【7】 シーグルは待っていた。 主の帰りを、ただじっと、考えながら。 クリムゾン、という男と最後にシーグルが会ったのはノウムネズの戦いで傭兵達に襲われた時の事だった。つまり、あの時点まで彼が生きていた事は確定だ。その後の戦いで彼が死ぬとしたら門が開いて蛮族が入り込んだ時か、そこから逃げた時かだが……彼の腕から考えてそこでそう簡単に命を落とすとは思えない。 だがシーグルにはレザ男爵から聞いた自分の事について、自分が林にいたという話とは別に、もう一つ疑問に思っていた事があった。 『お前さんを見つける直前、雑族の連中は単騎で挑発みたいに姿を現したシルバスピナ卿を追っていったのさ。まぁその不自然さに気づいて俺は奴が離れていった林を探した訳だが……ありゃ多分、お前の部下だろうな。お前から敵を離す為にお前さんのフリをしたんだろうよ』 『そのシルバスピナ卿はどうなったんだ?』 『崖から落ちて死んだ、と聞いてるが』 それを聞いていたから、シーグルは国に帰った後、部下の誰かが自分の身代わりになって死んだのではないかと思って確かめた。だが直の部下達は全員無事で、ただシルバスピナ家の魔法鍛冶の鎧は紛失したままであったから、誰か自分の知らない兵がかばってくれたのだろうかと思っていた。出来ればそれが誰かを突き止めたいとは思っていたが、手がかりがなく申し訳なく思っていたのだ。 それが、クリムゾンだったと考えれば全てつじつまがあう。 ソフィアは彼については何も言わなかったが、彼がいるからこそあの場所へ自分を転送したのではないかとも考えられる。……とはいえそれをソフィアに追求する事は出来ない。おそらく自分の為に黙っていただろう彼女に聞く事は彼女を苦しませる事になるだろう。 だから、聞くならセイネリアに。 彼は聞けば答えてくれる筈だった。彼が黙っていたのは自分の為だったとしても、聞けば嘘や誤魔化しはしない筈だった。 もう音だけで分かる、セイネリアの足音が近づいてくる中、シーグルはじっと扉を見つめて待っていた。 扉が開けば、黒い甲冑の騎士が目の前に現れる。彼は自分の姿を確認すると明らかに表情を和らげて、それからすぐに部屋の中、自分を目指して真っ直ぐにやってくる。 「お帰りなさいませ、マスター」 それでも、シーグルがそこでそう言いながら丁寧な礼をすれば、セイネリアの足は目の前で止まる。いつもなら近づいてくればすぐに抱きしめてキスしてくるだろう彼も、こちらの様子がおかしい事に気づいて聞いてくる。 「どうした?」 シーグルは顔を上げてセイネリアの顔を見る。 彼が自分に対して向ける柔らかさはそのままだが、琥珀の瞳は笑っていなかった。 「クリムゾン、という男の事で聞きたい事がある」 セイネリアは表情を変える事はなく、ただほんの僅かに目を細めてから、冷静過ぎる抑揚のない声で聞き返してきた。 「どこまで聞いた?」 「ノウムネズの戦いで死んだと。……彼とは確かにそこで会っている。少なくとも砦攻めに失敗して陣に篭るまでは生きていた。それ以後だとすれば……彼が死んだのは俺の所為じゃないのか?」 セイネリアはじっとこちらを見つめてくる。琥珀の瞳に感情らしい感情を映さず、ただシーグルの真意を探るようにじっとこちらを見つめてくる。それを受け止めて、シーグルも彼の瞳をじっと見つめていれば、やがてセイネリアは一度目を閉じて、それからゆっくりと歩き出した。 「お前の所為……と言うなら少し違うな」 「どういう事だ、俺が怪我をした後、俺を助ける為に彼が死んだんじゃないのか?」 シーグルの横を通り過ぎて自分の席に座ると、セイネリアはそこで足を組んで机の上に置き、それから改めてシーグルの顔を見た。 「間違ってはいないが……少し違う」 シーグルは今度は机に手をついて彼に詰め寄った。 「何が違う、ならどうして彼は死んだんだ。……俺が戦死したと伝えられたのは、俺を追った蛮族達が俺が崖から落ちたと証言したからだそうだ。つまり、俺のふりをして敵をひきつけ、崖から落ちた何者かがいたんじゃないのか? それが彼だったんじゃないのか?」 その問いには、セイネリアはやはり表情を変えずにあっさりと肯定してみせた。 「あぁそうだ、お前のふりをして落ちた人物がクリムゾンで間違いない」 「ならっ……彼は俺の所為でっ」 だが、身を乗り出して叫ぶようにそう言ったシーグルに、セイネリアは何処までも冷静に返してくる。 「だからそれは違う。あいつが死んだ理由はお前の身代わりであっても、あいつが死んだのはお前の所為じゃない」 「なんだそれはっ、どうしてそれで俺の所為じゃないと言えるんだっ」 尚もシーグルが引き下がろうとすれば、琥珀の瞳に圧力を乗せて、セイネリアが強い声で言ってくる。 「いいか、まず第一に、あいつはお前の為になど死なない、俺の為に死んだんだ」 その気迫に、一瞬シーグルの体が強張る。いつでも人を威圧してきた金茶色の瞳にシーグルでさえ体が竦む。 「あいつはお前の事など何とも思っていない、そのあいつがお前の代わりに死を選んだのは俺の所為だ。俺がお前を守れと命じたから、俺の為にお前が死ぬべきでないとあいつが判断したから、あいつは俺の為に死んだ。だからあいつの死に関してお前が責任を感じる事はない。その命令を下した俺の責任で、俺が背負うべきものだ」 シーグルはそれにはすぐに何も言い返せなかった。 主としてのセイネリアの覚悟に気圧されたというのもあったが、今のセイネリアの言葉を否定出来ない、してはいけないと思ったからだった。あの赤い髪の男を自分の所為で死んだなんて言うのは、確かに彼の死に対して非礼にもあたる言葉だったとシーグルは思う。彼は彼の敬愛する主の為に死んだのであって、自分の為に死んだのではない。 シーグルが何も言えずその場で俯いていれば、セイネリアが立ちあがったのが音で分かる。最強と呼ばれた男はそこから静かに歩いてきてシーグルの傍までくると、緩く、自分にもたれ掛からせるようにしてシーグルを抱きしめてきた。シーグルはそれを拒まなかったものの、まだ何も言えずに歯を噛みしめていた。 「あいつを送り出す時俺は言った。お前が死んだら俺を見ずに去れと。あいつは俺に最強である事を望んでいた。最強である俺の部下である事を望んでいた。お前が死んだら俺はあいつの望む俺ではなくなる、だからこそそんな俺を見たくなくてあいつは自分の命よりお前が助かる道を選んだ。つまり、俺の弱さがあいつを殺したとも言える」 その声には先ほどの厳しさはなく、自嘲を込めて弱く紡がれた声には彼らしくない『痛み』が感じられた。シーグルは寄り掛かったセイネリアの胸に手を置いて、それからその手を固く握りしめた。 「いや……やはりお前は強い、セイネリア。部下の死に主としてそう受け止められる強さは……俺にあるかは自信がない」 セイネリアの手がシーグルの髪を撫ぜてくる。その優しい感触を、今こうして受け入れる事に慣れてしまった自分は弱くなったのだろうかと思いながら、彼の痛みも感じてシーグルは今では主となった男の胸に自らもたれ掛かる。 そうすれば、セイネリアの手がシーグルの顔に触れてきて顎を上げさせようとしてくるから、シーグルは自ら顔を上げて近づいてきた主の顔に唇を差し出した。 軽く触れた唇は、そのまま触れるだけで時間が過ぎる。 いつもならそこから深いキスへと続く口づけは、けれどそのまま離される。ただ、唇同士が離れた後、彼は顔を離す前にシーグルの目元にもキスをして、それからそのまま耳元に囁いた。 「だがシーグル、俺にある致命的な弱さはお前にはない」 その言葉の意味が分からなくて、シーグルは離れていくセイネリアの顔を見上げる。そうすれば彼は苦笑して、それから突然強く抱きしめてくると再び唇を押し付けてきた。……今度は先ほどとは違って最初から深く唇を合わせて、舌を絡めとり、擦り合わせてくる。彼らしいといえばらしい強引なキスは、ただ彼らしくなく余裕がなくて、シーグルを翻弄しにくるというよりもただ感情をぶつけてくるように必死で荒々しかった。 「う……ン……ぅ」 口付けられた一瞬だけ驚きに途惑ったシーグルは、けれどすぐ彼の『痛み』を感じて彼を受け入れ、身を任せる。慣れた男の慣れた感覚を受け入れて応えて、求めてくる彼を求め返せば自然と手は彼の肩を掴む。そこで更に顔を倒されて押し込むように唇を押し付けられたから、その彼の顔を受け止めるようにシーグルの両手は彼の頬を押さえる。それでもまだ彼を受け止め切れなくて、追い込んでくる彼に押されてその頭を抱くようにして腕で包んだ。 頻繁に唇をあわせ直し、その度に、はぁ、と荒くなった彼の息づかいが聞こえる。 何か言ってやりたいと思っても声を出す暇はなく、ただ感情をぶつけてくる彼を受け止めて、その髪を撫ぜて頭を抱いてやる。彼の方の手はこちらの顔をずっと押さえていたが、ふとそれが離されたと思えば背と腿に回されてキスをしたまま抱き上げられた。それでもシーグルは抵抗せず、口づけに応えるまま彼にすがりついてそのまま運ばれ、そうしてベッドに下ろされた。 背中にベッドを感じて、そうしてやっと顔を離したセイネリアはそれでも何も言わなかった。ただその琥珀の瞳が苦しそうだったから、思わず手を伸ばして彼の頬に触れる。そうすればその手を掴まれてベッドに抑えつけられ、また上から押し付けるように彼の唇が降りてくる。もう少しも逃げられないベッドの上で唇を受け止めて、空いている片手で彼の髪を撫でる。激しい彼の口付けを受け止めて、宥めるように彼の髪に指を入れて梳くように撫でる。 セイネリアはまだ唇を離してくれない。ただ一時のような激しいだけの口付けではなくなってきていて、舌を合わせてもこちらの反応を待つだけの間が空くようになってくる。力任せに押し付けていた唇のあわせも緩くなって、あわせ直す時に唇が一時離されるようになる。離れている時間はあわせ直す度に長くなっていき……気付けば彼の髪を撫でていた筈の自分の手は空で、彼の顔は離れた場所からこちらを見下ろしていた。琥珀の瞳に『痛み』を抱えたまま、彼はただ無言で自分の顔を見ていた。 シーグルは空を掴んでいた手を伸ばしてまた彼の頬に触れると、そっと撫でた。 「……お互い鎧のままでベッドに上がるのは流石にどうかと思うぞ」 苦笑してそう言えば、彼も少しだけ口元を歪ませた。 「明日がどうこうといつも通りのくだらん理由を言ってはこないのか?」 「仕方ない……どうしても、なんだろ?」 「あぁ、どうしてもだ」 言ってセイネリアはその琥珀の瞳を細めると、頬にあったシーグルの手を掴んで篭手の上から口づけてきた。それを黙って見ていれば、彼はその篭手を固定していたベルトを外しだす。 「まったく、こういう時にはお前のこの格好は忌々しいな」 こちらの装備を外しながら言う彼の口調に少し笑みが入っていたので、シーグルも笑って彼の装備を外しだした。 「お前の傍で脱がせやすい服など着ていたら、お前を止める暇がないから丁度いいだろ」 「成る程、それは一理ある」 わざと軽い口調で言い合って、互いに相手の装備を外していく。体勢的にどうしてもセイネリアがこちらを脱がし切る方が早いのは仕方なく、結局彼は半分程脱がせた後は一度ベッドから下りて自分で脱ぎだし、シーグルはただそれを眺めることになってしまった。 「……やっぱり、お前の体を見ていると悔しくなるな」 セイネリアの裸体を改めて見てしまえば、正直にそんな言葉が口から出てしまう。この部屋には窓はなく、明かりといえばあいているドアから入ってくる隣の部屋の明かりくらいだが、だからこそ薄闇の中光を受けて浮かび上がる筋肉の隆起の素晴らしさがよく分かる。 「何故だ?」 そう聞き返されて初めて自分の言った言葉を自覚したシーグルは、思わず口を閉じて彼から恥ずかしそうに目線を逸らした。 「それは……どれだけ鍛えても俺はそういう体に出来なかったし、正直、羨ましいし悔しいだろ……男としては」 そうすれば、笑った気配と共にセイネリアがベッドに乗り上げてくる。 「悔しいならもっとちゃんと食え」 「出来るものなら……」 言って視線をそらしたシーグルの顔を片手で押さえて、体をこちらの上に倒してきたセイネリアが顔を近づけてくる。 「お前はまだ、何が足りない? 何が欲しい?」 言われた事が意外過ぎて、シーグルはすぐには何も返せなかった。ただ琥珀の瞳は苦しげなのにとても穏やかで、シーグルは無言のままそれに見とれてしまった。 「お前が食えない原因が無くした家族の愛情を求めての事なら、それを埋めるだけのものを俺がお前に与えてやればいい筈だ。お前が望むだけ俺をくれてやる、それでも足りないなら、お前は他に何が欲しい?」 シーグルだってもう自分の食べられない原因が精神的なものから来ている事くらい自覚はある。兄弟との確執が解消された所為で前より食べられるようになった事は分かっている。そして、セイネリアに関しては――。 「いや、お前からのもので足りないものなどないさ」 本当は彼は言いたかったのだろう、無くした家族の愛情を埋められるだけ愛してやると。それが言えなかったのは自分の所為だ。 「……本当に、俺はまだ何が欲しいんだろうな……」 自分でも自嘲気味にそう思ってしまう程、聞かれればそうとしか答えられない。 一人でシルバスピナの家に来た当時は、無くしてしまった家族の愛情が欲しかったのは確かだろう。シルバスピナの家で食べれば食べるだけ家と離れた者になってしまうと、屋敷に残ると覚悟しても心の奥底ではそれが残っていたのかもしれない。 ただ見下ろしてくる琥珀の瞳を見つめて、シーグルは手をセイネリアへと伸ばす。そうすれば押さえられていた方の手も簡単に離してくれて、シーグルは両手を彼の首後ろへと回し、そのまま彼に抱きついた。そうして思う――こうして彼に抱かれて心が満たされるのは、彼が自分を愛してくれていると感じるから。セイネリア・クロッセスという男の感情が自分だけを求めてくれているのが実感出来るから。子供の頃、家族の愛情を失い、祖父の愛情を感じられず、ずっと誰かに愛して欲しいと願っていたその部分が満たされたからではないだろうか。 ならば、未だに食べる事を重く感じるこの原因は何だというのだろう。 「お前は十分以上に俺に与えてくれてる。それが怖くなる程にな」 言って自分から彼に口づければ、彼から更に上から押さえつけられるように口づけを返されて、ベッドに背を押し付けられた。 --------------------------------------------- これで次回がエロ。 |