【2】 ガタゴトガタゴト、揺れる馬車の中には、むすっとして窓の外を眺めている小柄な準神官が一人と、優雅に本を読んでいる、見ただけで上級神官と分かる格好をした青年が一人。 「てか、よくこんな揺れの中で本なんか読む気になるよな」 ウィアが嫌味をたっぷり含ませて言えば、兄でありリパ大神官の一人であるテレイズは、視線を本に向けたまますまして答えた。 「それは当然、慣れてるからだ」 嫌味を嫌味として聞いても貰えずに、ウィアは唇を思い切り尖らせると、仕方なくまた窓の外を眺める事にした。外はすっかり雪景色で、それは見るだけなら美しいとは言えたものの、流石にそろそろウィアも飽きてきていてはっきり言って退屈だった。ただそれであくびでもしようものなら馬車が揺れて舌を噛みそうになる……なんて事が何度かあったので、むすっとした顔のまま、ウィアはぼうっと外を眺める事しか出来なかった。 そもそも何故今年になって、この兄は田舎の伯父の家に行くなどと言い出したのだ。 ウィアは毎年、冬近くになると冬入りの準備を手伝う為に、育ての親である伯父夫婦の元へ里帰りする事にしていた。ここ2年程はそれにフェゼントもついてきていて、かつての自分の部屋で恋人と二人きり、思い切りいちゃいちゃして甘い時間を過ごせる絶好の機会でもあったのだ。 だが、首都に出て来てからいつも忙しいといって一緒に里帰りなどしたこともない兄が、何故か今年は唐突に自分も行くと言い出した。仮にも大神官である兄が新年の神殿のイベント類に出ない訳にはいかないから、いつもなら冬入り前に行ってくるのが行くのは年明けという事になって、ついでに折角なら兄弟で行ってきてくれとフェゼントは行かない事になってしまった。 これでウィアの機嫌が悪くならない訳がない。 ウィアとしては、ならいつも通りフェゼントと自分が冬入り前にいって帰ってきて、兄は兄で別で行けばいいと言ったのだが……結局フェゼントがそれに首を縦に振ってくれる事はなかった。 『折角兄弟そろって行ける機会なんです、二人そろって顔を見せて来ればいいじゃないですか』 そう何度も諭されれば、ウィアもついにはそれに折れるしかなかった、のだが。 諦めて覚悟していたものの、もう馬車に乗った途端に後悔する事しか出来なかった。 「あーもー、兄貴と二人きりで馬車なんて、どんだけ最悪のバツゲームなんだよ」 愚痴れば、本を見ていた筈の兄がさらりと返してくる。 「そうかウィア、お前はそんなに徒歩で来たかったのか」 言われればウィアは口を思い切り『い』の形にして黙るしかない。 例年ウィアが田舎に帰るときは、街間馬車を乗り継いで、最後は村まで1時間近く徒歩となる。けれど流石に大神官様が徒歩という訳にはいかないと言うことで、雪道の魔法除去まで優先でしてくれて、専用馬車で村まで楽々コースとなったのだった。 「……まぁ、お前が俺と来るのが不満だというのはよく分かっているが、この機会にお前とはゆっくり話しておきたいこともあったからね」 パタンと音をさせて本を閉じた兄を、内心ちょっと冷や汗を掻いてウィアは振り向いた。 「なんだよ、この逃げられない状況で説教か、きったねぇ」 テレイズは眉をピクリと揺らしてそれにウィアはびくりとうろたえたものの、大きく息を吐かれるに至ってウィアも肩の力を抜いた。やはりなんだかんだ文句を言ったり反発したりはしても、小さい頃から染み付いた習性には適わない……という事で、兄には絶対的に勝てない事をウィアは実感するしかなかった。 「ウィーア、茶化さないで何の話かは大体分かっているんだろ?」 それで真剣な目を向けられれば、ウィアは兄にちゃんと向き直るしかない。 「分かってるよ、フェズの……ていうか、シーグルの家の事、だろ?」 「そう。それと最近お前が少し魔法ギルドのことを調べ回ってたみたいだからね、それについても少し言っておこうと思ったんだ」 「魔法ギルドの事?」 「うん、彼らの動きが最近ヘンだからね、ちょっと警戒しとかないとならない」 それでウィアは、顔を顰めて首を傾げる。なにせ、魔法使い単体は警戒しても、魔法ギルドは信用していいという結論をつい最近出したばかりなのだから。 「城の中で一番高い塔があるだろ、あれは導師の塔と言ってね、首都における魔法ギルドの出張所みたいなものだ。かつて、クリュース建国王であるアルスロッツは、当時迫害されていた魔法使い達と手を組むことでこの国を作った。その協力の証としてあの塔は建てられて、代々ギルドから派遣されて王に仕える、いわゆる宮廷魔法使いと呼ばれる者達があそこに住む事になっているんだ」 「そんくらいは知ってるよ、んでそこでヘンな動きがあるのか?」 正確には、その話の大体を最近ラークとヴィセントから聞かされたばかりではあるものの、ウィアは兄に向かって偉そうに腕を組んで見せた。 「そうか。まぁそこにいる宮廷魔法使い達なんだがな、彼らも正確には魔法ギルドの意志で動いてはいるのだが、名目上は王に仕えている事になっている訳で、まぁいろいろ王にアドバイスをしたり魔法を使って調査をしたりしているわけで……」 「だーかーらー、それは分かってるから、何がヘンなんだよ」 長ったらしい説明など聞く気になれなくてウィアが怒鳴れば、テレイズはやれやれというように軽く眉間を抑えて息をつき、溜め息と共にウィアに言う。 「つまり、最近その宮廷魔法使い達が、やけに王の傍にべったりついているという状況なんだよ」 「なんだよ、何かおかしいのか? だってそうする為にいるんじゃねぇの?」 テレイズはそこでまた溜め息をつく。 「立場的にはそうであっても、彼らは主に災害時や戦争などという緊急時の時に協力する事になっているだけで、魔法使い関連のトラブルでもない限り、普段は国政にはあまり関わらない事になっているんだよ。平時の基本は魔法ギルドとの連絡役って方が近いくらいだ」 それでウィアは考える。つまりそれは、最近魔法ギルドが現王にやけに近付いているという事で、問題点は――。 「王は旧ヴィド派の人間をよく思っていない。つまり、シルバスピナ家をできれば潰したいと思ってるだろう。その王に魔法使いが取り入ろうとしてるって事は……ここまで言えば分かるだろ?」 「待てよっ、魔法ギルドとしてはシーグルを守る方針だって俺は聞いたんだぜ、そうなるとおかしいじゃないか?」 「……ウィア、それは誰に聞いたんだ?」 あ、しまった、とウィアは思った。とはいえ、ここまで来たら正直に話すしかない。 「んーと、知らないじーさん。だけどヴィセントが見たとこじゃ地方神殿の司祭か大神官クラスのリパの偉いさんらしい」 そうすればテレイズも考え込む。 「ヴィセントが? なら信用は出来そうだが……。つまり、そのご老人が魔法ギルドはシルバスピナ卿の味方だと言ったんだね?」 「うん、魔法使い達はシーグルの事狙ってるから気を付けろって、だけど魔法ギルドとしてはシーグルを守ろうとしてるから信用してもいいってさ」 「となると……あるいは、魔法ギルドが王に近付いているのではなく、導師の塔の宮廷魔法使い達がギルドの意志に反して王に取り入ろうとしているのか……魔法使い達の間でも内部分裂があるのかもしれないな……あれだけの組織なら派閥があるのは当然だろうし……」 考え込みだしたテレイズの独り言を聞いていても、ウィアにはそれがよく理解出来なかった。だからとにかく、結論だけは間違っていないのだという事を確認したかった。 「なんだよ、なぁ、つまり魔法ギルドは信用していいんだよな?」 そう詰めよれば、こういう時はどこまでも冷静な兄は、未だ少し考え込んでいるような素振りのままウィアの顔を見る。 「さぁどうかな。魔法ギルドの真の目的が見えないからね。王に取り入って国を動かす気なのか、もしくはシルバスピナ卿を利用して――いや、まさかな」 「まさかってなんだよ」 テレイズの想定している事が良く分からなくても、シーグルにとって思い切り不穏な事だけは分かって、ウィアのなかのもやもやは増大する。こういう、不安要素ばかりあって何もはっきりしない状況はウィアとしては一番嫌だった。 「いや、シルバスピナ卿――というかシーグル君自身を利用するとなれば……目的はあの男かもしれないと思っただけさ」 さすがに、シーグルに関しての話から即出てくる、『あの男』なんて呼ばれ方をする人間は、ウィアだってすぐにピンとくる。というか、シーグルを使う事で動かすだけの意味ある人間なんて一人しかいない。 「あの男ってつまり――」 「あぁ、セイネリア・クロッセスさ。魔法使い達にとって、あの男を動かす事にどれだけの意味があるかは分からないけどね」 ウィアはごくりと喉を鳴らした。 季節としては冬ではあっても、南の港街アッシセグの冬は首都セニエティからすれば暖かいもので、傭兵団の面々は未だに薄着の者も多い。地元の者が震え上がる寒い日も、首都にいたころからすればいいところ冬の入り程度のもので、なにより雪が滅多に降らないこの地域ではあまり冬を実感できなかった。この程度の寒さなら、訓練に少し体を動かせばすぐに上着などいらなくなるし、買い出しで上半身裸で荷物運びをしている面々などは、街の人間に感心されたりしているらしい。 「ここらの人間じゃ、首都に行ったら寒くて家から一歩も出られないんじゃねぇか」 アッテラ神官らしく肌の露出の多い恰好のエルが笑っていう言葉を、セイネリアも僅かに口元に笑みを浮かべて聞く。 「ラタなんざここにきて最初の冬に、これは俺の国だったら初秋の気温だと言ってたよな」 語尾にはははっと明るい笑い声が重なる。 それに、セイネリアの抑揚の全くない声が返された。 「それで、久しぶりに寒い国に帰ったあいつは何と言ってきた?」 それでエルもスイッチを入れ替えたように、顔の表情を引き締めた。 「あぁ、やっぱりアンタが言ってた通りだ、一部で出兵の準備が進められてるらしい。春になって国境の雪が解けたらすぐに出てきそうな勢いだってよ」 「だが、準備は大がかりだが用意している兵の人数はそこまでの規模ではない……というところだろ」 エルはそれに少し驚いた顔をする。 「あぁそうだ。だからそこまで大騒ぎする話じゃないって……のは、違うのか?」 セイネリアが机に肘をついて、手に顎を乗せる。彼の金茶色の瞳はエルを見ずに何もない空間を睨んでいた。 「あの国自身が出す戦力は、まずこの段階では偵察部隊みたいなものだからな。但し、捕虜になったり身元がバレるような事態には出来ないから、少数精鋭構成だろ」 「そりゃつまり、どういう事だ?」 「主戦力は、あくまで蛮族共の連合軍で、あの国はそれに協力するだけだという事さ。すくなくとも最初の段階ではな」 エルはそれに思い切り顔を顰める。その様子を見てセイネリアは口元だけを僅かにゆがめた。 「いくら戦いたくて仕方ないあの国でも、いきなりクリュースと真正面からぶつかるのはさすがに怖い。だが、折角クリュースが王の交代でまだごたごたしてるだろうこの時期だ、仕掛けるなら今だと思っているのは間違いない。だから、まずは北東の蛮族共をうまく煽ってぶつける事でこちらの状況をを見極めた上、うまくクリュースの戦力が蛮族共に偏ったところで、手薄になった北西の国境から本格的に仕掛けようって魂胆だな」 ここでいうあの国というのは、クリュースの北西に位置するアウグ王国の事を指す。冬は雪と氷に閉ざされる厳しい国土の中、近年急速に領地を広げてきた軍事国家である。だがそうして順調に国土を広げてきたアウグも、クリュースと険しい北方山脈にぶち当たってその進軍にストップが掛かった。ここ4年程はかろうじて北方山脈の少数部族を取り込んで領地を拡大してはいるものの、肝心の南方面へはクリュースのせいで国土を失いこそすれ全く広がる事がなくなってしまっていた。元々が侵略した国から吸い上げる事によって成り立っていた国家の為、現在は相当に国政が行き詰まってきているらしい。 つまり、現状一番クリュースに仕掛けたくて仕方が無い国がアウグだという事は間違いなく、騎士団上層部でも常識として扱われている事であった。その為、未だ一度も戦いが起こっていなくとも、アウグとの国境には大規模な砦が作られ、相当数の兵が置かれていた。 とはいえ、だからこそ小競合いを繰り返す蛮族の方に回す戦力がおざなりにされている面もあって、それでもどうにか撃退出来ているからこそそのまま放置されているという事情がある。更に言うならアウグの方にも、脅しておけば向うは襲ってくる力もないだろうと高を括り、上層部の方はすっかり油断しきってあれだけ醜態をさらしていられるというのもあった。 「はん、成程ねぇ。蛮族共は捨てゴマって訳か、さすがどこの国もお偉い人は汚ねぇ事考える」 苦い顔をしてエルが呟けば、セイネリアは腕を下ろして椅子の背もたれに背を預ける。ぎしっと軋む音と共に、金茶色の瞳が立っているエルを見上げた。 「そういう事だ。ただ、そう思わせないようにうまく煽れるくらいには、時間と手間を掛けていろいろ『協力』してやってるんだろ。おそらくは、蛮族共をまずぶつけるという計画自体はクリュースと国境を持つ事になった頃から手を回してたんだろう、蛮族共を纏めるのに掛かった時間と、クリュースの状況をみて、仕掛けるのが今になったというところだな」 それにはエルが思わず、気の長い事で、と感心の声をあげる。それから腕を組んで、なかなか整理のつかない頭の中をどうにか動かして考える。 「まぁ……そんだけ向うも本気だって事か。しかしよく、あの仲の悪い奴らに同盟を組ませたもんだな」 北東の少数民族達は攻撃的で、互いが自分達こそ優れているといって頻繁に小競り合いを繰り返している事から、クリュース側では彼らが手を組む事はあり得ないと言われていた。エルも国境にくる彼らとの戦闘に何度か参加したことがあるからこそ、そう考えて疑っていなかった。何せ、クリュースの砦に攻めてこようとしたほかの部族同士がたまたまかち合って、そのまま砦前で小競り合いをはじめた事さえあったのだから。 「煽るだけなら簡単だ、なにせクリュースがごたついている今は絶好の機会、というのは蛮族共からしても思っていたところだろ。この機会に、奴らは奴らで協力者やアウグを利用してやる、と思うように誘導してやればいい訳だ」 まぁそんな事が可能なくらいには、アウグの使者は相当に口が巧いんだろ、というセイネリアの呟きには、エルは感心すると同時に、この男の頭の回りぶりに嫌な汗がでてくる。腕っぷしが馬鹿強いというのは今更言うまでもないが、そういう人間が頭も回るのだから恐ろしい。普通はこれだけ強いのなら、その強さを過信して考え方は単純になる。この男を知れば知る程、なにをやっても手のひらの上で踊っている気がして逆らう気なんかしなくなる。 すると、表情を硬くしているエルの顔を見たセイネリアは、僅かに持つ空気を崩して軽く笑い掛けてきた。 「まぁ、ここまではクリュースの上の連中でもある程度読んでいる奴はいる事だな。ただあいつらは敵をなめきっているから、いざとなってもどうにか出来ると思っている。そしてそれは間違いでもない、砦部隊が崩れても近隣の村がいくつか潰れても……最終的にはクリュースが勝てるさ。確かに、指示だけで自分が戦場にいく気がない者にとってはそこまで焦る事じゃない」 それでエルは思わず苦笑を浮かべる。 つまりセイネリアも、シーグルの件が無ければどうでもいい事だったのだろう。確実に戦場に駆り出される彼の為に、犠牲になる者の列に彼が名を連ねる事がないように、敵の出来るだけ詳しい情報を手に入れようとした。なんとも人間くさい話じゃないか、と思えば、エルの強張っていた体中の筋肉から力が抜ける。 「さって、そこまでを俺に話したって事は、戦闘がおっぱじまった時には何人かウチから出すって話なんだろ? 出来りゃウチからだって分からないように」 この傭兵団において、面倒な諸々の状況判断はセイネリアの仕事であってエルがどうこういう話ではない。だが傭兵団としての仕事を回すエルにそんな話をするという事は、実際の戦闘が起こった場合にこの傭兵団も人を出すから準備をしておけという事だ。 「察しがいいな。まず希望者を募ってそいつらと……クリムゾンもだな、そっちは普通に団の名で出せ。それと他に2、3人、外の仕事を受けた事がない者で使える奴をウチの名を外して出せ。それはアーメラに話を通せばどうにかしてくれるだろ」 女ならがらにそれなりの人数の傭兵団を束ねる知り合いである女戦士の名を出した事に、エルは少しだけ驚いた。 「あの女に借りを作るのは嫌なんじゃないか?」 言えば、セイネリアは唇端をくっと上げる。 「俺の頼みと言えば喜んで協力してくれるぞ」 エルは今度は別の意味で表情を引き攣らせた。 「あーそうだったな、アンタはそういう男だ」 アーメラは、いわゆるセイネリアの数いる情報源……というか情人の一人で、面倒な事にセイネリアに惚れている事を熱烈にアピールしてくる人物だ。なにせ自分の傭兵団の名をこちらの傭兵団の名前に合わせて変えたという、かなりの熱の入りようだから相当だ。……まぁセイネリアも、それにははっきりきっぱり断った上で寝ているのだから不誠実だと言い切れない気もするが、シーグルに対してあそこまで入れ込んでいる彼も知っている分、エルとしては納得がいかない気もする。 「俺なら、どうしても好きな奴がいんならそいつだけにするけどな」 などと愚痴って見れば、セイネリアがどこか苦しそうに口元だけで笑って、エルは驚く事になる。 「俺も、あいつがいてくれるなら……他はいらないんだがな」 その表情があまりにも意外で、エルはそれ以上彼にその事に関して何かを言う気にはなれなかった。 --------------------------------------------- セイネリアさんはそういう人です(==。 |