【1】 元ヴィド家領地であるロスティール地方。首都から少し離れてはいてもかつてあのヴィド卿が生きていた時代は、広大なぶどう園が広がる南部によって葡萄酒の生産がその財力を支え、中心となる街クォンクスの周辺は貴族達に人気の別荘地だった。街の何処かで毎日のように貴族のパーティが催され、彼らを目当ての高級品の商人達が集まって街を彩る、そんな華やかな街として国内でも有名だった。 だがヴィド卿が自害し、政敵の推したリオロッツが王になった途端のその没落ぶりは目を覆う程で、豊かな財力はまだしも、街からは活気がなくなって明らかに人が減ったのが分る程の有様になっていた。 一時期は治安維持さえ危ぶまれた頃もあったが、ロージェンティが摂政になった事でその辺りは改善され、現在のクォンクスは割合小奇麗な建物が多い田舎町、という風情が漂っていた。 ロージェンティの母親がいる館はクォンクスにある元領主の館で、ここ数年は外にも出ずに館に篭り切りだったらしい。かろうじて庭を散歩するくらいは日課としていたようだが、最近はその時にいつも傍に仕えていた男がいた――どうやらそれがリーズガンらしい――という話を迎えの馬車の中でセイネリアは聞いた。……さすがに魔法使いの転送で館に直接行く訳にはいかず、クォンクスの近くの森まで行ってそこに迎えを呼んで置いたのだが、おかげで現地の事情を知る事が出来たというメリットはあった。 ヴィド家の館は、大きさだけでいうならそれは大層立派ではあった。ただ、没落した貴族の館らしくその後の手入れがしきれていないのがよくわかる状態でもあり、近くで見た印象は一言でいえばボロ屋敷といっても差し支えはなかった。ところどころにある破損箇所や色あせた壁絵、埃が積もったランプ台などがそう見えさせているのは仕方ないが、門から屋敷までつづく庭だけはきちんと手入れがされてあり、どうやら庭師だけはちゃんと働いているらしいとセイネリアは思った。 「将軍様にはこんなボロ屋敷をお見せして恥ずかしい限りでございますが、ここは何分無駄に広すぎて、使い切れない場所を放っておいたらすっかり荒れてしまったのです」 そう言って苦労の所為か実際の歳以上に見える夫人は、それでもかつての大貴族らしく美しい姿勢と礼でセイネリアを迎えた。通された部屋は今でも使っているらしくきちんと清掃されていて、元が元であるから確かに立派な部屋であると言えた。 「俺に気を使う必要はない、俺も気を使わないからな。……そういう人間だと、貴女の娘から聞いていないか?」 「……聞いていますわ」 そうすれば彼女は少し含みのある顔でにこりと笑う。 「なら、さっさと本題に入ろう。リーズガンがここにいたのは本当か?」 「えぇ、本当ですわ」 「なら現在、どこにいるか知っているか?」 「いいえ、知りません」 「どの方面に逃げたか知っているか? もしくは行先について心当たりは?」 「いえ、何も聞いていませんし、あの者の行きそうな場所も知りませんわ。迎えに来た魔法使いと共に消えたのでどこへいったかもまるでわかりません」 やはりな、と内心呟いてセイネリアは考える。リーズガンには魔法使いの協力者がいる――それが確定したというだけの話だ。ただそれが過激派の連中だとすれば、次から次へと自分に都合の良い相手に取り入るのだけはうまい男だと感心する。 「私は彼を匿い、そして逃がしました。今回はどんな罰でも受けるつもりです」 いかにも覚悟は出来ているという態度は立派と言えば立派だが、今回の件に関してはセイネリアとしては『面倒な女だ』という感想しかない。 「別に罰する気はない。あの男の存在自体を公にする気がないからな。ただ今後貴女を利用する輩が出ると面倒だからな、ここを引き払って城に来てもらう事になるが」 「つまり、面倒をおこされると困るから城において見張っておくという事ですのね」 「そんな意図はない。そこまでマークする程貴女に利用価値はない。だが貴女に何かあった時に見殺すような事態にはしたくないだけだ」 ロージェンティはよく出来た女だ、息子の為なら実の母親でさえ切り捨てられる。そしてもしそんな事になれば、彼女にそうさせてしまった事をシーグルが悲しむだろう。まったく甘いと思いながらも、その程度の事で彼にまた苦しみの種を与えたくはないとセイネリアは思う。 「私の身を案じてですか? 貴方らしくない発言ですね」 「あぁそうだろう、俺自身は貴女がどうなっても構わんからな。まぁ、田舎で意地を張って一人で引き篭っているより、可愛い孫の成長でも見ていた方が生きる張り合いになると思うぞ」 そこで初めて高位貴族の夫人らしく悠然とした態度を取っていた女の顔に素の表情が出る。 「シグネット……いえ、国王陛下は大きくおなりになられましたか?」 「あぁ、やんちゃでよくしゃべる。だが優しい……父親に似て」 夫人はそれに思わずくすりと笑う。 「確かに、あの方に似ているのでしたらそれはとても優しいのでしょうね、彼は本当に旧貴族とは思えない程に裏表のない優しくて立派な青年でした。あのロージェが褒める言葉しか使わない程に」 そこで彼女がシーグルの事を好ましく思っていた事を知って、セイネリアも少しだけ彼女に対する意識を変える。我ながら単純だと思うものの、シーグルに対して本心から好意的な人間は大抵信用出来る、というのは一応経験的に間違ってもいない事ではあった。 それに彼女のその口ぶりとその後の悲しそうな顔からすれば、リーズガンは彼女にシーグルが生きているという事を言っていないと判断していいと考えられた。世話になった恩としてか、あの男も彼女を必要以上巻き込むのは避けたのかもしれない。 僅かに涙ぐんだ後、夫人は背筋を正して毅然とした態度でセイネリアに向き合った。 「首都へ行くのは構いません。ですが、出来れば城住まいは避けられませんでしょうか。……あそこには戻りたくない事情があるのです」 ――そういえばこの女は元王族だったか。 彼女の事情までは知らないものの、城が嫌だというのならロージェンティがいくら呼んでもこんな田舎に篭っていたままだったというのも分かるというものだ。 「ならいっそ、首都ではなくリシェはどうだ。狭くていいならシルバスピナの屋敷の一角にある離れを使ってもいいし、商人の屋敷を買い取ってもいい」 「狭いのは構いませんが、シルバスピナ家に迷惑を掛ける訳にはまいりませんわ」 「今では身内だ、それに多分、向うも喜んで受け入れると思うぞ。ここに比べて建物に飾り気はないが敷地はあるからな、離れの周囲は貴女の好きなようにさせてくれるだろう。気に入りの木や花があるなら多少ならここから向うにもっていってもいい」 そこで彼女は本心から嬉しそうに笑って、セイネリアに向けて軽く礼を取る。 「お気遣いありがとうございます、将軍様。今の私が庭を見る事だけが楽しみなのを知ってらしたのでしょうか、確かにリシェは良いかもしれませんね」 そこまで話をして、セイネリアは椅子から立ち上がった。彼女に対する説得はこれで終わりとして、本題はここからという訳だ。 「なら、移動の準備はしてもらうとして、リーズガンがここに滞在していた時に使っていた部屋があるなら案内してくれないか。手がかりは自分で探す性分なんでな、貴女の準備の間に調べさせてもらう」 分かりました、と答えた夫人もまた立ち上がってすぐに部屋の外へと向かった。 「あれは、センセじゃないか?」 エルの隣でキールの術を見ていたネデが呟いた事で、皆の視線が彼に集まる。 「センセって?」 「ほら、レジーナ先生さ、話したろ、最近人気の医者のセンセって。その……あの坊やの前で話してる奴の方がな」 「そういや魔法使い……って言ってたか」 キールの幻術が映すかつてこの部屋で起こった出来事……そこでは、部屋の中にいるシーグルのもとに二人の魔法使いがやってきて話しかけていた。 『余計な抵抗などしないで貰えるかね? それは無駄だというくらい君もわかっていると思うのだがね』 そこまでの歳ではないのに、ふてぶてしくやけに気に障る笑みを浮かべるその『レジーナ先生』の顔に、エルは見た瞬間から生理的な嫌悪感を覚えた。だからエルは思い切り顔を顰めて呟いた。 「いかにもな悪人面だな、こんなのが先生って言われて人気だって?」 「いや普段はさ……いつでも笑ってるんだよ、にこにことさ。結構ハンサムだって言われてんだが……」 「はん、そういう奴程腹黒くてクセ者ってのはお約束なんだよ」 幻術のシーグルは魔法使い相手に睨んだまま、抵抗をするのは止めたようだった。そうすればもう一人の魔法使いが前に出てシーグルに向けてお辞儀をする。 『シルバスピナ卿、私がずっと貴方を殺そうとしていた者です。ですがご安心ください、今回は貴方を殺す気はありませんから』 つまり、シーグルを攫ったのは魔法使いの過激派で確定な訳だ――エルは青い顔のままごくりと喉を鳴らした。 ヴィド家の屋敷は呆れる程大きく、広い。その中で匿う事を目的にした男を置く部屋となればそれは目立たない奥の部屋になるのは当然といえば当然で、最初にいた客間からそこまではそれなりに歩かなくてはならなかった。 勿論セイネリアとしてはその程度を歩く事など苦でもなかったが、毅然として前を歩いていた女もさすがに途中からは息を切らしていたくらいだ。 「ここがあの男に与えていた部屋ですわ」 ただし部屋に入ってからは、来ただけの価値はあったようだとセイネリアは思った。予想通り急いで身一つに近い状態で逃げたらしく、部屋の中はさほど整理もされておらず私物は残ったままだった。これなら何か手がかりがあるかもしれない……セイネリアはそう思った。 「私は首都に行く準備を致しますので、ここはお好きなように調べて下さいませ」 「あぁ、そうさせてもらう」 確かに部屋の中には魔法の気配があちこちに残っていた。恐らく魔法使いが何度もここに訪れていたとみて間違いないだろう。なんなら長く使っていたようなものを持ち帰って、あの吟遊詩人にでも『見』させてもいい。モノの記憶が読めるあの男なら、少なくともリーズガンが今どういうつもりでいるかくらいは分かるだろうとセイネリアは考えた。 夫人が部屋をあとにするのを音と気配だけで察しながら、セイネリアの意識は部屋の中へと向いていた。身分的にはあり得ないが、そもそも自分の身の安全を気にする必要がないセイネリアは今回は供もつれてきていなかった。一人の方が身軽であるし、いざという時に足手まといがいたほうが面倒だ――それが今回は裏目に出た。 何か周囲で魔法が動く気配を感じて、セイネリアはすぐ後ろを振り返った。 そこには確かについ先ほど夫人が出て行った扉があったが、何かが違うとセイネリアは思う。念のため扉を開けてみたセイネリアは、途端に自分の失態を知って舌打ちをする事になった。 「……やられたな」 扉を開けた時の風景が前と違う。部屋の外は元から廊下だが、今は窓さえなく、延々と廊下が続いている。どうやら部屋毎移動させられたようだと思えば、自分のまぬけさ加減に怒るしかなかった。セイネリア自身には魔法は効かない……だが直接ではなく間接的な、部屋への魔法なら発動できる。城のしかけ部屋のように中に入ったものを何処かへ飛ばすような魔法ならば効かないが、部屋それ自体を移動させるなら可能だった。部屋の中に魔法の気配があちこちに残っていたのも、部屋自体を覆う魔法の気配を隠す為であったのだと思われた。 「おいっ、魔法使い共っ、聞こえるかっ」 試しに呼んでみるが誰かがくる気配はない。魔法ギルドはいつでもセイネリアを『見て』いる筈であるから、ここは彼らが感知できない場所であると考えられた。ならばと今度は黒の剣を呼んでみれば、それは少しの間を置いてセイネリアの手に現れる。 けれども、それで周囲を吹き飛ばしてしまおうとした直後、セイネリアはその手を止める事になった。 --------------------------------------------- セイネリアは本人気付いてないだけで実は結構内面のガタガタが思考と行動に影響出てます。 |