夕暮れと夜の間の闇




  【4】



 天幕が張られ、野営の準備が出来ればそれぞれ割り当てられた天幕へと移動となった訳だが……セイネリアは事前の打ち合わせがあるという事でロージェンティの天幕へと出かけてしまい、セイネリアの天幕には現在シグネットとシーグル、それにウィアとヴィセントとラーク、後は内部警備としてウルダとリーメリ、それとアウドが兜を被って顔を隠した状態でいた。つまりはいつもの城の子供部屋のメンツにシーグルとアウドが加わった感じなのだが、そうなれば基本シーグルは会話に参加しないしと、どうにも気まずい空気が流れる。
 しかも、気まずいのは何も会話だけの話ではない。

「なんでシグネットがそっちにいるんだ」

 ウィアが不機嫌そうにそう言ってくるのも当然だが、シグネットはシーグルの傍にぴったりとくっついてそのマントを掴んで離さない。

「しょーぐんが、れいりぃとはなれるなっていったのっ」

 そうシグネットが言えばいくらウィアでも『はいそうですか』というしかないのだが、シーグルとしてはこの状況に緊張しつつも傍で我が子を見ていられる事には兜の中で表情が緩む。

『いいかレイリース、何かあったらお前はまず真っ先にシグネットを連れて守れ。そしてシグネット、お前は必ずレイリースと共にいて離れるな』

 そういってからこの天幕をセイネリアが出ていったからではあるのだが、その言葉にはシグネットを守るという理由の他に、恐らくもう一つの意味を含んでいるだろうことをシーグルは分かっていた。
 セイネリアの立場としては、ここでまず一番に守らなくてならないのはシグネットなのは間違いない。ただセイネリア個人として一番に守りたいのがシーグルであるから、それが不自然にならないようにもシグネットと一緒にいろというのもあるのだろう。
 シーグルとしては自分を狙う者がまだいるかもしれない状況でシグネットにまでその危険が及ぶ可能性がある方が心配なのだが、こうして我が子を傍で守っていられるという状況が嬉しくないといえば嘘になる。だからこそ、自分が危険な目にあう事もあってはならないと強く思う。そう思ってシーグルが慎重になる事もまた、セイネリアの思惑の内なのかもしれないが。

「うーん、なんというか空気が重いな……」

 シーグルは話さない、ヴィセントは本を見ている。そして何故かラークも考え事をしているようだ……となれば、シグネットが大人しくしている以上会話が生まれる訳がない。だから静かにしていられないウィアには申し訳ない状況が続くのだが、彼は少し考え込んで、それから何かを思いついたように手を叩くと何故かシーグルに笑い掛けてきた。

「えーと、レイリースは、さ」

 こういう時のウィアの顔には嫌な予感しかしないが、逃げる訳にも勿論いかない。

「はい、なんでしょうか?」

 だからそう返すしかないのだが、声は変えてあるとはいえ口調でバレないようにと慎重になる。

「うん、あんたさシーグルに剣を習ったんだよな?」
「はい、そうです。短い間でしたが」

 途端ウィアは今度は視線を下に落として、マントを握って大人しく座っているシグネットを見た。

「だってさ、シグネット。このレイリースはなぁ、お前の父上から剣を習ったんだぞ。だから父上の剣を使えるんだぞ」

 そういう事かとシーグルがシグネットをちらと見下ろすと、きらきらと期待を込めた目で見返されてシーグルは固まる。

「れいりぃは、ちちうぇのけんがつかえるの?」

 最近やっと「しーうー」が「ちちうぇ」になったシグネットがマントを両手でぐっと掴んで尋ねてくる。
 これは肯定してはまずいと思っても、ここで否定など出来る訳もない。というか、否定する暇もなく幼い国王は立ちあがって目線を真っ直ぐ向けてくる。

「だったらおれもっちちうぇのけんつかいたいっ。おねがいだからっ」

 これには本気で参るしかないが、それでもここまでくれば覚悟を決めなくてはならないだろう。シーグルは小さな王に向かってその場で頭を下げると、出来るだけ口調に感情がこもらないように注意して答えた。

「分りました。ですがそれは陛下がもっと大きくなられて、お父上の剣を習える程の体を作られてからです。習うだけの体が出来るまでは危険ですからお教えできません。お分かりいただけますか?」

 そうすればちょっとだけ悲しそうな顔をしながらも、幼い少年はこくりと大きく頷いた。

「うん、わかった。おおきくなっていっぱいきたえる。そしたらおしえて。やくそくっ」
「はい、陛下」

 そこまで言うとシグネットは満足したのか、にっこりと笑顔をうかべてまたシーグルの隣に座る。そこからにこにこと笑顔のままこちらを見ては、憧れるような、嬉しくて堪らないというような視線を投げてくる。
 シーグルとしては本当に、まいった、としかいいようがない。嬉しいとも苦しいともどちらともいえない感情が競りあがってきて泣いてしまいそうになる。

「良かったな、シグネット。一杯鍛えるんだぞ」
「うんっ」

 嬉しそうにシーグルのマントを握り締めながら、シーグルと同じ銀髪の少年は元気よく答える。それにウィアも笑うと、シグネットの頭を撫でた。

「でもなシグネット、強くなってもお前は自分から戦いにいったらだめだからな。そこは父上に似たらだめだぞー」
「ちちうぇは、たたかいたがったの?」

 そうすれば、入口傍にいたウルダとリーメリがくすりと笑う。

「……いえその、戦いたがったというか、ご自分の腕に自信があるからこそ戦いに出られたというか……」
「じしんがあったらだめなの?」
「いやそういう意味ではなくてですね……シグネット様の場合は、出来るだけ戦いは部下に任せて、それでも敵がシグネット様の前までやってきた時だけ戦えばよろしいのです」
「つよくなっても?」
「はい、どれだけお強くなられてもです。どんな時でもなによりまず、ご自分が無事である事を優先して下さいませ」

 それを理解するのはまだ幼いシグネットでは難しいのか、少年は少し顔を顰めて考え込む。それを笑顔で見ている一行と……よく見ればアウドも声を出さないながら肩を震わせていて、シーグルとしては内心気まずく、耳が痛かった。

「シグネット、お前は俺達や護衛官の皆が好きだろ?」
「うん、すきー」
「うん、俺たちもお前を大好きだ。だからお前はいっぱい俺達に甘えて頼っていい。これからたくさん困ったりどうしようかって思う事もあっても、そういう時は俺達に聞いて一緒に考えればいいんだぞ」

 それに少年王は力強く笑顔と共に頷いて、シーグルは自分の瞳が潤むのを感じた。あぁやはりウィアにシグネットを頼んで良かったと、今更ながらにそう思う。人に頼る事が苦手だった自分と違って、シグネットはたくさんのいい部下に囲まれて彼らを頼る事が出来るだろう。国王という重責を一人で抱えて責任に押しつぶされずに済むだろう。

 そうしてウィアとシグネットのやりとりを周りが見守っていたところで、ふいに、今までずっと黙っていたラークが立ち上がってシグネットの傍に近づいていた。

「どした、ラーク?」

 話しかけるよりもまず近づいてくるのは確かにらしくなくて、だがシーグルはこちらを見たラークの顔を見た途端、何かざわりと嫌な予感がして思わずシグネットの背に手を置いた。

「おーい、なんだよ放っておいたから機嫌悪いのか?」

 ウィアが近づいていくが、それを無視してラークは真っ直ぐシグネットに向かって歩いてくる。
 そうして、シ―グルがシグネットを抱き上げるのと同時に、彼は杖をあげた。

「ゾ・ナ・ソール」

 それは確かにラークの声だった。だがこれはラークの魔法ではない、とシーグルは直感で理解した。発動した術は風を起こし、シーグルはシグネットを抱えながら飛ばされないように地面に伏せる。幸い強い風が吹いたのは一瞬だったが、顔を上げた時にはシーグルの目の前にはラークが立っていて、焦点が合わない瞳の彼がまた杖を掲げて呪文を唱えていた。

「ウィク・クール」

 何故ラークが、彼に一体何が――それに呆然とした分反応が遅れて、シーグルは術が終わる前にその場から逃げられなかった。だがいち早く反応して駆けてくるアウドの姿が見えて、シーグルは彼に向けて手を伸ばした。
 伸ばした手が、確かに掴まれる。
 それと同時に、シーグルの見えていた天幕の風景が一瞬で切り替わった。

「大丈夫ですか?」

 アウドの声に頭は事態を正確に理解したものの、立ち上がって、辺りを見回して、シーグルは重い息を吐いた。

「大丈夫、といいたいところだが……状況的にマズイだろうな」

 見回せば、弓を持った兵……姿からみれば恐らくアウグの人間だろう。ここがどこでどうして彼らがいるのかはわからなくても、今がまずい状況だという事だけは確実だった。ただ彼らにとってもシーグル達がここに現れたのは突然の事だったらしく、こちらの姿を見て初めて慌てて矢を手にとっていた。

「まったく、何が起こったんですかね」

 言いながらもアウドは背負っていた大盾を構えてシーグルの前に出る。シーグルはすかさず魔剣を手に呼んで準備してから『盾』の呪文を唱えた。

「陛下、しっかり掴まっていてください」

 盾を前にもつアウドの後ろに隠れながらも、シーグルは片腕にシグネットを抱いて魔剣を構える。この魔剣にいる魔法使いはもともと軍で矢を防ぐ役目をしていた、弓だけなら余程の強弓でない限りは散らしてくれる筈。そうは思っても時間稼ぎが精いっぱいだろう――シーグルは考える、とにかくこの場を逃げる方法を、もしくは味方を呼ぶ方法を。

 弓が引かれ、最初は数本、それからすぐ矢は雨となって降りそそいでくる。

 その前にシーグルは魔剣による術を発動させていたから、風とともに矢は全てこちらを逸れて地面に突き刺さった。それを確認してすぐ、シーグルはアウドに言った。

「あの森へ走るぞっ」

 今は夕暮れ時、だからまだ完全に夜ではない。かろうじて見えた森に向けてシーグルが走り出せばアウドもその後を追ってくる。矢の音は聞こえるもののそれは風に阻まれてこちらまで届く事はない。魔剣による魔法は剣の主の意志で発動はしてもコントロールはある程度魔剣自身、魔剣の中の魔法使いに任せられる。だから剣を信じて矢をさえぎってくれる事を祈りながら、とにかくシーグルは森まで走った。

 天幕を風が襲った段階で、セイネリアが異変に気づいた事は確実だろう。
 ならばセイネリアがすぐこちらの行方を捜している筈。ここが野営場所のホルセー平原からどれくらい離れているかは分らないが、アウグ兵がいる段階で国境近くではある筈、ならそこまで離れてはいない――。
 シーグルは走りながらも考える、どうすればいいかを。
 もしそこまで元の場所から離れていないなら、ソフィアかキール、もしくは魔法ギルドからやってきた他の魔法使い達ならシーグルの魔剣による魔法の気配で見つけられる可能性が高い。とにかく今は逃げられさえすればどうにかなると判断する。というか、そうでなければ詰むしかなかった。




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 最近ラークの出番がやけにあると思えば……な展開。
 



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