剣を持つ者は愛を知らず
ウィア(弟神官)とシーグル(弟騎士)の出会い編。





  【1】



 空は快晴。ゆったりと流れる白い雲が広い畑に影を落としている。心地よい風が頬を通り過ぎ、さわさわと囁く木々の歌が聞こえる。
 気持ちの良い、朝。
 約束の時間よりも早い筈だから、待ち合わせの相手はまだ来ていない。
 ウィアは欠伸をひとつして、傍の木陰に座りこんだ。






 時間は遡る。
『弟さんを私に下さい』
 家を訪ねてきたフェゼントが、ウィアの兄テレイズに会うなり、開口一番に言った台詞はそれだった。予め恋人だと言って置いてあっても、テレイズの顔はそれはもうひきつって、フェゼントに向かって『ふざけるな』と笑顔で返したのだ。
 
「ふざけてなんかいません」

 もちろんフェゼントは真面目な顔をしていたし、言葉通り大真面目で言った言葉だった。ウィアはそれを聞いてぽっと赤くなって照れたりしていたのだが、返されたテレイズの声は、地の底から湧きあがる程暗く冷たい響きだった。

「じゃぁ君は余程頭がおめでたいと見える、忘れているのかしれないが、君もウィアも男性じゃないのかね」

 テレイズはウィアと違って昔から頭がいい。その所為で、まだ26という若さで首都のリパ神殿の正神官の中でも大神官と呼ばれ、かなりの位についている。なにせ神殿から屋敷を一つ与えられるくらいの役職持ちだ。地位を持っている者という事は、それにあった威厳を持っているというのもあって、笑顔で皮肉を言うその顔はやたらと怖い。そうでなくとも昔からその笑顔を知っているウィアなら、蛇に睨まれたカエルよろしく、思わず声が出なくなる程だ。

「分かっています。でも、私は彼じゃないとだめなんです」
「フェズ……」

 テレイズのあの迫力に、それでもきっと睨み返すフェゼントを見て、ウィアは正直感動していた。騙して恋人にしてしまった筈なのに、フェゼントはウィアの事を本当に愛してくれているのだと。
 ウィアが瞳をキラキラさせてフェゼントの顔を見ているのをちらりと見て、睨み合いをしていたテレイズは、少し考えた後にもったいぶるように咳をした。それから、にっこりとどす黒い笑顔を浮かべて、フェゼントに向き直る。

「ふむ、成る程。そこまで本気だというなら、私も君のことを何も知らずに否定するのは止めよう。ならば本当に君がウィアに相応しいか、暫く君という人間を試させてもらおうか」

 兄の怖さを良く知っているウィアは、思わず背筋を震わせて、心の中でフェゼントの無事を祈った。
 そして、その後。フェゼントには恐らく地獄の日々が待っていた。

 テレイズが少し出かけるといえば送り迎え、人がいないのにやたらと広い家の掃除、洗濯、料理等々。わざわざ雇っていた者に暇を出して、どこの姑だよとウィアがつっこみを入れたくなる程に細かくフェゼントをこき使い、その度にあらを見つけては嫌味を言う。それだけでなく、剣の腕を見せろと言って、突然知らない男にフェゼントを襲わせる事までした。
 しかもフェゼントがどうにか男を撃退すると、

「ふむ、第一段階くらいは一応クリアかな。次はもう少し強くなるから楽しみにしてくれたまえ」

 と言ったものだから、フェゼントは家事でへとへとな上に、時間があくと剣の修練に明け暮れた。
 そして、どうみても男としては華奢な部類に入る女性のような可憐な騎士様は、とうとう体力の限界を迎えて倒れてしまった。さらに間が悪い事に、外に連れ出してしまえば助けられるだろうと、ウィアが紹介所から仕事を貰ってきたのが調度フェゼントが倒れたのと同時だった。

「流石に……無理だよなぁ」

 とはウィアも思ったが、急いで無理矢理貰った仕事を断りにいくのも難しい。しかも急いできたからあまりよく内容を聞かなかったのだが、仕事はいわゆる魔物退治で、パートナーが騎士だと言った所為か、ウィアの予想以上に重い仕事らしかった。

「正直……この状態でなくても私では厳しいと思います」

 だから、自分は気にしないで別の誰かを見つけていったほうがいいと、フェゼントは熱を出して寝込んだベッドの上で言った。ウィアもそれしかないかと思ったのだが、それに待ったを掛けたのがまたテレイズだった。

「君は、自分の恋人を他人に任せて大丈夫なのかね? ウィアが勝手に誰かと組んで、ヘンな気を起こされたらとかは考えないのかね?」

 熱を出しているフェゼントをこれ以上苛めないで欲しかったのだが、兄はやたらと彼に対しては冷たかった。実際今までウィアが仕事で誰かと組むという事になっても、テレイズは嫌そうな顔はしても文句を言ったことなどなかったのに。
 そもそものところ、男同士にけちをつける権利などテレイズにはない筈だった。このデキのいい兄は、ウィアと違って背も高く、顔もなかなか良いので昔から男女ともにもてる。それで特に特定の相手をもたず、とっかえひっかえ相手を連れてきてはコトに至っているのを、この家に一緒にいるウィアは知っている。その相手が男だったり女だったり、テレイズが節操ない淫乱神官だという事は、ウィアはもっと知っている。
 そもそも、ウィアがここまで恋人を作りたいと騒いでいたのは、この兄の所為でもあるのだ。男女共に連れ込む兄に文句を言ったら、『ならばお前も連れてくればいい』と言ったのだから。

「おいこのクソ兄貴、いい加減フェズに嫌がらせはやめろよな。フェズはがんばったろー、がんばってぶっ倒れたのに、倒れてる相手にまで嫌がらせする事はないじゃねーか」

 勢いのままにそう言えば、テレイズの恐ろしい笑顔がくるりとウィアを振り返る。

「ウィア、俺に口答えかい?」

 ウィアは石化した。
 と、いうか、開いた口を閉じる事も出来ずに固まった。
 幼少時を兄に育てられているウィアにとっては、兄に従う事はすりこみ現象のように身についていた。だからそれに逆らうというのは相当の気力がいる。ちょっとした文句やら嫌味を言うくらいは、まったく気にされずにいつもは軽くあしらわれるのだが、一度兄の不興を買うとその恐ろしさは考えたくもない。

「わかりました」

 すっかり固まってしまったウィアを見て、フェゼントが無理矢理起き上がる。

「では、絶対にウィアに対してヘンな気を起こさなくて、この仕事を問題なくこなせるような人物を私が紹介します」
 
 と、いうことで、ウィアはフェゼントが紹介するという人物と仕事をする事になったのだ。






 快晴の空を眺めながら、ぼうっとウィアは風に吹かれる。
 待ち合わせ場所は、首都セニエティの西門を出てすぐの丘の上。街の外でもこのあたりは人の行き交いが多く、人間に危害を与えそうな魔物や大型動物が出てくる事はまずない。街と反対側を見れば、街道が広い畑の向こうまで続いていて、そのずっと先には僅かに街と、更にその先には海面のきらめきが見える。あの街が港町リシェで、フェゼントが本来住んでいる町だ。歩いていっても半日もかからない場所だが、定期馬車に乗ってくる方が普通だ。

 そう考えて、そういえばフェゼントは今回は馬に乗ってきていたとウィアは思い出した。家には厩舎なんてないから、馬は事務局に預けているそうだが。ただ、馬がいるなら調度いいと言って、テレイズが少し距離のある場所へ行く場合はフェゼントに送り迎えをさせていた。


「やっぱりフェズっていいとこのぼっちゃんなのかなぁ。いやでも居候だって言ってたしな、居候先が金持ちなんかな」

 騎士とは言っても、自分の馬を持っている人間はそれなりに限られる。貴族からの正統な騎士様ならまだしも、冒険者上がりでは、成り上がって自分の家を建てたような者でなければ、騎士団や事務局から借りるのが普通だ。

「まぁ俺は、フェズが何だって愛してるんだけどなっ」

 いいながら、照れ隠しに寄りかかっていた木を叩く。

「『私は彼じゃないとだめなんです』だってさー、もうフェズってば情熱的というかさっ、俺も愛してるぜっ、幸せにしちゃうからなー」

 にやけっぱなしの顔で、地面の草を毟りながら独り言を呟く。
 だからウィアは、こちらに向かってくる土埃を最初見逃した。その土埃はどんどん近づいてきて、ウィアが気付いたのは、それが蹄の音と共に姿がはっきりと分かるくらいに近づいた時だった。

「おー、こりゃまた立派な騎士様」

 黒っぽい芦毛の馬の上に、見事な全身鎧に包まれた、いかにも騎士といった出で立ちの人物が乗っている。背筋をぴんと伸ばし銀色の鎧に包まれた姿は、絵に描いたように整いすぎていて、思わずウィアは見とれた。正騎士団の格好とは違うから、恐らく冒険者なのだとは思うが、あそこまできっちりと鎧を着込んでいる者は、いつも冒険者を見ているウィアでもお目にかかったことはなかった。
 その、騎士はこちらに近づくにしたがって、心なしか近づく速度が落ちているように見えた。始めは、あれ、と思ったウィアだったが、確実に馬の蹄の音も歩く音に変わっていて、さらにはその姿が途中から街道を外れて自分に向かっているのに気付いて、ウィアは驚きすぎて呆然とするしかなかった。

 騎士はウィアの座っている木の傍までくると馬を止め、重い鎧を纏っている筈なのに身軽な動作で馬を下りた。赤いマントがひらりと翻って、馬の横に立つ銀色の姿は、傍で見ると本当に絵画や彫刻のような美しさがあった。
 何も言えずに呆然と見ているウィアを暫く観察しているような間があって、騎士は完全に顔を隠していた兜を脱ぐ。
 それでウィアは再び見とれた。
 銀色の鎧の上から出た顔は、見事な銀髪の綺麗な青年の顔だった。整った顔立ちはいかにも品が良さそうで、少し釣り上がってきつい印象を与える青い瞳は、フェゼントが空色というならもっと濃い海の色といった感じだ。色素の薄い顔の中で、その瞳の色はかなり印象的だった。

「失礼、貴方がウィア・フィラメッツ殿でしょうか?」

 すっかりその姿を見ていたウィアは、そこで我に返った。そしてすぐに止まっていた思考をまわす。
 ウィアの名前を知っていて、ここへ来たということは。

「もしかして、フェズの紹介の……人?」
「シーグルです。よろしくお願いします」

 言って軽く礼をすると、シーグルはすぐに外していた兜を装備し直す。

「えー……」

 顔が隠れて勿体ないと思った途端、ウィアは思わず不満の声を漏らしていた。
 気付いたシーグルは顔は見えないものの、多分不審そうにこちらを見た。

「何か?」
「あーいや、いいんだけどさ、頭被ってると暑そうだな、とか」

 本音を誤魔化したウィアの顔は少々赤くなる。
 シーグルの顔はウィアの好みか、というと難しいところで、少なくとも恋人にしたいというタイプではない。なにせシーグルは細身ではあるがそれなりの長身で、顔つきもフェゼントやウィアとは違って、女性と間違えられるようなという方向ではない。さらさらの銀色の髪は首の辺りまで程度しか伸ばしていないし、顔つきも男らしいごつさはないが丸いイメージではない。単純に言えば美形とかハンサムとかいうところなのだろうが、細い所為か男くささがないので微妙なところだ。
 とりあえず、ウィアの好み如何は別にしても、綺麗なものは見ているだけで目の保養である。美人とか美形とかは今までにもそれなりに見てきたが、シーグルのような品のいい、というか高貴なといってもいい顔はウィアは傍で見る機会が今までなかった。

「気に障ったなら申し訳ない。どうにも被っていないと落ち着かないので、良ければこのままがいいのですが」
「あ、あぁ、そうなんだ。それなら仕方ないかな、うん」

 残念だけど、とはシーグルに聞こえないくらいの声で呟く。

「仕事は『エレメンサ』の退治だとか。アイツと戦った事はありますか?」
「いや……ないけど」

 シーグルはそれで暫く考える。

「では、簡単に説明しましょう。エレメンサはドラゴンの一種ですが、一般的なドラゴンと呼ばれるもの程大きくはなく……」
「えぇえ? そうなのか?!」

 ウィアの驚きように、シーグルの口が止まる。
 呆れられたかな、とちょっと恥ずかしさに顔を赤くして、ウィアは苦笑いを浮かべた。

「実はあんまよく分かってなくて……ってかドラゴンっていうと相当ヤバイよなぁ、俺、戦闘は補佐専門で、戦力的には殆ど役に立たないんだけど……あ、いや、多少はどうにかなるぞ、自衛くらいはそれなりに。喧嘩ならそうそう負けた事ないしっ。……あー、ってかといってもそういう大物相手には無力なのは分かってるんで、そんでも……大丈夫、なん、か……な?」

 自信なさげにウィアが言えば、シーグルの冷静な声が返る。

「私は何度か戦ったことがあります。目的の相手の大きさは見てみないと分かりませんが、ウィア殿が補佐をしてくれるなら、今までよりも楽に倒せると思います」

 それはつまり、シーグルは一人で何度かドラゴン退治をしているという事だろう。見た目からして強そうなこの騎士は、実は本当に強いのだ。そう思うとウィアのシーグルを見る目は尊敬と憧れの眼差しに変わる。
 ウィアが今まで組んだ冒険者達は、自らを含めて所詮雑魚というか、ちょっと喧嘩や腕力に自信があるごろつきといったレベルの連中だ。騎士や神殿兵といった戦闘のプロにもあった事はあるが、シーグルくらいのレベルの人間は、組むどころかその仕事をしているところだって見たこともない。

「あのさっ、もしかしてシーグルって、評価に星が入ってる?」
「えぇ」
「すげー、そりゃぁ心強いな」

 冒険者である程度以上の評価が高いと、評価欄に星のマークが入る。彼らは特別扱いで、自ら紹介所に仕事を貰いにいくことはなく、困難な仕事が入ったら紹介所の方から彼らに連絡がいく。そういう訳なので、普通ならそんなレベルの人間を、ウィアが見たことがないのは当然といえば当然であった。

「まぁ、俺はヤツのことは分からないからさ、指示はビシバシ飛ばしてくれよ。ただその……俺、リパ神官だけど、あんま治癒は得意じゃなくてさ。補助の術は得意なんだけど……足手纏いになるかな、やっぱ」
「いえ、私が怪我をしないようにすればいいだけです」

 その言葉で、ウィアは思わず両手を祈りの形に組んだ。

 ――これ、俺が女だったら惚れてるな。てかこれであの顔じゃすっげーもてるんだろうなぁ。

 ウィアは恋人なら自分が押し倒す側になりたいとは思っているが、シーグルなら押し倒されてもいいんじゃないかと思うくらいに感動した。今はフェゼントがいるから浮気をしようとは思わないものの、そうでなければ仕事の後にこっちから誘ってもいいかななんて思ったかもしれない。……まぁ、相手にされなそうではあるから、あくまで思うだけだと思うが。

「基本的には、動きながらスキを見て、斬りつけては離れる戦い方になります。貴方は、少し離れた位置から補助の術を入れてください。決してヤツの間合いに近づかないようにお願いします」
「了解」

 と、言っては見たものの、ウィアは少し考え込んで、頬を指で軽く掻いた。

「あのさ、シーグル」
「なんでしょう?」

 聞き返してくる動作さえ、鎧なのにどことなく品がある。
 フェゼントが信用している相手でもあるし、彼とは下心なしでウィアは仲良くなりたいと思った。

「えっと、シーグルって歳は幾つなのかな? 俺より歳上なんじゃないかなーと思うんだけど。本来なら俺のが敬語使わなきゃならない立場じゃって思うんだけど、俺はそういうの苦手でさ。……んー、ぶっちゃけるとさ、俺の事、呼び捨てでいーから。んで出来るんなら、そんな丁寧な言葉遣いじゃなくてさ、もっと普通に話してもらいたいんだけどな。いやその、フェズみたいに地ならいいんだけどさ」

 いいながら、ウィアはちょっとひきつった笑みを浮かべた。その顔を見るシーグルの表情は、顔を覆う兜の下で分からない。隠されていない口元も、きつく結ばれているだけで、彼が何を考えているかまでは読み取れない。けれども僅かの間が開いて、シーグルは溜め息をついた。

「歳は十八だ。貴方はフェゼントの大切な人だと聞いていたんだが……」

 この時ウィアは、やっぱりフェゼントは自分を愛してくれてるんだな、と心の中で舞い上がった。
 けれどもそれは心だけで留めて、にっこりと笑顔でシーグルに向けて掌を差し出した。

「なんだよ、同い年じゃねーか。それじゃ改めて、よろしく、シーグル」

 シーグルも手甲に覆われた手を伸ばして、ウィアと握手を交わした。ウィアは更に笑みを深くする。
 素のシーグルの言葉遣いはぶっきらぼうで、口元はやはり引き結ばれたまま笑ってはいなかったものの、ほんの少しだけ先程よりも口元が柔らかいような気もする。ウィアの希望がそう見せただけかもしれないが、自分の心象は悪くはなかった筈だと思い込む事にした。

「遅くならないウチに出発しよう。ウィアはこっちへ」

 シーグルがそう言って、ウィアの手をそのまま引くと、乗ってきた芦毛の馬の手綱をひく。それからウィアの荷物を預かって、それを馬に括りつける。
 これは楽だと鼻歌混じりに背伸びをすると、甲冑姿のシーグルが身軽に馬の上に乗りあがる。フェゼントの部分鎧でさえあれだけ重かったのに、シーグルの格好は鎧だけで一体どれ程重いのかとウィアは考えてしまうのだが、騎士というからにはその程度は出来て当たり前なのだろうと思う事にした。
 だが、その姿を感心して眺めていたウィアに手が伸ばされる。
 つまりそれは、ウィアも乗れという事だろう。

「え?それ、乗っていいのか?」
「ニエルッサ村なら、乗っていった方がいいだろ」

 そうは言われても、ウィアは馬車はともかく、馬に乗ったことはない。
 だが、シーグルに足を掛ける位置を教えてもらって、上から手を引っ張って持ち上げてもらい、どうにか馬によじ登ることは出来た。

「行くぞ」

 言うと、シーグルがゆっくりと馬を歩かせる。
 乗った瞬間から、あまりの視界の高さに正直怖くて仕方なかったウィアだが、馬が動きだせばその揺れにバランスを崩しそうになって、全身に嫌な汗が噴き出してくる。咄嗟に、シーグルの背中をがっちりと縋り付くように掴んだが、馬は走る事なくのんびりと歩みを進めるだけで、覚悟した程には揺れていなかった。それでも、二階の高さで動いているような状態はかなり怖いものの、普段見ない視界はそれ以上にウィアの心を躍らせた。
 開けた空は普段以上に近く見え、風もより強く感じられる。見慣れない視点ではただの道沿いの風景も楽しくて、ウィアはキョキョロと周りを見渡した。馬上に慣れてくれば恐怖心も大分減って、正直浮かれているウィアとしては、普段からチビだと言われているのもあってこの高さは気分が良かった。

「すげー。たっけぇ」

 楽しくなったウィアがはしゃいだ声で言う。

「動きすぎるな、落ちるぞ」

 シーグルはそう言っているが、彼が相当にこちらに気を使っているのは良く分かる。自分が掴まっている事を考えてか、先程から彼の姿勢は綺麗に背を伸ばしたまま動かない。ウィアが少しでも身じろぎすれば、その度に彼の背中は反応している。だから馬上でも安定していて、高さはそれなりに怖くとも、落ちる気はしなかった。
 そもそも、慣れない自分のためにだろう、馬の歩みはあくまでゆっくりだ。それでも揺れはするのだが、自分の動きと馬の制御にシーグルが相当に気を使ってくれているのは気配で分かって、ウィアはなんだか嬉しくなってきた。

 ――騎士様にこんな大事に扱ってもらえるとさ。なんていうか、お姫様気分?

 そんな考えが頭をよぎって、知らずにやけた顔をはっとして引き締める。

 ――いや、どっちかっていうとさ、お姫様扱いってフェズのが似合いそうだよな。ってか、フェズってシーグルにこうやって大事にされてたりしてたんかな、俺でこの扱いなんだからさ、フェズ本人ならもっと……そもそも二人はどういう関係なんだ?

 等と、今更のようにウィアは思う。

「あのさ、シーグル」

 恐る恐るウィアが聞けば、一応声は聞こえたようで、返事はすぐに返ってくる。

「なんだ」
「あのさ、フェゼントとはどういう関係なのかなって。ただの冒険者友達っていうには、ほら、俺の事こんなに気ィ使ってもらってるしさ。いや言い難いような関係なら仕方ないけどっ」

 返事は返ってこなかった。
 馬の蹄の音にまぎれて聞こえなかったのかとウィアは思ったが、そうではなかったらしく、やきもきと悩む程待った後に、ぼそりと彼が呟いた。

「フェゼントは、兄だ」

「兄ィ?」

 ウィアは素っ頓狂な声を上げた。
 シーグルはそれ以上何も言わない。自分が声を上げた所為かと思ったウィアは、仕方なくフォローの言葉を続けてみる事にした。

「いやほら、あまり似てないっていうか。うん、兄弟だっていうなら、まだフェズのが弟の方が分かるかなーとか。あぁ、フェズは童顔だからって事で、別にシーグルが老けて見える訳じゃないぞ、絶対に」

 それでもシーグルは返事を返さない。最初は自分のフォローが悪かったのかと思ったウィアだが、どうやら事情がありそうだと気付いたのは、どことなくシーグルの沈黙が重い空気を纏っているのに気付いてからだった。
 確かにフェゼントは弟がいると言っていたし、現在弟と住んでいるとも言っていた。口調からだと別に弟と何か問題がありそうには思えなかったのだが、これは明らかになにかある。シーグルの様子からして、単純な喧嘩中とかそういうのとも考え難い。兄弟って事には触れないほうが良かったのだろうか――とぐるぐると頭の中で考えつつ、沈黙に耐えられなくて、ウィアはがっくりと項垂れるとシーグルの背中に頭を預けた。
 そこに、重い沈黙を破ったシーグルの声が聞こえた。

「フェズ、と呼ぶんだな」

 まるで猫がピンと耳を張って音を聞こうとするように、ウィアがその声に反応して顔を上げる。

「言い難かったからテキトーに略したんだよ。ちゃんとフェズには了解取ってる」
「あぁ、フェゼントが嬉しそうだった」

 それには誇らしげに胸を張るウィア。

「ウィアのことを話すフェゼントは嬉しそうだった。大事な人だと言っていた。俺に頼むと、言われたのが俺も嬉しかった」

 その言葉の意味を図りかねて、ウィアがシーグルの顔を覗き込もうと伸び上がる。当然だが、シーグルの表情は見えなくて、この兄弟には相当深い訳がありそうだとウィアは思ったが、それを今聞いていいものかは分からなかった。

「シーグルはさ、フェゼントのことを本人にもフェゼントって呼ぶのか?」

 それには即答で肯定が返される。

「そうだ」
「兄さんって呼ばないのか?」
「呼ばない」

 その声の響きが暗い事には、流石のウィアでも気がついた。
 つまり、これ以上は事情があって言い難いのだろうと。
 やはり触れないほうがいいのだろうか、そう思っても、このまま話を有耶無耶にするのは、何故だかシーグルが可哀相だとウィアは思った。

「あのさっ、シーグル」

 だから努めて明るい声で、今度は言ってみる。

「フェゼントはさ、絶対に信用出来てこの仕事出来るくらい強い人物って言って、お前を俺に紹介したんだぜ」

 それには、金属に覆われた騎士から、少しだけ驚いた気配が伝わる。
 ぎゅっと手綱を握り締めた後、シーグルはぽつりと呟いた。

「そうか……」

 その声が嬉しそうに聞こえたのは、ウィアの思い違いではなかったと思う。





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