【9】 広場の真ん中には大きな台が置かれ、そこでは魔法の青白い大きな火が燃えていた。次々とやってくる人々がその周りに花を置き、台から離れて周囲に人の輪を作っていく。シーグルは自ら希望して人々の列に並んで花を置き、それから台の傍にいるセイネリアの元に帰って来た。 「この花はここに置くのか?」 傍に積み上げてある大量の花を見てシーグルが聞いてきたから、セイネリアは僅かに笑みを漏らした。 「あぁ、これは鐘が鳴り終わってからばら撒くんだ」 「ばら撒く?」 「集まった連中に向けてばら撒くのさ、お前も手伝え」 「人に向けて投げる……のか」 「だからそう言ったじゃないか」 恐らく彼は積み上げている花の上に投げて積み上げるつもりだとでも思っていたのだろう。そう思っていそうなのは馬車の中から気が付いていたが、セイネリアはあえてそこでは詳しく話さなかった。彼をまた驚かせようという意図と……それよりキスをしたかったという理由の所為だが。 人々の列は終わる事なく、皆が花を置いていく。 悲しみ、涙さえ見せる人々の姿を、シーグルはただじっとセイネリアの横にいて見ていた。その彼らしい背筋を綺麗に伸ばした立ち姿からは、彼が辛いのをどうにか必死に耐えているとまでは思えなかった。彼がその光景に普通に耐えられるようになったというだけで、彼はまた強くなったのだろう。 セイネリアは彼から目を離し、広場の周囲を見渡した。 シーグルには聖夜祭の時と同じく、魔法使いが警備をしている、と予め説明してあるからわざわざ疑問を口にしてこないのだろうが、これだけの人々がいる規模を考えれば見えるところにいる警備兵の数はかなり少ない。 勿論、シーグルに言った通り、魔法使い達はそれなりの人数が事態に備えて待機している。 そして当然、セイネリアがここにいる段階で余程の馬鹿でもなければ何か起こしてどうにか出来るなんて思わない。 けれど、もうどうにも行き場がなくなって、後は殺されるのを待つしかないとそこまで追い込まれている人間なら別だ。 どうせ殺されるなら、出来るだけ殺そうとする連中にダメージを与えたい。最後に『ザマアミロ』と唾のひとつでも投げつけてから死にたい……そう考えるのが人間の心理というものだ。特に、自分はもっと評価されるべきだった、上の地位を得られるだけの人間だったと思い込んでいた者ならそう考える。自分を貶めた者を憎み、最後の復讐をと考えるだろう。 静かに並んで花を置く人々の群から、にわかにざわめきが起こった。 同時に、セイネリアが認識していた魔法使いが数人姿を消す。飾り程度に置いていた兵士達が動き出す。 「騙されるなっ、死んでないっ、アルスオード・シルバスピナは処刑などされていないっ」 人々の群が悲鳴を上げながら割れていけば、一人の男がゆっくりとセイネリアの方に向かって歩いてくる。一歩づつ、力ない足取りでよろけながら歩いてくる男はボロボロではあるが元はいい生地だったと思われる服装をしていて、けれどそれがぶかぶかになる程やせ細り、ぼさぼさに伸びた髪と無精髭で顔が隠れていたが――確かにそれはリーズガン・イシュティトであった。 「俺はリオロッツに仕えていた、リーズガン・イシュティトだ。だから俺は知ってる、ここで処刑されたのはアルスオード・シルバスピナではないっ」 剣を振り上げ、リーズガンはこちらに向かってこようとする。兵士達が走っていくが丁度遠い場所にいた彼らが押さえるにはもう少し時間が掛かる……そうなるようにセイネリアが配置していたからだ。 セイネリアはシーグルが剣を抜いたのを気配で感じ、手でそれを制した。 近づいてくる男をじっと見つめ、それからゆっくりと自分の腰の剣を抜く。皆がそれでセイネリア自身があの無礼な男を斬るのかと思った瞬間、一際大きく台上の炎が膨れ上がる。 そうして……人々の目がそちらへ向けられれば、そこには馬上で槍を構えた銀色の騎士の姿があった。 「あれは……」 広場にざわめきが走る。けれどそれはリーズガンが現れた時とはまったく別の意味の声で、その姿を見て言葉を詰まらせる人々は涙さえ流し出した。 銀色の騎馬が走り出す。 馬上の騎士は槍を構えて体勢を低くし、馬の脚は加速していく。その直線上には騎馬の姿を呆然と見つめて立ち尽くすリーズガンがいた。 「何故だ、何故、うわぁぁああっ」 かつては権力者に取り入り、策謀という才能で参謀部長にまでなった男は、その騎馬が自分の上を駆け抜けたと同時に悲鳴を上げて倒れ込んだ。同時に、銀色の騎馬は空気に溶けるように姿を消す。広場の石畳に赤い血溜りが広がってゆく。ぴくりとも動かなくなったリーズガンの姿に、人々は彼が絶命した事を知った。 だが、男の死を誰も悼もうとはしない。 それどころか、人々は歓喜の声を上げ、高らかに叫び出す。 「シルバスピナ卿だっ」 「あぁ、あれは確かにシルバスピナ卿だ。あの鎧の紋章、間違いない」 「シルバスピナ卿の魂が、リオロッツの手下に罰を与えに来たんだ」 「リーズガンって奴なら知ってる、酷い奴だって騎士団の連中から聞いた事がある」 人々が熱狂する中、丁度時間になったのか大聖堂から鐘の音が聞こえてくる。 セイネリアは傍に積んである花を両手一杯に掴みあげると、それを人々に向けて放り投げた。人々の歓喜の声がさらに大きくなる。撒かれた花を笑顔と共に人々が受け取り、拾い上げる。 「後で説明してやる、今は花を撒くのを手伝え」 ただ棒立ちになっていたシーグルに向かってセイネリアが言えば、ワンテンポ遅れて彼も花を放り投げだす。 「……悪趣味だ」 聞こえた呟きには苦笑して。きっと憮然とした顔をしている彼に、どう謝るべきかと考えながら、セイネリアは熱狂する人々に向けて花を投げた。 シーグルは知らない事だが、最初の彼の命日の日、終始暗い顔をする人々に向けてセイネリアは少し苛立ちを覚えた。こうしていつまでも辛気臭く嘆く者がいるからあいつが落ち込むんだ、と忌々しく思ったセイネリアは、だから本来広場に捧げるつもりで持って来た花を人々に向けて投げてみた。そして言ったのだ、これはシルバスピナ卿からの花だ、彼はお前達がいつまでも嘆く事など望んではいない、と。だから彼らはその花を拾って帰る、笑顔と共にアルスオード・シルバスピナの名を呟きながら。 その光景をいつかシーグルに見せてやりたいとセイネリアは思っていたのだが……今回この計画と重なってしまったのは少しばかり残念ではあった。 リーズガンが首都にいる、更にはシーグルが生きているという噂話をあちこちに流しているらしいとその情報を手に入れたセイネリアは考えた。彼をさっさと確実に始末する方法と、その噂話を否定する方法を。そうして今回の計画を思いついたのだ。 「あれは、前にチュリアン卿が月の勇者の願いとして俺と試合をしたいと望んだ時の、その時の試合の俺だな」 帰りの馬車に乗ってすぐにそう言ってきたシーグルに、セイネリアは肩を竦めてみせた。 「流石に分かるか。そうだ、この広場に残る記憶の、あの時のお前の姿だけを幻術で再現した」 「……キールか?」 「そうだ」 彼は大きく息を吐いた。 シーグルが騎士団にいた頃、この聖夜祭の競技会の優勝者は毎年チュリアン卿というのがお約束だった。なにせその頃は貴族騎士しか出場資格がなかったのだからマトモな騎士が居ない中でその結果は当然過ぎた。ロクな敵が居らずそれを不満に思っていたチュリアン卿は、だから優勝者の褒美として望みを聞かれた時、観客席にいたシーグルと戦いたいと言ったのだ。 それで急遽、チュリアン卿とシーグルの槍試合があの中央広場で行われる事になった訳だが――セイネリアはその時のシーグルの姿だけをキールに命じて再現させたのだ。 「警備兵の配置が不自然だったのはその所為か」 「あぁ、あそこにリーズガンが来てくれないとならなかったからな。だが実際魔法使い連中が待機していたというのも本当だ」 「お前が剣を抜いたのが合図か?」 「魔法使い共へな、始めろという合図だ」 「リーズガンを殺したのは魔法か」 「魔法は補助だ、目くらましをさせただけで実行は暗殺者を使ってる」 魔法使いは直接魔法で一般人を殺す事は禁止されている――だから実行自体はリーズガンを見つけ次第殺せとカリンを通して以前から依頼していたボーセリング卿の手下、いわゆるボーセリングの犬に任せた。これには魔法使い側の事情だけでなく向うの面子を立たせる意味もあった。 「何故あんな殺し方を……」 「あれならお前は死んだと人々に印象付ける事が出来るだろ?」 それでシーグルはまたため息と共に黙った。流石に彼もリーズガンを殺さない方法はなかったのかとは言いださなかったが、あの死に方には同情をせずにいられなかったのだろう。その死を人々の歓喜の声で迎えられるなんて、惨めさではかなりのモノだ。 セイネリアは昔から思っていた。どんな地位や財を手に入れようと死ねば全て同じだと。だから人々の賞賛も、地位も財も、セイネリアにとってそこまで魅力的なモノではなかった。だが、死ねば全て終わりとはいえ、死んで喜ばれる人間というのは惨めだ。それはその人間の生、その存在全てを否定されるに等しい。 だからセイネリアはその存在自体を否定したいと思った人間は『殺される事で喜ばれる』惨めな死を与えてやる事が多かった。ただ今回に関しては……シーグルの見ている前で、というのは不本意だったのだが。 「すまなかった」 仮面を取ってそう言えば、シーグルが俯いていたその顔を上げてこちらを見てくる。 「何故謝る」 「死者扱いとは言ってもお前が殺した事にした」 「……そんな事に怒ってはいない」 あぁ、それは俺が自分で気に入らない事だ――苦笑するセイネリアも、本当は彼が怒るその理由を分かっていた。 「お前に何も言わずに今回の件を進めた」 「……本当に悪いと思っているか?」 恐らく睨んでいるだろう顔をこちらに向けてくる彼の、その兜をセイネリアは外す。そうすれば予想通り睨んでくる濃い青の瞳と目があって、セイネリアはじっとその目を見て謝った。 「本当はお前にも事前に言っておくべきだったのは分かってる。だから言わなかった俺が悪い。すまない、今回限りだ」 「これからも約束を破る度に、今回だけだと言う気じゃないだろうな」 「それはない、あの男は……何があっても早く始末をつけたかった、それをお前に……反対されたくなかった」 シーグルはそのきつい瞳で睨み付けてくる。だが、そこから僅かに眉を寄せて、ため息をつくと表情を崩した。 「俺だって、立場的にお前が考える政策や計画を漏れなく全部教えろというのは無理だというのは分かっている。だが少なくとも……今回のように俺にも関係する事の場合は知らせて欲しかった、今回の件は……俺だけ蚊帳の外のようで正直悔しい、お前に信頼されていないのだと思えて悲しかった」 「お前の事を信頼していない訳じゃない」 「あぁ分ってるさ、お前は俺がリーズガンに同情してるのを見て黙ってる事にしたんだろ。後は大方、俺に奴を殺す手伝いを直接はさせたくなかった」 そこまで言うとシーグルは、更に眉を寄せてセイネリアの顔、眉間に向けて指さした。 「いっておくが、俺はお前が思う程お綺麗な人間じゃない。確かに甘い自覚はあるが、すべき時にまで綺麗ごとを並べる愚かさは分かっているつもりだ。自分の手を汚す事よりも……汚れ仕事を全部お前に任せて自分だけ大事にされるほうが嫌だ、俺はお前と良い事も悪い事も共有して行きたいと思ってる、お前はそのつもりじゃないのか?」 感情に震えた声は後半少し涙声になって、だからセイネリアもなんだか泣きたい気分になる。涙は出はしなくても、何故か感情が高ぶる。その感覚が抑えきれなくて、セイネリアは目の前の愛しい青年に手を伸ばしてその頬に触れた。 「すまない……」 「うるさい、お前は謝ればなんでも済むとでも思ってるのか」 彼が怒るのは最初から分っていた。それでも彼にはこの機会に言っておかなくてはならないことがあった。 「すまない……だがお前の言う通り、俺はお前に出来るだけ汚い仕事はさせたくないと思っている。だから今後もお前にはその手の仕事には極力関わらせたくない。それが俺の本心だ」 「おいっ、それじゃ結局何も変わらないだろ」 「それでも、これは俺も引く気はない」 シーグルの瞳は益々険しくなってこちらを睨んでくる。それでもまだ、彼は頬にあるこちらの手を叩き落とそうとはしなかった。 「シーグル、お前は俺と見えるものが違う。例えばあの男にさえ同情する……俺にはまったく理解出来ないそれは考え方の根本的な部分が違うからだ。俺と全く考え方が違う所為で俺には見えないものがお前には見える、お前のそういう部分を失いたくない」 「……お前と同じ仕事をすれば、俺もお前と同じ視界になると言いたいのか」 「全く同じにはならないだろうが、近づくだろうな。そうして今見えているものが見えなくなる。俺は、お前には俺の見えない視点でモノを見て俺を抑えて欲しいんだ」 それにはシーグルの瞳の怒りも少しづつ薄れて行くものの……それでも彼は諦めたようにため息をつくと一言、ずるいな、と言った。 セイネリアは苦笑する、ずるいとわれるのも分っていて言ったことだ。こういえば彼は頭ごなしに否定できないだろうと分かっていた。けれどこれも本心な事は確かだった。彼には自分にない部分を補って貰いたい、そういう部分で彼を頼りたいという――セイネリアとしてはただ彼を守りたいというだけでなく彼に背を預けるつもりで言った言葉でもあった。 「俺とお前はやれる事が違う、だからすべき役目も違うというのは理解して欲しい。だが……今回は俺が悪いのは分かっている。今後はちゃんとお前に事前に相談する、話して、お前の意見も聞く、それではだめか?」 言えばシーグルはまた大きくため息をついて、低い、怒った声で聞き返してくる。 「……本当だな」 「あぁ」 「次に約束を破ったら、俺の部屋に来ても追い出すからな」 それには自然と笑ってしまって、セイネリアはもう片方の手も伸ばして彼の体を抱き寄せた。 「それは困る……分った、すまなかった」 そのままキスをしようとすれば、寸前までシーグルは濃い青の瞳で睨み付けてきて……それでも拒絶はしなかった。 --------------------------------------------- リーズガン、やっとこさ最期でした。 |