平穏な日々と不穏な世界




  【1】



 北の大国クリュースの冬は、短い秋が終わると駆け足でやってくる。首都セニエティは国内でも割合北に位置する為、聖夜祭が終わればすぐ寒くなり冬の訪れを近く感じるようになる。それから人々は新年を迎える準備に駆け回り、気付けばすっかり冬となって年が明けるのだ。
 そうしてその年も無事終わり、新年を迎えて休暇が明ければ、騎士団内でも予備隊はその面子が前期組から後期組へと切り替わることになる。
 後期組というのは冬の間の予備組の隊員達の事で、冬は外敵との問題がほぼない事もあって、雪に閉ざされる国境の砦部隊や、元から緊急時用の戦力である予備隊等は、この時に交代して主要隊員は春までの長期休暇が与えられる事になっていた。勿論、首都や城防衛の要である守備隊等ではこの手の人員の総入れ替えはなく、半数つづ交代で休暇を取るという形になるが、ともかく冬の間の騎士団は全体的に人が減り、ひっそりとした印象となる。

「それではいってらっしゃいませ」

 休暇が明けて、新年最初の騎士団へと出かけるシーグルは、妻であるロージェンティ以下、兄や使用人達に揃って見送られる事になった。

「あぁ。その……今日は、早く帰れるようにはする」

 そういえば、ロージェンティのすぐ後ろに控えていた彼女付きの侍女がずいと前に出る。

「そうです、せっかく奥様がずっとこちらにいるのです、早く帰ってらしてゆっくり二人で夜をお過ごしください」
「あ、あぁ……」

 彼女の言いたい事が分かったシーグルは、思わず顔を引き攣らせて返事をした。

 今回、年末年始の休暇はずっとリシェで過ごしたシーグルだったが、後期が始まるに至って冬の間は毎日リシェとの往復は難しいだろうと、ずっと首都の館にいればいいと祖父から提案された。議会等、領主としての大きい仕事があれば帰って出るのは勿論だが、軽い仕事は祖父の方で引き受けてくれるという事なので、シーグルは妻と共に冬の間はずっとこの首都の館に滞在する事にしたのだった。

『それは勿論、早くお子を授かって欲しいという大旦那様のお気遣いなのですわ』

 決まった途端にそう言われて、シーグルはそれ以後ターネイからプレッシャーをかけ続けられていたのだが。
 なにせ折角の年末年始の休暇中は、領主としての公的な仕事で走り回っていて、ゆっくり屋敷にいる……なんて事をしている暇がシーグルは全くなかった。普段が騎士団よりの生活になっている分、この時とばかりにその手の用事を入れまくったシーグルが悪いのだが、おかげで休暇中、ターネイには何度も嫌味を込めていろいろと言われる事になった。いわく、『休暇なのに奥様を放っておかれるのですか』『旦那様は休暇がなんの為の物か分かってらっしゃいますか?』――そしてすべて最後の締めには『早くお子を授かるように努力される事も領主としての重要な勤めではないですか』と。
 その為、このところターネイを見るだけで身構えてしまうくらい、シーグルは少し彼女が苦手だった。

「分かってはいるん……だが、こういうのは急かされてどうにかなるものでもないだろ」

 騎士団へ向かう道すがら、思わず愚痴れば、毒舌の部下があっさり返してくる。

「いえ、あの侍女の言う事は全部正しいじゃないですか。旧貴族の当主としては一番重要なお仕事ですから」
「仕事、なのか……」
「えぇ仕事です。毎晩のお勤めだと思ってください」

 そこで黙ってしまったシーグルに、さすがにウルダがフォローを入れる。

「リーメリ、お前もうちょっと言い方考えろ」
「ならウルダ、お前が我が主に女性との付き合い方をレクチャーをすればいいじゃないか」
「いや……お前なぁ」

 ちなみに、シーグルがずっと首都の館に滞在する事になったので、当然のようにこの二人もその間は首都の館暮らしになった。首都の館も、冬場は地方出身の使用人に休暇を与える事になっているので人手が少なく、だからそれは丁度いいと言えば良いといえたのだが……シーグルの送り迎えの仕事以外は主に館では力仕事を任されているらしく、彼ら二人は時にかなり疲れているように見える事もあった。

 ともかく、まだ平穏な日常を過ごす中、シーグルは新年最初の騎士団に向かったのだった。






 休暇明けの後期組達との最初の顔合わせは、最初はほぼ通常時と同じシーグルの挨拶と今日の予定の発表から始まった。去年まで後期組にいたリーメリとウルダが抜けた為、今回は新人も二人補充されているという事で、軽い紹介と注意事項の説明はしたものの、それは特に時間が掛かるものでもなかった。新人の自己紹介や、彼らへの団内の細かい説明等は隊員達同志で勝手にやるというのが予備隊でのお約束である為、シーグルがいちいちあれこれと細かく説明する必要がなかったからだ。これも、歴代の隊長達がどれだけ仕事をする気がなかったのかというのがよくわかる慣習なのだが、これに関してはシーグルもそれに習う事にした。なにせ、後期組には年長者が多いというのもあって、彼らの方がシーグル自身よりもその手の事は上手くやってくれるだろうという確信がある。これから、休暇中に溜まった事務仕事を処理しなくてはならないことも考えると、ありがたく彼らに任せるつもりであった。
 だから実際のところ、朝礼自体はそこまでかからずすんなりと終わったのだが、シーグルが終了を告げた途端、彼らは一斉に頭を下げ、声を揃えて言ってきたのだ。

「隊長、ご結婚おめでとうございます」

 とりあえずシーグルがその場でどう返すべきか考えて一瞬固まってしまったのは言うまでもなく、礼を返そうとして口を開いたそこから、今度は畳みかけるように部下の質問攻めにあうに至って結局何も言えなくなってしまった。

「奥方は深窓のご令嬢って事だそうですが、やはり相当な美人なんでしょうか」
「そりゃ隊長殿の隣に立つ勇気がある女なら、美人なのは間違いあるめぇ」
「隊長っ、ぜひ今度は結婚記念のお二人の絵を描かせてくださいっ」
「奥方のご懐妊はまだですかねぇ?」
「もしお子さまが生まれたら、その時もぜひ記念に絵を……」
「サッシャン、そういうのは選任の画家が描くもんだろぉよ。いやでも、隊長の子っつったらそりゃー美人になんだろなぁ〜いやぁ楽しみですなぁ」

 これでもまだ、前期から続けてになるグスやアウド、新人二人、それに唯一の女性であるラナが参加していないから、実質詰め寄ってきたのは4人だけなのだが、それでもシーグルは予想外の状況に頭がすぐ対応できなかった。

「おーいこらこら、ガキの休み時間のノリは止めろって、隊長は忙しいんだからな」

 だからそう助け船を出してくれたグスには、正直にシーグルは礼を言った。

「すまない、ありがとうグス」
「いえ、文官殿が首長くして待ってるでしょうからね、早く行ってください。とりあえず頭整理して、帰りにでも皆に一言いってやればいいでしょう」
「あぁそうだな、そうさせてもらう」

 考えれば、シーグルにとっては結婚をしてからもう数か月が経つ為、今いきなり言われて驚いたというのがあるものの、彼らからしたら結婚後に初めて会う事になる訳である。普段から散々言われている事とはいえ、シーグルとしては改めて、自分がどれだけ自分に関する事に無頓着なのかを自覚して軽く落ち込みたくなった。

 それにしても、と少し頭が整理できれば、シーグルの顔にはわずかに笑みが沸く。――こうして、何ヶ月も経っているのに、待っていたように皆で祝いの言葉を言ってくれるというのは――その、気恥ずかしいのもあるが、やはり嬉しいと思う。彼らが自分を祝いたいというその気持ちが嬉しい。本当に、自分はいい部下に恵まれたと思う。

「おっそーいですねぇ、時間は待ってはくれないんですよぉ〜」

 シーグルに割り当てられた隊長室、そこに入った途端、部下とは思えない態度で声をかけてきた人物を見て、シーグルの表情がまた笑みになる。

「すまないな、キール」
「何です、部下さん達に結婚についてあれこれ質問責めにでもあってたんですかぁ?」
「……するどいな」
「そりゃぁ〜あの方々は単純ですからねぇ〜わっかりやすいんですよ」

 そして貴方もね、とにやっと口元を歪ませて言われて、シーグルは思わず軽く吹き出した。

「違いない」

 彼の言葉使いはどう考えても失礼で、歯に衣着せないその言う事の内容は更にもっと失礼だ。それでもシーグルは彼のこういうところは好ましいと思っていた。

「貴方は部下にモテますからねぇ、久しぶりに会えた面々は貴方に構いたくて仕方ないんですよぉ」
「キール、構いたいというのは……子供ではないんだが……」

 苦笑すれば、くたびれた学者のような中年間近の青年に見える魔法使いは、お茶目にウィンクなどしてくる。

「一部の部下の方々から見れば、貴方は孫とあまり変わらないんじゃないですかぁ?」
「それは……そうとは言えるが」
「まぁ、部下さん達から見たらぁ、貴方のその見目麗しい姿とかスレてない性格がですねぇえ、そりゃもう崇拝の対象としたらたまらない訳でしてぇね。そういや前期の皆さんもそりゃもう休みに入るのが名残惜しくて大騒ぎしてましたっけねぇ〜」

 言われてシーグルは、休暇に入る前の隊の者達の事を思い出す。
 今回はグスだけでなくアウドも後期にそのまま残った為、俺も俺もと言い出す者達がやたら騒いで、結局グスが怒鳴って叱りつけるという、ある意味恒例でもある一幕があった。

「あぁでも、そういえば珍しぃくあのおバカ男はあっさりしてましたねぇ」

 あのおバカ男、が誰を指すのかすぐには分からなかったシーグルだったが、少し考えてそれが分かると眉を寄せて、それから彼が休暇前に別れを告げに来た時の事を思い出して苦笑した。
 幼馴染のロウは、冬期休暇の間、彼の故郷でありシーグルも幼い頃住んでいたエーヴィス村へ帰るのだと告げに来て、『お前もそのうち帰ってみろよ』と今の村の様子を少し教えてくれたのだった。

『懐かしいな……そうだな、帰りたいとは思うんだが……』
『お前も俺と同じくらい休暇があったらなぁ、ついでに兄弟揃って帰って来いよっていうとこなんだけどな。……おっと、俺もそろそろ馬車の時間だ、んじゃ行ってくる。また春になっ』
『あぁ、お前のご両親にもよろしく言っておいてくれ』

 例年なら『帰りたくない』『お前と離れたくない』と大騒ぎをして、隊の者達から盛大に野次られながら別れるのだが、今年の彼は確かに、普通に友人らしく別れを告げに来ただけだった。

「あいつも、いろいろ考えているようだからな」

 呟けばキールは「そうだといいんですがねぇ」と気のない言葉を返してくる。
 最近、ロウは随分変わったとシーグルは思う。
 あまりシーグルに付きまとって来なくなってきていたし、その分人の見ていないところで相当に鍛えているらしいと聞いている。シーグルとしては複雑な気持ちだが、彼がどんなに自分を想ってくれていても出せる結論は一つしかない以上、彼に何も返せない自分が嫌になる。

「俺は、たくさんの人から期待やら想いやらを向けられて、それに見合うモノをいつも何も返せないんだ」

 思った事が思わず声に出てしまって、ため息をついてからそれに気づいたシーグルは、見つめてくるキールの瞳と目があってどうしようかと考える。
 その様子に、キールは珍しく含みのない顔でにこりと笑った。

「そんな焦って返さないとなんてぇ思うことはないですよぉ。皆が一番望んでいるのは、貴方という人間が思うままに進み在る事です。貴方が何も返せなくても、貴方がご自分で選び進んだ結果なら誰も責めたり後悔したりなどしませんよぉ」

 この魔法使いは、どこまで知っているのだろう。時々心を見透かしたような事を言ってくる彼は、だがその言葉の根本は自分の為を思っての事だというのが分かる。自分に言えない秘密と役目を持っているだろうこの魔法使いは、もしかしたら、この先敵対する立場になるのかもしれない。もしかしたら、彼がそばにいる事に何か裏があるのかもしれない。それでも、彼という個人は信用していいとシーグルは思っていた。
 今はまだ水面下であっても、この国の行方を決める上層部の勢力図は日々揺れて書き変わっている。こうして一見平穏に過ごせるのもいつまでなのかと考えて――シーグルは表情を険しくした。





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そんな訳でシーグルサイドの後、次回はウィアのお話とセイネリアさんのお話。



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