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【９】 西館の中にある個室の中では一番広いこの部屋は、シルバスピナ家の自室程のではないがベッドも広い。その理由は最初から大人の男二人が眠れるサイズで作られているからで、寝室を見渡せばセイネリアの為に用意されたものがあちこちにあるのにシーグルはため息をついてしまう。 「んー……一応大丈夫だとは思うけど……」 久しぶりに見たここではドクターと呼ばれる青年が、眼鏡の下で細めた瞳をじっとこちらに向けてくる。 「何かあったらすぐ呼ぶこと。体は流石に大神官様とエルがじっくり治してるから大丈夫だと思うけど、問題は精神面かな。いくら間に一人いたっていっても別人の精神と同居なんてどんな影響が残るか分らないし、そもそも暗示系の魔法使いの術は後遺症が残り易いからね、気をつけといて」 言うと彼はいくつかの薬を置いてさっさと広げていた荷物を詰め直して持つと、静かに待っていた彼の助手のホーリーを連れて部屋を出て行った。 「疲れた……な」 ドクターを見送ってから一人になった部屋で、シーグルは気力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。 正直、もう、考える事に疲れてしまった。 このまま自分はただセイネリアの傍で生きて、彼と一緒にこの国を守っていく。それならそれでいいじゃないか、この国を見守っていけるだけでも自分は生きていける。妻を、息子を、大切な人々を見守っていられれば自分はきっと生きていける……そんな考えさえ浮かぶくらい投げやりな気持ちになってしまう。 ――けれど、なら、セイネリアは？ 考えればすぐに思考が冷える。彼の望みは自分が傍にいること……けれど、その為に自分に極力触れず最低限の接触だけにして自分を失う事に常に怯える、失えば終わりだと絶望しかない未来を見て延々生きる……死ぬ事も許されずに。 それではいくら考えても彼に救いがない。 確かに彼が自分の行く先に絶望したくなったとしても、せめて今だけはと割り切るか、なら絶対にシーグルを殺さなければいいとでも考え直してくれないだろうか。先の事だけを考えずに、彼の目を今に向ける事は出来ないのか。とはいえ、いくら考えても彼に対して明るい約束を何一つ出来ない時点で今の彼は聞く耳を持たないだろう、そうシーグルは考えてため息をついた。 「お前が欲しかった俺は、ただいればそれだけでいい飾りの人形か……違うだろ」 つっぷしていたベッドから起き上がって、シーグルはベッドに座り込む。流石に寝るなら着替えをするかと顔を上げたシーグルは、そこで急に自分の心臓の鼓動が早くなっているのに気がついた。 「なん……だ？」 部屋を見渡す。 特に問題があるものなんてない。 ただ静寂だけがある。 音はなにもない。ないのに、何故かその静けさが逆に耳に重圧を掛ける。 何の音もしない、恐ろしい程に静まり返った部屋、自分以外誰もいない筈。いや、そもそも『恐ろしい程に』と思う段階で自分の感覚がおかしい事をシーグルは自覚していた。 見慣れた部屋、見慣れた風景、そこに見えるものに違和感を感じないのに、何故か自分の身体の反応に違和感を感じていた。別に何かあった訳でもないのに、どんどん自分の中で不安が膨れ上がる。静寂に押しつぶされそうで息が苦しい、圧迫感に胸が押さえつけられているように感じる。 この感覚はなんだと思って……すぐに思いついたのは子供の頃、初めてシルバスピナ家の部屋で過ごした夜の事で、まるで暗い部屋の中の調度品のどれもが化け物になって襲い掛かってきそうな気がしていた事を思い出す。 今も、そうだ。 見慣れた部屋の筈なのに、何故か全身に刺すような敵意を感じる。音がない筈なのにその静寂が逆にたくさんの叫び声が重なったものに聞こえてくる。今にもあちこちから何かが襲ってきそうで、そんな筈などないのに恐怖で体が竦む、体の奥から沸きあがった震えが全身に広がっていく。 「どうしたんだ、俺は」 アッシセグの館で感じたような明確な『気配』を感じている訳じゃない。そもそも魔剣の主でなくなった時点でシーグルはもう前のように魔力を見る事は出来ない。だからこれは心が見せているただの錯覚だという自覚がある。なのに……それを理性で抑えられない。そうしている内にもじっとりと体からは冷たい汗が噴き出してきて、体の震えが酷くなる。もうあの頃のような子供ではないのに、こうしてここで一人でいる事が怖くて堪らない。 ――これがドクターの言っていた、暗示魔法の後遺症、なんだろうか。 幼い頃はどうしたろう、ベッドの中で頭まですっぽり上掛けを被って、ひたすら楽しかったエーヴィス村での家族との生活を思い出していたんじゃなかったか。シーグルはランプ台の明かりをつけたまま、着替えもそこそこで下着だけになるとベッドの中に潜り込んだ。子供のように上掛けにくるまって耳を塞いで目を閉じてやり過ごそうとする。 「みっともない、いくつのガキだ、俺は何をしてるんだ」 笑ってみても口は上手く笑えなかった。体の震えは止まらなくて、やがて、耳を塞いだ筈なのに明確な言葉を紡ぐ声が聞こえてくる。 お前さえいなければ、と。 一つの声が聞こえれば、後は一斉に同じ言葉が音となって湧き上がる。 たくさんの声、たくさんの口が言ってくる。耳の中でこだまする。 お前さえいなければ、こんな目にあわなくて済んだのに。 お前の所為でこんなに悲惨な事になった。 あぁこれはあの時のサテラが見せた暗示の続きなのだと思っても、本当にあれが暗示だったのかという心の声も聞こえてくれば自信がなくなる。化け物に犯され、死者に犯され、喘いでいた自分を思い出したら吐き気がした。幸い胃液が軽く競りあがってくる程度で出るものなどなかったが、このままではだめだとシーグルは思う。 そうするうちについには足が掴まれた気がして飛び上がり、あの時みていた死者の姿さえ目の端に映り出すようになった。ちゃんと見れば何もいないのに、何かがどこかから自分を襲ってこようとしている。気配を感じて振り向けば、リオロッツ王が、ウォールト王子が、死んだ兵士達が一瞬目に映って呪詛の声が耳に聞こえてくる。 だから反射的にシーグルは胸の聖石を握り締めて懸命に祈りの言葉を呟いた。 「慈悲深きリパよ、貴方の僕を……」 けれど言葉はそこで止まる。シーグルはそこで歯を噛みしめると、口を閉じ、暫くして唐突に笑い声を上げた。 「は、ははは……そうだ、何がリパだ……」 目から涙を流してシーグルは呟き、笑う。 ――あぁそうだ、神などいる筈がない。なにせこの国の神は魔法使いと建国王アルスロッツが作り上げただけの存在なのだから。 >>>>>END. --------------------------------------------- セイネリアがやさぐれる裏でシーグルは……。こちらの件の解決は次エピソードで。 |