旅立ちと別れの歌




  【7】



 穏やかな日々は過ぎていく。
 日に日に大きくなっていくシグネットを『彼』の代わりに見守りながら、気づけばまた冬が来てその年も終わり、春が来て少年王はまた少しだけ大人に近づいていた。かつてのシーグルを慕って集まった人材は皆優秀で、新政府は順調に新体制を作り上げ、着実に腐った部分を排除して新しい風を入れていく。この冬の議題にはついに騎士試験の条件についても上がって、将来的には騎士学校を作ってそれを卒業すれば許可証はなくていい事にしようというのが決まった。それをシーグルに報告した時に彼が喜んだのは勿論だがその時の彼の顔を見れなかったのは少し残念で、セイネリアは彼にまた『早く帰ってこい』と言ってしまったのだが。

 シーグルが首都にいない間、クリュースは驚く程平和だった。セイネリアとしてはいっそどこかで戦いが起こって忙しくなるくらいの方が気が紛れたと思うところだが、なにせ将軍セイネリアの名を恐れて他国は勿論、蛮族達の襲撃さえ極端に減ってわざわざセイネリアが対処しなくてはならないような戦いは全く起こらなかった。おかげで内政に集中することが出来たのではあるが、ある程度の体勢と方針が決まっていて優秀な人材を配置しておけば、軍事のトップであるセイネリアのやる事などほとんどなくなる。
 自分は恐怖の象徴として、その存在だけで面倒な輩を押さえつけられればそれでいい――セイネリアの予定通り、政治の中心から少しづつ距離を置くという計画も順調で、政府の重要会議に出る回数も大分減らした。会議が終わったロージェンティに、その間お茶会に出ていたと言えば、呆れながらも『平和ですのね』といわれるくらいには平和過ぎる日々がただ続いていた。

「さて将軍様は、今年も予選は見にいかないのでしょうか?」

 わざとらしく恭しい敬礼をしてそう言ってきたエルに、セイネリアは苦笑しながらテーブルに足を上げた恰好で答えた。

「どうせ本戦は見なければならないしな、面白い奴がいればそこで見れるだろ」
「まぁそうだけどさ、なんか暇そうにしてるなら見に行けばいいんじゃねって思ったんだよ」

 すぐに態度を崩してそう言ってきたエルから視線を外し、セイネリアはつまらなそうに窓から見える街の景色に目を移した。

 今年も夏が終わり、今日から聖夜祭が始まった。
 平民にも出場枠が与えられた競技会は年々参加者が増えて、今年は祭前に予選の予選が国内の何か所かで開かれたくらいだ。制度や組織をきっちり作り上げた後では警備については最高責任者となるセイネリアもあまりやることがなく、確かに暇といえば暇ではあるから競技会見物はいい暇つぶしではある。……ただそうではあっても、それでこの状況の中でシグネットの近くを離れる気にはなれなかった。

「この混雑で俺が出て行けばまた面倒なことになるだろ」
「マスターなら警備兵なしで道開けて歩けンだろ」
「だから緊急時に備えて俺は待機してるさ」

 どうにも動く気がなさそうな事は彼も分かって、エルはそこでトレードマークの長棒を肩に担ぐとくるりと踵を返した。

「ほいほい、そんじゃ俺はちょっといってくるわ」

 別にそれを止める気などないが、気楽にそういう彼には少し嫌味を言ってやる。

「お前は今日は俺の側近という事で警備から外したんだが」
「いーだろ、あんたを守る必要なんかねーしさ」

 それには了承の代わりに笑い声を上げて、そうすればエルも笑って手を振ってくる。

「じゃーなっ、面白い奴いたら報告してやるよ」
「それはチュリアン卿に言ってやれ。去年など消化不良だから俺に出てくれと言い出したんだぞ」
「……まぁ、今年はそうも言ってられないかもしれないじゃねーか」
「そうだな、そうなると助かる」

 それにも笑って、そうしてエルは部屋を出て行った。






 今年も大きな問題はなく聖夜祭は日程を消化していき、動なる祭と呼ばれる二日間を終えて本式典のある聖夜当日となる。今日のメインはやはり深夜に行われる聖夜礼拝ではあるのだが、一番盛り上がるのは昼間に行われる競技会の決勝トーナメントであった。
 流石に決勝となれば招待客やら貴族王族勿論セイネリアも出ない訳にはいかず、選手の入場よりも前にそれらの出席者達は華々しいパレードと共に入場して席に着く。セイネリアの席はシグネットの隣で、その後方には王族の身内の席があり、そこから端によったところにはメルセンとアルヴァンが相当緊張した顔で立っていた。彼らの後ろにはカリンとエル、その反対端には護衛官が4人程並んでいて、その中には従者見習いの子供達の父親もいた筈だった。一方、前方――高くなっている王族席の丁度下になる段には旧貴族達がずらりとならび、そこから一段落ちてその他の貴族達となる訳だが、さすがにそこは人数がそれなりに多い為、全員席に着くまでは時間が掛かった。

「しょーぐんはいちばん強いのに出ないの?」
「まぁな、出ても面白くない」

 横を向いてこっそり言ってきたシグネットにはそう言って、前を向いていろと頭を軽く撫でる。そうすればシグネットは嬉しそうに背筋を伸ばして座り直し、やっと貴族の入場が終わった会場内を見まわしていた。
 招待席の入場が終わって一度静まり返った場内に、再び勇ましい音楽が鳴り響く。今度は拍手だけではなくわっと膨れ上がった大きな歓声の中、決勝トーナメントに出場する選手達が馬に乗って入場してきた。
 先頭を行くのは去年の優勝者であり、ここ数年の絶対王者でもあるチュリアン卿。貴族の称号を持つ彼の馬は、家の紋章が大きく描かれた布を被せられていた。次に入ってきたのもどこぞの貴族騎士だというのはその馬が纏っている布の紋章でやはり分かる。ただ次に入ってきたのは平民出の騎士らしく、その場合は自分の家の紋章ではなく主の紋章か冒険者事務局の紋章をつける事になっていた。
 いくら多少は優遇されるとはいえ実力勝負であるから、予選を勝ち上がってきた者は圧倒的に平民出の者が多い。その中でもやはりただの一冒険者というのは少なく、主の紋章をつけている貴族仕えの騎士が多かった。シーグルの部下の一人であったシェルサ・ビスは護衛官代表として今回も無事勝ち残れたようで、王家の紋章をつけた彼への声援はチュリアン卿の次に大きく、シーグルが見ていれば喜んだろうとセイネリアは思う。

 けれど、そうして次々と紹介の口上と共に入ってくる騎士達の姿を見ていたセイネリアは、最後に現れた黒い甲冑姿を見た途端思わず我が目を疑った。
 そうして、その名が読み上げられると同時に席から立ちあがりそうになった。

 紹介の声は確かにその名を告げた、レイリース・リッパーと。

 仮面のおかげで他人に知られる事はなかったが、セイネリアは目を大きく開けて驚きの表情で『彼』を見つめる。
 黒い鎧は見間違う筈がなく彼のもので、馬に掛けられた布の紋章は黒の剣傭兵団――今では将軍であるセイネリアを示すソレだった。セイネリアだけでなく、その名と紋章を知る者達からどよめきが起こる。だが直後に起こった大きな拍手を受けて、彼は手を上げてそれにこたえながらも会場を一周する。必要以上に大きくアピールしない辺りは彼らしいが、本当に彼なのだと実感したら笑いがこみ上げてきてしまってセイネリアは手で口を押え、顔を一度下に向けた。
 そしてそれから、すましてこちらを見ないようにしているエルとカリンの姿を見た。

「……つまりお前達は先に知っていたということか」

 言えばカリンが軽く吹き出し、エルは苦笑いを浮かべながら目を泳がせる。エルがあの時唐突に予選を見に行かないかといったのはおそらくシーグルが出ている会場以外に誘導するつもりで、自分が行く気がないと分かったからシーグルの試合を見にいったのだろう。だからあそこまで嬉しそうだったのだと思えばまんまと誤魔化された自分に呆れるしかない。カリンは競技会の参加者名簿に目を通しているから知っているのは当然として、他の者も知っていてレイリース・リッパーが出ているという噂がセイネリアの耳に入らないようにしていた可能性が高い。
 そこまで考えれば自分の間抜けさに笑うしかない。ただそれで少しも怒る気になれないのは、彼が帰ってきたというその事があまりにも嬉しいからだろう。なにせ実物の彼がそこにいるのだと思うだけでセイネリアは顔が笑ってしまうのを止められない。ただ立場上ここで大笑いをする訳にはいかないから、懸命に口を押えて笑っている事を誤魔化すしかないのだが。

――まったく、お前にしては随分と派手な帰還じゃないか。

 強くなったとそれをアピールするためになのか、こんなところに彼が出てくるのはセイネリアでも想定外で、それでも本物の彼がすぐそこにいると思うだけで心が躍りだすように落ち着かない。早く彼に触れたいと思う心と、強くなった彼を見たいと思う心でじっと座っていることさえ苦痛だった。本気でガキみたいじゃないかと思いながら笑いを抑えていればどうしても我慢できなくなったシグネットがこちらを見てきて、その興奮しきった丸い瞳と目があった。

「しょーぐん、レイリースだよっ、レイリースは強いからぜったいゆうしょうだよねっ」

 すぐロージェンティに叱られて前を向いたシグネットだったが、その顔を見たことでセイネリアは少しだけ心を落ち着かせることが出来た。
 本物のガキ以上にガキになってどうする――と自分に言い聞かせ、大きく息を吐きながら深く椅子に腰かける。そうして一度目を閉じて再び目を開いてから、セイネリアはその目で愛しい彼の姿を追った。

「俺の紋章を背負って出てるんだ、負けることはないさ」

 呟けば、カリンとエルがそれに同意の声を上げた。



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 王道大好きなのでこの展開がやりたかったですよ……。
 



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