【1】 シーグルが旅立ったのは、よく晴れた冬の空の下でのことだった。 見送りは最小限ということで、セイネリアの他にはカリン、エル、ロスクァールとアルタリア、ラストとレスト、あとはサーフェスとホーリーで、西館の庭での別れとなった。 「元気でね。帰ってくるまでには魔法使いになってるから」 「はい」 抱き合って別れの言葉を交わすソフィアとアルタリアを横目に見ながら、セイネリアは僅かに苦笑してシーグルを見る。シーグルは人前だとあの手の別れ方をしてはくれないだろうと思いながらも、抱きしめるのは部屋を出る前にしてきたから仕方ないなとも思う。 どちらにせよ彼の旅立ちを認めたのは自分なのだから、ここまできてまだ未練がましく触れたがるのも見苦しいか。彼の為ならいくらでもなりふり構わず行動できるが、しても無駄な時にまでするほど愚かではない。 そして何より、ここで動揺を見せず、偉そうに見送る事がおそらくシーグルが望むセイネリア・クロッセスの姿なのだろうと思うから――。 「元気でやれ……これはは命令だ」 笑いながら言えば、それでもシーグルは一瞬驚いて眉を寄せる。 「そこで命令なのか」 「あぁ、お前だって行く目的からして病気や怪我などしてる暇はないだろ?」 「まぁ……その通りだが」 「それにお前に何かあったら俺は大人しく我慢して待っていられないだろうな」 「脅しか、それは」 「あぁ、なにせお前は義務付けておかないとすぐ無茶をする」 呆れ顔だったシーグルも、話している内に声に笑いが混じりだす。最後には完全に笑顔になってこちらを向くと、じゃ、と呟いて兜を被った。真っ黒な鎧に身を包んだ騎士の姿になったシーグルを少し残念そうに見ながら、セイネリアも、あぁ、と彼に返した。 レイリース・リッパーとして正体を隠すために作らせた彼の黒い鎧。常に着ているその鎧は、だがよく見れば今は僅かに作りが変わっているのが分かる。ただ分かったとして大抵は『打ちなおしたのか』くらいに思うだけだろうが、確かに打ち直しもあるが実はまったくの別物になっていた。現シルバスピナ家当主から正式に貸与すると約束されたシルバスピナ家の魔法鍛冶製の鎧――それをわざわざレイリースのいつもの鎧に似た形に打ち直したうえで黒く塗ったのだ。旧貴族の魔法鍛冶の鎧といえばその特有の光沢を見せるために銀色というのが決まり事ではあるが、黒く塗ればまずそれが魔法鍛冶製だとは気づかれない。気付くのは魔法使いか、その鎧を盗んで着ようとしてみた者くらいだろう。 『俺魔法使いだし、鎧なんか着ないし、シグネットには王家の鎧もウーネッグ家の鎧もヴィド家の鎧もあるし……つまりなくても問題ないから、それはシルバスピナ家に必要になるまではあんたが着てればいいよ』 勿論シーグルは簡単にはそれで納得しなかったが、最後には現シルバスピナ卿の『飾っとかれるだけじゃ折角の希少な鎧だって可愛そうじゃない?』という言葉に引き下がった。それから急いで導師の塔にいる魔法鍛冶屋を呼びつけて打ち直しをして……どうにか今日に間に合ったという訳だった。いくら特殊な製法とはいっても驚くべき早さだが、職人が言うには形の調整はそこまで大変なものではなく、本人との魔法波長を合わせる調整がかなりの手間でそれがないのだから早くて当然ということらしい。 シーグルが強くなりたい、と望むなら、その為に出来る限りの事をしてやりたかった。 セイネリアが作らせた鎧も通常で手に入れられるモノでは最高のものではあるが、それでも魔法鍛冶の鎧と比べればシーグルにとっては致命的に重い。長く魔法鍛冶の鎧に合わせて鍛えてきたシーグルの実力を最大限に生かすならば、やはり彼には彼の鎧を着させてやりたかった。 「えーと、一応分ってると思うけどいっとくね。擬体の交換時期にきたら連絡するから、そこから半年以内には絶対にあんたは一度帰ってくること、絶対だからね、枯れてからだとまた交換に手間かかって面倒なことになるから」 アウドと共に最後の荷物点検をしているシーグルを見ていれば、そのアウドのもとへサーフェスがやってきた。話の内容的に、足の擬体部品の交換時について釘を刺しに来たらしい。 「ドクター、俺だけ帰ってくるのはあれですし、本当の本当にぎりぎりまで待ってもらったらどれくらい……」 アウドが気まずそうに聞き返すが、それはシーグルに遮られる。 「了解しましたドクター、無理矢理にでも帰らせます」 「はいはい、愛しのご主人様の命令だから連絡したら即来ること」 「俺がいなかったら貴方のお世話はどうするんです」 「大丈夫です、私が居ますので」 ソフィアまでもが出てくれば、アウドは情けない顔でうな垂れて了承を返すしかなかった。シーグルは自分の事ならともかく、他人の体のためのことなら何があっても優先させる。1〜2年毎に必ずアウドが帰ってくるなら、シーグルに渡すものを運ばせるにもこちらとして都合がいいかもしれないとセイネリアは考えた。 だがそこでマントを引っ張られ、セイネリアは視線を下に向けることになる。そうして、申し訳なさそうに見上げてくるラストとレストの顔を見て苦笑した。 「マスター、やっぱり僕も一緒にいこうか?」 実はシーグルが行く事が決まってすぐ、この二人はセイネリアのもとにやってきて自分たちのどちらかが付いていこうかと言ってきたのだ。確かに誰かが遠出する場合の連絡役としてこの二人は常に役立ってはいたものの、今回はさすがに期間が長すぎる。何時までかも決まっていない状態でこの双子を使えば、別の時に使えない分困る可能性もある――理性はそれで双子の申し出を断ったものの、別の感情的な理由もあった。そもそもこの双子は神殿の司祭長として離されてそれぞれの神殿に送られる前、離れたくなくて逃げ出したのだ。だからこの双子がセイネリアに望んだのは二人一緒にいられる場所で、それを数年単位で引き離すというのは契約違反でもある。 『僕たちは二人で一人なんだよ、だから絶対離れない』 最初に事情を聞いた時、泣きながらそう言っていた少年たちの言葉はその時のセイネリアにはどうでもよい内容だった。二人一緒に引き取る事でアルワナの高位術師を手に入れられるのは有益だと思ったから了承しただけの事だ。けれど今は、離れたくない、と少年達が言った言葉の痛みが分かるからこそ彼らに行けとは言えなかった。随分甘くなったものだと思っても、その事情を知って尚この双子を引き離してついていかせたら、きっとシーグルも怒るだろうというのもある。 「無理していけとは言わない、そう言ったろ?」 「でも……」 それでもこうして彼らが言ってくるくらい、自分は今情けない顔をしていたのだろうかとセイネリアは思う。まったく弱くなったものだ、と我ながら呆れて、それから笑って言ってやる。 「そもそもお前達が行かなくてもちゃんと連絡手段は用意してある、だから行く必要がない」 マントを掴んでいるラストの頭を撫でれば、青年……という歳になってきた、けれどもまだ子供っぽい顔の双子達は首を傾げた。 「おい、シーグル」 ラストの頭から手を離して呼べば、サーフェスから話を聞いていたらしいシーグルの顔がこちらを向く。 「これを持っていけ」 言って布袋を投げれば反射的にシーグルはそれを受け取った。だが受け取った途端、彼は黙ってこちらを見てくる。その意図が分かっているセイネリアは笑いながら言ってやった。 「大丈夫だ、それは連絡用の『石』じゃない」 「ならなんだ?」 「双子草の種だ。お前の弟から聞いたことはないか? それならそこまで金が掛からない、文句ないだろ? お前の弟が懸命に用意してくれたものだぞ」 シーグルは暫く袋を見た後、ため息をついて荷物に入れた。 連絡用の魔法石――水に入れるとその姿を映して言葉を交わすことができる――を、セイネリアの当初の予定では毎日使えるくらいに大量にシーグルに持たせるつもりだった。だがそれに必要な金額を聞いた途端、シーグルが怒って絶対に受け取らないといい出したのだ。 『今のお前への金は国民の税から出てるんだろ、ならそんな無駄な事に使うな』 自分の私財から出すと言っても譲らなかった為、どうするかと思っていたところでたまたまあのウィアというちび神官に聞いたら双子草の存在を教えてくれた。対になった草同士ならその葉の振動で言葉を伝え合うことができるという草――それを現シルバスピナ卿のラークなら用意できると聞いて、出来るだけの量を用意してもらったのだった。 「それなら毎日連絡を取っても高くはつかない。石はたまにならいいだろう? 持っていってくれないとここの二人が自分がついて行けば良かったと言い出すぞ」 シーグルはため息をつく。流石の彼も弟からのものでもあるそれを拒めはしない。それに訴えるような目で見ている双子の視線も効いただろう。 「分かった」 ため息交じりの彼の返事に、セイネリアは笑いながら傍にいるラストの頭の上に手を置いた。 そこで少々苛立ちを含んだ声が上がる。 「そろそろいいかしら、向こうも待ってるかもしれないし」 アリエラが言って杖で地面を何度か叩いた。ジクアット山までは彼女が転送でシーグル達を飛ばす事になっていた。山までつけば後はソフィアの転送でいけるよう、向こうが道中に目印を置いてくれているらしい。シーグルは他の修行者達のように自力で登りたがったが、もう徒歩で上がるのは雪の事情的に難しく、向こうの神官からの勧めもあってあきらめざる得なかった。 「シーグル」 背を向けて彼女の方へ行こうとした彼にセイネリアが反射的に声を掛ける。そうすれば、彼は足を止めてまたこちらを振り向いた。 「最後にもう一度だけ顔を見せろ」 それに一瞬戸惑った様子の彼だったが、ちゃんとこちらに向き直ると兜を取りはしないもののバイザーを上げてくれた。髪の色と目の色を変える魔法が掛かっている彼の顔も、意識しなければセイネリアにはちゃんと本来の色味で見える。最後に記憶に刻むように琥珀の瞳を細めてセイネリアは彼の顔を見つめた。 「必ず……」 帰ってこい、と言いそうになってから、ここにきてまで言うのは疑っているようで良くないかと口を閉じる。だから代わりに、強くなってこい、と言えば彼の顔は目を細めて笑みを作る。 「必ず強くなってお前のもとへ帰ってくる、待っててくれ」 残念ながら最後の声は魔法で変えている為彼本来の声ではなかったが、言葉的には十分満足出来たからセイネリアの口元も勝手に笑みを浮かべる。 そうしてまたバイザーを下して背を向けた彼に、手を伸ばして抱きしめないように我慢をするのはセイネリアにとって少々辛いことだった。 --------------------------------------------- 最初は別れのシーンから。 |