旅立ちと別れの歌




  【13】



 その後は……実は結構大変だった。
 事情を知っているエルとロスクァールとサーフェスがやってきて、とにかく治癒に全力で取り組んでくれたもののやはりすぐには普通に動けるまでには出来なくて、アウドの付き添い付きでどうにかシーグルは本式典の月の勇者としての仕事を終えることが出来た。ただほっとして、役目が終わって控室に戻った途端、シーグルは気を失ってしまったのだが。

 式典が終われば、シーグルが首都で帰る場所は一つしかない。
 だが目が覚めたのは将軍府の中でもサーフェスの治療室で、しかも外を見れば既に朝になっていた。おかげで眠っている間に治療がほぼ終わっていたらしくどうにか自力で普通に起き上がることが出来るようにはなっていたが、代わりにその間セイネリアを放っておいてしまった事にシーグルは焦った。

「セイネリアは?」

 起きてすぐに言えば、ついていてくれたらしいソフィアがすぐに教えてくれる。

「マスターは部屋にいらっしゃいます」
「すまない、連れていってもらえるだろうか」
「はいっ」

 彼女もシーグルの計画を全て知っている。だからシーグルが出来るだけ早くセイネリアに会って話したい理由も分かっている。
 シーグルは急いで身支度を整えた。ソフィアに手伝って貰って鎧を着て、どうにかレイリース・リッパーとしての正装をしてから彼女の転送で彼の部屋の傍にまで飛ばしてもらう。
 丁度外に立っていた見張りがもと傭兵団の者だったことで、セイネリアに確認することなくシーグルは中へ通される。そうして急いで部屋に入ったシーグルは、椅子に深く座って足を机に投げ出したまま動かないセイネリアの姿を確認した。
 仮面を外して机に置いたままのセイネリアは、だが下を向いているからか顔は見えなかった。
 傍にいるカリンがこちらを見て、それから少し困った顔をしたあとにこちらに一度頭を下げて後ろへ下がった。
 シーグルはそこで自分も兜を取ると、それをソフィアに渡してセイネリアに近づいていく。彼はまだ顔を上げない。
 構わずシーグルは将軍の机の少し前までいくとそこで跪いた。

「ただいま戻りました、将軍閣下」
「あぁ……」

 それだけを返したセイネリアだが、まだ顔を上げはしない。
 シーグルはそこで立ち上がると大きく息を吸い込んだ。

「何をふ抜けているんだ、それでもあの最強の騎士セイネリア・クロッセスかっ」

 怒鳴ってみても、彼はピクリとも動かない。
 だが体勢が変わらぬまま、自嘲を乗せた声だけが返ってくる。

「……残念ながら、もう最強とは名乗れなくなった」

 シーグルは更にセイネリアの机に大股でずかずかと近づいていく。近づいて、思い切り叩く勢いで両手を机に置いた。バン、と大きな音が鳴るが、それでもセイネリアは顔を上げない。シーグルは更に怒鳴った。

「あぁそうだ、とうとうお前に勝ったぞ、何が最強だ、ザマアミロ」

 そこまで言って、やっとセイネリアが顔を上げた。顔を上げてこちらを見て、それから自嘲気味に口元をゆがめて呟く。

「そうだな……確かに負けた、もう俺は最強じゃない」

 シーグルはまた大きく息を吸い込んだ。ただ今度は怒鳴るまではせずに言い返す。

「そうだ、最強なんて絶対じゃない。お前の馬鹿力も、剣の中の騎士の技能も絶対ではない、負ける時は負ける」
「確かに、そうだな」

 セイネリアの声は多分に自嘲を含んでいるが穏やかではあった。けれどこちらを見てくるその瞳は辛そうで、シーグルは大きくため息をつくしかなかった。

「とはいえ同じ手はお前に通じないだろうからな、きっと次は勝てない。だがそれなら俺はまた別の手を考えて勝ってやる」
「……あぁ、お前なら出来る、だろうな」
「そして次にはまた負ける、だが俺はまたどうにかする……それがどういう事か、分かるか?」

 じっと彼の顔を見据えれば、自嘲だけだったセイネリアの顔に困惑が浮かぶ。

「シーグル?」

 あぁいい加減分かれ、と怒鳴りたいのをどうにか抑えて、シーグルは少し体を乗り出して彼に近づいた。

「今回の手が次に通用しないという事は、お前が次に今回より強くなっているという事にならないか?」

 そこでやっと彼もこちらの言いたい事を分かったらしく、あの金茶色の瞳を本当に驚いたように見開いた。

「最強の力を手に入れたからといって、それ以上体を鍛えられなくなったといって、お前はまだちゃんと強くなれる。その最強の力は絶対じゃない、お前の強さは完璧じゃない、お前が強くなる余地はまだある。そしてここから強くなるのならそれは絶対に剣の中の騎士の力じゃない、お前自身が身に付けたお前の力だ。剣の中でいい気になっている騎士に、お前を越してやったぞと言ってやればいい」

 セイネリアは目を丸くする、けれどそれから唐突に口元をゆがめて……彼は片手で目元を押さえて顔を隠すと、軽く肩を揺らしだした。彼が笑っているのだと分かったシーグルは、また大きく息を吐いて今度は机に置いていた手を離すと背筋を伸ばして彼を見下ろした。

「……つまりだ、セイネリア、頂点に立った気になって勝手にもうこれ以上何もできないと絶望するのは早すぎるんじゃないのか、ということだ」

 そうすればセイネリアが顔から手を離す。今度は声を上げて笑い出す。
 シーグルは腕を組んで、ふん、と胸を張ってみせた。

「……はは……まったくお前は……俺にそれをいいたいが為に俺に勝ったのか」

 シーグルは即答した、そうだ、と。
 そうすればセイネリアは笑いながら立ち上がって、少し体を前に落として視線の高さを同じにすると改めてこちらを見つめてきた。
 それから、口元に嬉しそうな笑みを浮かべて言ってくる。

「やっぱりお前は最高だ、シーグル。諦める気でいたのに諦められないじゃないか」

 口元は笑みを浮かべていても、目を細めて悲しそうにこちらを見つめる『元』主に、シーグルはまた大きくため息をついてから言ってやる。

「何を諦めるんだ?」
「……お前はもう俺のものじゃない。お前を縛る俺との契約はもうない、お前は好きにどこへ行ってもいい」

 それにシーグルは思い切り顔を顰めると、ぐっと彼を睨み付けて言った。

「お前は何を勘違いしているんだ」

 流石にそれにはセイネリアもまた驚く。今度は目を見開きはしなかったものの、僅かに口を開いたまま固まるように止まってしまって、じっとこちらを見返してくる。

「破棄されたのは、絶対的な主としてお前に生涯仕えるという主従契約だ。別にお前の傍を離れる訳じゃない」
「なら何のために契約の破棄を……」
「いいか、俺はもう契約に縛られたお前の絶対的な部下じゃなくなった、絶対にお前の傍を離れないとか、絶対にお前を裏切らないとか、絶対にお前に従うとか、そういう『絶対』がなくなっただけだ。つまり今後はお前のやり方にムカついたり、お前に愛想を尽かしたら、俺が部下をやめてどこかいなくなっても契約で止められなくなったということだ」

 セイネリアはまだあっけにとられたような顔をしている。この男がこれだけ間の抜けた顔をしているのなんてシーグルでさえ見た事がない。最強の男、絶対に勝てない、なんていうのはただの思い込みだ。俺はちゃんとお前の立っている位置まで行ってやったぞ――と、今シーグルは思う。

「だから怯えておけ。情けない姿や、驕るお前を見たら俺はいつでもお前を見捨ててやる。それが嫌ならせいぜい俺に愛想を尽かされないようにしろ」

 それでもまだ、セイネリアは何も言い返してこない。だからシーグルは目いっぱい息を吸って、一気にまくしたてる。

「そもそもだ、俺が欲しいならちゃんと俺が傍にいたいと思うようなお前でいろ、契約で縛るなんて反則だろ。好きな相手が離れたらどうしようなんて悩みは人を好きになったことがある人間なら誰もが思うことだ、誰もが抱えてるそんな不安に簡単に負けるような情けない男なのかお前はっ」

 言い切って、肺に残っていた息を吐き出す。そうすればやっと、彼の顔に表情が戻ってその口が動く。

「……そうだな。確かに我ながら情けないというのは分かっていたが……」

 それでも確かな約束が欲しかった、と言いながら彼が自嘲気味に笑ったから、シーグルもそこで苦笑する。

「お前は馬鹿だ、俺が部下としてお前から一線引くのが本当は嫌なくせに、契約で部下という位置に縛った。いくら言いたい事を言っていいとか、逆らってもいいとか言っても、契約がある限りは最終的にはお前に従うしかないんだ、俺は」
「……あぁ、確かにそれは馬鹿だったと俺も思う」
「何をやっても契約があれば少なくとも傍に居る、なんて考えは甘えだ。そういうところがお前はガキなんだ」
「酷い言いようだな。……否定は出来ないが」

 話す内にセイネリアの表情が柔らかくなっていく。自嘲ではあっても軽く喉を揺らして笑う彼に、言っておかなければならない一番重要な事をシーグルは言う事にする。

「ともかく、これでお前との契約は終わりだ。お前はもう俺に強制は出来ない。……だが代わりに、お前ももう契約に縛られなくていいんだ。俺の家族を守る義務も、俺が無理やりさせた約束も条件もお前は全て投げ出していい」

 そこでやっと本気でこちらがやりたかった事が全て分かったのか、うつむいていた彼が再び驚いたように顔を上げて……やがて、その顔に喜びの色が浮かんでくる。だからシーグルも出来るだけの笑みを浮かべて、彼が言うより先に彼を縛っていた約束を破棄する言葉を言ってやった。

「愛してる、セイネリア」



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 この後のセイネリアさんを想像して次回までお待ちください。
 



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