【5】 山合いの村の朝は寒い。 珍しすぎるくらいに早起きしたウィアは、さらに珍しい事に、起きた途端上着を羽織って外に出た。まだ眠っているフェゼントの顔を見ながら起きる、なんて事はまずないから、なんだかとても気持ちがいい。いや、おそらく、ウィアはまだ自分は浮かれているのだ、と思っている。 外に出れば更に寒くて、でも久しぶりすぎるこの村の空気を精一杯吸い込んで深呼吸をする。肺は冷たく冷えたけれど、この感覚はとても懐かしい。 両親が生きていたころ、ウィア達兄弟が住んでいたのは麓にある町だった為、町の騒がしさになれていたウィアは、親戚達のいる田舎に慣れなくて苦労した。特に一人ぼっちで他人の家に取り残され、たった一人で兄を待っていただけの時は、何もない田舎村の生活は寂しすぎた。不便なだけでこんなところ大嫌いだと思っていた。 けれど、この村に来て、ここの伯父夫婦に引き取られてからは、町よりもこののどかな風景が大好きになった。早起きすれば、大抵薪割りをしている伯父がいて、水汲みにいくついでに小探検だと森に散歩につれていってくれた。小さなウィアは、その探検に行きたいが為に、がんばって早起きしたものだ。 そんな事を思い出していれば、カン、と懐かしい音が聞こえて、ウィアは急いで家の裏手へと走った。そうすれば、相変わらず朝の薪割りをしている伯父の姿があって、ウィアは嬉しくなる。 「じーさん、やっぱ相変わらず早起きだなぁ」 腰をトントンと叩いているところを見られたせいか、伯父は少し顔を顰めてこちらを向いた。 「ふん、体を鈍らせるわけにゃいかんからな。……とはいえ、実は最近はたまーにさぼってるが。ただまぁ、冬が近いからな、雪が積もる前に一冬分終わらせとかねぇとなんねぇ」 相変わらず元気ぶる伯父に、ウィアは笑いながら近づいていく。 「いいよいいよ、じーさんは無理すんな。後で俺とフェズでがんばるからさぁ」 「ふむ、お前だけじゃ心許ないが、まぁ二人ならどうにかなるか。……よし、なら早起きついでだ。久しぶりに森へ探検にいくぞ」 びしっと森を指さして、腰を伸ばしてポーズを決める伯父に、ウィアはにぃっと口元に笑みを作った。 「何が探検だよ、ただの散歩だろ。ま、じーさん一人で行かせちゃ危ないからな、お供してやんよ。……ったく、またばーさんに怒られっぞ」 既に森に向かって歩きだした伯父を追いかけ、ウィアはその隣につく。足の怪我をして冒険者を引退した伯父だが、確かに杖をついてかるく片足を引きずってはいるものの、歳を考えればその足取りは力強い。 「まったくよぉ、俺が毎朝森いってるから、土砂崩れはすぐ見つかるし、ばーさんもたまに肉が食えるんだぞ」 「って、毎朝行ってるのかよ」 「まー、雪が積もったらいかねぇよ」 「んなの当然だろ」 「だから積もる前にいけるだけいっとくんだよ」 小さい頃は、こうして一緒に歩きながら、草や木、鳥や出会った動物達の名前やその性質など、とにかくたくさんの事を教えてもらった。さすがに長く冒険者をしていただけあって伯父は本当に物知りで、ウィアはすごく尊敬していたし、冒険者に憧れたのも伯父のせいだ。ただ、尊敬ついでにその行動をマネると、よく兄に行儀が悪いと怒られたものだが。 「しかしまぁ、冒険者としてやってくなら、もうちょっとガタイが欲しいとこだなぁ、ウィア」 「るっせ、ちゃんと前より伸びてっぞ。まだまだ育ち盛りだぜ」 「お前毎回そういってんだろ」 ちなみに、いうだけあって、伯父は年の割にはいい体をしていて勿論ウィアより背が高い。頭を上からぐりぐりと撫でられるのもいつもの事であった。 「まぁ見てろ。今回の俺は前からはかなり違ってんだぞ。これでも鍛えたんだからなっ」 いって、ウィアが腕をまくって力瘤を見せれば、伯父も対抗して同じく力瘤をみせる。当然、向こうの方が立派なのだが、ウィアは負けじと更に力を入れる。 だが、ムキになるウィアの頭を、伯父はやさしくぽんぽんと撫でるように叩いた。 「よしよし、確かに前より鍛えてるな……そりゃー、フェゼントさんの為か?」 楽しそうな伯父の言葉は極々自然で、だからウィアは何も考えずに勢いのまま答えてしまったのだ。 「おうよ、俺が絶対フェズを守るんだ!」 ぐっと拳を握り直したウィアだったが、言って直後に、伯父の呆れきった視線に気付いて、ついでに自分の言った事を自覚した。 「………………ってぇ……やっぱじーさん気づいてたんか」 「そりゃなぁ」 くくくと肩を震わせて笑った伯父は、ばつが悪そうに唇を尖らせて拗ねているウィアの頭を乱暴に撫でる。 「俺も冒険者生活が長いからなぁ、すぐにピンときたってもんよ。ただまぁ、ばーさんには内緒のままのがいいだろなぁ、お前が嫁さん連れてくるのをそりゃー楽しみにしてっからな」 「だよなぁ。……でもさ、例えちゃんと恋人だって紹介は出来なくてもさ、じーさんとばーさんにフェズを会わせたかったんだよ」 頭を撫でていた手が止まり、それが今度は勢いをつけて背を叩く。 勢いのまま、ウィアは思わず前に吹っ飛ばされて倒れそうになった。 「大人になったじゃねーか、ウィア。ガキのくせによ」 「おいっ、ガキのくせって何だよ。俺ぁもう20歳になるんだぞ」 朝の静かな森を騒がす探検は、朝日が完全に登るまで続き、二人揃って叔母の説教を食らうことになったそうな。 ウィアとフェゼントはそれから一週間半程村に滞在し、その間には他の村人達ともいろいろあって、帰る時は村人総出で見送って貰った。特に滞在中、あちこちの家へ料理を持っていったフェゼントは人気者で、村の奥さん方の井戸端会議では、『フェゼントさんが女性だったら、是非うちの息子の嫁に欲しかったわ』と、口々に言われていたらしい。 持っていった分に負けないお土産を持って帰ってきた二人は、荷物を持ってまずウィアの家へ行き、今日は早くに帰ってきていたテレイズに迎えられた。 だが、帰ってきて早々、テレイズはついでに頼んでいた向こうの神殿からの書類を大神殿に持っていくようにウィアに命じ、しぶしぶウィアは夕飯前に行ってくる事になった。 フェゼントしては夕飯の支度をするのに丁度いいと、すぐシルバスピナの屋敷に戻ろうとしたのだが、その前にテレイズにお茶に誘われ、結局ウィアが帰ってくるのを待つ事になってしまった。 ただ、お茶を断らなかったのには、実はフェゼントもテレイズと話しておきたいことがあったからだった。 「伯父夫婦は元気そうだったかな?」 「えぇ、とてもお元気でしたよ。特にシナテさんはウィアと一緒に森へいって奥様に怒られていたくらいです」 「まったく、相変わらずだな。いつまで冒険者現役のつもりなんだか」 「えぇ、ウィアにそっくりのやんちゃぶりですね」 いいながらも安堵した様子のテレイズに、フェゼントは笑顔を返す。 行く前にも、こっそりウィアには内緒で、伯父夫婦の様子をちゃんと見てきて欲しいと頼んできていたテレイズは、やはり相当に彼らを気に掛けているらしい。 「何か問題や、困った事などはなさそうだったかな?」 そんな言葉が出てくるのは、彼らに感謝し、彼らによくしてやりたいと思うからだ。 「今のところは大丈夫そうでした。ただ、やはり村人はお歳を召した方が多いので、冬入り前は大変そうでしたね」 「うん、田舎の方はどこもそれが問題になってるね」 「ですから、リパ神殿とそこの若い神官様はとても皆から慕われて、頼りにされていましたよ」 「あーゆー場所は若い神官の修行にもいいのさ」 「若いからと力仕事を頼まれる事が多くて、相当体力がつきました、と神官様はおっしゃってました」 二人してくすくすと笑いながらも、静かに茶を飲む。最初はいろいろあったものの、テレイズとフェゼントは今では良い茶飲み友達のようなもので、ウィアがいないときはこうして二人して茶を飲む事も珍しくない。 「テレイズさんがあそこに神殿を作らせたのでしょう? ロウスクーラ夫婦から、貴方に礼を言っておいてくれと言われました。村の皆が喜んでいるって」 小さな村にとって、神殿が持つ役割は驚くほど大きい。村人、特に子供らへの教育という面からも大きな意味を持つし、神殿経由で首都からの情報が定期的に入るというのも大きい。そして、リパの神殿なら、神官は治癒術が使えるため、ちょっとした医者代わりでもあるのだ。 「……あの人には感謝してもしきれないさ。あの人のおかげでウィアがあの家に行ってから毎日笑うようになってね」 「なら、私も感謝しなくてはなりませんね」 ウィアと、シナテ老人があれだけ似ているという事は、それだけウィアが伯父の影響をうけたという事だろう。ウィアの話では、伯父夫婦は高齢だったから、身の回りの事やら教育やらはテレイズが主にやっていたという事だが、伯父夫婦には、ちゃんと親代わりの愛情を注いで貰ったことは想像に難くない。厳しい兄のしつけの合間、こっそり遊びに連れ出す伯父や、こっそりおやつをくれる伯母とウィアの姿が目に見えるようだった。 その光景には自然笑みが湧いてしまって、けれども、思い浮かべる当時のテレイズ側の気持ちを想像すると、笑みは口元から落ちていく。 親をなくした、たった二人の兄弟。母をなくした、否、母がおかしくなってからの自分達にも当てはまるものがある。ただ、大きな違いは、もう一人の兄弟の存在と、テレイズの方が兄としての強さと覚悟があった事だ。 「あの……貴方に聞きたい事があります」 「なんだろう?」 若いながら、大神官という地位にいるだけあって、彼の言動は落ち着きと自信に満ちている。自分も彼くらい兄らしくしっかりしていたなら、弟達をつらい目に合わせなくてすんだのに、とフェゼントは彼を見る度に思わずにいられなかった。 「ウィアから……その、初めての相手が……貴方、と言う事を聞きました」 途端、穏やかな笑みを浮かべていたテレイズの表情が変わる。表情を消した瞳が、じっとフェゼントを見つめてくる。 「それで、君は何が聞きたいのかな?」 その冷たいとも取れる視線をうけて、フェゼントはごくりを息を飲んだ。 「貴方にとってウィアはどんな存在なんでしょう?」 瞳は真剣なまま、くすりとテレイズは笑みを漏らす。 「大事な大事なたった一人の弟さ。……いや、君が聞きたいのはそんな当たり前の事じゃないのは分かってるんだけどね。言葉でいってしまえばそうとしか言えない」 テーブルの上で両の掌を組んで、テレイズの視線はそこへ移る。その彼の唇に浮かぶ笑みが自嘲に歪んでいくのがフェゼントには分かった。 「俺はね、自分で言うのも何だが昔から優秀でね、まぁ、それで結構周りからちやほやされた訳なんだが、そのせいか子供の頃からスレてしまってね。外面はよく見せてたが、そりゃもう中身は相当に可愛くないクソガキだったよ」 それは何となく、ウィアから聞いていた話だけでもフェゼントにも予想出来た。このしっかり者の青年は、物心ついた時から頭が良く、だからこそ性格的には冷めてしまったのだろう。 テレイズは、だが、そこで顔を上げると、真剣に見つめているフェゼントにくすりと笑い掛ける。その瞳は今度は柔らかく、確かに笑みを浮かべていた。 「で、すっかりスレた子供だった俺に出来た弟は、俺とは逆にそりゃぁ感情豊かで子供らしくてね。それが全身必死ででお兄ちゃんってくっついてくるんだ。可愛くて仕方なかった」 まさに破顔と言うように表情を変えたテレイズに、思わずつられてフェゼントも笑う。 「分かります」 小さな子供は、小さな体全身で感情をぶつけてくる。シーグルもラークも小さな頃はフェゼントに全身で大好きだと教えてくれた。それはとても可愛らしくて嬉しくて、フェゼントを幸せな気分にさせてくれた。けれども、きっとそこからが自分と彼では少し違うのだとフェゼントは思っていた。 「だからね、親が死んだ後、絶対に自分がウィアを守って育ててやるんだって思った。……ただ、その時点では俺はまだ何も力のないガキだったからね、保護者が必要で……あの子を辛い目にあわせてしまった」 言っているテレイズの表情が曇っていく。 ウィアの話でも、両親が死んだ直後、二人一緒にひきとってもらうために、兄は出かけっぱなしだったと聞いている。彼がどれだけ必死だったかは、兄という立場であるフェゼントにはよく分かった。 「どうにかウィアを任せられる伯父夫婦に引き取ってもらえた後、だから早く自分の力だけであの子を育てられるようになろうと思った。何せ伯父達は高齢だったからね、それもあって急がなくちゃならなかった。首都に出てきた後、俺は相当に努力したし、ある種の黒い事もいろいろやったよ」 テレイズの瞳からは再び笑みが消え、じっとフェゼントを見つめるその瞳は脅しを掛けているように冷たかった。けれど、フェゼントには彼が言いたい事も理解出来ていたから、瞳を逸らさずにじっと見つめ返した。 そうすれば、テレイズもまた表情を崩し、瞳を和らげて緩い笑みと共に静かに目を閉じた。 「君なら分かるね。我が弟ながら、ウィアはすごいと思わないかい? 怒ってても泣いていても、嫉妬してても悪い遊びをやってても、あの子はずっと真っ直ぐなままなんだ。どこまでも明るくて、どこまでも前向きで、情に流されやすいのに自分を見失わず、感情豊かで、素直で、正直で、そして強い。自分はもうとっくの昔にスレ切ってしまって他人を見れば疑うようなクセがついてるのに、あの子は人を信じる。そして、信じた人間にも力を与えてやれる力を持ってる。俺にとってはあの子の存在は奇跡のようで、どんなに心が擦り切れていても、あの子さえいれば気力が湧いてくる。あの子の為ならなんでもできる。あの子があの真っ直ぐなままでいられるなら、俺はどれだけ汚い事も出来るだろう」 テレイズの瞳はまるで聖堂を見上げる信徒のように遠く、崇拝ともとれる感情を映しているように見えた。同じ兄として、というならフェゼントにはそれを理解出来なかったが、テレイズにとって、ウィアがどれほど大切で特別な存在かという事は分かり過ぎる程に理解出来た。フェゼントにとってもまた、ウィアは何度も心を救ってくれた存在であるから。 「それでも、俺はあの子の兄だから、いつかあの子の自立と共に離れなくてはならない事は承知している。いつまでも、あの子を俺の保護下に置けない事は分かっている。……でもね、どれだけ離れても、嫌われても、兄弟として、俺とあの子の縁が切れる事はないんだ」 いいながらフェゼントを見るその瞳には、自分のほうがウィアとの繋がりは深いのだと、そう言っているようにも思えた。 だからフェゼントもまた、真っ直ぐにその瞳を見つめ返して答える。 「分かっています。ウィアを必ず守ります。彼を悲しませたりしません」 テレイズは苦笑して、目を逸らした。 「その約束が、いつまでも守られる事を願っているよ」 フェゼントは真っ直ぐに背を伸ばして姿勢を正すと、若き大神官に深く礼をした。 * * * * * 「本当は、俺は何を願っているんだろうな」 一人になった書斎の中で、テレイズはふと一人ごちる。あの騎士というには頼りなさすぎる青年に、本当に大切な弟を渡していいのか、という問いに対する答えは、テレイズの中でも実はまだはっきり結論が出ていない。 彼が願う一番はウィアの幸せである事は間違いないが、ならばそれがどのような形で果たされるべきかという部分には迷いがある。 おそらく、何もなく平穏に過ごせるというのなら、ウィアはフェゼントと幸せに暮らせるだろう。あの青年が誠実で優しくて、ウィアを何より大切にするだろう事は疑いない。 だが、彼を取り巻く状況はそれを許しはしないだろうというのは、ほぼ確定された予想だといっていい。現在の宮廷状況は、シルバスピナ家をいままで同様に放置しておいてはくれないだろう。そして、セイネリア・クロッセスもこのまま大人しくシーグルを諦めてひっそり田舎で過ごしてもくれないだろうと思う。 だから本当は、ウィアがフェゼントから離れてくれるのが一番いい、という事は未だに変わっていない。本音を言えば、誰のものにもならずに自分の傍にずっと置いておきたいと思うものの、あの天真爛漫すぎる弟が、どこかに押し込めて大人しく出来る性格ではない事も、自由であるからこそ彼が彼なのだという事も分かっている。 テレイズは、ウィアには自分の好きなように生きて、あの性格のままでいて欲しいのだ。それを妨げ、彼に害を成す何物かがあれば、テレイズが彼に気づかれずこっそり退けてやればいい。 今までずっと、テレイズはウィアの行動の先を読んで、彼が傷つかなくて済むように手を回してきたし、その為に急いでそれが可能となる力を手に入れてきた。 ウィアがくる前に神殿での地位を固め、彼が自分に対抗して遊び出すことも予想して、その手の界隈にいる連中にも手を回しておいた。だからこそ、神殿で命令出来る立場の連中はウィアに手を出さなかったし、どこで遊んでいてもその行動はテレイズに筒抜けだった。 けれども、フェゼントと出会った時から、彼の行動の先はある程度読めても、完全に事前に手を回せる事が出来なくなってしまった。フェゼント、というよりも正確にはシーグルの立場が、テレイズが手を回せる権力の範疇を越えてしまっている。 それでも、テレイズには、自分に出来る精一杯の手を使ってウィアを守る事しか出来ない。それだけが彼の生き甲斐であり、彼の一番大切な誓いなのだから。 END. --------------------------------------------- うん、このエピソードではエロやいちゃいちゃ書いてるより、今回の話の方が書いてて楽しかった……。 元気ぶるオッサンとか、ちょっとおかしい愛し方のにーちゃんとか、書いてて楽しい……だめすぎる(==; ってかテレイズさん兄馬鹿過ぎてウィアの見方がおかしいっス。 |