その濁りない青に





  【2】



 その日、シーグルの冒険者支援石が仄かに光って、持ち主に事務局からの呼び出しを伝えた。この程度の光り方なら、然程重要ではない用件、恐らく誰かからの伝言が入ったのだろうと思う。
 シーグルにわざわざ連絡を取って来るのは、紹介所か、前からパーティをよく組んでいた仲間の誰かか、そして最近だとセイネリアからの事が多い。
 仕方なくシーグルは、その日の買い物帰りに事務局による事にした。

 冒険者として登録すると渡される、一般的に支援石と呼ばれるこれは、登録時に本人の魔力波長を登録した石で、その人物を特定し、冒険者向けの様々なサービスの鍵になっている。
 伝言の伝達もそのサービスの一つで、事務局に個人に向けた伝言が渡されると、事務局からの呼び出しとして、石が光る仕組みになっていた。居場所が特定し難い冒険者にとっては、手紙に変わって手軽に連絡をし合える重要な機能である。
 表面に番号と名前が掘られた、掌で握り込める大きさの平べったい板のような楕円形の支援石は、石を持っている事自体が冒険者としての証であるとして、冒険者達はそれぞれ石をアクセサリー等の身に付けるものに加工して、肌身はなさず持っているのが普通となっている。
 ちなみに、冒険者として登録するときに必要な登録料は、殆どこの支援石のための値段で、魔法の加工品としてもそれなりに手の込んだ代物だった。

「やっぱり、セイネリアか」

 予想通りの名を聞いて、事務局からメモを受け取る。そのメモを見たシーグルは、瞬時に眉を寄せた。

「ここへ来いと?」

 メモにあったのは、簡単な地図。しかも指している場所は森の中で、目印になるものが書いてあるものの、場所を探すのは容易ではないと予想できた。

「南の森? 近そうではあるが……」

 首都の南にある森は、冒険者達にとって馴染み深い場所である。成り立て冒険者が、冒険者らしい事をしようとして大抵最初に訪れる場所だ。首都に近いだけあってそこまで危険がないというのもあるし、森の中央を街道が通っているので人の行き来が多いというのもある。
 ただ逆をいえば、セイネリアが受けるような上級冒険者の仕事があるとは思えない場所ともいえる。セイネリアの事だから恐らく仕事絡みだと思っていた分、シーグルは彼の意図が分からなくてメモを見たまま少しの間考え込んだ。

 だがどちらにしろ、結局はその場所へ行くしかないかと結論を出し、シーグルは深い溜め息を吐くとメモを握り締めた。







「それで、何の用だ」

 セイネリアの指定した場所は、首都の南門を出た森の、その中でもあまり人が来ない奥まった場所だった。一応地図の目印と馬の通った形跡を辿れば、そこは木々の合間の開けた場所で、傍にセイネリアの馬がいた事もあり、思いの他あっさりと見つける事が出来た。

「なんだ、遅かったじゃないか」

 ゆったりと地面に座りこんでいた、黒い鎧の騎士が立ち上がる。
 そのまま、馬に乗るでもなく、付いて来るようにシーグルに合図すると、セイネリアは剣を抜いて森の奥へと入って行く。シーグルは不審に思いながらも、馬を降りて剣を抜き、セイネリアの後を追いかける。

「おい、何があるんだ」

 先を行くセイネリアに声を掛けてみても、彼は何も返して来ない。
 わざわざ剣を抜いて行くのだから、戦うような何かがいるのかとシーグルは思うが、首都に近いこの辺りは、そこまで警戒するようなものはいない筈だった。

「着いたぞ、あれだ」

 セイネリアが足を止める。シーグルが追いついてセイネリアの指すものを見れば、そこには見たこともない化け物と呼んでいいものが立っていた。

「何だ、あれは?」
「何だと思う?」

 笑みを浮かべてのんびりいうセイネリアの態度からは、それが危険なものであるとは思えない。だが、亡霊のように白く半透明のそれは、こちらに向かって威嚇なのか大きな口をぱっくりと開いて唸っている。

「化け物、としか見えないが」

 シーグルは剣を構える。
 セイネリアは鼻で笑って、のんびりと剣を持ち上げ、化け物の方に向けた。
 大きさは人間の倍程だろうか、白く半透明のそれは、細い体に不釣合いな大きな頭、しかもその頭は大きな一つの目玉と口だけがあるという、どうみても自然の生物らしくないおぞましい姿をしていた。剣を向けられたことで余計に気が立ったのか、口を大きく開きながら、細い体から細く長い腕を大きく広げている。

「足元に魔法陣が見えるだろ。どっかの馬鹿が召還魔法に失敗して、半召還状態で放置したまま逃げたらしくてな」

 確かに、化け物の足元には魔法陣が見える。そしてどうやら、化け物は何度もこちらに襲い掛かる仕草を見せながらも、その魔法陣から一歩も外へは出ていない事も分かった。

「召還が完全ではないから、魔法陣から出られないのか」
「そういう事だ」

 それなら、セイネリアが敵を目の前にしても、こんなに落ち着いているのが分かる。構えを解いたシーグルを見て、セイネリアは剣を肩に担いだ。

「だが逆をいえば、魔法陣の中ならアレはこちらに攻撃もできる。あの魔法陣だけがあいつをこっちの世界に存在させる力だ、つまり魔法陣さえ壊せばあいつは存在出来なくなる」

 いってセイネリアは、今度は剣を構えた。

「魔法陣はコアになってる触媒を壊すのが一番確実だ。だからお前は少しあの化け物を引き付けておけ。なぁに、長くは掛からん、避けるのはお前の方が得意だろ」

 シーグルは顔を顰めながらも、分かった、と不満そうに呟いた。
 それを見たセイネリアが口元を歪める。

「いくぞ」

 シーグルの返事を待って、すぐにセイネリアは走りだした。シーグルもすぐに後を追う。
 化け物は近づいてきた二人に大きく口を開き、全身を大きく見せるように伸び上がった。だが、その口が獲物を噛み砕こうと地面に降ろされる前に、セイネリアは化け物を通りすぎ、シーグルは高く跳躍する。
 敵を見失った化け物が大きく吼える。
 その鼻先をシーグルの剣が斬りつけ、化け物が頭を振り回す。
 ぶんぶんと、化け物の頭がシーグル目掛けて地面に叩きつけられるが、シーグルは余裕をもってそれらを避ける。先程まで、魔法陣の中で暴れている姿を見ていた所為で、化け物の動きのスピードは既にシーグルにはある程度予想が出来ていた。
 化け物はその後も数度暴れながらシーグルを狙うが、その攻撃は当たらない。
 シーグルは無理に攻撃しようとはせず、化け物の攻撃を避けることに専念する。時間稼ぎが仕事ならば、無駄な攻撃はする必要がないからだ。
 やがて、化け物が悲鳴のような大声を上げ、その動きが止まる。
 視線を化け物の向こう、魔法陣の中心へ向ければ、セイネリアの剣が地面に突き刺さっているのが見えた。
 化け物の悲鳴は高く、長く、響いて森の木々を震えさせる。
 だが、やがて存在する為の力を失くしたソレは、次第に黒い霧となって、実体を失い、魔法陣の中心へと吸い込まれた。







「終わったのか」

 シーグルが尋ねれば、セイネリアは、あぁ、と短く肯定して地面から剣を抜く。
 それから、その場にしゃがみ込んで何かを拾うと、それを持っていた皮袋の中に入れた。
 シーグルの視線に気付いたセイネリアが、皮袋を持ち上げて視線を向ける。

「ちゃんと処理したって証拠にな。コアだった鏡だ」
「仕事だったのか」
「まぁな。おかげで楽だったぞ」

 シーグルの嫌そうな顔を見て、セイネリアが唇の端を上げる。シーグルは剣を鞘に収めると、セイネリアの元に歩いた。

「手伝わせるなら、お前の部下を呼んでくればいいだろ」
「何、お前に用があったからな、ついでだ。なかなか面白いから見せてやろうと思ってな」

 セイネリアは立ち上がると、彼もまた剣を腰に収める。その剣が、少し大きめなだけでありきたりなものであるのを確認して、シーグルはピクリと眉を動かした。

 セイネリアは強い。
 かつては騎士団で最強の騎士とまで呼ばれ、名の通った傭兵団を作り上げたこの男は、今では純粋な彼自身の強さのほかに、相当の財力も持っている。その彼が、いくつかの名のある武具を持っているというのは、彼を知るものなら当然知っている話だった。実際に別の機会で、シーグルもセイネリアが魔力が篭った武具を使っていたのを見たことがある。だが今日、それらを持ってこなかったというのなら、これはその程度の仕事だったということだろう。別にシーグルに手伝わせなくても、楽勝の部類に入る仕事だったのだ。
 だからセイネリアにとって、この仕事を手伝わせる事よりも、自分を呼び出すことのほうが本当に本来の目的だったのだとシーグルは思う。

 ――力が違いすぎる。

 年齢も経験も、セイネリアの方が上なのだから当然ではあるが、いくら自分が経験をつんで修行しても、彼に適う事はないだろう。
 セイネリアと仕事をするたびに、シーグルはいつもそれを思い知らされていた。

「用とはなんだ」

 用があるといったのに、言わずに歩きだしたセイネリアに、シーグルは追いかけながら尋ねる。

「あぁ、最近いろいろ手伝ってもらったり、仕事を代わってもらったりした礼をしようと思ってな。奢るからメシにでもいかないか?」
「断る」

 即答で答えれば、セイネリアが今度は茶化した声で返した。

「なんだしーちゃん、朝じゃなくても食えないのか?」
「うるさい、夜ならまだ多少は食べられる」
「ほー、ミルクのみ人形以外のお前をぜひ見てみたいな。じゃ、決まりだ、メシいくぞ。どうせお前、他に何か礼を渡しても受け取らんのだからそれくらい付き合え」

 それ以上はどう断ってもキリがないだろうと思って、シーグルは溜め息を吐いた。

「……分かった」

 だが、そんなやり取りに力が抜けた後、僅かな緊張を纏ってセイネリアが足を止める。

「何だ?」

 シーグルも足を止めて、前方に注意を払う。……確かに、人の気配がした。

「お前を待ってのんびりとしすぎたな。少し仕事が増えたらしい」

 セイネリアは剣を抜いたが、声には危機感は感じられない。わざと音を立てて歩きだし、馬を置いてある開けた場所に出て行く。

「あまり時間は掛けたくない。くるならさっさとしろ」

 途端、すぐに飛んでくる矢。
 それをセイネリアが剣で叩き落とすと、今度は木陰から男が飛び出してくる。
 だがセイネリアはそれを分かっていて尚、焦りもせず左手で腰から短剣を抜くと、別の方向に向けて投げた。
 飛んだ方向から悲鳴が上がる。と同時に、突進してきた男の剣がセイネリアの剣に受け止められる。キンと高い音が鳴ったと思った時には、襲ってきた男の方が吹き飛ばされていた。
 短剣を投げた方向と、矢が飛んできた方向から、人が走り去っていったのが気配でわかった。
 地面に転がった男をセイネリアは蹴り転がす。

「くそっ、化け物めっ」

 腹を抱えながらセイネリアを見る男の顔は、明らかに怯えたもののそれだった。
 シーグルからはセイネリアの顔を見ることはできなかったが、気配で彼が嗤っているのが分かる。セイネリアが更に男を蹴れば、悲鳴が上がった。

「貴様ら程度をあしらうのは手間でもないが、邪魔をされたのは気にいらん。だがここで貴様らをどうこうする時間も勿体ない、さっさと失せろ」

 言って、今度は強く、邪魔モノをどけるように男を蹴り転がす。
 男は呻きながらも立ち上がると、蹴られた腹を手で押さえながら、必死になって走っていった。

 見ているだけですぐに終わってしまったシーグルが、抜いていた剣をしまいながらセイネリアに近づいていく。

「狙われる……心当たりがあるのか?」
「ありすぎて分からんくらいにな」

 そういわれればシーグルに返す言葉はなく、黙って自分の馬の方にいくしかない。
 セイネリアは馬に乗ると、その鼻先を街道の方に向ける。

「まぁ、いつもの事だ、気にするな」

 いうと、すぐに走り出した。





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