【3】 「え? まさか、あれは……」 『静なる祭』と呼ばれる聖夜の後の2日間は主にリパへの祈りがメインとなるため、地方から祭り見物でやってきた者は殆ど去り、華やかな飾り付けはそのままでも比較的街は落ち着きを取り戻す。そんな中でも、シグネットを腕に抱いて街に繰り出したセイネリア一行を見れば辺りが騒然となるのは当然の事だった。 「シグネット様だ、国王陛下が街にいらっしゃったぞー」 パレードでさえ、ちらと一目でもいいからとシグネットを見たがって人が集まるのだ、間近でその姿を見られるとなれば人が押し寄せるのは当然の事だった。ただ、それで押し寄せた人波によってシグネットの身に危険が及ぶような事にはならならなかった、いや、なる筈がなかった。 なにせ、いくらシグネットが人気であっても、少年王を抱いてそこにいるのはセイネリア・クロッセスなのだから。 人は集まってくるものの自然と一定の距離までで皆留まって、小さな王に人々が寄ってたかって群がってくるような事にはならなかった。セイネリア・クロッセス――奴に逆らうな、逆らえば死ぬより恐ろしい目に合う――とただの冒険者だった時からそう噂され恐れられていた男が、今では王さえ倒して権力の頂点に近い位置にいるのである。しかも死んだ前王の悲惨極まりない最後は、その噂が紛うことなき真実であるという事を人々に強く印象付けた。そうしてその力については、ヴネービクデで見せた彼の持つ剣が作り上げた惨状が広まっていて……今では誰もが噂を真実としてこの黒い騎士を恐怖と力の対象と認識していた。 それだけの実績と噂と、そうして実際目にした不気味な仮面の黒い騎士に一般人が近づけるものではない。いくら上機嫌の無邪気な少年王を抱きかかえていても周囲の人間に向ける仮面ごし騎士の瞳は鋭く、人々は反射的に体が竦んでそれ以上動けなくなる。セイネリアがある方向を向いてそちらへ行こうと歩きだせば、その先にいる者達は自然と逃げて道を開ける。 その様子を見て、思わず傍にいたカリンが笑った。 「警備兵数百人より、ボス一人がいる方が効果的ですね」 「そうだろ、だから普段から脅しの利いた噂話というのは流しておくものだ」 そんなことを言い合うセイネリアとカリンをよそに、当のシグネットといえば大勢の人々と近くで見る賑やかな露店の並びに夢中で、人々が恐れて近づけない理由がよく分かっていなかったのだが。 ちなみに当然だが、いくらセイネリアがいるといっても供は見て分かる数人だけではなく、普段から王の護衛役のフユはやはり影からついてきているし、それ以上に魔法使い達が何人も周囲を監視していた。更に言えば見える護衛の人間も、セイネリア程ではないがその姿だけで効果的な人間を連れてきていた。 「なんというか、前代未聞でしょうね」 「面白いじゃないですか、私はこういうのは好きですよ〜」 「そりゃぁフィダンド様は、こういう『遊び』は好きでしょうけど、俺はちょっと胃が痛いです」 「なんですかぁ、そんな繊細な神経の持ち主じゃないでしょレッサーは」 前を行くセイネリアとカリンの後ろについていたのは、結局今年も競技会で優勝した月の勇者であるチュリアン卿と、その文官であり師匠でもある魔法使いフィダンドだった。 「まぁいい機会じゃないですか、レッサー一人で祭見物となればあちこちで声掛けられて周りの人間に奢って歩く事になりますし、こういう機会でもないとゆっくり見て回れないでしょうしね」 「いやこれをゆっくり、と言いますかぁ……?」 ここ数年聖夜祭の競技会で無敵を誇る月の勇者であるチュリアン卿についてはその腕も名声も疑いようがないのは確かで、しかも一般人からすればそのおまけのように見える魔法使いは実は魔法使い達の間では相当な有名人だったりした。何せ数年前、この魔法使いがシーグルに『残り香』をつけてくれたおかげで大抵の雑魚魔法使いが手を出すのを躊躇するくらい、彼を敵に回したくないと考える魔法使いは多いのだ。セイネリアからすればチュリアン卿は一般民衆に対する分かりやすい護衛だが、フィダンドは魔法使いに対する脅しのための護衛であった。 「しょーぐん、あれなに、あれきれーい」 シグネットが身を乗り出して指させば、セイネリアがゆっくりとそちらに体を向ける。それに合わせて人々が道を開けるのを待ってから、セイネリアはシグネットが指さした露店に向かって歩きだした。シグネットは人々が道を開けるその動きにもはしゃいで足をパタつかせるが、歩く時に手を振って『ありがと〜』と声もかけていくので、仮面の将軍を恐れて引きつっていた人々の顔もそこで笑顔に変わっていく。 「ただの果物売りだな、面白いのか?」 そうしてシグネットの指さした露店の前にまでやってはきたものの、セイネリアはつまらなそうにそう言い捨てただけだった。仮面で表情自体は見えないとしても、その冷たい琥珀の瞳と声だけで一般人は腰が抜けるレベルだろう。店主の緊張しすぎて気絶しそうな顔にカリンが同情した顔をしたものの、それでもにこにこと嬉しそうなシグネットの言葉が店主を救った。 「くだもの? じゃー食べられるの? ほら、すごーくきれい、ぴかぴか光ってる」 「まぁ、確かにな……」 子供というのは色合いがカラフルなものに目を引かれる。確かに店自体はただの果物売りだが、色とりどりの果物を綺麗にならべて積み上げている様は見栄えがするといえた。いろどりのためにか中にはセイネリアも見たことがないような果物も混じっていて、それには少し感心する。 「珍しいのがそろってるな……どれか食べてみたいのがあるか?」 そこで当然のようにセイネリアが聞けば、信じられないようなものを見る目でシグネットが目を見開いた。 「いいの?」 「まぁ、今回はな。どれがいい?」 ちなみにセイネリアのその言動に驚いたのは何もシグネットだけではなく後ろにいるチュリアン卿もで、それ以外の店主も周りの人々も……はやい話が一部の人間以外は皆が驚いた。 「えっと、あの、あかいの……それとそのむらさきのっ」 自分の立場が分かっているシグネットは本当にいいのか分からないようで、不安そうにセイネリアを見ながら果物を指さす。 セイネリアはそれを身を屈めて少し眺めた後、急に店主に顔を向けた。 「おい、これとこれは甘いか?」 「え? うぁあわ、はいっ」 ちょっと後ろに下がってびくびくしていた店主の男は、セイネリアに声を掛けられて飛び上がらんばかり……ではなく本当に飛び上がって、ついでに震えあがって驚いた。 「これとこれは子供が喜ぶような甘い果物かと聞いているんだ」 「あ、あぁあぅあ、ははははいっ、あ、あ甘いですっ、たっただただこちらはあまりそのまま食べたりはしなくて普通はケーキに入れて焼いたり、とか……」 セイネリアはそこで少し考える、それから店主がケーキ云々と言わなかった赤い方の果物を一つ手に取る。 「とりあえずこれを一つもらうぞ、金は払うから心配するな」 そうしてそのまま果物を一口齧ると、そこでまた周りに驚きのざわめきが走った。セイネリアは構わずその赤い果物を咀嚼し飲み込むと、口を拭ってから果物をシグネットに渡す。 「食っていいぞ、少し固いから気をつけろよ」 シグネットは驚いた顔で受け取ったものの、そういわれて満面の笑みを浮かべた。 「うんっ」 そうして嬉しそうに果物に齧りつくシグネットを見ると、セイネリアは店主に向き直って追加の注文を入れていく。金だけは先払いして、後で人をよこす事を伝えると店を離れて通りに向かう。 「うまいか?」 「うん、あまぁい♪」 幸せいっぱいという顔で頬に果物の汁をつけて笑う子供に、セイネリアの口元も緩んで金茶色の瞳も優しそうに細められる。 「そうか、向こうの紫の実の方は、後で城の料理人に菓子でも作ってもらえ」 「おかしならフェズがいいよ、フェズはめいじんだからっ」 「フェズ……あぁそうか、確かそんなことを聞いたこともあったな」 「フェズのおかしおいしーんだよ、いつもおちゃかいでつくってくれる」 「そうか、なら言っておこう。シグネット、他に見たいものはあるか?」 「うん、あっちのー、それと向こうのなんかあおいチカチカしてるやつっ」 腕の中で幸せそうに赤い果物を食べる少年と、それに笑いかける人々に恐れられる将軍の姿に未だに驚きの顔をしたまま周りの者達は騒然となって言葉を交わし合う。 なにせ幼い王の為に、将軍が自ら毒見をしたのである。更に『あのセイネリア・クロッセス』が笑っていたとなれば、人々が驚くのも無理はない事だった。 「まったく、前代未聞もいいところですね」 「まぁ、理由を知ってる者としては当然の事なんですけどねぇ」 「どういう事ですか?」 「レッサーには教えてあげません」 「フィダンド様ぁ〜」 こそこそと言い合っているチュリアン卿と魔法使いの会話を聞きながら、セイネリアは腕の中ではしゃぐ銀髪の少年を見て思いを馳せる。こんな風にあいつが幸せそうにモノを食べる姿を見てみたいものだと思いながら、小さな少年が嬉しそうにすればするだけ愛しい彼が喜ぶだろう事を考えて心が温かくなる。彼がそばにいなくても、彼が愛する者が自分の心に温もりを与えてくれるのだから不思議なものだと思う。 その後、この時のことが人々の噂となって国中に広まった事は言うまでもなく、『あのセイネリア・クロッセス』がどれだけ故シルバスピナを大切に思っていたのか、その子である現国王の為なら命を懸けるであるだろう事までもがこの事をきっかけに人々にとって当然の認識として語られるようになった。 --------------------------------------------- まぁそりゃこの場合セイネリアが毒見しますよね。 |