愚かさと間違いの代わりに




  【1】



 クリュース王国首都に北東にあるリパ大神殿。この国の国教である三十月神教の主神であるリパを讃える総本山であるここは、国内における最大規模の神殿であり、三十月神教自体の総本山でもあった。
 そこでトップに立つという事はこの国における宗教的なトップであるという意味であり、制約は多くとも王にも匹敵する権力を持つ事である。生まれで全てが決定してしまう王族や貴族と違って、平民や孤児でもなり得る事が出来る最高の地位でもあった。その所為か主席大神官の座を狙っての大神官同士の謀略は後を絶たず、ただ結局は前任者の指名が最優先であるからその謀略も問題になるほど大きな事件にならない、というのが今までこの神殿の上層部で繰り返されて来た事である。

「まったく、主席大神官になる条件は『神を信じていないこと』とはね。確かに信心深い聖者さまだったら逆に自殺したくなったろうな」

 呟いて、自嘲に口を歪めて、現在その主席大神官の地位にいるテレイズは目を閉じた。

「そう考えればやはり俺が一番の適任だったんだろうが……三十月神教の全神殿の最高位の神官が皆これを知ってるとなると、それがこの国で宗教屋があまり政治に関わってでしゃばろうとしなかった原因でもあるのか」

 内部的な主席神官の引き継ぎの儀式では、前任者から次の者へ記憶の譲渡が行われる。もし前任者が死亡していた場合は他の神殿の最高位の神官が呼ばれるそうだから、各神殿のトップは全て『ソレ』を知っていると見て間違いないだろう、とテレイズは考えた。

「あぁ本当に、俺みたいな不良神官にしか務まらない役職だったさ」

 言って振り向いたその先には魔法ギルドからの使者が立っていた。頭にフードをすっぽり被って顔が見えず杖をもった『いかにも』な風貌の魔法使いは、テレイズが椅子から立ち上がると恭しくお辞儀をした。

「テレイズ・フィラメッツ様、ギルド会議のお迎えに参りました」






 気付いたら、林の中だった。
 ラークはその時の事を思い出す。
 気づいたら林の中で、足から血を流していた男にとにかく逃げるように言われた。彼が何故足から血を流しているかも見てすぐ分かってしまった。植物系魔法使いなら分かる、あれは擬体部品が成長してしまって元の形をとどめなくなってしまったのだと。擬体というのは目的の形になるように作られ、それ以上成長しないように調整される。けれどその調整を無視して無理矢理成長させてしまう事も可能ではある。それは魔法使いによる成長魔法を使われた時だ。状況的にその成長の魔法を使ってしまったのが自分だと理解すれば、後はなんとなく想像出来た。自分の記憶が天幕から林の中にいくまでやけにあやふやな事を考えれば、自分は操られていたのだろうと考えるしかない。しかも、自分を操っていた男の意志が頭に少し残っていて――あの騎士が『彼』だと分かってしまった。だからギルドから来たという魔法使いに状況の説明と『診察』を受けた後でこう言われてしまったのだ。

『さて、今回の件で知ってはならない秘密を知ってしまった君には二つの選択肢がある。一つは記憶操作を行って君が操られていた時から今までの記憶を消去すること。そしてもう一つは魔法使いになることだ』

 あぁ師匠が言っていたのはこの事だったのだとラークは思った。だからラークはそこで心を決めた。つまり魔法使いになれば、自分が操られた理由もそいつらの事も……『彼』の事も、魔法使いの秘密が何もかも全部が分るということだろう。自力ではなれる筈がないと思っていたものだが、何の運命のいたずらかなれるというならなってみればいいんだ、と。なれば人でなくなるとか、世界が変わるとか……いろいろ悩んでみたものの、ここまでくれば運命という奴にいっそ従ってみるべきだと開き直る気になったのだ。

 そうしてラークは今日、魔法使いになる為に魔法ギルドにやってきた。
 ずらりと並ぶ偉そうな魔法使い達の前、魔法使いとなる最後の儀式は秘密の記憶と知識を授ける事だという。ここまでで既に魔法使いになる為の前準備は終わっていた。魔法使いの基本として与えられる様々な術を使う為の入れ墨、杖の新調、事前注意にリパの聖石の返還。ラークとしては聖石の返還だけはどうにかならないものかと頼んでみたが、魔法使いになるならどの神殿にも所属してはいけないらしい。それでも一度決めたことだからと石を返して、そうしてラークはここに来た。

「では、ラーク、これから魔法使いとしての記憶をお前に授ける、準備はいいか?」

 師匠である魔法使いダンセンが言って近づいてきた。
 記憶は既に魔法使いである者から新しい魔法使いへと伝えられる。伝える側の魔法使いは正式に魔法使いになった者なら誰でもいいそうだが、特別な事情がない限りは師の魔法使いから伝えられる事になっているらしい。
 師匠に魔法使いになる事を伝えたら、『やはりそうなったか』と言っていたから、ならざる得ない状況というのはある程度伝えられていたのだろう。
 誰もが黙って儀式を見守っていた中、そこで周囲の魔法使い達が何か呪文を唱えだした。
 だから、始まったらそうしろ、と言われたようにラークはその場に跪いた。
 前に立っていた師匠がしゃがんで、こちらの頭を両手で軽く押さえてくる。
 そうして、師匠の頭が近づいてきて、軽く額が頭に押し付けられれば――ラークの中に、知覚出来ない程すごい勢いで様々な記憶達が流れ込んできた。







 魔法使い達だけが知る世界の秘密は必ずこの言葉から始まる――かつて、この世界は魔力に溢れていた――と。
 人は誰も、空気のように世界中に満たされていた魔力によって魔法が使え、魔法が使える事が当たり前の世界だった。
 けれども一人の魔法使いが、そうしてどこにでもあった世界中の魔力を一振りの剣に閉じ込めてしまった。
 その時から、魔法は誰もが使えるものではなくなった。
 モノでも生き物でも、勿論人間でも、本人が保持している魔力が一定以上あれば魔法を使う事はまだ可能だったが、そこまでの魔力を持たない殆どの人間は魔法が使えないのが普通という世界になってしまった。
 大多数の人間が魔法を使えないのなら、魔法を使える者は存在するだけで一般人の脅威である。
 だからやがて、人々は魔法使い達を迫害するようになり、多くの魔法使い達が命を落とすことになった。
 そこで魔法使い達は互いに協力し合い、魔法の研究自体は勿論として、迫害されずに一般人と共存できる世界を目指す方法を考える事にした。
 剣の魔力を開放して、昔と同じ、魔法が普通に使える世界を目指そうという意見もあったが、その方法に見当もつかなければその剣は人――魔法使いにとっては特に、危険すぎて触れられさえしなかった為断念された。
 そうして一般人と共存する為の様々な方法が考えられたが、その中で彼らは一つの発見をする事になる。
 確かに、保持魔力が低い人間は魔法を使えない。
 だが、いくら魔力が低くても複数人の魔力を繋げば魔法が使えるようになる。
 さすがに全員が一斉に好き勝手に魔力を使う事は出来ないが、複数人の魔力を繋げる事でその中の数人が全員分の魔力量の許容範囲内で魔法を使う事は可能だったのだ。
 そもそも、人が魔法使いを迫害しだしたのは自分達にない力を使うから。
 誰でも皆が魔法を使えるなら迫害は起こらない。
 そして、発見した方法を使えば一般人でも魔法が使えるようになる。

 だから一人の青年――クリュース初代王アルスロッツが魔法ギルドに協力を求めた時、ギルドはある計画と共に建国の暁には魔法使いと一般人が共存する国にしてくれる事を条件として契約したのだ。

 その計画とは、魔法を使う宗教を作り、それを新しい国の国教とする事であった。

 魔法使いが魔法を使えばそれは恐ろしい魔の力と呼ばれるのに対し、神の名のもとに使えばそれはただの奇跡となる。人々は恐れず受け入れてくれるだろう。そして、その神の信者となった者同士の魔力を繋げれば信者達も魔法が使えるようになる。選んだ神を崇める事で誰もが奇跡の力を使えるようになれば魔法使い達を迫害する必要がなくなる。
 勿論最初の内は怪しい宗教と恐れる者達も多かった。いきなり信奉する神を変えろといっても普通は出来るものではない。何より魔法に対する偏見と恐怖は長い間に人々に染みついてしまっていた。
 けれど、いくら祈っても何もしてくれない神より、直接目に見えて助けてくれる神がいるなら苦しい人達はそれに縋る。
 祈るだけで傷を癒して貰えるなら、更には改宗すれば自分も大切な人を守れる奇跡の術を使えるようになるなら……クリュース軍は行く先々でその宗教を広め、彼らを味方に組み込んでいった。
 最初は魔法使いと手を組むなどと、と忌諱されたクリュース軍は行く先々で歓迎されるようになり、とうとう彼らの国を作った。

 そうだ、考えれば分かる事じゃないか、とシーグルはそれを知った時に思った。
 散々、魔女堕ちした魔法使いとその信者をシーグルは見てきた。だから彼ら信者が三十月神教の信徒とよく似ていると思ってはいた。似ているからこそ『信者』なんて揶揄して呼ばれているのだと思っていたが、本当に同じシステムであったという事だ。体に入れる入れ墨や守護アイテムは信徒同士の魔力が繋がる為のもの、だからこそその人間の魔力波長用に調整されたものが必要になる。

 各神の最高神殿の奥には、大聖石というものがあるそうだ。
 それはその神の神殿魔法を使う為の魔法陣や呪文が書き込まれた魔法石で、それに全ての信徒の魔力を繋げることで信者同士の魔力を繋げているのだという。つまり、魔女と信者におきかえれば、その大聖石が魔女にあたる訳である。魔女のように自分の意志を持たず、ただ魔力を仲介して呪文と魔法陣の効果を伝えるだけであるから、神殿では魔女のように何者かの意志で魔力を吸い上げたりなどという事は起こらない、安定して繋がった魔力が魔法を使った信者へと送られるだけである。

 魔力を繋げれば繋げる程、つまり信徒が多ければ多い程全体の魔力量があがって魔法を使う者に渡される魔力は安定する、使う魔法に対しての一人の負担が減っていく。だから各神殿は信徒となる者を増やしたがる。神殿が無料で神官学校を開くのは、信徒を増やす事にそれだけのメリットがあるからに他ならない。

 幼い頃から、リパ神官だった母親の教えを聞いてシーグルは育った。
 シルバスピナの家に来てからは、その教えを守る事が母と繋がっている気がしていた。更にはその教えを守る事が立派な騎士としての誇りだと思っていた。
 ずっと心の支えだったリパの教えを否定する気はなくとも、もとは誰かの作っただけのまがいものの神だと思えば平静で受け入れられる訳がなかった。
 なんだか自分の人生の半分を否定された気さえして、シーグルは知った途端呆然としてしまったのだ。

 恐らく、これを隠すために魔剣の魔法使い――ノーディランは自分を閉じて出来るだけシーグルに記憶が流れ込まないようにしていたのだろう。
 魔剣と契約してからは、こちらが彼の記憶を見えるようにこちらの記憶も彼に見えた筈だった。なら自分がこのことを知れば相当のショックを受ける事が分かっていて、彼はこちらに見えないように記憶を閉じてくれたのだろう。

 その、彼も今はいない。
 既に慣れてしまっていた、彼の優しい気配はもう、自分の中のどこを探しても感じる事は出来なかった。
 せめて彼がいたなら、今の自分がこんなに不安になる事などなかったろうに。
 一人がこんなに怖いのは、暗示の後遺症というだけではなく、ここ数年当たり前にあった彼の気配が消えてしまったからでもあるかもしれない。
 本物の祖父には優しくしてもらった事がなかったから、まるで世間一般の祖父のように優しく見守ってくれた魔法使いの気配に包まれる事が嬉しかった。いつの間にか自分は彼の気配に慣れ過ぎて、一人でいられなくなってしまっていたのだろうか。

 とうとうきちんとした眠りに落ちる事なく朝を迎えたシーグルは、ベッドの中で自分のあまりの情けなさに自虐的に笑いながら涙を流した。
 そうして、自分に言い聞かせた。
 大丈夫、きっとすぐ慣れる。子供の時だってあれだけ怖かったけど、慣れて眠れるようになったではないか、と。



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 最後に残ってた魔法使いの秘密がこれで明かされました。
 



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