【6】 当然といえば当然の結果として、その後はいろいろと後始末が大変だった。 辺りの掃除をこっそりするのはとてつもなく情けなかったし、セイネリアは鎧を着たままだったからシーグルの出したものが思い切りついてしまって酷い有様になった。幸い、昼食会の席で鎧姿はおかしいだろうとカリンに言われてセイネリアは着替えてくれたが、最初は拭けばいいだけだろと言ってシーグルの方が青くなった。 そして勿論シーグルといえば、その後の予定がこなせる訳もなく、一人で先に屋敷に送られてロスクァールに治癒術を掛けてもらい、その後にサーフェスとエルにも見て貰って今日は大人しく寝ている事になった。……まだ客人が多い即位式の翌日にこのありさまとはどれだけひ弱な部下だと思われる事だろうと、考えるだけでシーグルは落ち込みたくなった。 しかもシーグルが屋敷で寝ていると言えば、レザが嬉々として街見物から帰って来て部屋に見舞いだと言ってやってくる始末で……まぁそれは付き添いで傍にいたフユに阻止されて、部屋の外の問答だけで終わってくれたが。 そして全ての元凶のセイネリアといえば。 すまなかった、と一言だけ告げて、文句を言うシーグルを置いて昼食会から続く午後の予定に出ていくのを見送ったきりだ。 「あいつは俺に、あいつの事以外を考えるなとでも言いたいのか」 そんな事無理に決まっている、と思っても、彼が最中に言っていた言葉を考えるとその程度の結論しか思いつかなくて、シーグルは愚痴のように呟いた。 「そうっスね、そうと言えばそうなんでしょうけど。……まぁボスもそれが無理なのは分かってるんでしょうけどね」 付き添いというより見張り役というのが正しいように、部屋の中で座っている灰色の男はいつも通りの笑みを浮かべ、どうとでもないように気楽に答えてくれる。ちなみに彼は現在、普段は殆ど城に居てシグネット周りの警備を影からしているらしく、会ったのはかなり久しぶりになる。 「分ってるのに苛ついてるのか、あいつは」 「そりゃーまぁそういうのは理屈で分かってても仕方ないモンでしょ。なにせ、ボスにとっちゃぁあんただけが特別に大切で、他に心を注ぐ程の相手なんていないんスすから。そりゃぁまぁ相手にも自分だけを見て貰いたいって思うんじゃないスか」 そんなに気楽に言える内容じゃないだろ、と思っても、相変わらずこの男の言い方は軽い。……とはいえそれでも、言葉自体の鋭さはこちらに刺さるのだから適わない。 「だがそれは俺には無理だと分かって……いるだろ、あいつは」 自然と出てしまったため息と共に言えば、灰色の男はまた笑う。 「えぇでしょうね。だから自分でもどうにもならないで苛ついてるんじゃないスかね」 「――あいつがか?」 「そうっスよ、あんたの事を考えてる時だけは、最強の騎士でもなんでもなくなるんですよ、あの人は」 最後の言葉は顔は笑っていても声が重い。それ以上に言葉の意味が重い。 シーグルの中にあるセイネリア・クロッセスという男について、一番あって欲しくない事を簡単に言ってくれる。 「それは、俺の存在があいつを弱くするという事か?」 それにもやはり、軽い口調でフユは重く畳みかけてくる。 「さぁどうでしょうね、それはあんた次第なんじゃないスか?」 それは分かっている――と言い掛けて、本当に自分が分っているのか自信がなくなって言葉が口の中で霧散する。それくらい、今日のセイネリアの行動はシーグルにとって想定外だった。かつての彼を拒んでいた頃ならともかく、今どう考えても彼の手の中にいる自分にあそこまで彼が感情的になる理由が分らない。今の自分は彼のものであると何度も言っているのに、あの程度であの男が自分を制御できなくなるのが分らない。 だからもしかしたら、自分に黒の剣の話をしたのも原因としてあるかもしれない、ともシーグルは考えていた。 「ともかくあんたは、もう少しあんたがボスの『たった一人』だって事をよく考えてみてもらいたいっスね。たくさんの人間と関わってきたあんたには分からない、一人だけが大切って状況を少し想像してみるといいんじゃないスかね」 「あぁ、そうだな……」 それには素直に同意する。 どちらにしろ、シーグルはもっとセイネリアを知らなくてはならないと思っていた。彼と剣の事――それから、彼がどう育ってきて、何をしてきたのか、何を背負って生きてきたのか……彼の本当の望みは何なのか。そうしなければあの男を理解出来ない、あの男を助けられない。 フユの言う通り、ただ傍にいて彼に身体を差し出すだけでは彼は救えないと、シーグルにはそう思えたから。 クリュース首都セニエティ、逆扇形に広がるこの街からはみ出すようにして、北中央には王城が、そして北東には国教である三十月神教の主神であるリパの大神殿がある。 新王誕生にともなって新体制がスタートする事で役人の多くが交代し、様々な新部門やら法律が設立され、政府関係者は今が一番大変な時期であると言えた。だが、それに負けないくらいにここリパの大神殿も上に下にの大騒ぎの状態であった。 その原因はつまり、この大神殿のトップである主席大神官が退任するからな訳だが――。 「何故、私なのですか?」 「何故って、君が一番の適任だからに決まってるからじゃないか」 にこにこと柔和な笑みを浮かべる老人に、テレイズはその場でひざまずいたまま声をあげる。 「私では若すぎると必ず批判の声があがるでしょう」 「そんな声は無視して構わないよ、私の指名なんだから誰も文句をいう権利なんてないのだからね」 穏やかな顔でそんなことをあっさりと言うのだから、やっぱりこの人は侮れない、とテレイズは思う。実は初めて会った時からテレイズはこの老人が苦手だった。なんというか、地位の割にお気楽というか無邪気というか、何も考えてなさそうなのに実はいろいろ分かってやってるという感じで、テレイズには彼の思考が読めなかったのだ。 ただ、嫌いではない。そして、尊敬もしている。 他人を見下すクセのあるテレイズとしてはとてつもなく希なくらい、彼については自分の上に立つ者として、その地位にあるだけの敬意を払うべき人物だと認めていた。この老人、現リパ大神殿主席大神官である彼以上に、この大神殿でその地位にふさわしい人物はいない、とテレイズは思っている。 だからこそ、頭にくるものもあるのだ。 「そもそも貴方が辞める必要など何処にもないでしょう、今からでも『引き止められたから気が変わった』の一言で済む話です。どうせ貴方の気まぐれには皆慣れていますから」 言うと老人はいたずらを見つかった子供のようににかっと照れ笑いをして見せる。……いくら怒っていても、こういう反応をされるからこの人には適わない、といつもテレイズは思ってしまうのだが。 「いや、いくら私でもだ、辞任騒ぎで散々引っ掻きまわしてしまったからね、今更撤回したら新しい王の下でがんばってる皆に悪いじゃないかね。それに今回の件は誰かが責任を取っておかないと、あの場にいた他の神官達にも非難が飛び火してしまうからね」 「貴方も他の神官様達もなんの落ち度もないでしょう。王が殺された事を非難する人なんてまずいませんよ」 表向きの彼の辞任理由は、慈悲の神に仕える神殿の最高責任者でありながら、よってたかって王を殺害するという凄惨な現場にいてそれを止められなかったから、という事になっている。そんな状況を見過ごした自分にはリパの主席大神官でいる資格はないと。……確かにそれを非難する人間もいるにはいたが、けれど圧倒的に、拘束されていた状況からあの王を追い詰めた各神殿の大神官達は賞賛されていたのだ。一応、責任を取る者が必要、という理論もテレイズには理解は出来るものの、ここはそれを無視してもどうにでもなる状況だと思えた。 「それにね、もうそういう事で話はついているんだ」 だが、ぽつりと呟くように言った老人のその言葉には妙に引っかかるものがあって、テレイズは即座に聞き返した。 「話って、どことです?」 「それは、君が私の役目を引き継いでくれたなら話してあげるよ、気になるだろ?」 言われてテレイズは片手で頭を押さえてため息をついた。 そう、つまるところ現在一番の問題として、この人物はテレイズに次の首席大神官になれといっているのだ。 ……そりゃテレイズだって野心はある、将来的にはその地位を狙っていなかった訳じゃない。だが、ただでさえこの年齢で大神官の地位にいるだけで一部で相当妬まれているのに、主席大神官となれば反発する者が続出するのは目に見え過ぎていた。せめてもう少し実績と支持基盤を作ってからでないと、その役が務まるなんて自信家のテレイズでさえ思えない。 何度目になるのか知らないテレイズのため息を聞いて、主席大神官はテーブルにあったお茶を一口飲むと、今度は世間話でも振るように唐突な事を聞いてくる。 「時にフィラメッツ大神官、君はリパの主席大神官……いや、この三十月神教で、各神殿のトップになる人間に一番必要な条件はなんだと思うかね?」 その質問内容に内心首を傾げながらもテレイズは答える。 「それは……神に対する信心深さと……」 「逆だよ」 「え?」 言葉の途中て強く否定されてしまって、テレイズは思わず聞き返した。笑みを絶やさない老人はその柔和な顔のまま、テレイズが思ってもいなかった事を話しだした。 「逆なんだよ、主席大神官になる条件はね、神様を信じていない事なんだ」 流石にテレイズも返せる言葉がすぐには見つからなかった。さらりといった言葉のあまりの重大さに表情を作れずに顔が引きつる。 つまり、彼は言ったも同然なのだ、神はいないと。リパ神官のトップである彼が神を信じていないというのなら、そう取るしかない。 「それは……不味いでしょう、貴方が言ったら」 声はどうにか落ち着かせたものの、全身から冷たい汗が出てきているのが分る。 「神様を信じなくても信じる人々を尊び彼らを導く……それを責任をもって行える人物、というのが条件なんだよ。……どうだい、今いる大神官達の中で君以上に適任はいないだろう? 私は見る目はあると思うのだがね」 もういっそ冗談だと言ってくれれば楽なのだが、テレイズにはそれが真実なのだという事が分かってしまった。そして、少し頭が冷静に考えられるようになれば彼のいう通り、その条件なら自分が適任、という言葉も納得出来てしまった。 テレイズは頭を掻きむしりたい気分だったが、代わりに大きなため息をついてやけくそで返した。 「えぇ分かりました。つまり、主席大神官というのは、大神官になれる能力と責任感があって、ひねくれ者の不良神官じゃないと務まらない、という事でしょうか?」 なんだかもう嫌味でも返すしかなくてそう言えば、楽しそうに老人は笑う。 「そういうことさ、どう見たって私は神官としてはいい加減過ぎただろ? なにせ私の特技と言えば、君ら他の大神官を困らせる事だからね」 「えぇまぁ、貴方には随分振り回されましたが……それでも私は、貴方は真に尊敬するべき方だと思っていました」 「それは買いかぶりさね。ただ神様は信じてなくても……私は人が大好きなんだよ」 にこりと歳の割に無邪気に笑って見せる老人を見て、テレイズはやっと、どうしても彼にはいつも適わないと思ってしまうのかその理由が分かった。 なんだか、少し、ウィアに似ているのだ。 ウィアが歳を取って落ち着いたらこんな人物になる、というような。自分よりも大人びてしまったウィアというか……大人びた、というより老成した、といった方が正しいのだろうが。 なんだかもういろいろ負けた気がしてテレイズがため息と共に笑ってしまえば、老神官も一緒に声を出して笑う。けれど彼は暫く笑った後に笑う事を止めると、今度は逆に辛そうな声で呟いた。 「ただ……君にはとても辛い決断を迫る事になる。主席大神官でいる間は、君の肉親……弟君には会えなくなるという事だからね」 それは分かっている事であるから、テレイズは笑顔を崩す事なく彼に頭をさげた。 --------------------------------------------- 唐突な主席大神官さんですが、実は前にもちらっと出てます。 |