旅立ちと別れの歌




  【14】



 気付いた時には手が伸びていた。
 間に机があることなど忘れて、セイネリアは伸ばした手で彼を捕まえた。
 当然、そこで引っ張りこまれれば彼の体は倒れて机の上に乗りあげられることになる。幸い机の上には書類の他にはあまりモノがなかったからガチャガチャと音が立ちはしなかったが、盛大に紙が辺りへ飛び散った。

「待てっ、おいっ」

 シーグルの声はそこで止まる。それ以上は唇を塞いでしまったから声は聞こえなくなったのだが、それでもあきらめの悪い彼はこちらの顔を掴んで離そうとする。

「ン……ゥ、だっ……ン」

 合わせなおす度に大声を出そうとするものの、そのたびに塞いでしまえば言葉には出来ない。彼の体は完全に机の上に仰向けに寝転がるような状態になってしまっていて、セイネリアは上から押し付けるようにその顔を掴んで唇を合わせた。
 やがて、いくら諦めの悪い彼でも押し返す力がなくなって、かろうじてこちらの腕を触る程度になる。口腔内ではすでにこちらに応えてくれていて、久しぶりの彼を感じる事でセイネリアも自分が抑えられない。彼に飢え過ぎていて、いつまでもこうして触れていたい気持ちになるが、それでも今の彼の顔を見たいという欲求も捨てきれないから唇をゆっくりと離して彼の顔を見つめる。
 そして、その顔に向けて言う。

「愛してる」

 言えば、今まで抑えていたせいか止まらなくなって、セイネリアは続けて彼に言う。

「愛してる、愛してる、愛してる……シーグル」

 暫くぼうっとしていたシーグルは、そこで徐(おもむろ)に手をこちらに延ばしてくると頬に触れて来た。

「分かってる……俺も愛してる、セイネリア」

 だがそこでまた口づけようとすれば、シーグルは焦った顔で体を横に倒してこちらから逃れた。

「待てっ、このままはやめろっ、他に人がいるんだぞっ」

 言いながら急いで机から下りると、一歩引いてこちらを睨む。息を荒くして怒る彼は、どうやら暴れている間に髪を縛っていた紐がとれてしまったらしく、肩を少し過ぎたくらいまで伸びた銀髪をうっとおしそうに片手でかきあげた。そんな彼の少し大人っぽくなったようにも感じる姿にセイネリアは笑ってみせた。

「もう誰もいない、この部屋には俺たち二人だけだ」
「いや、でも」
「ソフィアもカリンも少し前に部屋から出て行ったぞ、気づかなかったのか?」

 シーグルが一度驚いて、ゆっくりと部屋を見まわす。それでため息をついてやっと覚悟を決めたのかと思った彼だが、そこで困ったように少し眉を寄せてこちらを見てくる。

「今日はその……ちゃんと付き合うつもりはあるから、夜まで待ってくれないか」
「嫌だな」

 即答すれば、シーグルは今度は思い切り眉を寄せた。

「ならせめてっ……一度陛下に報告に行って、それからにしてくれ」
「今日はまだ祭りの最中だ、シグネットに会うなら一緒に貴族共のパーティやら礼拝やらに出なくてはならなくなる」
「なら出る、今日から仕事に復帰したことにしてお前についていけばいいだろ」
「だめだ」
「何故だ」
「今日の予定が終わるまで付き合ったら夜遅くなる。そこまで待てない」

 シーグルは口元をひくつかせた後、まるで答えを聞きたくなさそうな微妙な顔で聞いてきた。

「お前、今日の予定をサボる気だったのか」
「当然だ」

 シーグルが頭を押さえる。だからセイネリアは笑ってやる。

「お前が言ったんだろ、もう契約はないから俺も義務に縛られなくていいと」

 言って、今度はシーグルが何か返してくるより早く、邪魔な机を避けて彼の前にまでいってその体を抱きしめた。彼の髪に鼻を埋めれば彼の匂いがして、彼がこの手の中に帰ってきたことが実感できる。
 確かにこの三年焦がれ続けた彼が腕の中がいることが分かればあとはもう我慢などできなくて、セイネリアはそのままシーグルを抱き上げた。

「セイネリアっ、本気でサボる気かっ」
「あぁサボるぞ、どうせ本式典が終わった後は派手なイベントはないし、シグネットは魔法使いどもが意地でも守ってくれるだろ」

 腕に持ち上げると鎧付きでも彼が僅かに重くなったのが分かる。そう思えば彼がこの三年積み上げた成果が早く見たくて、別れる前の彼と比べたくてたまらなくなる。シーグルを抱き上げたまま寝室のドアを蹴り開けて中に入る。だがそこでベッドにおろそうとすれば、最後にシーグルが睨み付けて言ってくる。

「……そういう勝手ばかりすると……嫌うぞ」

 それには一瞬セイネリアも止まって、けれどすぐに笑って言い返した。

「だがこういう俺は俺らしいだろ? こういう俺がお前が望むセイネリア・クロッセスじゃないのか?」

 そうして強制でベッドの上におろしてしまえば、さすがに彼も諦めたのかそこから起き上がって逃げようとまではしなかった。ただすぐに彼の鎧を外そうとすれば、それを拒否するように少し不貞腐れながら彼は起き上がって自分で装備を外しだした。

「自分で脱ぐ……そんないかにも嬉しそうに脱がされるのは嫌だ」
「それは嬉しいから仕方ない。お前は確実に重くなってたからな、どれだけ体の方も変わったのか早く見たかった」
「重くなってるか?」
「あぁ、確実にな。抱き心地が良くなってそうだ」

 それには嬉しそうだった顔を一変させて顰めるから、セイネリアは笑ってしまって彼の長くなった前髪を手で避けて額にキスする。そうして、もう止める必要のなくなった言葉をまた告げる。

「愛してる、シーグル」








 唇を離せば、ほぅ、と息を吐いたまま呆けたように黙っているシーグルの顔を、セイネリアは暫くの間眺めていた。
 前より長くなった銀色の髪は、枕に大きく広がって彼の整った顔を彩る。時折瞬きに揺れる長いまつ毛の動きを眺めて、薄く開かれた唇から僅かに漏れる吐息を聞く。薄い色素の中、彼の意志の強さを映すようなハッキリとした濃い青の瞳に自分の顔が映っているのを見つめて、それから裸になった彼の体を見つめる。
 白い彼の体は確かに前よりも筋肉がついていて、前の時のような痛々しさは感じなくなっていた。まさに細身の石膏像でも見ているような体は作り物のように整っていて、細かい傷跡がなければ本当に人ではないようにも見えるくらいだった、だから……。

「お前は……本当に綺麗だな」

 言えば、ぼうっと焦点が怪しかった彼の瞳が大きく見開かれ、その白い頬に朱が差す。表情が消えていた顔が恥ずかしさと怒りに染まって行って、その強い瞳がしっかりとこちらを睨んでくるからつい、声に出して言ってしまう。

「愛してる」

 そうしてまた、額と頬と目元にキスをすれば、されるがままになりならがもシーグルは文句を言ってくる。

「そういうのはこういう時に改めて真顔で言うな」
「そうか? 今言わなくてどうする」
「まるで口説いてるみたいだ」
「なんだ……気づいてなかったのか?」

 シーグルは目を丸くする、何をだ、と視線で言ってくる彼の顔を見て、セイネリアは軽く喉で笑った。

「口説いてるんだぞ。お前はすぐに何処かへ行ってしまおうとするから、常に口説いて俺の気持ちを伝えておかないと気が休まらない」

 益々赤くなった彼の頬にまたキスをして、それからまた声に出す。

「愛してる、シーグル」

 言って顔を近づければシーグルは真っ赤な顔で顔を横に向けてしまって、仕方なくセイネリアはその耳元にキスして、それから耳の中に直接囁いてやる。

「愛してる」

 ビクリと反応する彼の耳を舐める。

「愛してる」

 今度はそこに軽く歯を立てて甘噛みする。

「愛してる」

 それから耳たぶを吸って、また舐めて……そうしながらもただ『愛してる』と繰り返す。こちらを引きはがそうとしてきたシーグルの腕をベッドに上に押さえつければ、彼は肩を上げて耳を守ろうとする。それでも構わず続ければ、シーグルは肩を上げたまま背を曲げてベッドの上で丸くなった。
 その姿が子供のようでセイネリアは笑いたくなる。目を思い切り閉じて耐えようとする彼の姿が――多分これは『可愛い』のだと思ってセイネリアはなんだか可笑しくて、幸せで、声を出して笑ってしまった。

「……何を笑ってるんだ」

 そうすればシーグルはこっそり伺うようにこちらを見上げてくるから、その表情も可笑しくて笑いが止められなくなった。

「はは……お前の反応があまりにも『可愛く』てな」

 シーグルが一瞬眉を寄せる、それからまた顔を赤くして彼は目を逸らす。

「そんな事言われても全然嬉しくないし、馬鹿にされてるようにしか思えないぞっ」

 まだ丸まったまま顔を赤くしている彼が可愛くて、セイネリアは彼に触れずに、そっと顔を近づけて聞いてみる。

「何が嫌なんだ、俺が『愛してる』と言えるようになるために契約を破棄させたんだろ?」
「うるさいっ、そうだとしても限度があるだろっ」
「前から俺は言う時は何度も言ってたろ」
「それでもしつこいっ……お前のは、恥ずかしいんだ」
「何故恥ずかしいんだ?」

 最後の問いには応えず、シーグルは手探りで上掛けを探り当てるとそれを引っ張って体の半分と、主に顔を隠した。

「恥ずかしいものは恥ずかしいんだっ」

 言葉の最後は被った布のせいでくぐもって聞こえる。
 セイネリアは笑ったまま、その布を豪快に引っ張って彼の上から引きはがした。

「おいっ、やめっ」

 未練がましくシーグルは上掛けを掴むが、切れるぞ、といえば手を離すあたりが彼の貴族らしくない貧乏性なところだ。
 恨みがましい目で見上げてくる彼の顔を見てまた笑って、今度は前よりも触りがいのある彼の髪に指を入れて梳いてやる。

「そんなに恥ずかしいなら……まぁ、多少は我慢してやる。だから機嫌を直してくれ」



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 いちゃいちゃぶりに思い切りにやにやしてやってください。
 



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