【6】 高台から見れば、どこまでも続く緑色の絨毯。 首都セニエティの南に広がるこの森は、それなりに広いが街道が通り、首都の傍ということもあって、そこまで危険な場所ではない。森を南に抜ければシールの村、東に抜ければエレン・シモンの村と、他の村との流通もあって人の訪れる事も多く、駆け出しの冒険者が小銭を稼ぎにくるには調度いい場所になっていた。 だから当然、普通ならばここは、評価に星が入っている上級冒険者が遊び以外でわざわざくる場所ではない。しかしシーグルは時折ここにやってきている事を、セイネリアは知っていた。 そして思いあたる場所へ来てみれば、銀色の鎧の騎士は、地面にしゃがんで何かをしているところであった。 「おー、しーちゃん、何してるのかな」 彼の兜が地面に置いてあるのを見て、セイネリアは思わず口元を緩ませる。 暫くして振り向いた彼は、予想通りその綺麗な顔を晒したままだった。 「……セイネリアか」 嫌そうに顰めるその顔に、セイネリアは笑いを抑えられない。 「事務局にいったら、お前は今日は首都にいるようだったからな、ここにいるかと思った」 「仕事をもってきたのか」 「いや、しーちゃんの顔を見にきただけだな」 それには睨んだ後深い溜め息が返って、シーグルはセイネリアから視線を外して、先程までしていた作業を続けた。 「暇人め」 小さく呟かれた言葉には、思わず吹き出しそうになる。 「薬草を取っているのか?」 シーグルの手元には、小さめの麻袋と数枚の葉。確かにこの辺りは掌程の幅しかない小川が流れていて、その周辺には薬草になる植物がよく生えていた。薬草も確かに事務局に持っていけばポイントにはなるし、売ればそれなりの金にはなるが、まさかその為にシーグルが薬草をとっているとは思えない。 「そうだ」 「なんでまたお前が」 「……弟が集めてる」 成る程、と呟いて、セイネリアは傍の乾いている草の上に座りこんだ。 シーグルはそれを無視して薬草集めをしている。流石に作業内容の所為か、シーグルの手は篭手もグローブもつけておらず素手であり、珍しく彼の手を観察することが出来る。色素の薄い彼の指はやはり白く細く、遠目には貴族らしい繊細な指に見えるが、よく見れば何度もマメを潰した跡がある。恐らく、触ってみれば硬くなっているだろうその手の皮膚といい、職業柄仕方ないとはいえ、少し勿体ないかとセイネリアは思った。 「兄弟とは、離れて暮らしているんじゃないのか?」 言えば、今度はシーグルの手が止まって、一瞬の間が空く。 「……今は、同じ場所に暮らしてはいる」 「それは良かったじゃないか」 シーグルは返事をせず、作業を再開する。 どうやらこれ以上は言いたくないらしい、とセイネリアは肩を竦めて話を切り替える事にした。 「そういえばこの間、首都でお前を見たぞ。前からお前とよく組んでいる神官と一緒だったな」 今度は間もなく返事が返る。 「あぁ、友人がノーン山の神殿に遣いにいくというから、護衛でついていっただけだ」 「クルス・レスターといったか、あの神官」 シーグルは手を止めて顔を上げる。 「そんな怖い顔をするな、たまたま知っただけだ」 それでもシーグルはセイネリアを睨む。 睨む顔でも、こちらを向いている分、セイネリアにとっては都合がいい。 彼の表情が見れるのならと、少々悪戯心が起きあがるのはセイネリアの悪いくせだ。 「あの神官、お前の事が好きだろ」 シーグルの顔はさらに険しくなり、ただでさえきつい印象の瞳を余計吊り上げた。 「何を言っている」 「あの神官だけじゃなく、お前に色目を使ってる女とかはごろごろいるがな」 シーグルが立ち上がって怒りを露にする。 それから、珍しく感情的になっていると分かる声で怒鳴った。 「クルスは前からの友人だ、冗談でもその手の女達と同列に見る事は許さない」 ――冗談でもなんでもない事実だと思うが。 セイネリアは、軽い溜め息をついて見せると足を組みなおした。 「分かった、それについては謝る。だが何故お前はそんなに恋愛沙汰に拒絶反応を起こす? お前くらいの歳の男なら、その手のことに興味がない方がおかしいと思うぞ」 嫌悪感を剥き出しにして、シーグルはセイネリアを睨む。 だが、ふいに視線を逸らすと、彼は呟くように答えた。 「どうせ女と付きあったところで、遊びにしかならない」 彼の顔から表情が抜けていくのは、言いたくない話だという事だ。それが分かってはいるが、セイネリアは今回は興味心を抑える事はしなかった。 「別にいいだろ、相手もそう簡単にお前を手に入れられるとは思っていないさ」 「そうだな、向こうも遊びだと思っているなら、いい」 自嘲めいた笑みを浮かべるシーグルの顔を見つめ、セイネリアは思う。どうやら女は未経験という訳ではなさそうだが、生真面目な彼としては意外な答えだ。 「なんだ、本気で恋愛するのが怖いのか」 「さぁな。だが、どちらにしろ本気の恋愛は相手に悪い」 「それはまた面白い意見だな」 シーグルの顔からは、完全に表情が無くなっていた。 「……どうせ、別れる事になる」 ぽつりと、呟いてからじっと自分の手を見つめるシーグルは、何かを思い出すように眉をほんの少し寄せる。セイネリアはそれを見て、僅かに苛立ちを感じていた。 「別れると決まっている訳でもない」 その言葉をセイネリアが言い終わる前に、シーグルが言う。 「別れるんだ。俺は家を継がなくてならない、結婚相手は祖父が決める」 「成る程な」 確かにシーグルは貴族の跡取で、結婚相手は家の都合で決まるというのは当たり前といえば当たり前だ。既に許婚がいたとしてもおかしくない。だが、セイネリアの知るシーグルが、それだけで全てを諦めたように思考停止をさせているのが気に入らなかった。 「どうしても好きな相手がいるなら、それを押し通せばいい。別に貴族なら本妻とは別に女がいるくらい問題でもないだろうしな」 シーグルは力なく首を振る。 その表情は、全てを諦めたもののそれだ。 いつでも強い瞳で、諦める事なく強さを求めていた彼とは思えない表情に、セイネリアの中で苛立ちが増していく。 「それは、誰も幸せにはならない。だから俺は、誰も欲しいとは思わない」 セイネリアは地面に下ろした手で、草を握り締める。 セイネリアの中にあるのは、苛立ちと……そして落胆だった。 「元々、こうして自由に冒険者としていられるのも二十歳になるまでの約束だ。二十歳になったら正規騎士団に入って、家を継ぐのが最初から決まっている。……そうだな、お前と知り合えて嬉しかった、セイネリア。お前は強くて、見ているのが楽しかった」 珍しく饒舌にシーグルが話して、更に珍しいことにシーグルはセイネリアに微笑みかける。 だが、今度は沈黙を返したのはセイネリアの方だった。 セイネリアが発する険悪な空気に気付いて、顔を上げたシーグルの表情が固まった。 「セイネリア?」 「……つまらんな」 呟いたセイネリアがゆっくりと立ち上がる。 「下らん。そんな人生に何の意味がある。お前は何の為に強くなろうと思った」 シーグルはセイネリアの落胆を知って、辛そうに眉を寄せた。 「別につまらなくてもいい。それでも俺が選んだ道だ」 セイネリアが俯いていた顔を上げる。 その琥珀の瞳の鋭い光に、シーグルの背筋が凍る。 うっすらと笑みを浮かべて、じっとシーグルを見据える瞳はまるで凶暴な肉食獣のようで、シーグルは狙われた小動物のように身動きが取れなかった。 「それしか選べないから、自ら選んだと自分に言い聞かせただけだな。面白くないな、シーグル。お前がそんな下らないことを言うとは思わなかった」 シーグルはごくりと喉を鳴らす。 今、ここにいてはいけないと心が警鐘を鳴らしていた。 だが、どこにも逃げ場がないことも分かっていて、シーグルはその瞳を見つめる事しかできなかった。 セイネリアが、静かに剣を抜く。 「剣を抜け、シーグル。せめて抵抗はさせてやろう」 ゆっくりと構える動作には、どこにも隙がない。 彼が本気であるということは、シーグルにも即座に分かった。 「何故だ、セイネリア」 カラカラに乾いた喉から、掠れた声でシーグルはようやくそれだけを搾り出した。 セイネリアの黒い噂は今までに何度も聞いていた。それでもシーグルはセイネリアという強い男に憧れて、彼の友になれたことを誇りに思っていた。どれだけ彼の恐ろしさを誰かから聞いても、彼は悪人などではないと思っていた。 だが、今。 昏い光を瞳に宿して自分を見つめるこの男は、人を人とも思わずに殺せる類の人間だと、シーグルには分かってしまった。 「抵抗しないのか、俺はお前を犯すつもりだぞ。滅茶苦茶に抱いて、壊してやる」 その言葉の意味を理解して、シーグルの肌がぞわりと総毛立つ。 反射的に剣を抜いて構える。 それを見たセイネリアが、瞳を細めて口元を歪ませる。 「俺を殺すつもりでこい、シーグル。それでもお前へのハンデとしては足りないがな」 いうと同時に、セイネリアの体が突然にその場から消える。 だがシーグルも、まったくその姿を見失っていた訳ではない。 金属音が鳴って、最初の打ち込みはかろうじて体の前に立てた剣で防げた。だが、剣の勢いと体重差の為、体毎押されるのはどうにもならない。受け止めはしたものの、足元は地面をえぐって後ろへと一歩分下がり、勢いのままにふっとばされないのが精一杯だった。 「分かっているじゃないか。その綺麗な顔は狙わないでおいてやる」 セイネリアが僅かに剣の力を抜く。 それを見て一度シーグルは引こうとするが、その前に剣を横に払われる。 今度は堪えきれず、シーグルの体は左へと飛ばされる。それでもすぐに体勢を立て直し、剣を構える。 立っているセイネリアは、剣を下ろし、シーグルを見下ろしたまま構えてさえいなかった。 「どうしたシーグル。お前の剣は受ける剣じゃないだろう」 確かにそれはセイネリアの言う通りで、速度頼りのシーグルの剣は、相手がこちらの剣速に慣れる前に先制して傷を負わせる戦い方だ。体力に難があるシーグルでは、何度も剣を受ける戦いはできない。 シーグルは深く息を吸うと、視線をセイネリアから離さずに、左手だけを胸に当てて術を唱える。 「神よ、光を我が盾に……」 同時に精一杯のスピードで踏み込む。 リパ教徒であるシーグルが使える『盾』の呪文は、一度だけ相手の攻撃を弾ける守りの術だった。一撃は食らう事を承知の上で、相手に斬りつけるシーグルの得意な戦い方の一つだ。 セイネリアがそれを見て嗤う。 シーグルのスピードは尋常ではなかったが、セイネリアの動きはあまりにもシーグルの予想外だった。 セイネリアは、剣を降ろしたその状態から、剣を持ち上げる動作でシーグルの剣を払い、即座にその剣を叩き降ろす。術によってその攻撃は弾いたものの、セイネリアの膝が、下からシーグルの腹を蹴り上げた。 「ぐ……」 衝撃に、一瞬視界が白くなる。 鎧を通して体中に響くような衝撃に耐えて、シーグルは後ろに飛びずさったが、今度はセイネリアがそれを許さなかった。 下がるシーグルに、踏み込んできたセイネリアが追撃の剣を下ろす。それをどうにか受け止めはしたものの、崩れた体勢はどうしようもない。剣が弾き上げられ、鎖骨の辺りにセイネリアの剣の柄が振り下ろされる。 それでもシーグルは、歯を食いしばって剣を離しはしなかった。 だが、すでに勝負はついていた。 もう一度腹を蹴り上げられ、今度は受身すら取れずに地面に倒れる。 視界に広がった空と木々の風景を、セイネリアの黒い影が覆い隠していく。 ――勝てない。 戦う前から分かってはいたことだった。 それでもシーグルは抗わずにはいられなかった。 「終わりだシーグル。俺が、壊してやる」 シーグルは目を見開いて、体の上に圧し掛かってくる黒い影を瞳に映す事しかできなかった。 セイネリアの手がシーグルの鎧を外すその金属音が、聞き慣れた音の筈なのに、どこか遠いところのものに聞こえた。 --------------------------------------------- 次はセイネリア×シーグルの無理矢理H。 |