旅立ちと別れの歌




  【20】



「私は最後に貴方に聞いてみたいことがあったのです」
「聞いてみたい……事?」
「そう、詩人としてではなく、ケーサラーの神官として最後に貴方に問てみたい事があるのです」

 ケーサラーは記憶と記録の神である。そしてこの詩人は起こり得た筈の別の未来を突発的に見ることが出来るともセイネリアから聞いていた。

「あり得なかった別の貴方の話です。もし……貴方がシルバスピナを名乗る内にリオロッツを倒す決心をしていたならどうなったと思います?」

 セイネリアは言っていた。最初からお前が自分を頼ってくれれば無条件で力を貸したと。ならばある程度は予想が出来る。

「それでも俺はセイネリアの力を借りて、反乱自体は成功したんだろうな」

 詩人はそれに、にこりと笑った。

「はい、左様です。そして付け足すならば、貴方は家族も、地位も、名誉も……何も失わず全てを得ることが出来ました。ウォールト王子が生きている間なら宰相として、その死後なら貴方自身が王となって、人々に愛され、愛する家族や部下たちと、貴方が幼い頃から目指していた通りの幸福を掴む事が出来たでしょう」

 その詩人の言葉をシーグルは正しいとは思った。だが、家族や部下達との幸せを取るという事は、致命的に一つの問題を残す事になる。

「……だが、そちらを選んでいたらあいつは救えない、違うか?」

 詩人はそれを聞くと、持っていた幅広つばの帽子を胸に抱いて目を閉じた。

「その通りです、だから貴方に聞きたかったのです。それを踏まえて、もし今どちらかの道を選び直せるとしたら、貴方はどちらの道を選びますか、と」

 シーグルは笑う、ならば迷う必要はない。

「それなら今と同じ道を選ぶさ。夫や父、領主としては失格だと思うし皆に申し訳ないとも思うが……あいつを救えるのは俺だけだ。例え、今と同じ罪を犯しても……俺はあいつを救わなければならない」

 そうすれば詩人は帽子を抱いたまま、その場で深く、深く、お辞儀をした。

「ありがとうございます。私はそれが聞きたかったのです。そのお覚悟があればきっと、あの男とこの世界は救われる事でしょう」
「この……世界?」
「はい、それが何かは分かりませんが、我が神ケーサラーがそう示してくださいました」

 言うと吟遊詩人は顔を上げ、キールにこっそり耳打ちする。そうすればキールはため息をついて、面倒そうに杖を持ち上げると術を唱え始めた。

「それではお別れでございます。私が作る歌は旅立つ貴方で完結いたします。そこから先は誰も知らなくていいでしょう」

 そうしてまた大仰なお辞儀をしたまま、キールの使った転送の術によって吟遊詩人は消えてしまった。

「……ぇ〜あの男はですね、そもそもが貴方の歌を作るために団にいたのですよ。ですから歌はこれで完結した……ということでいいんじゃないですかぁねぇ」

 キールがそういえば、シーグルは眉を寄せる。そもそも公に出来る自分という人間は既に死人で、ここにいるのはレイリース・リッパーという別人である事になっている。まさか真実を歌う事をセイネリアが許すとは思えないし、一体誰にその歌を歌うつもりなのだろう、と。

「……まぁなら、寂しくなったり、ちょっと心が折れそうになったら俺はあの詩人に貴方の歌を歌ってもらう事にしますかね」

 アウドが言えば、ソフィアもそこで笑って言う。

「そうですね、その時は私もぜひ」
「私もぉ〜その時には……あぁそれにぃカリンさんやエルさんたちも〜関係者さん方皆で聞かせてもらうとしますかねぇ。特にエルさんは呼ばなかったらそりゃぁあ怒るでしょうしねぇ」

 エルのその様子は想像が出来すぎて、だろうな、と思わず笑う。しかしそれで更に考えてみれば――あの詩人は子供の頃から騎士団時代までシーグルの事を知っている訳で、となれば知人たちに自分の生い立ちから今までの話を全て聞かれる事になる……と思い至ってさすがに笑っていられなくなる。どうしてもシーグルとしては気まずくて、笑みを引きつらせるのが精いっぱいだった。

「いやぁ、どんな歌になっているのかぁたぁのしぃみですねぇ〜」
「……あ、あぁ、そろそろいかないか、きっとセイネリアが待ってる」
「おんやぁ〜なにかマズイ話をしましたかねぇ〜シーグル様が話題逸らしとはぁ」
「貴方が知られたくない事……でも俺は結構知ってると思うんですけどね」
「私は何を聞いても大丈夫です」

 笑顔で返してきた彼らは、そういえばそれぞれシーグルが『そういう目にあった』そのものか事後の状態を実際見ているから……考えたら自分の襲われぶりに落ち込みそうになったが、ここはもう話を切り上げてもらうしかないとシーグルは考える。

「……いや、もうその話はやめてくれ……」

 だからはっきりそう頼んだのだが、彼らは益々楽しそうに、笑いながら言ってくるのだ。

「いやぁ〜そこはやぁっぱり気になるところですねぇ〜みなさんも」

 やたらと芝居掛かったキールの言い方からするときっと揶揄われているのだろうとは思っても、強引に話を終わらせられないところが律儀で真面目なシーグルらしいところである。おかげで最後な事もあってかそこから暫く皆にいろいろ言われて揶揄われ、なんだか出発前にシーグルはやけに疲れる事になってしまった。







 セイネリアが睨む中、仮面をつけた金髪の魔法使いは、大きく息を吸ってから口を開いた。

「答えは簡単だ、あの坊やはリパ信徒の魔力の輪の中に入ってる。……信徒達は魔力を繋げて魔法を使う、つまりあの坊やを介して大勢のリパ信徒に黒の剣の魔力が使われてるって事なんだよ」

 セイネリアは目を見開いた。

「実際、あの坊やへあんたから魔力が流れだした頃から、やたらとリパ神官達は術の効果が高くなったって言ってたそうだ。で、俺も仮説としてそれをあのリトラートから聞いて調べちゃいたんだが、確定のきっかけはあの坊やが一時的にアッテラの信徒の輪の中に入った事だ。俺もジクアット山に行って調べたんだが、やっぱりアッテラの神官達の中で術の効果が上がったって話が出ててたし、大聖石の計測でも確定していいだろうって結果が出た。……黒の剣の魔力は確実に減って行っている、あの坊やから他の信徒達に吸われる形でな」

 あまりの事に呆然としつつ、セイネリアは城壁に背を預けて目を閉じた。

「信徒、か――」

 盲点だった、とセイネリアは思う。
 何故それを考えなかったのかと自分に呆れる。

 理論を考えれば確かにそれはあり得る話だった。
 信徒の輪というのは、もともと一人だと魔法を使えない人間の魔力を繋げてまとめる事で魔法が使えるだけの魔力量を確保する、いわば魔力を共有することで魔法を使うというしくみだ。だからその輪の中にいる一人の人間に大量の魔力が流れていったとして……魔力を共有している他の大勢の人間に流れていってしまうだけという話だ。

「剣から魔力を放出しきるにはどうすればいいかってのはこっちではさんざん議論されつくしてきた内容だ。なにせ剣から魔力を放出しても、剣の強大すぎる魔力に引かれて魔力は戻っちまう。戻らせない為には『魔力がなくなるまで放出させ続ける』ってのが必要で、それを狙ったのが例の過激派な訳だ。普通なら魔力を放出しきるまで剣の持ち主が持たないが、あんたなら出来る筈だってな。……まさかこんな簡単で、安全な剣の魔力の放出方法があるなんて誰も思わないだろ」

 魔法使いの声は興奮している。というか、笑っているのか泣いているのか、妙なテンションの声で彼はまるで自分に言い聞かせるにようさえ聞こえる言い方で言葉をつづける。

「確かに一人が使う魔力はたいしたモノじゃないが、大勢のリパ教徒が常に剣から流れた魔力を使ってる――それは積み重ねればあんたが敵軍にぶっぱなす魔力より圧倒的に多い。なにせ『常に』ってのが重要だ。しかも剣から直接放出したのではなくあの坊やを介して間接的に流れて行ったものだからか、使われた魔力は剣に戻らず、かといってそもそも使用者の許容量以上の魔力だから使用者にも戻らない、ただのそのまま世界に還っていく……還って行くんだ、かつての世界に戻ろうとするようにな」

 神経質な、普段なら不快だと感じたろうその声を聞きながらセイネリアは考える、呆然とした顔をしたまま考える――それは、つまり――。

「このままいけば、いつか剣の力は消えるということなのか?」

 セイネリアが呟けば、金髪の魔法使いは強い声で言った。

「あぁそうだ。黒の剣が吸った魔力はもともとが剣のものじゃない。魔力が失われていけばその剣に魔力が固定される力も弱くなって最後には全て放出されてしまう筈だ。そうすれば残るのは魔法使いギネルセラの自身の魔力だけになる。おそらくその段階で不老はともかく不死なんて無茶な効果は切れると思うが、俺やアルタリアくらいのたまに現れる規定外の魔力保持者か、もしくはそれに匹敵するだけの人数の魔法使いがいりゃ、ギネルセラや例の騎士も剣から無理やり切り離すことだって可能だ。そうすりゃ完全に、あんたは剣から解放される」

 セイネリアはまだ呆然としていた。魔法使いの言葉を理解しつつも剣の主となった時のその絶望が強すぎてそれを簡単に信じる気にはなれなかった。

「そして最終的には魔法使い達にとっても念願の……魔力が当たり前に世界を満たしていたその時が戻る。実際、世界にほんとに僅かだが魔力が戻り始めてるのも確認した。……はは……はは……」

 魔法使いはそこでとうとう笑い出した。仮面を手で押さえるように、まるで喉を引きつらせるように、どこか狂気じみた笑い声で笑う。

「ははは……まったくな、まさかこんな奇跡が起こるなんて誰も想定しちゃいなかった。頭のおかしい奴以外、そんな都合のいい望みを叶えられる日がくるなんて考えてもいなかった。笑う以外ないだろ……魔法使い達が長年研究してそれでもあきらめていた究極の望みって奴が……まさか意図せず偶然叶うかもしれないってんだからさ。魔法ギルドの研究はなんだったんだってな」

 魔法使いは笑う、声を上げて。
 その無駄に派手な仮面の下から涙が光っているのを見て、セイネリアも唇を歪めると目を細めて空を見た。

 全ての奇跡は、シーグルと会えた事。彼を愛した事。

 始まりはそれで、セイネリアが願ったものは彼が全て叶えてくれた。あがいてあがいて諦めて絶望するしかなかったそれを、彼は全て救ってくれた。

 セイネリアもまた、いつの間にか――空を見上げたまま声を上げて笑っていた。



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 続編はセイネリアが救われる話ということで、これでやっとこさ決着がついた感じでしょうか。
 



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