【5】 休日の昼間、首都セニエティの中心を貫く大通りは、いつも以上に人が多い。あちこちに露店が犇き、その間を人々がぬって歩く。 事務局に近い辺りには、様々な場所からきた冒険者達が、仕事の相談や待ち合わせなどをしつつたむろしている姿が目立つ。 それをちらりと見て、セイネリアの足が一瞬止まった。 「どうかしましたか?」 聞いてから、彼女はその質問をしたこと自体を後悔した。 セイネリアの視線の先にいたのは、事務局へ向かう人並みから少し離れた場所にいる銀髪の騎士。いかにもこれから出かけようとしている様子で、傍にいる金髪の神官と話をしていた。 「いや……行こう」 すぐに歩き出したセイネリアの少し後を、黒いフードを頭からすっぽり被った女が追う。これだけ人の多い場所、そんな二人のやり取りなど、誰も目に留めるものはなかったが。 「調べましょうか?」 追いついた背に、ほかの誰にも聞こえない程度の声で女は問う。 「気付いたのか、カリン」 「失礼ながら、視線の先を追いましたので」 途端に、セイネリアから苦笑するような気配がして、暫くすると彼は手を後ろに向けて軽く振ってみせた。 「いや、別にいい。あいつがよく組んでいる仕事仲間の一人だ、見た事はある」 「分かりました」 それだけで、カリンと呼ばれた彼女はもう何も言わない。 カリンにとって、セイネリアは唯一絶対の主で、彼の言う事は無条件に従う。忠実な道具に成れ――それが、彼との契約だった。 彼女の主であるセイネリアは、最近、とある若い騎士の青年に執心している。それこそ、空いてる時間があれば彼のいそうな場所を見に行くという状態で、彼の為に美味い仕事を確保しておいてやる程の熱の入れようだ。更に彼女にとって不可解な事に、そんなに彼に会いたいのならば、セイネリアは一人の冒険者など常時その行動を把握できるだけの情報網と部下を持っている。にもかかわらず、セイネリアは彼に関する事を、カリンを含むその方面の部下に調べさせる事はしないのだ。 『探すのも楽しんでいるんでな。それにあいつは別に隠れている訳でもない、お前達に頼むまでもないさ。ヘタにいつでも居場所を掴んでいたら、その方が警戒されるだろ』 そう言ったセイネリアは確かに楽しそうで、カリンは疑問に思ったものだが。 今まで彼が『お気に入り』にした人間は数人いるが、今回は少し勝手が違うようだった。必要以上に手間も時間も掛け、必要以上に無駄を楽しんでいる……言い方を変えれば、遊んでいると言えるだろう。 カリンとしてはただの気まぐれだとは思うのだが、セイネリアが、あのシーグルという騎士の青年に関して何かをする時は本当に楽しそうで、だからこそ微妙に違和感を覚えてもいた。 「……笑っていたな」 微かに聞こえた声に、今度はカリンが足を止めた。 「え?」 思わず聞き返してしまってから、また彼女は後悔する。 今も先程も、彼女は本来気付かない振りをしなくてはならなかった。 カリンが自分の行動を失態だったと悔やんでいるのが分かったのか、セイネリアがちらりと後ろを向いて、彼女の頭の上を軽く撫ぜる。すぐに彼は背を向けて歩きだし、カリンもすぐに後を追ったが、彼女の中に広がる違和感は質量を増した。 「あいつも笑うんだと思ってな。まぁ、俺の前じゃあり得ないな」 そう言ったセイネリアの顔は別にそれを残念がっている訳でもなく、それこそもまた遊びの中の一つというように、僅かな笑みを浮かべていた。 だから彼女は安心する。 いつも通りの主であると。 「では、よろしく頼む」 男が立ち上がると、後ろに控えていた護衛の者がさっと主の為に道を開ける。その間を悠々と歩いていく男と、後ろについて歩く護衛の二人。どちらも気配を感じさせないのは、彼らが真っ当な職業の人間ではない証拠だ。 薄暗い店の中、去っていく男の背を冷ややかに見て、セイネリアは機嫌が悪そうにグラスに口をつけた。 それを見て、部屋の隅に寄り掛かっていた男が言う。 「あー、やっぱ、気が乗らないスかね。ボスが嫌いなタイプですからねぇ」 この空気を読まない脳天気な声に不機嫌な視線を投げたのは、セイネリアではなく、反対側の壁に凭れ掛かっていたカリンだった。 睨まれた男は、肩を竦めてにへらっと笑う。 カリンはそれに呆れるものの、この男が本当に言動通りの何も考えてない馬鹿ではないと分かっているので、軽い溜め息を吐いて、セイネリアに意見を求めるように視線を向けた。 彼女の見たところ、セイネリアがこの仕事に乗り気ではないのは明白だ。だが、断るつもりならば、彼はこんな目に見えて不機嫌を露にしたりもしない。 だからセイネリアの答えは、カリンの予想通りであった。 「……仕事は請ける。相手は気にいらないが、利用価値は十分にあるからな、繋がりを作っておくのは悪くない」 「そですよね〜、だから一応話を通してみようと思いまして」 嫌そうに口を開いたセイネリアに、やはりヘラヘラと笑いながら男は答える。立場上相当に失礼な態度なのだが、いつもの事だと分かっているセイネリアは、その男に怒る事はない。 「持ってきたからには、お前が担当して最後までやれ。俺は二度とあの男には会わんぞ」 「そりゃ勿論。あー……いや、本当はどうにかしてボスが会わなくて済むようにはしたかったんスけどね。あーゆー自分が偉いって思ってる奴は、下っ端だと話が進まないんスよ。とりあえず一回会って貰えりゃ、後は話進めやすいんで大丈夫ッス」 ぐっと、サムアップまでして返事をする彼には、呆れすぎて苦笑が沸く。 それはカリンだけではなくセイネリアも同じようで、いかにも不機嫌という顔をしていた彼も、顎に手を置いて口に苦笑を浮べていた。 「本当に調子のいい奴だな。まぁ、それでも使える奴だから構わん」 「お褒めに頂いて至極光栄。んじゃま早速俺は仕事行きますかね。それじゃ後はねぇさんと連絡とりますんで、経過はそっちから聞いてください」 「分かった」 男は芝居がかったお辞儀を一つすると、するりと店内の薄闇に姿を溶け込ませる。 「誰かほかに手は必要か?」 消えた男にカリンが言えば、姿は見えないものの返事が返る。 「あー、今はまだいいッス。必要になりそうだったら連絡しまっす。って事でねぇさんはボスの機嫌取り宜しく」 その言葉には、流石にカリンも目を見開く。 それを見ていたセイネリアが、思わず笑う。 「機嫌取りか」 セイネリアが呟けば、カリンはバツが悪そうに少し頬を赤くした。 「……はい。全く失礼な男で申し訳ありません」 「別にいい。口だけで使えないようなのなら困るがな」 「そうだったら、とっくにウチにはいないでしょう」 「確かにな」 苦笑というよりも、自嘲めいた笑みを唇に乗せて、セイネリアはグラスの中身を揺らすように見つめた。 現在セイネリアの立場は、表向きには、騎士の称号と自らが立ち上げた『黒の剣傭兵団』の創設者であり長という肩書きだけだ。だが、裏社会の者程彼を恐れるのは、もちろんそれだけの所為ではない。 セイネリアは、もう一つの組織を持っている。 とはいえ、よくある裏仕事を引き受ける犯罪組織という訳ではない。隠密行動が得意な連中で組織された、情報屋をやっているというだけだ。 元々はセイネリアが個人的に情報収集をする為に集めた連中を、一つの部門として組織化しただけなのだが、ただ、最近は情報を集めるだけでなく、それを売ったり探る事を請け負ったりもするようになって、公然の秘密のように、セイネリアの裏家業、と少しその辺りを知っているものなら有名な話になっている。 セイネリアは確かに、傭兵団を立ち上げる前からその強さで有名ではあったが、本当の意味で彼を恐れる者が多いのは、その戦闘における強さの所為ではない。 彼は、相手を追いつめる事が上手いのだ。 だから、敵がいれば力で排除するのではなく、一番効果的なタイミングで、一番効果的な方法で相手を潰す。後の憂いを残せない程、徹底的に。その為に彼は情報を集め、自身は最小限の力で、相手を再起不能にするのだ。 セイネリアを敵に回せば、死ぬより恐ろしい目にあう。 その噂こそが、彼が一番恐れられている理由。そして、それがただの噂ではない事を、実際に見てきたカリンは知っていた。 カリンはセイネリアに一番近い部下であり、情報屋に属している連中の纏め役だった。表向きのナンバー2は傭兵団の副長であるエルではあるが、実質のナンバー2がカリンであることは、セイネリアの裏の顔を知っている者なら周知の事であった。 「カリン、お前も座れ、メシを食おう」 言われたカリンは、音を立てずにセイネリアの隣に座る。自分でも嬉しそうだったのが行動に出てしまったのではないかと思う程に、彼女の動きは速かった。 ずっと目深に被っていたフードを脱ぎ、薄闇の中とはいえ、彼女の容姿が明らかになる。黒い瞳と濡れたように艶やかな長い黒髪。十分に人を轢きつけるだけの美貌を持つ彼女は、けれども聡い者なら気付くだろう、瞳の中に昏い影を抱いている。彼女は自分の役割に相応しいしなやかな猫のような体を、そっと主に凭れかからせた。 その彼女に少しだけ柔らかい視線を向け、セイネリアはグラスの中身を飲み干す。だが、彼女の視線がテーブルに向けられたのを見て、彼は僅かに眉を寄せた。 「ソレは食わなくていいぞ、店主にブタのエサにでもしろと言っておくからな」 冷ややかにセイネリアが言ったのは、先程の仕事の話をしにきた貴族の男が残したいくつかの皿で、半分以上残っているそれは勿体ないといえば勿体なかった。 「貴族の中でもブタにも劣る連中だ。マナーだどうだと言っておいて、あいつらのほうがブタよりずっと食い方が汚い。食い物に文句はつけるくせに、感謝をしない馬鹿共だ」 あの貴族の顔でも思い出したのか、セイネリアは更に不機嫌そうに顔を顰めた。 ――折角機嫌が直ったのかと思えば。 カリンがどう主をなだめるべきか悩んでいると、下げられていく料理を見ながら、セイネリアの顔がふと緩んだ。 「目の前に料理があって、食いたくても食えないヤツが料理を粗末にしたくないと言うのにな……」 先程の不機嫌が嘘のように、セイネリアが口元に笑みを浮かべる。 「それは、あのシーグルという騎士ですか?」 セイネリアは返事をせずに、視線だけをカリンに向けた。顔には当然笑みはない。 それでカリンは、今の発言がまた、自分がするべきではなかった事に気がついた。 「申し訳ありません」 「まぁいい」 セイネリアが、また視線を彼女から外す。 「数日前に、やはりここにアイツを連れてきたんだがな。まぁ、なかなか面白かったぞ。奢ってやると言ったのにお前の半分も食えない、酒一杯で酔い潰れる……お陰でここに泊まりになった」 多くの酒場がそうであるように、少し特殊な目的で使われるここも、上の階は泊まれるような部屋がある。ただ、ここにきて泊まる程長居するものはいないので、普通の宿泊目的で部屋を取る者は滅多にいない。主に、公にできない身分の者が、愛人や娼婦と会う為に使われる場所になっていた筈だった。 そこまで考えれば、当然、導かれる答えがある。 「では、もうあの騎士を抱いたのですか?」 それにセイネリアはあっさりと答えた。 「いや、まだだ」 その答えは、少なからずカリンを驚かせた。 それが表情にも出てしまったのだろう、セイネリアがカリンの顔を見てにやりと口元を歪ませた。 「……随分、今回は回りくどいのですね」 言えばセイネリアは笑みを苦笑に変える。 「手を出したら壊れるおもちゃは、気に入っていればいるだけ勿体無くてな。なかなか踏ん切りがつかない」 「珍しいですね、貴方が迷うなど」 セイネリアは虚空を見つめ、顔の笑みを消す。 じっとセイネリアを見つめていたカリンは、表情を無くしたその顔に、先程よりも昏い、別の笑みがゆっくりと浮かんでくるのを見ていた。 「人間の三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲だそうだ」 唐突にいわれた話に、カリンはどう返すべきか分からずに黙るしかなかった。 「あいつはいつも食欲がない。性行為には拒絶反応。流石に睡眠くらいはとるだろうが、それしかないなら、眠るだけがあいつの欲求になるのか」 それはカリンに向かって聞いているものではなく、ただの自問だろう。 だが、外していた視線を、今度はしっかりと彼女に向けて、セイネリアは言う。 「なぁ、カリン」 「なんでしょう?」 「寝る事しか欲さないなら、まるで死にたがっているようだと思わないか?」 |