【11】 正式に新王の即位式が終わり、新政権発足が正式に宣言されてから、立て続けに行われた発表はクリュースの人々を驚かせた。 その中でもとにかくまず第一には敵国であったアウグとの友好条約の締結(ていけつ)がある。魔法使いを認めるこの国を悪魔の国と呼び、近年は蛮族達を焚きつけて火種を付け回っていたと言われていた敵国が突然手を結ぼうとしてくるなど、あまり情勢を詳しく知らない一般国民でさえ我が目我が耳を疑う事態であった。 実のところ、セイネリアやロージェンティは当たりまえのように受け入れていたが、即位式にレザ男爵を招待するまでは内部的にいろいろ大変ではあったらしい。事前にアウグとの条約についても噂を流し、貴族達の反応に合わせていろいろ手を打ったり等、セイネリアの裏の団員達が密かに暗躍していたという事だ。 勿論、今回の件に関してはアウグ側でのお膳立てを全部一人でどうにかしてきたセイネリアの功績が一番大きいのは言うまでもない。 セイネリア・クロッセスの本当の強さは戦闘能力ではない、あの男の凄さは国一つを操って自分の思うように情勢を動かすその頭脳と手腕だろう。それは決して黒の剣の所為ではない、彼自身の強さである。なにせ大国クリュースの王を倒して国をひっくり返す……そんな大それたことをこの男はつい最近、シーグルの目の前であっさりやってみせたのだ。それを成す為に黒の剣を使いはしたものの、剣がなかったとしてももっと時間と犠牲が増えただけで最終的にはそれを成し遂げただろう。 それこそが本当にセイネリア・クロッセスが最強と呼ばれる所以だとそう思い、そして彼に対して漠然とした不安を抱える自分の心に言い聞かせる、彼は大丈夫だと。……それが、自分の希望による結論だとはシーグルには思えなかった、まだそこまでの不安要素は彼にない筈だった。 「おぉ、いたなっ、まったく気が気じゃなかったぞ……どうにか最後にお前さんに会えていや良かった」 場違いに明るい声が近づいてきてシーグルは驚く。幸いアウグ語のその言葉の意味が分かった者はほぼいなかっただろうが、それが誰か分かったシーグルは兜の下で眉を顰めて振り向いた。 「これはレザ男爵、まだお帰りになっていらっしゃらなかったのですか」 今の自分の身分に相応しい態度で深々と頭を下げてそういえば、貴族というには豪快すぎる男は途端に顔を不機嫌そうに顰めた。 「お前はそんなにさっさと俺に帰って欲しいのか」 「それはもう、貴方が無事本国に帰還されたと知らせを受けるまでは正式に条約が成立したとは言えませんので」 「ふん、そう言って本当は俺がいるとお前的にうっとおしいのだろう」 「私は、別に貴方がいるからどうとか思ってはいませんが」 通りがかる者達がこちらをちらちらと見ているが、まず言葉が分る者がいないだろうというのは気楽でいい。セイネリアが作ったレイリース・リッパーとしての自分の経歴的にアウグ語が話せるのは当然だから、こうして話していても不審におもわれる事はない筈だった。 「ふむ……まぁ俺がお前の近くをうろちょろしていて気にするのはお前の主の方か」 言って一目見て戦士だと分かる立派な体躯の男はそこでまた豪快な笑い声を上げて笑った。シーグルもそれには否定を返さずに思わず彼につられて口元を緩める。そうすればレザはひとしきり笑った後、あたりをきょろきょろと見回してから、今度はそっと耳打ちするように言ってきた。 「それで……なぁ、折角最後に会えたんだ、顔くらい見せてはくれんかな? ついでにちょっと話もあるから、あー……ヘタな事は絶対しないと約束するからどこか部屋でだなぁ、何ほんとにちょっとの間だけだ」 彼を信用出来ないとは思わないが、それでもやはり身構えてしまうシーグルに、男爵の後ろで控えてきた彼の部下である魔法使い見習いが横から入ってきて頭を下げてくる。 「すみません、私が責任もって見張ってますのでバロンのお願いを聞いて貰えませんでしょうか? もし約束を破った場合、今回はナウローフ様にいいつけるという手が使えますのでまず大丈夫だと思います」 「お前な……さすがにあいつの名を出すのは反則だろーが」 「はい、ですがつまりはバロンがあの男を怒らすような事をせず約束をちゃんと守って下さればいいだけの話です」 どうやら『吼える男爵』も奥方には弱いらしいと思って、シーグルも思わず軽く吹きだしてしまった。 「分った、話があるというなら聞こう」 そうしてシーグルはソフィアを呼び出すとレザ男爵を連れて待機室の一つの入り、彼女に見張りを頼んで話を聞く事にしたのだが。 「おーやっぱり美人だなぁ」 兜を外した途端喜び勇んでレザが近づいてこようとするから、シーグルも身構えて思わず剣に手を掛けてしまった。だが『私が責任を持って』といっただけあってその前にラウドゥが立ちはだかってくれた事で、レザも気づいて足を止めた。 「バロン、約束をお忘れなく」 「あー……そうだったな、うん。あー……とこで、髪の色は違うが染めてるのか?」 「いや、これは魔法によるものだ」 「ほー、何でも魔法か、まったく便利なものだな。確か声もそれで変えてるといってたな。まぁ青い髪のお前もなかなかいい、勿論元のほうがいいのは言うまでもないが」 にこにことこちらの顔を見ながら上機嫌のレザに、少し呆れながらもシーグルはため息をつく。それから、こんな感覚に似たような覚えがあると思って考えたら……幼馴染のお調子者の親友を思い出してまた、今度は音を出して吹きだしてしまった。 「どうしたんだ?」 唐突に吹き出したのだ、疑問に思われるのも仕方ない。とはいえ、なんだかちょっと情けない顔で聞いてきたレザの顔がまたロウに重なってしまって、シーグルは笑みを抑えられない。 「いや……友人に、少し貴方に似た者がいるのを思い出してしまっただけだ」 懲りずにシーグルにモーションを掛けてきては玉砕して情けない顔をしてくる時のやりとりとか、雰囲気がどうしても似ていると思い出せば笑ってしまう。そういえばアウグから帰還して最初にロウと手合せをした時、レザ男爵と同じ動きをして驚いたというのもあったか、とシーグルは思いだす。 「ほう、俺に似た者か……それはつまり、強いのか?」 興味がそこにいくあたりがレザ男爵らしい。シーグルは微笑んで答える。 「あぁ、強い。……とは言っても、貴方のようにと言える程ではないが。まだ若い頃の貴方から貴族としての責任感を抜いた感じに近い……のではないかな」 ロウの友人のアルセットによれば、前は女性にもかなりモテてあちこち遊び回っていたらしいとも言うし、やはり基本の性格が似ている気がする。 「……ふむ……それはちょっと、だめな奴過ぎんか?」 真面目な顔でそう言われて、シーグルは一瞬、目を丸くする。 「おやバロン、自覚がおありだったのですか?」 そこですかさず入ったラウドゥのつっこみで、またシーグルは吹きだす事になった。男爵は思い切り顔を顰めて不機嫌そうに部下の青年を睨んだが、涼しい顔の青年は慣た様子で完全に無視を決め込んでいる。それでレザも諦めたのか、大きなため息をつくと咳払いをいを一つして、顔にまた笑みを浮かべてこちらを向いた。 「まぁあれだ、似てるというならどんな奴かぜひ会ってみたいが、流石に俺も今日で帰るから無理だろうしなぁ」 「あぁ、残念だが彼は今首都にいないから気楽に合わせる訳にもいかないんだ」 今の彼の事の話となれば、シーグルとしては声が沈んでしまうのは仕方ない。 エーヴィス村に帰った彼は元気だろうか――自分の為に王側につき、騎士団を辞めざる得なかった彼の事を考えれば、シーグルには彼の幸せを願う事しか出来ない。 だがシーグルがそこで沈んだ顔をしたせいか、レザはわざとらしく偉そうに腕を組んで言ってきた。 「それは確かに残念だ、あまりにもダメ人間だったらひとつ活を入れてやろうと思ったんだが」 それにシーグルが笑えば、レザもそこで一緒に笑う。もしレザとロウがあったら、互いに細かい事を気しないから話は合いそうだとシーグルは思いながら、ロウならどこでも楽しくやっていてくれるだろうと思う事にする。 「ところで話があるという事だが」 ひとしきり笑った後でシーグルが話を戻してそういえば、途端レザは拳で手をぽんと叩いて少し姿勢を正した。 「おーそうだな。うん、まぁ、その何というか……お前も大変そうだと思ってな」 「大変、というのは何をもってだ?」 レザには何か問題が見えているのだろうかとシーグルが表情を引き締めれば、レザ男爵は緩い感じでにへらっと笑う。 「そらもーあの男のお守りだな」 あの男、が誰を指すのか分らない事はあり得なかったが、あまりにもストレートなその言いぐさに、シーグルは思わずまた目を丸くした。 「確かにあの男は強い、頭も回るし、悔しくても俺じゃお前をあいつから奪うのは無理だとは思った……とんでもなくムカツクが、そこを認められない程俺も馬鹿じゃない」 言っている間に笑っていたレザの顔が真顔になる。それと共に声からも冗談じみた響きがなくなって、シーグルも自然とまた表情が硬くなる。 「だがな、あの男はガキ過ぎる」 言うと同時にレザは顔を思い切り顰めて呆れたようなため息をついた。更には腕を組んで、やれやれ、といった風で顔を左右に振る。シーグルも彼の発言の意味を理解してまた再び目を丸くした。 「俺はよーく知ってるぞ、親の愛情を受けた事もなく子供の頃から兵士として育てられてた奴がウチに引き取られた時にな、あいつと似たような感じだったんだよ。愛情を受けるのも抱くのも初めてでそれに縋る……まーお前も大変だな、よりにもよってあんな面倒くさいのに捕まるとは」 確かに、言われれば彼に関して子供っぽい反応だと思った事は何度もある、あるが……レザのようにセイネリアをガキだと一刀両断にしてしまうのを聞けば驚かずにはいられない。なんといってもシーグルの中のイメージとして、セイネリアとガキ、という言葉が結びつかない。 「ガキならガキらしくもうちょっと付け入る部分がありゃ可愛げがあるのに、ヘタに隙がないからひたすら憎たらしさしかない。しかも俺の欲しいものを自分のものだと見せびらかしてくるわと……まったくどこからどこまでもガキ過ぎる、本当に気に入らないガキだ」 確かにレザの年齢からみればセイネリアでさえガキと言えるのかもしれないが、それでもあの男をガキと連呼するその様にシーグルはあっけにとられる。けれどそうして暫くすれば……今度は自然と笑いがこみあげてくるのを抑えられない。彼にガキという言葉が似合わないと思うのに、なんだか心にしっくり来てしまって、そうしたら気が抜けて笑いたくなる。 「あいつが……ガキか。まぁ、貴方にはそう見えるのかもしれない。だが俺も大概ガキだという自覚があるから……だから、そうだな、大変だ」 笑いながらそう返せばレザはふふんと鼻で笑って、それから胸を張って言ってくる。 「あぁ、お前もガキだ。まったく、ガキがガキを支えるのは大変だろう。とはいえ、お前はガキでも真っ当に育ってる。何が楽しくて何が悲しいか、どうすれば幸せになれるのか、どうすれば悲しみを越えられるのか、人として真っ当な感覚をちゃんと身に付けている。だからアレを躾けられるのはお前しかあるまい」 豪快な男の、どこまで優しい瞳に見つめられながら言われた言葉に、何故かシーグルの瞳が熱くなる。けれども泣きたい気分ではない、顔は自然と笑ってしまって、笑い声さえ口から漏れる。 「買いかぶりだ……俺はそこまで出来た人間じゃない」 「そうか?」 「あぁ、迷ってばかりで正しい道を選べているかいつも自信がない」 こんないつも心が揺らぐ自分があの自信に満ちた男に何を教えられるというのか。そう思えば自嘲しか湧かない。けれどレザはそこで彼らしくにかっと笑うと、豪快に声を上げて笑いだした。 「何を言ってる、別に迷っても構わんだろ、人間なら迷って当然だ。迷って、それでも何かを選んで何かを切り捨てる、切り捨てたモノを後悔して悲しみもする、失敗したと地団駄を踏む事だってある。あいつの場合は失って後悔するのがお前くらいしかいないから迷わないだけだ、切り捨てたモノに見向きもしないから痛みが分らない、いつまでもガキのままなのさ。……だがお前はたくさんの痛みを知ってきてるだろ? だからあいつに教えてやれ。まぁどうせあれはお前以外の言う事を聞きはせんだろうしな」 悩むのが馬鹿馬鹿しいという勢いで笑い飛ばされれば、シーグルも沈む暇もなくつられて笑いそうになる。いつの間にか目からは涙が零れ出していても、豪快な笑い声に笑みが湧く。 だがそこでレザは急に笑うのを止めると咳払いをし、少し真顔になって、それから声を潜めて言ってきた。 「……まぁ、だがしかしだ。もしあいつがガキ過ぎてお前が耐えられなくなったら、いつでもお前は俺のとこに来ていいんだぞ。俺がお前を奪ったら何があっても取り返しにくるだろうが、お前の意志で俺のとこにきた場合はそうそう奴も強引には出られないだろ。お前ならいつでも歓迎だ、どうせもう面倒な地位や義務はないんならいつでも俺の息子になりに来い。……あぁいや、そうじゃなくてもだ、ちょっとあいつに灸を据えるつもりくらいの気楽さで遊びにきていいからな。客としてきた場合は……あー……お前さんの同意がない限り無理矢理手を出さないと誓う、うん、ちゃんと部屋も別に用意しよう」 それを楽しそうにウインクまでして言ってくるから、シーグルはついに声を出して笑ってしまった。 「ありがとう、レザ男爵。おかげで大分気が楽になった。……覚えておく」 それからレザに向けて手を出せば、すぐにレザは嬉しそうにその手を握り返してくれた。流石にそれには横で見ていた彼の参謀も文句を言う事はなく……ただ一度手を握ったらなかなか手を離そうとせずに何度もぶんぶんと握った手を振ってくるのには困ってしまったが。 END. >>>> 次のエピソードへ。 --------------------------------------------- そんな訳でレザとのやりとりでこのエピソードは終了です。 |