ」 ついてきているだろう部下に叫ぶと同時に、彼はその銀の騎士に向けて走りながら剣を構え、突撃の一打を振るう。 最初の一撃は、躱された。 と、いうよりも剣で払われたとでもいう感じで、一応剣同士は当たったのだがうまく滑らせてから払われ、勢いを後ろに逸らされたという感じだった。勢いをつけていた分体が前にいくのが抑えられず、レザ男爵はそこで相手の位置から2歩程前に出てしまった。その間に、相手は自分の踏み込みの勢いを使って後ろに回る。 ――巧いな、しかも冷静じゃないか。 レザ男爵の口元がさらに楽しそうにつり上がる。 彼は剣を重りとして大きく右へぶん回す事で、その勢いで即座に後ろへと振り返ると同時に攻撃を返した。だがもちろん、間抜けにも余裕で攻撃を仕掛けようとしていたなんて事はこの相手にはなく、今度は体捌きだけであっさり避けられる。 完全に体を振り向かせる事に成功すると、レザ男爵は振り回した剣の勢いを右手を離して左手だけに託し、その分体をそれ以上回らせずにぴたりと止めた。 そうして少しだけ距離を取っていた相手と正面から向き合う。 「我が名はアルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナ。汝の名は?」 若い、凛とした通る声。恐れも迷いも感じられない。 それがアウグ語であった時点で、彼は自分の名を隠す事を諦めた。 「我が名はバウステン・デク・レザ。腰抜けクリュース人の中に貴様みたいなのがいてくれたとは驚きだ。さぁ、この俺を殺ってみろ若造っ」 煽ってみたものの、やはり相手は少しの動揺も見せない。構えた剣はほれぼれするほど綺麗に、一直線にぴたりと止まり、気の乱れを少しも感じさせない。ただ、少しでも横に動けばそれに合わせて即座に剣先を合わせてくる。これは相当に『出来る』奴だ、そう思っただけで体中が歓喜に震えるのは止めようがない。今までのうっぷんが、この戦いだけで全て払拭された気分だった。 レザ男爵は再び踏み込む。今度は剣を横から薙げば、それも躱すと同時に軽く剣を当てて勢いを逸らされる。受けられるのならいいのだが、力を込めている分逸らされるとどうしても体勢が崩れる。それを力任せに抑え込んで、どうにか立て直す。 考えれば――離れている時から思っていたが、この相手は相当に細い、つまり軽いのだ。その不利を分かっているからこそ、相手はまともに剣を受けることはしてこない。ただ、だからこそぎりぎりの、一歩間違えたら命取りになる程の絶妙なタイミングでこちらの剣の力を逸らしている。相当の度胸と集中力、そして経験がないと出来ない芸当だ。 レザ男爵は冷静に相手の動きを分析する。 見て分かる隙はなく、反応の速さは向こうが上だ。だがもし、一撃でもマトモに剣をぶつけたなら、こちらの勝機が見える。 とはいえ、その当てるのがまず難しい。 何度も剣を出してはみても、相手はそれを巧く払う。向こうからの攻撃は殆どしてこないが、かと思って油断をすると足を狙われる。逸らされた後に体勢を直すのが遅れると、すぐに剣が追ってくる。 打ち合い、というには剣を殆どマトモに合わせていないものの、それでも相手は一度も引いていない。何度も背後を取られかけ、ひやりとしているのはこちらの方だ。傍目には向うが押しているように見えるだろう。 ――さて、次はどう仕掛けるか。 そう考えながら、目を細めて相手の姿を凝視する。あの細さでは体力もこちらの方が上と見て間違いない。となれば手数で押してみるかと、今度は速く小刻みな突きを繰り返してみる。 「……まぁ、当たらない、よな」 とはいえそれは予想通り。これがいつまで続くかが勝負どころだ。 だが、そうして剣を繰り出していたレザ男爵は、唐突に耳に飛び込んできた空気を斬る高い音に反射的に飛び退いた。 周りのクリュース兵達から悲鳴が上がる。 矢か、と呟きながら耳を押さえて大きく退いたレザ男爵は、それで急いで相手を見た。おそらくあの軌道なら、自分を通り過ぎて向こうのシルバスピナに当たった可能性が高い。 彼は腹を立てていた、折角の極上の時間が、こんな下らない横槍で終ってたまるかと。 「おい、大丈夫かっ」 向こうも咄嗟に飛び退いたのだろう、離れた位置に蹲るように膝をついている。 だが、どうやら血は見当たらず、よく見れば矢は銀の騎士から逸れた地面に刺さっていた。 安堵とともに、レザ男爵は大きく息を吐いた。 そうして相手がゆっくりと立ち上がるのを見て、楽しそうにまた剣を構えた――のだが。彼にとっては最高に楽しい時間は、冷静な部下の声で続きという訳にいかなくなってしまった。 「バロン、限界です、退いてください」 彼は勇猛果敢な戦士であったが、同時に部隊を率いる指揮官でもあった。声を聞いて瞬時に周囲を見渡し自分の状況を理解する――彼と彼の部下達の周囲は、ほぼ敵に囲まれているといってもいい状態であった。 友軍でもある雑族達はほぼ撤退しきれたようで、少なくとも周囲に姿は見えない。辛うじて部下がまだ退路を確保しているのを見て、彼は舌打ちをしつつもじりじりと下がるしかなかった。 「撤退だっ」 言うと同時に、構えながらも下がっていく。 戦いの場から離れていく中、『追うな』と言う若い声が聞こえた。そしてそれが彼がその時最後に聞いた、クリュースのシルバスピナという貴族騎士の声であった。 --------------------------------------------- シーグルの戦闘回でした。そして次回はシーグルさん反省回。 |