絶望と失望の火




  【7】



 感じる暖かさに、なんだろう、とシーグルは考える。
 死はもっと冷たくて恐ろしいものだと思っていたのに、今のシーグルは何故か暖かさを感じていた。とても優しい気配、見守ってくれている感覚、覚えがあるそれはなんだろうと考えて――魔剣の中の魔法使いの気配だと理解した。
 魔剣に認められてから今まで、彼の気配をいつでも心の片隅で感じていた。
 けれど今は、体が包まれているように全身……いや心一杯に彼の気配を感じる。

『それは今、君の魂を私が覆っているからだよ』

 声が聞こえれば彼の姿が見える。それは確かにいつも見える彼だと思えるのに――明らかに顔がはっきりとしているのが分る。優しそうな笑みを浮かべる初老の男の瞳は少し垂れていて、どこか飄々としたところはキールに少し似ているかもしれないと思った。

『そうだね、前と少し顔が変わって見えるかもしれない、だけどこちらが生前の私の姿だよ』

 そういえば彼は言っていた、名前を聞いたから自分の事を思い出したと。ウィアから聞いた名――ノーディランというのが本当に彼の名だったのだろうか。

『あぁそうさ。名というのは重要でね、こうして魂だけになってしまった者の場合は自分を認識するキーワードのような役割をする。だから剣に入る前に自分の名を剣に彫っておく者もいるんだ』

 なら何故この魔法使いはそうしなかったのだろう、と思えば魔法使いは苦笑する。

『成功して本当に魔剣になれるか分からなかったからね。魔剣に入るには実は適正も必要なんだ、私は事前に調べてもらった時に適合率は6割といわれてね、多分だからこそ記憶も自我も最初から薄かったのかもしれない』

 6割が低いとなると、適合率はもっと高い方が普通なのだろうか。

『そうだね、普通、魔法使いならまず大抵は9割以上と言われるんだ。ただたまに1,2割の適合率しかない魔剣にはなれないと言われる者もいるんだけどね。私のような半端な者は逆に一番珍しくて……と、こんな事を話している時間はないんだ、魔法使いの事に関しての事ならもう今の君は殆ど分ってしまっている筈だ、だから後で自分の記憶に問えばいい。今は、君への礼とお別れの言葉を告げなくちゃならないからね』

 それはどういう事なのか――分らなくてシーグルが困惑していれば、魔法使いは笑ってその手を広げるとシーグルを緩く抱きしめた。

『礼は――そうだね、君の魔剣となれてとても楽しかった。もう意識も殆どなかった私が君の魔剣となった事で魔力を貰って自我を取り戻す事が出来た。見たかった今のこの国を見る事が出来た。更には名前を教えて貰って自分の記憶も取り戻せた。全部思い出したんだ……大好きだった人達の事も、魔剣になろうと決心したその時の事も』

 そういって笑った魔法使いはとても清々しい笑みを浮かべていて、シーグルを片腕で抱きしめたまま、優しく頭を撫でてくれた。

『軍に所属していた時代はね、大変だったけどとても楽しかった。兵士達は皆私に感謝してくれて、こっそり差し入れをくれたり、行軍中に疲れていると交代で背負ってくれたり、偉い騎士様も馬から降りて代わりに乗せてくれたりしてね。だからそんな彼らを助けられず死なせてしまうと辛かった。でも泣いていると他の兵士達が弔いの酒盛りに誘ってくれてね――皆言うんだ、この国は絶対良い国になる、魔法使いは自分達より長生きだから代わりにそれを見届けて欲しい、自分の子供達が立派に育つのを見届けて欲しいって……だから私は魔剣に入ってこの国の行く末を見届けようと思ったんだ』

 この魔法使いの生きていた時代、まだクリュースは他国と頻繁に戦争をしていて、今のように大国としての地位を確率してはいなかった。その頃の事を調べれば、勿論国はまだ豊かではなかったから兵士達の装備は貧弱で、それでも魔法使いが矢を防いでくれたから士気は高く、迷いなく敵に突っ込んで行く勇敢な兵士ばかりだったと書物には書かれていた。
 どんな相手だろうと、魔法使いが自分達を矢から守ってくれて、味方の矢は遠くまで飛ばしてくれる。まだ今程教育が行き届いていない時代、従軍魔法使いは兵士達の守り神のような存在だったのではないだろうか。

『私は彼らが大好きだった、一人で研究だけをして暮らすより、そうして彼らを守る仕事のほうが何十倍もやりがいがあった。でも彼らを守りたかったという思いは残っていても彼らの顔もどんなやりとりがあったも皆忘れていたんだよ。だから……こうして最後に彼らの顔を思い出して逝ける事が嬉しくてね、君にはいくら礼をいっても言い切れない』

 そこでシーグルは、魔法使いが最初から『別れ』を告げたいとも言っていた事を思い出した。すると魔法使いは笑みを消して、シーグルを抱いていた腕を離して正面から顔を見つめてきた。

『そうだね、ではここからは大事な話だ。サテラの魂は君の魂にくっついてあわよくば飲み込もうとしていたんだが――現在、その間に私が入って君自身に極力影響を与えないようにしているんだ』

 それは確かに感じていた。おかげでサテラの意志を感じても、直接声や意識が流れ込んでくる事はこちらが聞こうとしてしまった時以外はなかった。

『今、君の体は一時的に死んでいる。時間が経つ程魂と体の結合は弱くなってやがて離れてしまう。サテラは君より先に離れないよう必死に君の魂にしがみついていてね……だが、君と奴の間には私がいる。実質奴は私にしがみついているようなものでね、つまり私が離れれば自然と奴も離れなくてはならないという訳さ』

 その意味が分かったシーグルは彼に向かって叫んだ、貴方まで死ぬ気なのですか、と。

『何を言っているんだ、私はもうずっと昔に死んでいるんだよ。それにね、魔剣となった目的も果たせたから、今、とても満足しているんだ』

 だが魔法使いの望みがこの先のクリュースの発展を見届ける事なら、まだまだ未来を見たいのではないか。その問いには魔法使いはやはり笑顔を返してくれる。

『いや、もう十分さ。クリュースの繁栄ぶりはしっかり見れたし、何よりこの先は君の血筋が王として国を作っていくんだ、もっと良くなっていくに違いないじゃないか。……本当に、こんなに満ち足りた気持ちで逝けるなんてそれだけでも幸せで君に礼を言いたいよ』

 その笑みは本当に幸せそうで、だからシーグルは彼を止める言葉を言ってはいけないと思った。けれどもこれで彼とはもう会えないと思うと、自然と涙が零れるのが止められなかった。
 魔法使いはそんなシーグルを見て苦笑すると、そっとその涙を拭ってくれた。

『そうだね……ただ少しだけ残念なのは……もう君を助けてあげられない事だね。でも君には最強の男がついているから大丈夫だろう。本当に、君はとても優しくて、強くて、諦めなくて……そんな君が私はとても好きだったよ、助けてあげられる事が嬉しかった……ありがとう、君といてとても楽しかった……』

 いや、感謝の言葉を告げなくてはならないのは自分のほうだとシーグルは叫ぼうとする。それを手で制すると、魔法使いは少しだけ言い辛そうに表情を曇らせた。

『最後に一つだけ謝っておくとね、さっき……君を起こす為に君の大切な人の姿を使わせて貰ったんだ』

 それがナレドの事だと分かったシーグルは、ではあれは彼の魂ではなかったのかと思う。それに落胆しなかったと言えば嘘になるが、だがだからといって魔法使いが謝る必要はないのは確かだとも思う。

「ただね、あの言葉はちゃんと彼が思っていた言葉ではあるんだよ。あの青年に預けられている間、私はいつも彼の祈りの言葉を聞いていたよ。彼は君が捕まってからは逃げながらずっと祈っていた――神様、自分の命を代わりに差し出しますからアルスオード様を助けて下さい、とね」

 その言葉にシーグルはまた涙を流す。
 シーグルだって分っていた、きっと彼は――本心から喜んで自分の代わりに処刑されたのだろうと。分っていても悲しかった、辛かった、自分が許せなかった。

「君はいつも自分を責めすぎる、もっと自分を許してあげていいんだよ。幸せになりたい、満たされたいと願っていいんだ。欲しいものを欲しいと言っていいんだよ」

 言うと魔法使いはそっと手をシーグルの頬に置いて、顔を近づけてくると額に自分の額をこつんと軽く当ててきた。さようなら、という言葉が頭に響くと同時に彼の記憶が流れ混んで来る――彼が見た風景、彼が感じた喜び、悲しみ、魔法使いとしての知識――それに押し流されていけば、次に目を開けた時、そこには魔法使いではなく心配そうにじっと見つめる見知った者達の顔があった。

「ただいま、エル」

 一番近くで泣きそうな顔をしているアッテラ神官に笑い掛ければ、彼の顔が潤んで大粒の涙がこちらの顔に落ちてくる。

「帰って来てるな、んでほんっっとーにお前だよな?」

 シーグルは笑って、それからふと思いついて口を開いた。

「あぁ、ちゃんと俺だ、サテラの意志ももう感じない。奴は離れた……成功したんだ、ありがとう、エル……にぃさ……」

 そこまで言い掛けたものの、エルの目がやたらと大きく見開かれてこちらを凝視してきた所為でシーグルは口を閉ざした。

「レイリース、今何て言った?」
「いや……何でもない」
「何でもないじゃないだろ、にーさんって言おうとしたんじゃないのかっ」
「いや……いい。ちょっとまだ……ともかく、聞かなかった事にしてくれ」

 なんだか酷く恥ずかしくなってシーグルは思わず彼から顔を逸らした。
 そうすれば次に上から降って来たのは皆の笑い声で、シーグルは何があったのかと逸らしていた視線をちょっとだけ戻した。
 エルは笑っていた。それから、ロスクァールも、ソフィアも、キールも……皆、笑っていた。

「おし、この反応はどこからどうみてもレイリースだ。この可愛さはどうやってもクソ魔法使いになんざマネできる筈ねぇや」

 いや、可愛いというのは……と微妙な表情になったシーグルだったが、エルが伸ばしてきた手を握れば、彼はそのままこちらを引っ張り上げてくれてシーグルを起き上がらせてくれた。そこから立ちあがれば一度死ぬ前に比べて体は軽くて、シーグルは手足を動かしながら体の感覚を確かめた。

「良かった、本当に良かったです……」

 ソフィアがアルタリアに抱きついて泣いていて、そのアルタリアも、その横にいるロスクァールまでもが笑顔で泣いていた。
 更にはラダーも、ネデも目を真っ赤にして泣きそうな顔で笑っていて、彼らに心配を掛けてしまった事をシーグルはすまなく思う。

「さぁ、無事な坊やを確保したんだからさっさとここを出るわよ。こんな気持ち悪いとこにずっといたくないもの」

 だがそこで、唯一泣いていないアリエラが言って術を唱えようとすると、それはキールに止められた。
 当然不機嫌そうに顔を顰めた彼女にキールはすまなそうに頭を下げると、彼は皆から離れたところに身動き一つせず立っているもう一人の魔法使いのもとへと近づいていった。

「ぇーリトラートさん、我々と一緒に来ていただけますかねぇ。もしお断りになられてもぉ〜すぐにここへはギルドから魔法使いが派遣されてくるのでそうそう逃げられないとぉ思うのですがぁ〜」

 どこか遠くをみて立ち尽くしていた魔法使いリトラートは、一テンポ遅れてゆっくりとキールへと振り向いた。

「いや……もう逃げる気はない。ギルドでもどこでも連れていけばいい」

 酷く落胆した様子の彼を見てシーグルは首を傾げたが、本人が言った通りリトラートは抵抗をする事なく大人しく腕に魔法使い用の枷を嵌められて、その後やってきた魔法ギルドからきた魔法使いに連れていかれた。








 その後、サテラの地下礼拝堂の調査は魔法ギルドからきたものにまかせ、一行はアッシセグの領主の館に帰って来たのだが……部屋に帰った途端、シーグルは急いで荷物の中から魔剣を取り出して抜いてみた。

「色が……ない」

 言われなければ分らない程度ではあったが、うっすらと青味がかっていた刀身にはもう色はなく、ただの銀色の刃を持つ宝剣がそこにはあった。形も握った感触も変わらないのにそれからはもう魔力を感じる事はなく、呼んでも手の中にやってくることもなかった。

――もう、ここに彼はいない。

 シーグルは魔剣を鞘に仕舞い、両手に捧げ持ったそれに額を押し付けた。
 思えばリトラートの案を聞いた時、剣の魔法使いが『自分が協力するから成功する可能性は高い』と言った段階で、彼は最初からサテラを連れていくつもりだったのだろうと今なら分かる。ただもし最初からそれを分っていたとしても、シーグルは結局魔剣の魔法使いと別れを告げるこの選択をしただろう。その場合は自分で決めた分、後悔と罪悪感はずっと重かった筈……それを分っていて魔法使いは黙っていたのかもしれない。

 自分の中を探せば必ず見つけられた、どこまでも優しい魔法使いの気配も今はもう、ない。

「ありがとう……すまない」

 それから、セイネリアとの連絡が取れて即、当然といえば当然だが全員に帰還命令が言い渡された。状況が状況であるからこちらに来た当初の目的も放り投げて、アリエラとキールが転送役となり、シーグル達はすぐに首都へ帰る事になった。




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 ここまでは、めでたしめでたし、ですが……。
 



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