悲劇と野望の終着点




  【2】



「ざっけんなよ、シーグルが有罪ってどういう事なんだ? だってあいつが王子様を殺すなんて馬鹿な事する訳ないって兄貴だって分ってるだろっ。どう考えたって誰かの陰謀だっ、あいつが邪魔な奴があいつに罪を擦り付けたに決まってるっ」

――あぁウィア、その通りだ。

 心ではそう返しながらも、裏返って半分涙声になっている弟の言葉に、テレイズは僅かに目を細めると平常にと努めた声で返した。

「仕方ない、シルバスピナ卿は自分の潔白を証明する為の『告白』を拒否した」
「でも、あいつが犯人だって証拠なんかロクにないんだろ?」
「親衛隊による告発だ、完全に否定出来る証拠がない限り無罪には出来ない」

 そこで、幼い頃から余程ではないと兄に逆らうことがなかったウィアが、手を伸ばしてテレイズの服の襟首をつかんだ。

「ンな馬鹿な話あるかよっ、あいつは偉い貴族様なんだぞっ、そんな一方的な決めつけは貴族法とかで出来ないんじゃないのかよっ」

 ウィア本人は貴族法を知った上で言ってはいないのだろうが、その言葉は本当だった……そう、本来なら。
 本来なら、旧貴族の当主をこんな簡単に罪人扱いなど出来る訳がない。本来なら、実行犯と思われるシーグルの使者だと名乗った人物が不明のまま、名前しか出てないシーグルを拘束なんて出来る訳がない。聖夜祭の中、大神殿でウォールト王子に会いに来た人物は確かにシルバスピナ卿の使いと名乗った――とその証言をした神官に『告白』させて、シルバスピナ卿が犯人であると確定されたなどとはふざけているとしか言いようがない。それで通るなら、罪をなすりつける者の名を語って暗殺者を送り込むだけでいくらでも気に入らない者を纏めて始末し放題ではないか――と、裁判に出ていた者ほぼ全員がそう思っても、誰もそれに強く異議を唱える事は出来なかった。それほどまでに現在貴族院の立場は危うく、守備隊の代わりに議会を取り囲む親衛隊を見ただけで皆何も言えなくなってしまう。
 それでも、シーグル自身が『告白』の術を受け入れ、無罪を証明できたなら、彼の罪状は覆せたのだ。けれども彼は『告白』を拒否した。家の誇り、国政に関わる秘密を守る為に旧貴族当主だけに許されたその権利を使ったのだ。

 その理由を、テレイズは知っていた。

 『告白』の為に呼ばれたその裁判の席で、テレイズだけは彼が洗いざらい真実を吐きだせないその理由を知っていた。
 だからテレイズは、事前に彼の罪状を読んだ後、主席大神官に相談に行ったのだ。
 シーグルがウォールト王子を殺した動機がアウグに操られていたというなら、彼がアウグで誰に匿われ、どうやって国に帰ってきたのかそれを証明できればいい。彼が帰ってきた直後に『告白』を受けたテレイズなら、もし彼が『告白』を拒否したとしても証言者になれる。
 けれど、それに主席大神官は同意しなかった。
 どちらにしろ、王は最初からシルバスピナ卿を無罪放免などする気はない。もし今回テレイズの証言で彼の無罪が確定したとしても、それは一時の事に過ぎず、ただテレイズまでもが王から目を付けられる事になるだけだと。

「なぁ兄貴なんとか言えよっ、シーグルが処刑されるなんてそんな事あっていい筈ないっ。どうにかしてそれを止める方法、兄貴なら何か知ってるんじゃないのか? なあっ、法律とかさっ、兄貴頭いいんだから何か可能性があるなら教えてくれよっ」

 泣いて訴えてくる最愛の弟の顔を見て、テレイズは自分の表情が崩れないようにするのが精いっぱいだった。
 テレイズにはウィアがいた。誰よりも大切な弟がいた。だからこそ、主席大神官から『お前の全てを犠牲にする覚悟がない限りは止めたほうがいい』と言われた時、自分が証言者となる事を止めたのだ。

「ウィア……これからシルバスピナ家は王の監視下に入る。だから今後、あの家には近づいてはだめだ」
「兄貴っ」
「お前までがこの件に巻き込まれる事を、シルバスピナ卿本人も、彼の家族も望みはしないだろう。だから……分かったね」

 そうしてテレイズは、未だに何か言おうとする弟に背を向けた。
 背中に浴びせられる罵声を聞きながら、重い心の中、主席大神官が最後に告げた言葉を思い出す。

『大丈夫だ、何があっても彼が殺される事はないよ』

 それがただの気休めではなく、何か確実な理由があっての言葉であってほしいと、今のテレイズはそれを祈る事しか出来なかった。








 薄暗い部屋の中、ベッドの上に倒れ込んで、シーグルは天井を縁取るように描かれた青い花の絵を眺めて考えていた。
 部屋の中にはランプ台があるから、部屋を明るくしようと思えばできない訳でもない。ただ、気分的に明るくする気がないから、薄暗いままにしているだけだ。

 裁判の結果は予想通りで、シーグルはウォールト王子殺害を指示した首謀者として罪が確定されてしまった。実行犯を不明のまま放置して、指示したものだけが処罰されるなど前代未聞の事だろう。
 貴族院議会の面々を見渡しても、シーグルが本当の犯人だと思っている者は見当たらなかったといっていい。誰もがこの茶番が仕組まれたもので、恐らく本当に殺害したのは王本人だと分かっている。自分に対する同情と謝罪と、王に対する憤りの顔や怯えた顔を見ただけでシーグルはそう思った。
 王族殺しは処刑だ、いくら王族に準ずる旧貴族の当主であってさえ。
 それは王位争いの血で血を洗う事態を回避する為にきめられた特別法律ではあるのだが、実際他王子の暗殺は当たり前のようにされていて、その首謀者が罰される事はまずなかった。それが今回、こんなに簡単にシーグルに適用されたのは、皮肉なことにこれが王位争いのための暗殺ではない所為だろう。
 つまり――所詮、王位争いの場合の王子暗殺は『お互いさま』であって、殺された王子側の陣営が相手を訴えれば、相手も訴えた側を訴え返すという状況になる。そうなれば互いに処罰されるか、権力がある者が根回しして勝利を勝ち取るだけの事になる。しかもそれで罰される者が出ればある陣営の貴族数家がまとめて処刑などという事になる為、余程の証拠がある場合でもない限りは、あえて王位争いでの死者は誰も訴えないのが暗黙の了解という事になっていたのだ。
 それが今回はそうではない。
 対立する貴族陣営の争いではなく、ただクリュース王という最高権力者と、シーグルという貴族一人だけの問題であり、その権力差は話にならない。自分のところへ飛び火したくない貴族達が、シーグル一人だけで済むならと黙って切り捨てるのも当然だろう。

――本当にただの茶番だな。ただ王が法律を守っていると主張するだけの。

 ただ不思議な事に、有罪判決が出て尚、シーグルのここでの待遇は変わらなかった。てっきり、これからは本気で牢屋送りかと思っていたシーグルとしては正直なところ気が抜けたくらいだ。ここでまだマトモな待遇をしているという段階で、本気で王は自分を殺す気があるのだろうかという疑問も湧き上がってくる。セイネリアの為の駒として出来るだけ懐柔したいというには、王の態度からそこまでの必死さは見えなかった。シーグルを生かしておくのはまだしも、あの王の様子からは、申し出を拒否したならすぐにでも拷問に掛けられる可能性もあると覚悟していたのだ、シーグルはまだ、王の本当の意図が分らなかった。

 最初の時に連れて行かれた部屋で会ってから、シーグルは王と話してはいない。あの時はキールの術で気を失った後、気づいた時にはもう王はいなかったから、結局王はあれ以上セイネリアに対して更に聞いてくる事はなかった。意識のない間に何があったのかもしれないが、シーグルが分かったことは体の具合からおそらくリーズガンに抱かれたのだろうという事だけで、その後は特に何かされる訳でも言われる訳でもなく時間だけが過ぎていった。
 正確な日付に自信はないが、おそらくは捕まってからひと月近くは経つ筈だった。裁判があったのは10日前の事であるから、未だ処刑されずこうしてただ閉じ込められているだけの状況は不気味だとしか思えない。
 シーグルとしてはこうして時間を稼げる事は意味がある。時間が過ぎれば過ぎる程、セイネリアがうまく手を回しているだろうと確信しているからだ。だが、王が本当は何を狙っているのかが分らない。状況が分らなくて自分はただこうして生かされているだけだから、ただひたすら考えて、最悪の予想を立てては不安になる事しか出来ない。

 そうしていれば、外の重い扉が開いて部屋の中に人が入ってくる。おそらく、いつも通りの時間、いつも通りの朝の仕事。彼らは部屋の中を軽く掃除してシーツ類を替え、着替えと湯の準備をして部屋を去る。
 そうして、体を拭いて着替えを済ませれば、そのタイミングを見計らったように、『彼』がやってくるのだ。

「どこか、お加減の悪いところはありませんか?」

 かつての自分の文官だった魔法使いは、いつも通りの言葉を言って部屋の中に入ってきた。

「特に悪いところはない、いつも通りだ」
「また少しお痩せになったのではないですか?」
「ここだとロクな訓練が出来ないから、筋力が落ちたというのがあるんだろう」
「お食事は……ケルンの実以外は召し上がってませんか?」
「他を食べる気にならない」

 会話もいつもほぼ同じようなやりとりだけだ。
 キールはどうやらシーグルの体調管理を任されているらしく、毎朝こうしてシーグルの体の状態を見にくる。本来なら、シーグルは彼に聞きたい事がいくらでもあるのだが、親衛隊の者に監視されているこの状況で自由に会話する事など出来る筈がない。

「そうですね、どこも悪いところはないようです」

 そうして、いつも通りの体の検査を終えた後、ふと顔を上げたキールと目が合う。
 そうすれば彼は苦しげに笑って、暫く見つめた後に呟くように言ってきた。

「貴方は――ここまできて一度も、私を裏切り者と罵ったりはぁ……されないのですねぇ」

 ここではずっと違和感を覚える程言葉遣いを変えていた彼が、普段通りの間延びした口調でそう言って、辛そうに唇を噛み締めてから顔を俯かせた。

「罵って欲しいのか?」
「さぁ〜どうでしょう」

 彼の溜め息は重い。

「なら代わりに一つだけ聞いておく。お前はちゃんと自分の意志でそこにいるのか?」

 聞けば、魔法使いは少しだけ驚いたように顔を上げて、それからまた苦しそうに笑った。

「えぇ、そうです」
「ならいい」

 キールはそこで深く頭を下げると、共に来た親衛隊の者達と一緒に去っていった。




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 次回はウィアのがんばりっぷりをお楽しみください、なお話です



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