悲劇と野望の終着点




  【16】



 長い、王城の石壁の回廊。
 セイネリアは、走るラストの後をもどかしく思いながらも追いかけていた。

「次はこっち」

 足を止めたラストが指差すのは、下へと向かう階段だった。
 セイネリアは何も言わず、言われた通りに階段へ向かう。
 どうせシーグルの元いた場所にはもういないのだから、ここで上を目指す意味はない。他に手がかりがないのだから、亡霊でも化け物でも、教えてくれるというなら従ってやるとセイネリアは思った。

「こっち、そこを曲がって」

 だがそうして先に曲がろうとしたラストの腕を、セイネリアは掴んで体ごと引き寄せた。代わりに腰から短剣を抜いて、自分が前に出ると同時に曲がってすぐにいた見張りの男の喉をかっ斬る。

「いくぞ」

 悲鳴も上げられずに絶命した男の体が床に転がるのを見る事もせず、引かれた勢いで座り込んでいたラストに向かってセイネリアは手を伸ばした。

「うん、あと少し……この先の突き当りの部屋だよ」

 ちらと死んだ男をみながらも、ラストはセイネリアの手を掴んで立ち上がる。
 それを確認すると、セイネリアは言われた廊下の先に瞳を向けた。

「お前は後からきて、扉の前で待っていろ」

 それだけ言うと、セイネリアは走りだす。
 とにかく一秒でも急ぎたくて、セイネリアは走った。
 本当に彼がそこにいるように、無事なままであるように。それだけを願って、膨れ上がる不安に胸を抑えてセイネリアは走った。扉に手が掛かる頃には既に手には剣を抜き、それから急ぎながらも音は立てないように気をつけてその扉を開く。

「いやだぁっ……や……あぁっ、ぁっ……い、やぁ……」

 開けて聞こえた声に思考が止まる。
 考えるよりも先に体が動いて、セイネリアは人の気配に向かって走ると、そこで醜く腰を振っている男の背に剣を突き刺した。
 貫通させて、その下にいるだろう『彼』を傷つけるなんてヘマはしない。刺した剣をそのまま横に薙いで、男の体が倒れる前にそこからどかす。それでも僅かに『彼』の上に残った下肢を台から蹴落とし、そこにいる『彼』の姿を瞳に映す。

「シーグル……」

 生きてはいる。確かに胸は上下に動いている。命を危うくするような外傷は見えない。けれども全裸の体にはあちこちに打撲痕があって、全身ずぶ濡れで小刻みに震えている。そして何より、見開かれた青い瞳はこちらを見ない。焦点を結ばない青い瞳にセイネリアの背筋が冷えていく。

「セ、セイネリア……なん、で、ここ、こ、へ……」

 もう一人いた男が、台の横で腰を抜かして先に殺した男の死体の下で逃げようともがいていた。セイネリアは視線も向けず、死体ごとその男を上から剣で串刺しにするとその剣から手を離し、彼らの死体を踏みつけて台の上に膝を掛けた。

「シーグル、シーグルっ」

 呼んでも彼の返事は返って来ない。青い瞳に意志の光はなく、セイネリアの顔を映しはしても動いてくれない。
 セイネリアはこみ上げてくる不安に呼吸さえうまく出来なくなりながらも、シーグルの腕にある枷を力任せに破壊した。解放された彼のその手首が擦り剥けて血を流しているのを見て、歯を噛みしめながらもそっと触れた。

「シーグル、もう大丈夫だ、もう……誰にもお前を傷つけさせない」

 それでもぐったりとしたまま動かない彼の体を、セイネリアは抱き上げようとする。

「い、や、嫌だぁ、嫌だ、嫌……いやぁ……」

 途端、うわごとを呟くように弱々しい声が彼の口から漏れた。抱いている体の震えが大きくなって、力の入らない体がそれでも逃れようと暴れ出す。

「嫌、いやぁ……」

 シーグルの瞳はセイネリアを見ない。目の前にいるのに、彼の誰よりも深い青の瞳は焦点が定まらず何も見ていない。
 自分は、間に合わなかったのか。
 考えたくないそれに気が遠くなって行きそうになる。恐れて恐れて、恐怖というものを初めて知ったソレが現実になったのかと、誰よりも強い筈だった男の心が崩れそうに揺れる。
 それでも、セイネリアはどうにかそこで逃げようとする思考を留める。

『本来なら、あれだけ惚れた奴を手放したりなぞするものか。だがな、あれだけ拒絶されたら、いくら俺でもそれ以上抱ける訳がない。嫌だと、貴様ではなくてはだめだと、震えて、吐いて、泣かれたら……惚れてるからこそ、手が出せるものじゃないだろ』

 意識の底から浮かび上がったそれは、アウグのレザ男爵が言っていた言葉だった。悔しそうに、恨みを込めて言われたその言葉に、セイネリアは希望を見出す。歯を食いしばって自我を現実に引き戻し、自分に向かって言い聞かせる。

――シーグルは、俺を、愛している。

 だから震える愛しい彼を全身で抱き締めてやって、その首元に顔を埋めて、宥めるように優しく髪を撫ぜて、彼の耳にむけて静かに言ってやる。

「シーグル、俺だ。迎えに来た、遅れてすまなかった」

 腕の中にある体の震えが、気の所為かもしれないが小さくなる。
 セイネリアは濡れた彼に頬を摺り寄せながら、その髪を撫ぜながら尚も告げた。

「分かるかシーグル、俺だ。俺の声が聞こえているか? 他の誰かではない、今お前を抱いているのは俺だ」

 震えそうになる声を抑えて、出来るだけ穏やかな声になるように努めて。こんな事が困難だと感じる今の自分を嘲笑いながらも、ただ彼に触れて呼び掛ける。

「だめだシーグル……戻ってきてくれ、俺をおいていくな」

 そうすれば、ピクリと彼が震えて、セイネリアは急いで彼の顔を見る。意志のない青い瞳は未だ焦点を結ばないものの、今度は確実に彼の体の震えは止まっていた。
 大人しく抱かれる彼に、セイネリアは口づける。髪を梳きながら、頬を撫ぜながら、冷え切った彼の体を強く抱きながら、口腔内で強張った彼の舌に優しく触れて、深く唇を合わせる。
 そうしているうちに、やがて緊張に強張っていた彼の体から力が抜けていき、ぐったりとその体重をこちらに預けてくる。彼の確かな重みをその腕に感じて、セイネリアは唇を離すと尚もシーグルに言ってやる。

「愛しているシーグル……俺にはお前しかいないんだ」

 とうとう声の震えを抑えられなかった声は、語尾が掠れる。
 そうすれば震える青の瞳が僅かに動いて、セイネリアの顔を捉えた。
 弱々しい手が縋りつくように動いてセイネリアのマントを掴み、そうして小さな声が返って来る。

「セイネリ……ア?」

 セイネリアは口元に笑みを浮かべて安堵の息を吐いた。
 それから、彼を強く抱き締めて頬に頬を摺り寄せた。

「そうだシーグル、迎えにきた」

 心の恐怖に引きずられて冷たくなっていた指先に無くした感覚が帰ってくるとともに、急激に自分の中に体温が戻ってきたのをセイネリアは感じた。それは体よりも精神に――彼を愛した事で生まれた自分の心の熱が戻ってきたように感じられた。

「セイネリア……セイネリアっ」

 縋りつく手がセイネリアを抱き締め返し、シーグルは自ら顔をこちらの胸に押し当ててくる。自分の名を呼ぶその声には、喜びと安堵があった。抱き締めた腕は確実に求め返され、彼が今自分の腕の中にいるのだという事を実感できた。
 セイネリアの唇が深い笑みを浮かべる。
 濡れた彼の髪の中に鼻を埋めて、しっかりとその体を抱き締めて、腕の中にある何よりも愛しい存在の確かさをより感じようとする。

「愛してる、シーグル……」

 そうしてまた、その言葉も望む通りにセイネリアへと返される。

「……俺も、愛してる……セイネリア」

 あぁ、やっと今、彼を手に入れる事が出来た――と、セイネリアはそこで確信した。





 END.
 >>>> 次のエピソードへ。

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 そんな訳でやっとこさシーグルがセイネリアに助けられました。そしてセイネリアは今回は宣言通りシーグルを離す気はないです……。



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