雪解けの街と静かな不安




  【9】



「な……ら、騎士の影響は? 剣の主となった時に、騎士の技能がセイネリアに備わった、という事があるのか?」

 セイネリアの強さが剣から与えられた騎士のものであるというならつまりそういう事なのだろうが思うが、彼の実感としてどのように感じるのか、少しでも詳しい事をシーグルは知りたかった。

「あぁ、そういうのはあるだろうな。魔剣の主と魔剣の中の魔法使いの意識は繋がるんだよ。あんただって魔剣の体験した記憶をまるで自分の記憶のように感じたり、知らない筈の事が『分って』しまったりってのがあったろ?」
「あぁ……確かに」

 言われれば確かに、たまに見た魔剣の夢はまるで自分の体験のように感じたし、シーグルは特に教えられた訳でもなく魔剣によって風をおこす事が出来るようになっていた。最近ではセイネリアのように『見える』とまではいかないが、ある程度魔力の気配を感じる事が出来るようにもなっていた。

「どうやらあんたの魔剣は随分慎重らしくて極力あんたに影響を与えないように自分を閉じてるみたいだが、自我が薄くなっていたり自分から表に出たがる奴の場合はな、もっと剣の主と同化というか……剣の主側からすれば気づけば当たり前に魔剣の魔法使いの知識があって魔法が使えるって状態になってるんだ」
「なら、セイネリアの場合は騎士とかなり同化している、という事だろうか」
「かもな。なにせ黒の剣がつくられたのは相当昔だし騎士の意識が薄くなってる可能性は高いだろ。そもそも理想の肉体で自分の技を使いたいってのが望みだったなら、向うからも同化したがってたろうからな」

 となればセイネリア自身の感覚としては、どこまでが自分の培ってきた部分でどこからが騎士から流れ込んできた部分なのかそれを認識する事も難しいのだろうか。戦って、相手を負かす事が出来ても、それが自分自身の力か騎士のものかさえ分からない……それは確かに気味が悪い……自分の得体が知れなくて信じられない、彼のような男からしたら相当に腹立たしい事だろうと思う。……そう、彼が絶望する程に。
 エルが前に言っていた、剣を手に入れる前と後では戦った時のセイネリアの印象が変わったと。だからシーグルもその時はそれが剣による影響の所為なのかとは思った。もしかしたら彼の強さが剣から与えられたものであるのかとも考えた。ただ同時に、その考えは間違いであって欲しいとも思っていた。彼の力は彼のものであり、誰にも文句のつけようがない、揺るぎない最強の男であって欲しいと願った。……それが酷く身勝手な願いだと今なら分かるが、それでもシーグルはそう願っていた、答えを知った今でさえまだそう願ってしまう程に、心の底ではまだ事実を受け止め切れていないのだ、実は。

『幻滅したか?』

 彼があの時そう聞いて来たのは、きっとシーグルが彼に理想の姿を重ねていたのを彼自身も知っていたからなのだろう。理想の騎士、最強の男として、ずっと憧れて羨んでいたシーグルの気持ちをセイネリアは知っていたのだろう。

「ところで、剣の影響というなら……あんたはあの男の顔を毎日見てて何か気付かないのか?」

 思考の中に沈みこんでいたシーグルは、そこで魔法使いにそう声を掛けられて驚いて返事を返した。

「何をだ?」
「何をって……だからほら、顔合わせてるとさ……」

 魔法使いはそこまで言って頭を掻く。
 そういえばセイネリアも剣の事を聞いた時、まず『何か気付いたことがあるか』と言っていたか、とそこでシーグルは思い出した。だがそれについてはセイネリアから答えを貰っていたし、そもそもその件に関してはいろいろあり過ぎて魔法使いがいいたい事がどれの事を言っているのかが分らなかった。
 金髪の魔法使いはやはりじっとこちらを見ていたが、すぐに視線を外して大きく息を付いた。

「……まぁいい、逆に見慣れてるから気づかないんだろうしな。どーせその内分かる、気にすんな」
「何だ、それは」
「今更って話ではあるし、俺が勝手に教えたらあの男が怒りそうだから黙っとく」

 言い方は気になるが、そう言われれば聞くなら魔法使いではなくセイネリアに聞くべきだろうとシーグルは思って、それ以上聞き返す事は止めた。

「まぁ他にどうしても聞きたい事がなけりゃ今回はこれくらいでいいかな。俺もちょっとこの間捕まえた連中の事でいろいろやる事があってな。あいつらのやろうとしていた事はトンでもないがやつらの研究はなかなか面白くてな……特に、黒の剣のことについてはあの男の事もあんたの事もちと変った方向から調べてた」
「それは……」

 思わず立ち上がりかけたシーグルだが、魔法使いに手で制される。

「ただ奴らの研究は仮定止まりばかりなんだよ、まだあんたに教えてやれる程調べがついてることはない。もうちょっと確定できるだけのデータが取れたらあんたにも教えてやるよ」
「そうか……頼む」

 あきらかにがっかりした様子を見せたシーグルに、魔法使いは苦笑する。

「何か分かったら呼んでやるよ、ただ俺もいろいろ契約があるからな、事によっちゃ先にあの男に言わないとならないかもしれない、そこは了解しといてくれ。……よし、んじゃそろそろ送るな、あぁ、あんたはいつでも用事があるなら呼びつけてくれていいからな。城の魔法使いなら誰に言ってもこっちに伝わる」

 言いながら立ち上がった魔法使いは、一度背伸びをするとここへ連れて来た時と同様、シーグルに向けて手を出してくる。それをシーグルが握れば、今度は即座に元の部屋に戻るのではなく、魔法使いはじっとこちらを見つめて言ってくる。

「それとな、騎士の魂が実は飲まれてないってのは俺以外には話さない方がいい。あの男に与えてる影響の事もな。……ギルドの方もいろいろあってな、まだそれは教えるべきじゃないと俺は思う」
「あぁ、分った」

 シーグルが返事を返すと同時に、先ほど待っていた城の部屋へと風景が変わる。
 魔法使いはそこで別れの言葉を告げると、すぐに目の前から姿を消した。

――手に入れた力に生きる意味を無くしてしまった……それこそが彼の絶望だった。

 だから彼は自分の強さを忌々しく思う。剣を憎む。
 けれども彼が剣を憎むのは、まだ彼が剣に屈していないからでもあるとも言える。彼の生きる意味を無くした剣を憎む事で彼は彼であろうとしている。エルが前に言っていた、剣を手に入れた後に剣をしまい込んで表に出なくなったというのは、彼自身の誇りに懸けて剣によるその力を使いたくなかったのだろうと理解出来る。剣を使わない事……それだけが彼が彼自身の為の存在である事を保つ……彼の誇りを守る方法だったのだろう。

 けれどセイネリアは、自分の為にならその剣をも使う事をシーグルは知っている。
 自分の為にならその誇りさえも捨てて剣を使うという事は、彼にとっての自分という存在がどれだけ重いかという事を示している。
 それを実感することに一瞬目眩を覚える程の恐怖を感じて……だがシーグルは自分を叱咤して背筋を伸ばす。

 恐れるな、彼に愛されて、彼を愛しているなら、きっと彼を救う事は自分にしか出来ない。








 北の要所として長く存在を示してきたバージステ砦。首都セニエティから帰ってきて一息ついたこの砦の責任者であるチュリアン卿は、現在、目の前で何かの魔法道具をせっせと磨いている魔法使いをじっと見つめていた。

「フィダンド様、やはり何か知ってるんじゃないんですか?」

 聞けば魔法使いは目をこちらに向けもせずに作業を続行したまま返してくる。

「し〜りませんよ、てかレッサーに秘密にするのは可哀想なのでギルドから何も聞いてきてませんよ〜」
「つまり俺に話せない何かが起こってはいるんですね」
「そりゃぁそうでしょう、今回の内乱では随分魔法ギルドが協力しましたからねぇ、魔法ギルド内部の事は一般人には秘密っていったじゃないですか」
「まぁ、確かにそれは聞きましたが……」

 うまくはぐらかされ、これはいくら聞いても無駄だろうと諦めたチュリアン卿は、仕方なく聞くのではなく勝手に話す事にした。人生経験が違い過ぎるこの魔法使いがなにか分かりやすい反応をみせてくれたりはしないだろうが、人が悩んでいるとちょっかいを掛けたくなるという悪いクセの持ち主だから、もしかしたら揶揄い半分で何かヒントになりそうな事を言ってくれるかもしれない。

「あのノウムネズの戦いの後シルバスピナ卿を助けたという、レイリース・リッパーという人物に会ってきました」
「ほうほう」
「匿っている間シルバスピナ卿から剣の指南を受けたと聞いてましたから、どんな人物かと興味があったんですよ」
「なるほど、それでどうでした」
「背格好がほぼシルバスピナ卿と同じでしたね。所作だけでもかなりの腕だとは思いましたし、端々にとても平民の出とは思えない洗練された空気を持ってる人物でした」
「ほほーそれはそれは」

 いかにも気のない相槌を打ちながら、相変わらず楽しそうに道具を磨いたり眺めたりしている魔法使いは完全に無視を決め込む気だろう。一応長い付き合いであるから、どうにかなりそうかそうでないかくらいは分かる。

「……そういえばあの将軍閣下の側近という事なのに、その時の彼は主の傍にいなかったんですよ。お蔭でかなり探してしまいました。……ただの外の警備でしたから、わざわざ主の傍を離れてまでって仕事ではないと思うのですけどね」

 言いながら最後にちらと師匠とも呼んでいる魔法使いを見れば、彼は相変わらず目をこちらに向けはしなかったものの口だけは動いて返事をくれる。

「まるで、その時の将軍殿の傍にいるのがまずかったから外に出されてたみたい、ですか?」

 口調は先ほどまでと全く変わっていないものの流すには意味深な言葉に、チュリアン卿は彼に体毎向き直った。

「あの時の将軍閣下は客人の見送りをしていたんですよ。……多分、客人にはかつてのシルバスピナ卿を知る者も多かったでしょうし、摂政殿下が傍にいたから……」
「で? 貴方は結局、そのレイリース・リッパーが実はシルバスピナ卿ではないか、と言いたい訳ですか?」

 やっと作業の手を止めてこちらを向いてくれた魔法使いに、思わずチュリアン卿は身を乗り出した。

「……そうなんですか?」

 そうすれば嫌味な程に魔法使いはにっこりと満面の笑みを返してくれる。

「さぁ、どうなんでしょうね?」

 騎士団の勇者と呼ばれた騎士は、そこでがっくりと頭を落とした。
 教えてくれるとは思っていなくても、期待させてから落としてくるあたりやはり意地が悪い。そのままテーブルにつっぷしてため息をついて、やっぱりまた作業を始めた魔法使いを恨みがましく見つめる。

「俺は……彼が死んだなんて信じたくないんですよ。彼は若くとも貴族騎士としては稀有な程素晴らしい人物だった。彼がいれば腐った騎士団はもっと良くなると……」
「それなら叶ったじゃないですか、セイネリア・クロッセスが軍部のトップになった事で、きっと騎士団は貴方が望んでいた方向へずぅっと良くなっていくと思いますけどね」

 またこちらを見ずに返された言葉は、だがあまりにも意外過ぎて……というよりも長年師匠と呼んでいた彼の言葉として信じられなくて、チュリアン卿は驚いて顔を上げた。

「それは……確かに結果だけで言うなら、そう……なるかもしれませんが。だがそれと彼の死は別でしょう、彼の死は……」
「どうでしょうね? アルスオード・シルバスピナが生きてたとしても、騎士団の改革にはとても時間が掛かったでしょうし、しかもその改革だって多少は良くなる程度のものだったかもしれませんよ。その点セイネリア・クロッセスは確実に根本からひっくり返して完全な改革をしてくれると思いますが」
「なんだかそれじゃ……まるでシルバスピナ卿が生きているより今の方が良かったと言っているみたいじゃないですか」

 まさか本気で言ってるのではないだろうと思いながらも、魔法使いの口調は昔からの自分を諭す時のそれで、チュリアン卿は不安になる。否定してもらいたくて縋るように彼をじっと見つめても、魔法使いはこちらを見る事も表情を変える事もない。

「まぁあくまで改革を望むなら、という面から見た場合の話ですよ。よくもわるくもシルバスピナ卿の死がなければ反乱は起こらず、あの愚かな王は国中をギスギスとさせながらも王様でいられたかもしれません。なにせクリュースは国としてシステムが出来上がっていましたからね、多少だめな王様が出て上が騒いでも割と国としてはどうにかなってしまったでしょう」

 チュリアン卿も師でもある魔法使いの言葉を分らない訳ではないのだ、確かに彼の言う事も見方によっては正しいと分かっている。ただ……どうしても、アルスオード・シルバスピナの死を肯定的に考えたくなかった。それは理論も何もなく、ただの自分個人の気持ちの問題だとは分かっていた。

「まるで……彼の犠牲でこの国が生まれ変わったのだとでもいうような言い方ですね。俺は貴方のような深い思慮もない馬鹿者ですから、いくら結果がよくても彼の犠牲を喜ぶ気にはなれません。……ただ彼には生きていて欲しかった、彼の死に関して俺が思うのはそれだけです」

 公人としても私人としても、チュリアン卿は彼という人間が好きだった。彼のような人間には幸福になって貰いたかった、彼と協力して騎士団の未来を良い方向に変えて行きたかった。
 涙ぐみながらも訴えたチュリアン卿は、テーブルの上で拳を握り締めた。

「でしょうね、レッサーならそう言うだろうと思いました。だから、真実を知りたいなら私に聞くのではなく自分で答えを見つけなさい」

 チュリアン卿が顔を上げれば、見た目以上にずっと歳を重ねている魔法使いは、その年齢を思わせるどこか遠い瞳で苦笑をしていた。



---------------------------------------------


 この師弟自体はそこまで重要キャラではないのですが、師匠はいろいろな人と関わってるややこしい人ではあります。




Back   Next


Menu   Top