【1】 綿雲を数えて、大口を開けて空を見上げる。 「ほらウィア、倒れますよっ」 背を仰け反らせすぎて今にも後ろに倒れ込みそうなウィアを、フェゼントが背に腕を入れて支えた。 「こーふわふわと空に浮かんでるとさぁ、なんかうまそーじゃねぇ?」 「……ウィア、お腹減ってたんですか」 「少しな」 にかっと笑って返す恋人に、フェゼントは呆れつつも笑ってしまう。 「もう少し我慢してください。もうすぐだって言ってたのはウィアじゃないですか」 「うーーーーん、まぁなぁ」 森の中の小道は他に通る人もいなくて、鳥と風と草木の音しかなくて静かだった。とはいっても、そこはほとんど人の通らない荒れた道というのではなく、街道のように舗装されてはいないものの、きちんと踏み固められて普段からよく人が使っている道というのは分かる。 その静かな道を少しだけ騒がしく歩きながら笑顔で歩く二人は今、ウィアの故郷――というと語弊があるのだが、ウィアの親代わりの伯父さんと伯母さんの住む村へと向かっていた。 ウィアの出身はクリュースの中でテマ地方と呼ばれる場所で、冬場は深い雪に閉ざされて、魔法手段でないとそうそうに行き来出来ない状況になる。一応麓の商人が冬場でもここまで売りにくるのだが、もちろん回数はずっと減るし値段もあがる。だからウィアは、雪に閉ざされる前に、買い出しやら家の修理やらの冬入りの手伝いをする為に毎年ここへ帰ってくる。 「ったくよ、兄貴は薄情だぜぇ、大神官様になってからは一度もこっちへ帰ってこないんだからな」 「それは仕方ないでしょう、ウィア。冬に入る直前は、神殿の方が忙しいでしょうし。テレイズさんもあんなに謝ってたじゃないですか」 「あいつはなー、自分はカネ出すから労力は俺、とか言うんだぞー、汚いっ、汚過ぎるぞ、あのエロ真っ黒汚れ大神官めっ」 そんなウィアには、フェゼントは苦笑しつつ宥める事しか出来ないが、テレイズがそういうあからさまな言い方をするのはウィアを揶揄う為であって、本心は引き取ってくれた伯父夫婦に深く感謝している事も、自分が帰れない事を相当に申し訳なく思っている事も、フェゼントにはよく分かっていた。 実は、テレイズがウィアにわざと嫌がらせや揶揄うような言葉を言うのを、最初は理解出来なかったフェゼントだったのだが、このところちょっと分かってしまったというのがある。 フェゼントの弟であるシーグルは、その整った容姿の通りの人物で、騎士として、能力的にも、性格的にも非の打ちようがない人物である。そんな彼を、揶揄うというか、ちょっと困らせたり、軽く落ち込ませたりするのを最近楽しいというか嬉しいと思ってしまっている自分がいる事にフェゼントは気づいていた。なにせ、普段が凛々しい姿の彼が、自分が怒ると子供っぽくシュンとしてしまったり、何でも真面目な彼は軽く揶揄うと困って考え込んでしまったりと、普段が普段な分、そのちょっと崩れるギャップを見れるのが楽しくて嬉しいのだ。 なので前は、テレイズのウィアに対する態度を見て『そんな意地悪しなくても……』とよく思っていたのが、最近はその意地悪したくなる気分が分かるようになってしまった。自分も意地が悪い、と思いながら、シーグルにわざと大げさに小言をいう事がちょいちょいあったりするから困ったものである。 ラークにはずっと『いい兄』でいたフェゼントだったが、シーグルに対しては少し意地悪かもしれない、と最近フェゼントは我ながら思ったりしている時がある。勿論それはシーグルを嫌っているなどという事は欠片もなく、彼が自分に対しては表情を崩してくれるというそれが嬉しくて仕方ない所為なのだが。 「お、フェズ。見えた見えた、あそこがフェン・パス村だ」 ウィアが指さした先を急いで見れば、確かにそこには、いかにものどかな、畑と草原が広がる中にぽつぽつと家が見える風景が見えた。 小さな村の、小さな家。暖炉はぱちぱちと火が爆ぜる音をさせ、笑い声が時折それを聞こえなくさせる。テーブルには暖かい食事が湯気をたてて並び、皆が顔を合わせて座る。 「ウィア、忙しいって手紙で言ってたからな、今年は来れないのかと思ったぞ」 「ばっかいうなよー、じーさん。俺はどっかの恩知らずとは違って義理堅いんだぜ」 「ばっか、にーちゃんの事をそんな風に言うんじゃねーよ。お前より手紙は頻繁にくるんだぞ」 「あいつデスクワークだけは得意だからな」 「ウィーア、テレイズお兄ちゃんはね、貴方の為にとーってもがんばってるのよ。そんな嫌わないであげなさい」 「べっつに、嫌ってる、訳、じゃ、ねぇけどさ……」 「それにね、こんな小さな村にリパ神殿が出来たのだってお兄ちゃんのおかげですからね。若い神官様がいるお陰で、村の皆がどれだけ助かっている事か……」 懐かしい暖かいこの風景の中、気のいい老夫婦とウィアのやりとりを、フェゼントは自然と浮かんでしまう笑みのまま見つめていた。 ウィアを引き取ってくれた伯父夫婦はそこそこの高齢である為、ウィアと話す姿は、本物の親子のよう――というよりも、孫と祖父母というようで、ウィアがいつも以上に子供っぽく見えてしまう。そんなところも見ていて楽しいのだが、二人がウィアの兄弟にどれだけ愛情を持って接しているのか分かる風景は、見ているこちらまで暖かい気持ちになれた。 ここへくる道中で、フェゼントは、ウィアがこの伯父夫婦に引き取られるまでの話を聞いていた。 ウィアの両親が死んだ後、兄弟はなかなか引き取り手が決らず、親戚をたらい回しにされていた。テレイズは麓の神殿に通って勉強をしながら、親戚を片端から当たって引き取り手を探していたらしく、ウィアは大抵一人で親戚の家にいる事が多かった。……おそらく、テレイズは早く自立して弟を養えるように必死で勉強していた、ヘタをすると神殿でアルバイト紛いもしていたのではないかとフェゼントは思うが、あの、兄らしいしっかり者の青年は、ウィアにはそんなところは見せなかっただけなのだろう。 まだ小さく、何も出来ないウィアはどこへいってもやっかい者扱いで、それを利用して、その家の子供のいたずらの罪まで押しつけられたりした。それでもウィアは、自分がやっていないことは絶対に認めず、叱られて罰として食事抜きで森へ薪拾いにいったところで、とある道に迷った老冒険者とあった。 老冒険者は、いい歳なのに冒険という事に拘る気のいい人物で、ウィアと意気投合し、自分の冒険談を話してくれ、ウィアの事情――罪を押しつけられたが自分はやっていないから謝らない――という事を信じて褒めてくれた。 ウィアが食べてないと分かると食事を分けてくれてるといったのだが、『施しはうけねぇ』と言ったウィアに、『これは道案内の正当な報酬だ』といって無理矢理渡したという話もあった。 老冒険者とは道案内の後に別れたが、それから数ヶ月後、テレイズがやっと兄弟揃って引き取ってくれる人がいたとウィアを連れていったのが……あの時別れた老冒険者の夫婦の家で、現在ウィアの親代わりになっている伯父と伯母のところだった。あの時の老冒険者は、実はウィア達の母親側の親戚だったらしく、面白い偶然だとはウィアも笑っていっていたが、それこそが神のお導きという奴かも、という言葉にはフェゼントは強く同意してしまった。 その後は、その伯父夫婦に本物の子供のように育てられ、ウィアいわく、『そこで俺のひねくれきった性格は相当軌道修正された』との事らしい。軌道修正される前のウィアのひねくれぶりがどれほどかは分からないが、小さな子供が一人で誰も味方のいない家に取り残されれば、確かにひねくれずにはいられないだろう。それでも、このウィアの徹底した楽天家ぶりと、めげない明るさは彼の元からのものだと思っているので、ひねくれている、というのは彼をやっかいものとして見ていた親戚からの言葉で、実際は真っ直ぐな子供だったのではないかとフェゼントは思っているのだが。 「ったくじーさんさ、俺がいない間おとなしくしてたかぁ? まぁった『俺は冒険者だ』とかいって、一人で森に出かけたりしたんじゃねーだろーな?」 「そりゃ森くらい出かけるだろ。別に走れなくたって、ウサギくらいはまだとれるしな!」 ウィアの話で聞いた通り、元気そうなウィアの伯父は、得意げな顔で胸を張った。 聞いた話だと、あれだけ冒険に拘っていたこの伯父が冒険者をやめたのは足の怪我の所為で、更にはその所為で家にいるから子供をひきとってもいいと思ったという経緯があったらしい。 「そうよ、ウィアもいってやって頂戴。こんな事言って、いいおじいちゃんが一人で森ふらふらしてるのよ」 「そらだめだろ、ばーさん心配かけんなよ、本当にアンタはガキみたいなジジィだよなぁ」 「みたい、どこか完全なガキのてめぇに言われたくはねーぞーウィア」 いいながらぐりぐりと頭をなで回す伯父に向かって、ウィアが届かない蹴りで応戦しようとするのには、思わずフェゼントも吹き出してしまう。本当に、仲がいいと思うと同時に、いいところにウィアは引き取ってもらえたと思う。 だが、すっかり彼らの会話とやりとりに見入っていたフェゼントは、唐突に注目を浴びる事になる。 「お、これは美味いな」 「ふふーん、そりゃなぁ、フェズが作ったやつだぜ!」 皆の視線が思い切り集まった事に驚いたフェゼントは、唐突な状況に対処出来ずに固まった。 「フェゼントさんはね、本当に料理がお上手で、とても男の人とは思えない手際の良さなのよ」 「べっぴんさんだしなぁ……いやー、俺は実はウィアがフェゼントさんつれてきた時な、てっきりこの坊主が恋人を俺達に紹介しにきたもんだとばかりなー。あん時は女性と間違って申し訳なかったなぁ」 「……あ、いえ、その、慣れてます、ので」 実は、恋人として紹介に来たというのは半分間違っていない、というかウィアは最初その気だったのだが、フェゼントがそれは言わない方がいいと止めたのだ。 普通は、可愛い息子(代わり)が恋人として男を連れてきたら、いくら理解があったとしても滞在中微妙な空気になるから、と。 「私もね、これで生きてる間に孫の顔が見れるかも、なんて思ってしまって」 残念そうにそう言われると、フェゼントとしては笑顔がひきつるのは仕方ない。 「だなぁ、フェズが女だったら、じーさんとばーさんには俺のガキの顔見せられたよなぁ」 などと、ウィアまでもが言ってくるのだから、余計にフェゼントにとっては気まずい。 だが、そんな状況を気づいてくれたのか、伯父である老人が一際大きい笑い声をあげていう。 「あははは、悪いなぁフェゼントさん。どうも老人はすぐ孫の顔だとか言い出しちまって仕方ねぇや。ウィアもフェゼントさんもまだ若いんだからなぁ、ンな焦るこたぁないよな」 一応それでその話は収まったものの、フェゼントはこの老人は分かっているような気がして仕方なかった。 「ん? あぁ、あー、分かってるかもなぁ、あのじーさん、なっがい事冒険者現役だったしなぁ」 食事が終わって、夜。元ウィアとテレイズ二人の兄弟用の部屋だったというこの部屋は、ベッドはちゃんと二人分用意されていて、丁度よいとフェゼントもこの部屋へ泊まる事になった。ただ、テレイズがここにいたのは2、3年程で、後はずっとウィアの部屋だったそうなので、ウィアは『俺の部屋』と言い切っていたが。 「でもまぁ、分かってるなら分かってるで、あのじーさんなら問題ないと思うぞ。ばーさんには言わねーほうがいいだろってくらいは分かってるだろうし。大丈夫だよっ、ここで気にしたってどーにもならないんだしさっ」 フェゼントの不安を吹き飛ばすようにウィアはあの老人のように豪快に笑って、布団の上で気持ちよさそうにごろごろと転がる。 そんな様を見ていれば、フェゼントもなんだか気が抜けてしまって、あれこれ考えても仕方ないと思ってしまうのだから不思議だった。 「そうですね……」 だからそういいながら、フェゼントも元テレイズのベッドに入れば、自分のベッドで寝転がっていたウィアが唐突に起きあがる。 「そうそうっ、気にしない気にしないっ」 それから飛び跳ねるように自分のベッドから飛び降りると、フェゼントのほうに歩いてきて、いそいそとベッドの方に乗ってくる。 「ウィア?」 「へへー、こんなに近くにいて、一人寝はないだろーフェズっ」 困惑しているフェゼントがどうしようかと悩んでいる間に、ウィアはすっかり同じベッドに入り込み、フェゼントの隣に転がっていた。 「えーと、ウィアその……さすがにこの状況を見られたら確定的だと思いますが」 「だいじょーぶっ、二人とも足悪いし二階には滅多にあがってこないよ」 確かに、二階であるこの部屋に人が来る事もなくずっと放置されていたというのは、最初に部屋に入ったその状況を考えれば分かる。ちゃんと寝ることが出来るところまで掃除するのは、掃除が得意なフェゼントでも結構苦労したのだから。 「それにさー、見られたってだ、寒かったから一緒に寝たっていえば別に不自然じゃないだろしさ。まぁ、最中さえ見られなきゃ問題なしっ」 「いやその最中って……その気なんですかウィア」 フェゼントが呆れて言えば、ウィアは当然のように答えた。 「勿論。あ、でもすぐやろーとは言わないぜ。じーさんばーさんは早く寝るから、それからなっ」 「ウィア……」 フェゼントががっくりと脱力していると、ウィアは上掛けにくるまってぴったりとフェゼントに体をくっつけてくる。 「だから、それまでちょっとお話しよっか、フェズ」 くすくすと笑いながら体を摺り寄せてくるウィアに、フェゼントが怒れるわけがない。結局、フェゼントとしては彼にはどうやっても適わないという事を実感するだけで、大きく溜め息をつくと、一緒に上掛けの中にくるまる事にした。出来れば、話している間に、彼が寝てくれる事を祈って。 「仕方ないですね……」 すぐ傍に下ろされたフェゼントの頬に、軽くキスしてくるウィアにはやはり苦笑して。けれど、そうしてにっこりと笑顔のままフェゼントの顔を覗き込んできたウィアの顔は、笑ってはいてもどこか違う雰囲気を持っていた。 「こーゆー時でもないと言えないからさ。俺がフェズにちょっと秘密にしといた話を告白するな」 「ウィア?」 驚いたフェゼントに、ウィアはらしくなく苦笑のように笑顔を歪めた。 --------------------------------------------- すごく久しぶりにウィアとフェゼントがメインの番外編です。 この話、予定ではHはウィア×フェゼントになる予定です。散々リパっぽい二人を書いてきたので、大丈夫、ですよね? シーグルやセイネリアは出ても名前だけかと思われます。 |