平穏な日々と不穏な世界




  【3】



 後期に入ると、騎士団では今年の計画発表やら人事異動の説明やらで、役職持ちの面々は連日会議続きとなる。そのどれもが無駄な話ばかりだ、というのはシーグルのように真面目に会議に参加して話を聞いている者なら思う事だが、あいにくそんな殊勝な心持の人間はこの会議室には殆どいなかった。

「平和なモノですね……」

 隣に座っていた、その数少ない一人に当たるだろう第三予備隊隊長のエルクア・レック・パーセイの呟きに、シーグルはため息と共に、あぁ、と返した。この会議の面子の中では下っ端に当たる彼らの席は後ろの方で、当然他の面々が何をしているのかその様子がよく見える。半数以上が居眠りをしている様子を見れば、ロクな人間がいない事など一目でわかるというものだ。

――もしこれで蛮族の大規模襲撃が起こったとしても、やはり大半の連中はこのままなのだろうな。

 そう考えると嫌になってくる。恐らく、戦場に行く可能性のある予備隊の隊長や、立場の弱い上の数人が狼狽えるだけで、自分が行かされる事はないと分かっている連中は大して気にはしないのだろう。
 実際の戦場を見ていない者が決定権だけ持っているというのは組織上仕方ないとしても、上の者がこれだけいい加減な状況で部下を危険な戦地へ連れて行くなんて考えたくもない。
 普段から会議中は苛立ちばかりが募るシーグルだが、現状を知っていれば更に嫌になる。

「今日はまた、相当に機嫌が悪そうですね」

 申し訳ないと思っても、いかにも育ちが良さそうなのんびりとした口調で言われれば、それもまたシーグルを苛つかせる。それでも彼に当たる訳にはいかないので、シーグルは一度自分の胸を押さえて気を落ち着かせてから、立場の近い同僚ともいえる青年に向き直った。

「彼らの言動で生死が決まる者達もいるのを考えると……どうしても、申し訳なくて」

 呟けば、いつも柔らかい印象の青年が、少し顔を顰めて重い息を吐く。

「そりゃ、こんなのが上だと思えば、皆やる気なくなりますよね。私の立場じゃ出来る事は限られますし、歯がゆいですね」

 苦笑しつつも、声は暗い。
 こうして、シーグルの意見に同意してくれる段階で、貴族騎士としては彼の事をシーグルは信用していた。なにせ他の貴族騎士の連中は、自分に危険が降りかかるか否かが問題なだけで、部下の事など考えてはいないのだから。

「本当に、歯がゆいですね」

 呟けば、少し茶化したようにエルクアは言ってくる。

「だから、さっさと貴方には偉くなってもらわないとなりません」
「……そう、ですね」

 シーグルはため息と共にそう返す。
 それは、グス達部下にもよく言われていることであった。この騎士団をマトモにする為には、早くシーグルがそれなりの地位に行くしかないと。貴族としてのシーグルの地位があればそれが可能だからこそ、彼らはシーグルに期待している。だから、最初は出世なんてモノにあまり興味がなかったシーグルも、それを自覚してからは貴族院の『押し』を利用してでも早く上に上がりたいと思っていた。

 無意味な会議はいつも通りに続き、昼になって、一旦会議は休みに入る。
 リパ大神殿から昼を告げる鐘の音が聞こえてく来た事で、発言者はあっさりと発言を打ち切り、そそくさと入ってきた彼の部下が書類を片付け出す。その頃には偉い連中はさっさと席を立って既に入り口から出ようとしているところで、シーグル達下っ端は彼らが出るのを待ってから席を立った。

「さて私は食堂に行きますが、シルバスピナ卿もどうです――と、そういえば貴方は家から食事が運ばれてくるんでしたね」

 言われてシーグルは思わず苦笑いをする。

「えぇ、その、私の場合、皆と普通に食べれないので……」

 騎士団にいる貴族騎士でも、あまり金のない者は食堂等、団で用意している物を食べるのが普通だった。一部の、自分の地位や財力を誇示する者は家から食事をわざわざ運ばせたりするのだが、そういう者達と同じだという事はシーグルにとっては心苦しく思うところであった。
 シーグルの困った様子を見たエルクアは、そこでくすりと笑う。

「分かってますよ、貴方の場合は事情があることなんて。偉そうに昼から贅沢して見せてる連中とは違うくらい分かっていますから、そんな顔しないでください。そもそも貴方くらいの地位なら、実際昼から部屋でどんな豪勢な食事してても誰も文句言えないんですよ」

 彼にはよく食事を誘われる手前、シーグルがあまり食べられない件は既に告げてある。だからそういって笑ってくれる彼に、シーグルはほっと息をついた。

「でもいいですね、昼には心の篭った料理。羨ましいことです。兄上が作ってくださるとか、その……とても良い兄上なのですね」
「はい」

 それには笑って返すものの、実のところその兄も騎士だとか、最近ではその料理には妻も関わっているとか、ヘタなことは言えないなとはシーグルも思うところではあった。旧貴族の血縁が使用人まがいのことをしているなど、本来なら公に知られるわけにはいかない事なのだから。

「それでは、また午後に」

 言って別れを告げれば、廊下に見えた人物に、反射的にシーグルの体に緊張が走る。
 リーズガン・イシュティト、参謀部長である彼の立場ならさっさと部屋に帰っている筈だと思っても、今更回れ右をして避けるわけにもいかない。シーグルは覚悟をして彼の横を通り過ぎる事にした。
 だが、明らかにじっとこちらを見ている男は、それでも声を掛けてくることはない。ただ、その視線が酷く不快で、絶え難い程気色悪いだけだ。彼が自分をどういう目で見ているのかが分かっている分、傍を通るだけで肌が粟毛立つ。早く離れたくて、自然と足が速く動く。
 そうして、ある程度の距離を取れて体から緊張が抜けていけば、今までただ廊下に立っていたリーズガンが動き出したのを気配で感じる。慎重に少しだけ振り向けば、彼はシーグルが来た方向へと歩いているところで、まるで自分を見る為にそこで待っていたように思えた。

「いい加減、諦めて貰いたいところなんだが――」

 そのおぞましい視線を思い出して痒くなってきそうな腕を抑えて、シーグルは溜め息をついた。
 







「おかえりなさいませ、アルスオード様」

 自分の執務室に帰ってくれば、ナレドとターネイとリーメリとキールが並んで立ち、声を揃えてそう出向かえてくれて、さすがのシーグルも一瞬部屋に入るのを躊躇した。
 冬になって屋敷の使用人が減った今、昼食を届にくるのはターネイの仕事で、その護衛に誰かがついてくるというのはいつものことではある。だから彼らがいる事は別に問題はないのだが、キールまで一緒になって出迎えてくれたのはどう考えても半分嫌がらせだと思われた。
 その証拠に、ドアを開けたまま立ち止まってしまったシーグルを見て、キールは人が悪そうな顔で肩を震わせて笑い出したし、ターネイはいい笑顔で一歩前に出て、さぁお召し上がりくださいと机の上の料理に手を向け、リーメリもシーグルのうろたえぶりに笑っている。唯一ナレドだけは皆が笑い出すのが何故か分からないような顔で焦っているから、彼だけは真面目に自分を出迎えただけなのだろう。

「わざわざ食事を運んでくれた事には礼を言う……が、今後はそんなに待ち構えたように出迎えてくれなくていい」
「はい、分かりました」

 その明るすぎる笑顔といい返事からして、ターネイがこの提案の首謀者だろう事は予想できた。

「本日のお食事は、野菜のミルク煮込みと塩漬け肉のサンドウィッチでございます。特に、ミルク煮込みは絶っ対に残さずお召し上がりくださいませ」

 それだけで、ミルク煮込みはロージェンティが作ったのだろうというのが分かる。どちらにしろ、兄や妻が作った料理を残すなんて事は出来る訳がないのは重々承知していることで、シーグルは促されるまま自分の席についた。

「それでは、申し訳ありませんが、私はここで失礼させて頂きます。どうか旦那様はごゆっくり、味わって、残さず食べてくださいませ」

 笑顔でそう言われれば、シーグルもそれに了承の返事を返すしかない。けれど、いつもなら食べ終わるまで見ていく彼女がすぐに帰る事には疑問が湧く。

「急いでいるようだが、何か用事があるのか?」
「あぁ、いえ、帰りに買い物をしていこうと思っているだけです」
「そうか、なら気をつけて。兄さんとロージェにはいつもありがとうと礼を言っておいてくれ」
「はいっ」

 思い切りの笑顔を浮かべた妻の昔からの侍女は、そこで大きくお辞儀をすると、軽い足取りでリーメリを連れて部屋を出て行ったのだった。







 昼間の首都セニエティは、いつも通り人でごった返している。
 それは分かっているものの、出てきた店の前で、ではどうぞとドサリと置かれた麻袋を見て、ターネイは眩暈を覚えていた。

 これは完全に彼女の読み間違いだった。

 ターネイは数日前、この店にロージェンティの故郷であるロスティール地方で良く使われる香辛料、ザザルーパの実を頼んでいたのだが、それが届いたとの連絡を受けて騎士団の帰り道に受け取りに来た。のはいいのだが――まさか、ガタイのいい店の親父がやっと担げるような麻袋一杯のこの量を持ち帰る事になるとは思わなかった、というのが彼女の失敗だった。

「あの、これ、持てます、で、しょうか?」

 護衛兼荷物持ちとしてついてきているリーメリは騎士とはいえ細身で、無理だろうなと思いつつも一応彼女は聞いてみる。

「……申し訳ありません」
「ですよねぇ」

 そうなると二人してどうしようかと顔を見合わせるしかない。
 あぁ道理でいい値段だと思ったわ、でも遠くから取り寄せるから仕方ないと思ったし、これなら馬車かせめて馬を出した時ではないと――等々、ターネイは荷物を睨んだままひたすら考え込むしかなかった。

「店の親父に言って、後で取りに来なおす、という事にしたほうがいいと思いますね」
「そうね、それしかないかしら」

 そうなるとこれからの今日の予定が狂う訳で、でもそれしかないかと彼女も思う。
 だが、そうしてリーメリと二人、荷物を見つめて話し合っているところで、思わぬところから声が掛けられた。

「ねー、あーなたたちっ、こっちこっち」

 元気な女性の声に顔を向ければ、手を振りながら大通りからこちらに向かってくる人影が一つ……と、その後ろにもう一つ。雪のある風景の中、黒い瞳に黒い髪、浅黒い肌と南国らしい容貌の女性が陽気にぶんぶんと手を振って嬉しそうにやってくる後ろから、人波の中でも頭一つ飛び出した大柄な男がむすっとした顔で歩いてくる。
 正直なところターネイにはどちらも全く見覚えがない顔だった。たが、声を掛けてきた女性の後ろにいた大柄な男の姿がはっきり見えたところで、隣にいたリーメリが頭を下げた。

「お久しぶりです」

 そうしてやってきた人物達とリーメリが話しだし、ターネイが説明された事によれば――後ろからきた大男はシーグルの部下で、女性はその奥方らしい。前期組である彼は休暇中だから夫婦揃って買い物に来ていたという事で、リーメリの顔を見て声を掛けたとの事だった。シーグルの部下本人である男の方が殆どしゃべらず、ひたすら奥方の方が話してくれた為少しややこしかったものの、ともかく警戒するような人物ではないというのが分かってターネイは安堵した。
 更には、自分達がここで突っ立っている理由を話せば、見るからに力がありそうな大男は何も言わずに香辛料の袋を肩に担ぎ上げた。

「あ、あの……」
「隊長様の家の方が困ってるんですもん、運ぶのはうちの人に任せてちょうだいね」
「大丈夫ですか? その、ここからお屋敷まではそれなりにありますが」
「あぁ、隊長の家は知ってる」

 そうしてすぐに歩き出した大男を見て、ターネイはおそるおそるついていく。
 奥方の方はこれでもかという程もこもこに着込んでいるものの、大男の方はこの時期にしては軽装で、奥様は南で旦那様の方は北の出身なのかしらとターネイは思ったりする。

「ついでに隊長様に挨拶していきましょうかー。あ、だったらこの間お義母さんから送っていただいた敷物を一つもってくれば良かったわね。隊長様、コーレクトの織物のあの色合いを気にいってくださったみたいだし」
「今、隊長は仕事中だ」
「あぁ〜そうねぇ、そういえば隊長様はあなたみたく長いお休みは貰えないんですっけ、偉い方も大変ね。あ、隊長様って結婚されたばかりじゃなかった? それなのにそんなお忙しいなんて奥様は寂しいんじゃないかしらっ、だって旦那様があんな素敵な方ならねぇ……」

 前を行く、無口な旦那とおしゃべりな奥方を眺めながら、ターネイはこそっとリーメリに彼らについて更に詳しい話を聞いてみる。
 そうすれば、顔はいいものの愛想が悪い金髪の青年は、やはりむすっとした表情のまま呟くように答えた。

「確か名前はエッシェドラン・イーネス、皆ランって呼んでたと思います。うちの隊で唯一結婚してて、一番体が大きくて無口で有名な人、らしいです。俺は後期組だったからあの人とは団でもあまり顔合わせてないですし、話した事もないんです」
「そうなの……」

 気のない返事を返したターネイだったが、その直後、聞こえてきた前の二人の会話には思わず聞き耳を立てる事になる。

「そうねぇ、さすがに男の子が二人続いたから、次は女の子がいいかしらね」





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次回はランの一家とシルバスピナ家の団らん話。このヘンのノリはWEB拍手のお礼文章ぽいですね。



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