絶望と失望の火




  【8】



 魔法使いリトラートの目的は、そもそもシーグルを一時的な死亡状態にすることだった。
 だからシーグルは一度死ぬという彼の案を聞いた時、その目的を果たす為にリトラートが自分達を騙しているという可能性も考えた。ただ魔剣の魔法使いがそれを否定したから案自体は信用する事に決めたのだ。

『彼は騙してはいないよ、彼の言う方法は理論的に間違っていない。おそらく、彼の目的もついでに達する事が出来る方法だからわざわざこちらに教えてくれた、と考えていいと思う』

 となれば問題はリトラートの狙い通り、シーグルが死ぬ事でセイネリアが暴走するかどうかである。ただしリトラートの当初の予定とは違い、死んでから殆ど間を開けずにシーグルは蘇生される筈であるから、蘇生してすぐに生きていると伝えられればセイネリアが我を失う事態にはならないのではないかとシーグルは考えた。
 後は魔剣の魔法使いが、自分がいるから成功率は極めて高い筈だ、と言ったのが後押しとなったのも大きい。ただ間が悪い事に蘇生してすぐセイネリアに連絡がつかなかった所為で、シーグルは彼が暴走したかどうか、彼と連絡が取れるまで不安に苛まれる事になったのだが。

 それでも、蘇生してから呆然としているリトラートを見て、最悪の結果にはならなかったのだろうとはシーグルも思っていた。少なくとも魔法使いが望む……セイネリアの暴走による破壊はなかったのではないかと思っていた。
 ただしそれはあくまで状況からの予想であって、実際セイネリアが自分を死んだと思って暴走したか、しかけたのか、それが確定された訳ではいなかった。暴走しかけてから自分が生きているという連絡を受けて正気に戻った、という可能性だってある。
 だから正直シーグルは恐かった。自分が死んだ時、彼がどうなったのかを知るのが。
 だが、首都に帰り、将軍府が見えてくれば、周辺に何か破壊の跡があるのではないかと思ったそれはただの杞憂に終わった。建物にそれを思わせるような箇所はなく、兵士や役人達も通常の仕事をしていて将軍府自体はいつも通りの平穏の中にあった。ならセイネリアは暴走しなかったのだとシーグルは思って、それからすぐにセイネリアの元へ報告をしに行くに至って冷静に見える彼と会いそれは確信となった。
 シーグルは安堵した。
 もし自分が死んだとしてもセイネリアは大丈夫、悲しみに押しつぶされる事はないとそれが証明されたと思った。あれだけ自分の死を恐れていた彼に、やはりお前はお前自身が思うより強いではないかと、そう言う事が出来ると思った。

 だが……それがそう単純な話ではないと感じたのはどの時点だったか。

「事情は分かった。……だが、何故そんな手段を取る前に俺に連絡をしてこなかった」

 それは立場からすれば当然言われる言葉ではある。セイネリアと契約している以上、この命は彼のものであると言ってもいい。だからその命を使う賭けをするならセイネリアに許可を取らなくてはならない……それを責められる事はシーグルも覚悟していた。

「そらー急いでたんだよ、その場ですぐ連絡が付く状態じゃなくてさ……」
「エルはマスターに許可をとるべきだと言ったんだ。俺がそれを拒否した。言えば……絶対にだめだというと思った……からだ」

 エルの言葉を遮ってシーグルが前に出れば、感情を消した琥珀の瞳がシーグルを映す。それからやはりまったく感情のない声で彼は答えた。

「当然だ。一度死ぬなどという方法を俺が許可する筈はない」
「だが、そうしなければ俺の中に魔法使いの魂が入ったままになる。そうなれば……いつまで正気を保っていられたか自信がなかった。それにやるなら俺が奴の影響を受ける前、出来るだけ早い方が良かった、魔剣の魔法使いが手伝ってくれるという事で成功率はかなり高いと判断した」

 セイネリアはシーグルの話を表情を全く変える事なく聞いていた。金茶色の瞳に感情は見えず、ただ無機質な光を湛えてシーグルを映していた。

「……お前はそれをやると決めた時、俺の事を考えたか?」

 そこで初めて、シーグルは先ほどから感じている彼への違和感の正体に気付いた。
 シーグルと話す時のセイネリアは、いくら彼自身が感情を殺していてもシーグルは彼の瞳からその感情を読み取れていた。けれど今はそれが出来ない。今の彼の瞳の中には何もなくて、彼が本心で何を考えているのかまったく読めなかった。

「考えた……考えたからこそ、実行した」
「お前が死んだ時、俺はどうなると思った?」
「それは……」

 シーグルは言葉を詰まらす。そもそもそれを考えた上で――セイネリアが我を失うような事態になる可能性も分かっていてシーグルは決断した。すぐに連絡をすれば大丈夫ではないかと、希望的予想の上で実行に移したのだ。

「とーもーかーくっ、結果は成功で、こうしてレイリースは無事でいるんだ、いつまでも終わった事をぐだぐだあれこれ言うなんてあんたらしくねぇぞ。罰するなら罰してくれ、特に俺は今回のアッシセグ行きの責任者だ、当然しかるべき処分を受ける気でいる」
「いや、さっきも言った通りエルの責任じゃない。罰なら俺がまず受けるべきだ」
「勿論、その場にいた我々も罰を受けるつもりです」
「そうね、私も止められなかったって点では弁明する気はないわね」

 後ろにいた者達も次々に声を上げる中、確実にその声が聞こえているだろうにセイネリアの表情は少しも動かなかった。何を考えているのか分らない、作り物じみた何もない瞳を動かす事さえなく、彼は黙って今回のアッシセグ行きの面々の上げる声を聞いていた。

「とりあえず、エルとレイリースは三か月、他は一月分固定報酬はなし。それとレイリースは当分、俺と出かける時以外は自室から出る事を禁止する」

 罰則としては妥当な範囲か、とシーグルは思った。ただ自分に関しての問題は『当分』の期間だろうか。

「分ったら解散だ。レイリースだけを残して部屋から去れ」

 それは予想していた事であったからシーグルは特に驚きはしなかった。皆がシーグルに一声掛けて去って行く中、最後にカリンが部屋から去って、将軍の執務室であるここにはシーグルとセイネリアの二人だけが残った。

「何か……言う事があるか? シーグル」

 彼の顔を見直しても、やはりその瞳から彼の感情は読み取れなかった。
 シーグルは一瞬躊躇したものの、今はもうただの宝剣となったかつての魔剣を出してセイネリアに見せた。

「お前から貰った魔剣だが……もう、魔剣ではなくなった、すまない」
「確かにな……何があった?」

 彼には魔力自体が見える、だからこれが魔剣でなくなったのは見ただけで分かって当然だ。

「魔剣の魔法使いは俺と問題の魔法使い――サテラの魂との間に入って、俺が奴の影響を受けないようにしてくれていた。だから俺が死んだ時、サテラを俺の体から引き離す為に共に離れていった」
「なら謝る必要はない。魔剣一本でお前が無事生き返れたのなら安いものだ」

 その台詞はセイネリアらしいものだ。だが、その声に感情がない。こちらを見てくる琥珀の瞳はただ何の感情も見せずにシーグルの顔を映していた。

「……俺が死んだと、お前は……思った、のか?」

 思い切って聞いてみれば、彼は抑揚のない声で即答する。

「あぁ思った。……燃えたからな」

 言って彼は左手のグローブを外してその手を見せる。シーグルの命と繋がっていた『知らせの指輪』はどの指にも見当たらなかった。

「それでお前は……」

 どうしたんだ、と聞こうとして、そんな事を聞いてどうするのだと自分に問いかけて口を閉ざした。そうすれば何も感情を映さない瞳はそのままで、セイネリアの唇だけが僅かに笑みを浮かべた。

「お前が死んだと思った時、俺がどうなったか知りたいか?」

 その笑みにぞっとして……それでシーグルはなんの感情もない彼の瞳に、唯一あるものを理解出来た。絶望、だ。

「俺はな、お前が死んだら俺は正気でいられない……狂うと思っていた。だが狂えなかった。一瞬意識が飛んでも、体が動かなくなっても、息をする事さえ忘れても……頭は冷静に動いた。正気のままお前が死んだという現実だけを受け入れなければならなかった」

 どこまでも広がる虚無のように、深く、深く……底のない絶望。気付いたシーグルは彼の絶望のあまりの底知れなさに身を震わせて、彼の瞳を見つめたまま動けなくなった。

「俺は『狂える』と思っていた。お前を失ったら全てを放棄して、俺は俺でなくなれると思ってた。死ねなくても、狂う事で苦しみから逃げられると思っていた……なのに、狂えなかったんだ。どうやら俺には本当に逃げ場がないらしい。どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても、俺は俺のまま延々と生き続けなくてはならない。お前が死ねば、お前を失った時の絶望を抱えたままずっと一人で苦しみ続けなければならないのだろうよ」

 セイネリがが喉を揺らして笑う。それでも彼の瞳は深い絶望に閉ざされてなんの感情も見えなかった。彼の笑い声だけは大きくなり部屋の中に響いても、彼の瞳は空虚なまま絶望だけを映していた。

「セイネリアっ」

 やっとの事で彼の名を呼べば、彼の笑い声はぴたりと止まる。
 それから彼はゆっくりとまたシーグルの顔を見て、絶望しかない瞳でシーグルを映して呟いた。

「シーグル……俺にはお前の存在以外、救いは他に何もない」

 そこでセイネリアは外にいるカリンを呼んで、シーグルは退出を命じられた。部屋に入って来たカリンと目が合えば、彼女は悲痛な面持ちで自分に向けて何かを頼むように目礼をしてきた。
 シーグルはそれに何かを返す事も出来ず、ただ呆然と部屋の外に向かって歩く事しか出来なかった。思いついて扉から出る直前、ふと振り向いて彼を見てみたが、仕事の話を始めた彼の瞳にはやはりどこまでも続く絶望だけがあった。




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 正直、セイネリアのことを『面倒くせぇ男だな』と思った方、いると思います……。
 



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