夕暮れと夜の間の闇




  【5】



「やはり、見るだけが役目の者には分かっていても何も出来ないのですね」

 そう呟いた吟遊詩人の声は小さくともキールにはちゃんと聞こえていた。シーグルがシグネット共々姿を消したと聞いた途端、呆然としたように放心した吟遊詩人はそう呟くと自嘲を唇に乗せてため息をついた。

「え〜私はぁこれからギルドの者と合流してあの方を探しにいくのですがぁ貴方はどうしますかぁ?」

 今回のウィズロン行きに同行させるこの吟遊詩人の事については、キールは馬車と天幕を共にするのもあって一通りセイネリアから事情を聞いてはいた。彼がケーサラー神官でもあり、時折予想した未来が見えるのだという事も勿論聞いていて、だからこそセイネリア同様、キールもまた彼が何か役に立つのではと来る意志があるのか聞いてみたのだが。

「……いえ、やはり私はただの傍観者でしかないようです。ついていっても足手まといにしかならないでしょう」
「自分が何も出来ないとそれを認めてしまうのですかぁ? 諦めるには少々早過ぎではないかと思うのですが?」

 自分も意地が悪いと思いつつそう言ってみる。どうやららしくなく、自分は少々苛ついているらしいとキールは思った。この詩人と馬車の中の会話で妙に共感してしまった所為か、これだけあっさり諦められたのに落胆をしたらしい。
 こちらの苛立ちを感じ取ったのか、吟遊詩人は苦笑を唇に浮かべて帽子を取る。

「そうですねぇ、たしかにそれを認めてしまうのは悔しいのですが……私が行けば確実に邪魔だという事も困った事に『見えて』しまったのですよ」

 そうして寂しそうに笑うと、詩人は芝居じみた所作で深く頭を下げた。
 だが、それから。

「シーグル様を狙っているのは、魔法使いだけでなくもしかしたらアウグ兵も関わっているかもしれません。今アウグ兵がいるというのなら国境に近い……それなりの人数が隠れられる森、あたりではないでしょうか?」

 頭を下げたままそう告げて来て、今度はキールが苦笑する。……成程、先が見えるというのもあまりいい事ではないらしいとそう思えば苛立った自分に恥ずかしくもなる。シーグルに入れ込み過ぎている自覚はあったが、こんな感情的になるなんて自分でも不思議な気さえするくらいだった。

「それはぁ十分役に立つ情報ですねぇ〜ありがとうございます」

 だから今度は落ち着いてそう返してから、キールは直ちにギルドからきた魔法使いの元へと飛ぶ為の術を唱え出す。吟遊詩人はずっと頭を下げたままで、結局視界から彼の姿が消えるまで、キールは彼の顔を見る事はなかった。







 そしてその頃、セイネリアの方はといえば当然彼は異変に気付いて、会議を中断してソフィアを呼んでいた。

「あいつはどこにいる?」

 聞かれなくてもソフィアも既にシーグルの気配を探して辺りを見ていたが、なにせ方向も距離も分からない場所を探すとなれば簡単にいく訳がない。
 セイネリアもまた辺りを睨んで少しでも魔法の気配を探ろうとする。近くにいればセイネリアには魔力の動きが見える筈だった。
 無言で探すセイネリアとソフィアの周りで、カリンやフユは何も言われなくても敵の襲撃に備えて兵達に指示を出し、ファンレーンもまた指示に走る。そんな中、すぐそばに魔力の揺らぎを感じてセイネリアが視線を向ければ、魔法ギルドから派遣された魔法使いの一人が姿を表した。

「見つけました、ダタステンの森です。こちらで転送いたします」
「早くしろっ」

 言われてすぐに魔法使いは杖を掲げて呪文を唱えだす。ずっと辺りを『見て』いたソフィアはそれに気づくと慌てて叫んだ。

「私もつれていってくださいっ」

 術が完成し、光の輪がその足下に出ると同時にセイネリアが手を伸ばす。その手をソフィアはどうにか掴む事が出来た。






 森まで入れば、矢はやってこない。
 それでもシーグルは魔剣で風を起こしていた。自分達とは違う方向へ風を走らせて草木を揺らし、逃げるこちらの音を紛れさせる為に。そして、魔法を使う事で自分を探しているだろう魔法ギルドの者達が見つけやすいように。
 森へ入ったと言っても安心など出来る状況ではなく、すぐに追手も入ってきたことは後ろを守って走っているアウドの報告で分かっていた。とにかく今は走るしかない。片手で魔剣を持ちながらももう片腕でしがみついてくるシグネットをしっかり抱いて、足場が悪い時は両手で抱きながらもシーグルは走る。体力的には相当きついが、このところ訓練をしっかりしていたのもあってまだへばって動けなくなる程ではない。

「陛下は俺がお運びしましょうか?」

 見かねてアウドがそう言ってくるが、言葉に合わせてシグネットがぎゅっとこちらに抱きついてくるのが分るから、シーグルも少年王を抱く腕に少し力を入れてやる。

「いや、大丈夫だ。俺が戦えない代わりにお前が盾となって守ってくれるんだろ?」

 そう返せば、アウドが力強く答えてくる。

「無論、そのつもりです」

 そうして彼は一度足を止めると、頭上から落ちてきた何物かを盾で弾いた。

「なんだこりゃ」

 アウドがそう言ったのも無理はない。少し大き目の猿のようにも見えたそれは、顔を見れば目が一つの異形の化け物だった。ただしそう強いものではなさそうで、次に飛びついてきたそれをアウドが盾で叩き落せばそれはすぐに起き上がれずに地面でのたうちまわる。

「まさか召喚魔法か。魔法使いもいるのか……いや、当然か」

 ここへ、恐らくはラークを操ってこちらを転送したのだから、魔法使いが絡んでいるのは当たり前だ。なら魔法使いとアウグ兵が組んだのかと考えるが、あのアウグが魔法使いと組むとは思えない。
 だが考えている間に、地面に転がって動けないでいるソレにアウドがトドメを刺せば、それはとんでもないかなぎり声を上げて絶命した。

「……マズイな」

 言葉を続ける前に再びシーグルは走り出した。アウドももちろん理由を聞くまでもなくついてくる。
 今ので足を止めたのだけでもまずいのに、化け物の断末魔の声を目指して森へ散らばっていた兵士が集まってくる。もしかしたらあの化け物はそれだけの為に召喚されたのかもしれない。あちこちからこちらに向かって聞こえてくる声は、音だけでも距離はかなり近くなっているように思えた。
 とはいえ、そろそろ日はほとんど落ちて辺りは大分暗くなっている。こうなってくると傭兵団の頃の名残のこの黒ずくめの恰好は都合がよくて、向うはこちらを探していてもはっきり目で姿を確認する事は難しくなる。
 シグネットを隠すようにマントでくるんでシーグルは走る。流石に息が上がってきていて、もう魔剣を使う余裕もない。剣は手にもったままではあっても、今はシグネットを完全に両腕で抱いて走っていた。
 ふいに、大きな木を避けたところでシーグルの目の前に敵兵が現れた。こちらに追いついたというより偶然会ってしまっただけだろうが、シーグルは急いで足を止めて横に退く。そこへアウドが走り込んできてその兵士を斬ったが、男は斬られる直前に叫んでいた。

「ここだ、ここっ……がはぁっ」

 そうなれば周りの兵が再びこちらへ集まってこようとするのが気配で分かる。
 それでも今は逃げるしか手はない。出来るだけ早くこの場から離れる、今は何より時間を稼ぐ事が大切だった。逃げていれば必ずセイネリアはやってくる。
 先ほど敵を倒した場所には大勢の人間が集まってくるのが音で分かって、逃げた方向も分かってしまったのかそれがこちらへ向かってきているのも分かる。もうすこし敵と距離があればシグネットを一時的にどこかへ隠す事も出来るのだが……と考えて、すぐにそれはないなとシーグルは息が相当に上がっているのを自覚しながらも思う。
 セイネリアは必ず来る。来るとすればシーグルを目指して。ならばこのまま抱いていた方が安全な筈だった。
 それでも息が切れて、走る足の動きが鈍くなるのは仕方ない。幼い我が子はただ抱くならさほどきつい重さではないが、走るとなれば元が騎士としては体力の劣るシーグルでは長くは持たない。

「レイリース様、先に行ってください」

 突然後方からそう声が聞こえて、一瞬シーグルは足を止めて振り返った。

「少し足止めしていきます。大丈夫です、今の俺は走れますからうまく逃げますよ」

 迷う暇はなかった。シーグルはその場で一度大きく深呼吸をして少しだけ息を整え、すぐにまた走り出した。このまま一緒に走っていれば確実に敵は追いつくだろう、アウドの判断は間違っていない。暗い森の中なら障害物も多いし黒い恰好は探し難く、なにより自分達がいなければアウドは全力で走って逃げられる、違う方向に逃げれば追手だって分散する……だから彼は犠牲になる気ではないのだと、シーグルは自分に言い聞かせた。
 はぁ、はぁ、と自分の息継ぎの音だけが頭の中でやけに響く。気持ちだけは急いでいるのに足が重くてついてこない。腕に抱く子供の重さは走る毎に増しているようで、気を抜けば手の力が抜けてずり落ちそうになる。その度に怯えて強くしがみついてくるその感触に気力を奮い立たせて抱き上げなおし、尚もシーグルは走った。
 そうして走る内、行く手に森の終わりが見えて、そこでシーグルは一瞬迷った。
 ただ逃げるだけなら、闇に隠れられる森の中にいた方がいい。だが直後に来た方向とは別方向から兵士達の声が聞こえて、シーグルは思い切って一度森を抜けてみる事にした。
 もしかしてホルセー平原の味方が見えるかもしれない、そうでなくとも民家があるかも、せめてここが何処か分かれば――そうして森を抜けて見えた風景は、だがシーグルの期待したどれにも当てはまらなかった。





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 唐突ですがピンチです。
 



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