【8】 クリュース軍野営地、その中の天幕の一つに、中年騎士の少しばかりヒステリックな怒鳴り声が響き渡る。 「何であんたがあんな前線にいるんですかっ」 部下の怒りの声を聞きながら、シーグルは返す言葉を考えて、考えて……諦めた。 一応何も考えず飛び出した訳でもない。戦況的に敵の危険はあの男以外ほぼなかったし、一人でいかず護衛役も連れて行ったし……とシーグルとしては言い訳したい部分もあったのだが、ここは素直に自分の非を認めるべきだと結論を出した。 「すまない、グス」 「謝ればいいって話じゃないでしょう、俺ァですね、貴方があの獣みたいな男と大立回りしてるの見てぞっとしましたよ。あそこは危険をおかしてまで貴方が前に出てこなくちゃならないとこじゃないでしょう。何で大人しく後ろにいなかったんですか」 すっかり興奮しきったグスは、目を赤くしてまくし立てる。声まで涙声になってくるに至って、シーグルはこの古参騎士がどれ程自分の事を心配してくれたのかを痛い程実感した。 「大丈夫だ、無闇に突っ込んだつもりはない。別に勝負にいったのではなく、ただあの男を抑えておくためだけにいったんだ、ヘタな欲は出さずそれだけなら問題ないと判断した。暫く抑えれば彼らが撤退するのは分かっていたからな、無駄な犠牲を出さずに済む」 シーグルとしてはそれは言い訳というよりも、この年長の騎士を少しでも安心させたかった為の言葉だったのだが、やはりそれは逆効果だったらしかった。 「それで万が一、貴方が犠牲になったらどうするつもりだったんですっ」 結局は、いくら言い訳もしても堂堂巡りになるのだから、やはり謝るしかない。 「……悪かった、軽はずみな行動だったとは思う、今後はもっと慎重になる」 グスの顔はもう、怒っているというよりも泣きつきにきたという顔で、シーグルの方まで彼のがうつって泣きたくなる。だから小さな声で、すまない、ありがとう、と何度も伝えて彼を宥める事しか出来なかった。 グスが天幕から出ていって、シーグルがやっと一息つけた、と思った後。 今度はお茶をもってきてくれたキールが、知らない者が見たら相当に機嫌が良さそうに見える笑顔で言ってきた。 「えぇぇと、シーグル様、一応聞いておきますが、私の言いたい事も勿論分かってらっしゃいますねぇ?」 「……あぁ」 その、口調自体は明るくても一語一語に印を踏んだ不気味な話し方には、シーグルの表情が反射的に強ばる。彼の顔を見返せば嫌味なほど満面の――実際嫌味なのだろう――笑顔で、じっとこちらを凝視していた。 「ならまぁ、お小言はやめておきましょうかねぇ。さんざんグスさんが言った事を私が繰り返しても仕方ありませんしぃ〜傍にいてお止め出来ませんでしたしぃぃそもそも現場を貴方に見せるなんてぇいう失態をおかしてしまった分、偉そうにも言えませんしねぇ」 彼の場合、怒っている時と企んでいる時が一番いい笑顔だから恐ろしい。 「まぁ補足するならですねぇ〜貴方の敵は味方の中にもいるってぇ事を忘れないようにして下さいてぇ事ですよ。自分と相手の腕、戦局をみて問題ないと判断してもですねぇ、味方の中の敵までは計算に入れてなかったでしょう、貴方は」 言われれば、確かにあの時それは頭から抜けていたかもしれない、とシーグルは思った。 「確かにそうだな、そこまで考えていなかった」 だから素直にそれは自分の落ち度だと納得する。 考えてみればあの矢の件も、最初から自分を狙っていたと考えられなくもない。味方の誰かが加勢しようとしたものかと思ったから犯人探しをそこまで気に掛けなかったのはミスだっただろうか。 「ともかく、今回は大事にならなかったからいいとしてもぉ〜〜本っ当に自分の立場と命の価値ってぇのを分かってください。たとえあなたがあそこに行った事で数人が助かったとしてもですねぇ、貴方が死んだらそのせいで後でもっと大量の死者が出る可能性があるんですよ」 そのキールの言葉を聞いて、シーグルは僅かに違和感を覚えた。その原因はすぐに分かったが、それを彼に聞き返す事はしなかった。 あの時、飛んできた矢は、軌道的に見て自分に当たるとシーグルは判断した。だから左腕を犠牲にする気で顔をかばったのだが、矢は当たりはしなかった。それを不思議に思って考えて、もしかしてキールが魔法でどうにかしてくれたのではないかとシーグルは思ったのだ。そういえば、直前に風を感じた気がした、というのもある。 だが今の彼の言葉で、キールは矢の事を知らないのだとシーグルは思った。 ――ならあれは……他の魔法使いだろうか。 実際、後衛にはサポート用の魔法使いが何人か待機している。だからそれはそれでおかしいことではないが……何故かシーグルは納得できず、何処か引っかかる感覚が拭えなかった。 グスの小言を聞いて、ついでにキールに釘を刺されて、すっかり疲れたシーグルだったが、天幕を出れば更に何か言いたそうな顔と鉢合わせする事になる。 「……言いたい事は、分かってるつもりだ」 だから向こうが口を開く前に言えば、大きな溜め息が返される。 「でしょうね。グスやら文官殿がそりゃもう散々言ったとは思いますから、俺もそれ以上は言いたくないですが」 と言いながら、アウドが僅かに体をずらせば、その後ろには完全に泣き顔になっている青年がいた。 「あるずおーどさまぁぁ、ずいまぜん、おれ、あなだのおやぐにだでなぐでぇぇぇ」 「……ナレド、お前が責任を感じる事は何もない。泣くな」 あの時彼は、丁度シーグルが使いに出していたのでその場にいなかったという事情があった。いればきっと無理矢理止めようとするか付いて来ようとするかしたと思うので、彼がいなくて良かったとシーグルは思ったのだが……逆に彼がいれば行けなかった可能性も高い分、本当に良かったのかは悩むところでもあった。 シーグルは二人に見られないように軽く息をつくと歩き出す。勿論、それに二人も付いてくる。 「ランは怪我人を運ぶ手伝いをしてます」 「そうか、あの体格だから力仕事を手伝ってほしいと言われたんだろう」 「えぇ、貴方にすごーく何か言いたそうでしたが。それに相当落ち込んでいましたよ」 「……そうか」 ランは最後まで止めようとした、それを振り切って無茶をしたのはシーグルだ。その所為で彼が責任を感じている事は分かっていた。特にレザと戦う時、彼が自分より前に出ようとしたのを『お前では無理だ』と命令で下がらせた分、彼が自分を責めている事は分かっていた。もしかしたら、だからこそこちらに顔を出す役をアウドに譲ったのだろうかとシーグルは考える。 シーグルがそれで暗い顔をした所為か、急にアウドは少し茶化すように言ってくる。 「まぁ俺個人的にはですね、一応、お供を連れていっただけ貴方にしてはちゃんと考えたんだなとは思いましたが」 シーグルはそれで軽く表情を和らげた。 「あぁ、お前が俺の事をどう思っているかは分かった」 ただ声は不機嫌そうになるのは仕方ない事で、だからこそアウドも声を上げて笑いだす。 「はは、皆自分の事よりも、貴方の事が心配で仕方ないんですよ。本当に……貴方がご無事で良かった」 それに申し訳ない気持ちになるものの、そう言われればシーグルもまた思う事がある。 「俺も、皆が無事で良かった」 「えぇ、今回は俺達は運が良かったようです」 今回の戦闘中、中程にいたシーグルの部隊は大きい怪我をする者もなく皆生還出来ていた。犠牲となったのは主に最前線に配置されていた傭兵や農民出の者達ばかりで、それを考えると気が重くなったが、全体としては死傷者は少なかったと聞いてはいる。 そう、聞いてはいるが、実際どうなのだろうというのがシーグルも会議が終わった後思った事で、だからこそ今シーグルはこうして歩いているのだった。 アウドも、ついて来ている内にシーグルが向かう場所が分かったのか、『仕方ないですなぁ』という呟きが聞こえてくる。ナレドはまだ泣いているのか、しゃくり上げる声がたまに聞こえた。 シーグルが向かっていた場所は、怪我をした者達が集められて治療をしている場所だった。 ここでは、治療の種類別、優先度順に寝かされた人達の傍を、リパやアッテラの神官、それに魔法使い達が忙しそうに歩き回っていた。 「思ったより、重傷者は多いな」 重傷者は、体力が有り余っていそうな者以外、リパ神官によって傷口を塞ぐ事がまず必要になる。体力がありそうな者はアッテラ神官が担当して、傷の化膿止めさえすれば暫く大丈夫な者達は魔法使いやその見習い達が担当している。治癒部隊に関してはリパ神官が一番多いものの、必然的に大きな仕事ばかりになるため疲労が激しく交代制となっている、と……規則的にはその筈なのだが、本当に彼らが休憩しているのかはかなり怪しいのではないかとシーグルは思った。なにせ見るリパ神官達の顔には皆疲れが見えていたからだ。 ――俺も、治癒術が使えればな。 基本的に治癒術はリパの信徒でも神官でないとそうそうに使えないのだが、兄のフェゼントはその稀な神官でなくて使える者だった。だから自分も使えていれば、多少は役に立てるのにとそうシーグルは思ったのだが。 「おぉ、シルバスピナ卿だっ」 誰かが叫んで、シーグルは思わず驚いた。 「シルバスピナ卿っ、ありがとうございます。俺は貴方のお蔭で助かりました」 そういって地面に頭を擦り付ける兵士が出れば、次々に他の者達から声が上がる。 流石に皆負傷者だからそうそう走り寄って来たりはしなかったものの、各自その場で名を呼んで、口ぐちにシーグルに礼やら賛辞の言葉を掛けてくる。 「エライ人気者ですな。まぁ、当然ではありますが」 「そう、だな……」 彼らが明るい顔でこちらを見てくれるのは嬉しくても、そこに居づらくなってしまったのは否めない。 「そんなに……俺が出て行った事は広まっているのか?」 こそりと後ろのアウドに聞けば、彼もまた小さな声で答えてくれる。 「えぇ、そりゃもう、旧貴族の当主様が化け物みたいな向うの敵を抑え込んで、一般兵を助けてくれたって皆噂してますよ。バッセム卿なんて感激して、自分の兵集めて皆にわざわざ言ったらしいです。いやもう、これで元気な連中のところなんて行ったら大変な事になりますよ」 シーグルは頭を押さえた。やったことを反省はしていても後悔はしていなかったのだが、この事態までは想定していなかった。 だが、調子に乗った兵達が『シルバスピナ卿コール』まで始めれば、シーグルももう何も言わずに立ち去る訳にもいかなくなっていた。仕方なく手を上げて彼らを止め、声を張り上げる。 「気持ちはありがたいが、皆負傷しているんだ、今は静かに休んで少しでも早く傷を治してくれ」 それで騒ぎは収まるものの今度は泣き出す者が出て、やはりシーグルは困惑するしかなかった。 だが、そうしてようやく落ち着いて負傷者達の間を見て歩き出したシーグルだったが、ある兵に治癒術を掛けている神官を見て、思わずその足が止まった。まさかと思って見直してみれば、確信出来てしまってどうしようかと考える。 「クルス?」 躊躇いながらも呼んでみれば、血止めがやっと終わったらしい青年がシーグルの顔を見上げてくる。 「はい、なんでしょう」 間違いなく、淡い金髪にやさし気な容貌の大切な友人が、シーグルに微笑み掛けた。 「何故、君がここに?」 「それは当然、リパ神官として、出来るだけたくさんの方を助けたいと思ったからです」 「だが、危険だ」 「私は前線担当ではないですから、大丈夫です」 「だが……」 尚も何か言おうとしたシーグルだったが、彼がすぐに立ち上がって歩き出した事で言葉を失う。 「申し訳ありませんが、今は急ぎの仕事がありますので」 確かにそれは当然の事で、やはり黙って彼を見る事しか出来ない。 だから呆然とその場に暫く立ちすくんでしまったシーグルだったが、肩を叩かれて振り返れば、アウドが緩い笑みを浮かべていた。 「ご友人ですか?」 彼の瞳が妙に優しい事に気付いて、シーグルは肩の力を抜く。 「あぁ、冒険者時代にずっとパーティを組んでいた友人なんだ……大切な」 そうしてまた歩き出したシーグルに、アウドは今度は少し茶化した声で言ってきた。 「ではもし貴方が怪我などしたら、あの神官殿に治療を担当して貰って思い切り怒って頂く事にしますかね」 シーグルはそれに、笑みで返した。 --------------------------------------------- シーグルさんの反省回でした。 |