剣を持つ者は愛を知らず





  【2】



 ニエルッサ村は、首都から海岸沿いにずっと北にいったところにある村で、海と山に挟まれたいわゆる漁師町だ。
 ところがここ最近、沖にある無人島の一つにエレメンサという小型竜の一種が住みついた。最初は干してあった魚をたまにとっていったりという、ちょっと困った程度の被害であったのだが、村の血気盛んな若者が一度そのドラゴンを倒そうと攻撃した後から人間を襲うようになった。実際、かなり酷い怪我を負ったものも数名出て、村人はドラゴンを恐れて外に出る事が出来ない状態であるという。

 シーグルが改めて紹介所から聞いてきたという話を聞いて、ウィアは自分がどれだけ今回の仕事を分かっていなかったかを理解した。急いでいたとはいえ、ウィアが請け負った事のある仕事のレベルではないのは今なら分かる。

 ニエルッサ村までは、通常徒歩なら行くのに一応2日見る。そのためウィアは野宿の覚悟もしてきたのだが、馬に乗れた事もあって、日が沈み切る直前には村の明かりが見えてきた。

 辺りが暗くなっているとはいえ、確かに前情報通り外に出ている人影はない。
 とりあえず二人は依頼主である村長の家にいって、詳しい話を聞くことにした。村長は二人を迎えいれると相当に喜んで、泊まる部屋と出来る限りのもてなしを約束してくれた。

 けれども、シーグルはエレメンサの出現時間やどんな者を襲っていたか等、仕事についての話だけを聞くと、食事は辞退して、早く休むと言って一人で部屋に行ってしまった。
 断る理由もないウィアは、素直に村長のおもてなしを受けたのだが、それでもシーグルの態度は気になっていた。
 だから、食事が終わってから、寝る前に起きてるかもしれないと、シーグルの通された筈の部屋にいってみる事にする。お約束ではあるが、先程出た料理のうち、簡単に持ってこれそうなものを少しだけ失敬して、紙に包んだものを持っていく。食事もしないで寝たのだから、シーグルも腹がすいているのではないかと思ったのだ。
 そして、シーグルの部屋のドアを叩くと、やはりというべきか、彼はまだ起きていた。

「ちょっと邪魔していいかな」

 そっと部屋の中に入っていくと、シーグルはどうやら武器と鎧の手入れ中のようだった。鎧を着ていないシーグルを見たのは初めてで、もちろん素顔でいるシーグルに、ウィアはちょっと嬉しくなった。

「メシも食わないでいっちゃったからさ、腹減ってると思ったんだけど、食わね?」

 そういって紙包みを出せば、何故かシーグルは眉を顰めた後に溜め息を吐いた。

「こちらを気にしてくれて申し訳ないが、それはいらないんだ」
「え? だって食ってないだろ?」

 ウィアが口を尖らせて言えば、シーグルは今度は先程よりも軽い溜め息をついて、ウィアに言い聞かせる。

「食べてない訳じゃない。持ってきたモノがあったから大丈夫だ」

 それを聞けば、ウィアは益々シーグルの行動が分からなくて腹が立つ。

「なんだよそれ。折角向こうは俺達を歓迎してくれてさ、わざわざご馳走作ってくれたんだぜ。もしかしてお前、毒とかへんなモノが食事に混ぜられてるかもとか思ってるのか?」

 言えばシーグルは、困ったというよりも哀しそうな顔をして、静かに首を振った。

「そうじゃない。向こうが善意でもてなしてくれているのは分かっている。……だが、俺は食えないんだ」
「どういうことだ?」
「子供の時に胃を壊してから、殆どモノが食べられない。だから歓迎してくれて馳走されると……困るんだ」

 言うシーグルの体はかなり細い。鎧を着ている時はそこまで気にならなかったが、今見るシーグルは確かに騎士などという戦闘のエキスパートには見えない体格だった。食べられなかったというのならば、この細さも分かるとウィアは思う。

「折角作ってくれたものを食べられないのでは申し訳ないから、こういう時はいつも辞退するしかない」

 言えば彼は苦笑するように微かに笑って、そして武器の手入れをし始める。
 ウィアはそんな彼の手元を見ていたが、なんだかいたたまれなくって項垂れた。

「ごめん、そんな理由だったなんて」
「謝る必要はない。俺が特殊なだけだ」
「シーグルお前さ……苦労、してんだな」

 背が高くて顔が綺麗で強くて恐らく金持ち――ウィアからみたら、恵まれすぎるように見えていた彼が、相当に苦労しただろう事は想像出来る。騎士なんてやっててそこまで極端な小食なら、体を作るのは並大抵の努力じゃなかっただろうと思う。
 まるで自分のことのようにしょげてしまったウィアを見て、シーグルは手を止めると、表情を和らげて言う。

「今回はウィアがもてなされてくれたからまだ良かった、一人だといつもかなり気まずいんだ……助かった、感謝している」

 ウィアは、こんなことで感謝される事に驚いて目を丸くする。ちょっとだけ照れて頭を掻いて、だが寂しそうなシーグルを見て溜め息を吐く。

「そんな、食えないのか?」
「普段は、ミルクとか、スープとかばかりだな。それにパンを少し食べて、果物がたまに程度か。後は……ケルンの実だ」

 最後の言葉を聞いて、ウィアは思わず顔を顰めた。ケルンの実は栄養はすごくあるが、壊滅的に味は酷い。遠出をする冒険者なら非常食として大抵持ってはいくが、出来れば食べたくないと皆言うような苦味と渋みで、ウィアは初めて食べた時に二度と食べないと誓った程だ。
 シーグルの装備は、ウィアにはよくは分からないが、少なくとも安物でないのはすぐに分かる。馬だって借りモノじゃなくて自分の馬なのは、馬具を見れば分かる。つまり、相当に金持ちなのは間違いない。本当なら、食べたいものを好きに食べられるような身分なのに、彼は質素で美味くない食事しか出来ないのだ。

「可哀相だな、お前って」

 いわれたことが意外だったのか、シーグルは顔を上げてウィアを見る。

「食うことってさ、美味いもの食えば嬉しいし、幸せだしさ。ご馳走が目の前にあったら見てるだけでわくわくするんだぜ。……それをそう思えないのってさ、すごい、可哀相だ。俺が食う楽しみがなかったらきっとすごい辛いと思う」

 ウィアは、顔を顰めながら、口を尖らせて呟くように言った。
 それを見たシーグルの口元が、ほんの僅かに笑みを作る。

「俺のことだ、ウィアがそんな顔をする必要はない。……もう慣れてる、今更辛いとは思っていない」

 そう言って遠くを見るシーグルの顔は、綺麗だがやはり辛そうで、ウィアは心の中で、彼に『嘘つき』と言いたくなった。






 翌日は、快晴とまではいかないが、雲の多めの晴れ空だった。
 早朝から、シーグルとウィアは村長の息子に案内してもらって、エレメンサが住んでいるという島を教えてもらっていた。島は村の海岸から見える位置にあったが、島というよりは大きな岩という程度のモノで、その岩が洞窟になっていて、その中にエレメンサが住んでいるという事だった。

「あそこまでいくには、船を出して貰うしかないか」

 呟いたシーグルに、村長の息子は返した。

「いえ、ヤツはいつも決まった時間にこっちにやってきますから、それを狙ったほうがいいと思います。あの島は足場が悪いので、行くのはあまり勧めません」

 だから、村長の息子の言う通り、まずは待ち伏せをする事にして、もしも島に逃げたままこちらへこなかった場合は、島まで船を出してもらうということで話がついた。

「村へくるのは1日3回、いつも時間が決まってるなら、その時間以外は別に外へ出てもいいんじゃねーの」

 エレメンサを待っている間、村を眺めてウィアが言う。
 日中なのに誰もいない村の姿はまるで廃墟のようで、見ていて気持ちのいいものではなかった。

「時間以外は絶対に来ないという保証もないからな、誰だって襲われたくはないだろう」
「まぁ、そりゃそうだけどさぁ」

 シーグルはウィアの顔を見ず、ずっと島を見ている。
 今は兜を外しているからその顔が見えて、ウィアは島ではなくずっとシーグルの顔を見ていた。
 ふと思い立って傍に置いてあるシーグルの兜を持ってみると、思いの他軽くてウィアは驚いた。
 不思議に思ってよく見てみれば、術石やら呪文が刻まれている場所を見つけて、ある程度は納得する。つまり、魔法による軽量化の術が施されているのだろう。恐らくは鎧の方も同じように術が施されているから、シーグルはあれだけ軽い動きが出来るのだと思う。
 だが、そう考えると彼の装備一式の金の掛かり方は気が遠くなるレベルで、上級冒険者といったって、並大抵の金持ちという言葉ではどうにかなる物とは思えなかった。

 ウィアが兜を持って考え込んでいると、シーグルが手を出して兜を渡すように促してくる。ウィアは焦って即座に渡したが、シーグルは何故か沈んだ表情をしていた。
 手に戻ってきた兜を見つめて、シーグルがぼそりと呟く。

「来る前に村長に確認したんだが……腕や足を食われた者がいる」

「い……」

 ウィアは息を飲んだ。

「つまり、ヤツは人肉の味を知ってる、外に家畜や魚を置かないようにしているから、人を見れば人を襲う。外に出ないのは正解だ」

 シーグルが端正な眉を寄せる。
 さらさらの銀髪が海風に吹かれてなびく様を見ていると、こんなときに不謹慎とは思いつつも、ウィアは得をした気分になる。
 シーグルは兜を手に持ったまま、再び視線を島に戻した。

「エレメンサは、本来大人しいドラゴンなんだ。……だが、人肉を食べる事を覚えたら……殺すしかない」

 その顔が、昨夜自分の事を語った時のように辛そうで、ウィアは複雑な気分になる。今までシーグルはドラゴン退治を何度かやっている筈なのに、本当はドラゴンを殺したくないのだろうかと思う。
 ウィアのレベルでは、冒険者といっても化け物退治のような仕事は殆ど受ける事はない。受けたとしても、大量発生した害虫駆除や、家畜を狙う害獣退治がいいところだった。
 大物相手はシーグルのような上級冒険者に任されるのがお約束で、ウィア達下っ端冒険者は、いつか自分もとそれに憧れているものだ。だが、なんだかシーグルを見ていると、それが憧れる程楽しい仕事には思えなくなってくる。

 ぼうっと見ている視界の中で、シーグルの顔が兜に隠れる。
 ウィアが急いで島を見ると、確かに何かが飛んでくるのが見えた。
 海から陸へくる風が、先程までのおだやかな風から、少し強い風になっていた。

「きたぞ」

 言ってシーグルが剣を抜く。

「神よ、貴方を信じる者にその加護を……」

 ウィアも早速シーグルに守りの呪文を唱える。
 リパ教徒は、洗礼の儀式で必ず自分用の祈りの石を貰い、それをネックレスにして身につける。聖石と呼ばれるそれを掌で包み、祈りの言葉を唱える事でリパの奇跡の術を使う。
 ウィアの祈りに呼応して、石が掌で暖かさを増し、ふわりと光る。
 その光がシーグルに届くとすぐ、彼は隠れていた岩の陰から、目につく高台の広場に出て行った。

 エレメンサというのは小型のドラゴン全般を言うらしく、その大きさは翼を広げた状態でも大人二人分というところだ。体は調度体格のいい戦士くらいの大きさだが、頭の大きさは人間の倍はあって、耳まで裂けた口が開くと人間の頭など一口で飲み込めそうだった。
 大きさだけでいうなら確かにそこまでのデカ物という事はないが、初めて見たウィアにとっては、その姿は動けなくなる程に恐ろしい。
 とはいえ、距離があることと、シーグルが完全に落ち着いている様を見て、ウィアもすぐに我に返る。

「神よ、光を彼の盾に……」

 距離がある今、ウィアが出来るのは、防御呪文の重ね掛け程度だ。
 あとはシーグルがピンチになった場合に、目くらましの為の術の用意をしておくくらいか。シーグル自身もリパ教徒である分、やれる事は多少多い。
 シーグルは剣と小型の盾を構えて敵がくるのを待っている。獲物が全部家の中にいる所為か、ドラゴンは真っ直ぐシーグルに向かって飛んできた。

 最初、ドラゴンはまずその鋭い爪のある足でシーグルを捕まえようとした。
 それを剣で払い、シーグルはその翼を切りつける。ドラゴンは急いで高く上がるものの、明らかにふらふらとバランスがおかしく、翼に怪我を負ったことが分かる。その所為かドラゴンは怒りに雄叫びを上げ、今度はシーグルに向かって頭から急降下して突っ込んでくる。
 最初のが獲物への攻撃なら、敵への攻撃に切り替わったというところか。怒りに燃える目で、ドラゴンは空から落ちる勢いのまま突っ込んできて、シーグル目掛けて大きく口を開いた。

「まじいっ」

 ドラゴンと言えばドラゴンブレスだ。
 火相手ではウィアが掛けた防御呪文は効果がない。
 シーグルが炎に焼かれる姿など見たくはなくて、思わずウィアは目を閉じた。

 だが、聞こえたのはシーグルではなく、ドラゴンの悲鳴。

 ウィアが恐る恐る目を開ければ、ドラゴンの開いた口の中にはシーグルの盾がはまっていた。
 火も吐けず、口を閉じる事も出来ず、ドラゴンは唸りながらのたうち暴れる。しかも、盾の所為で頭が重くてバランスが取れないのか、空へ逃げる事も出来ず、ドラゴンは地面でもがく事しか出来ない。
 それでも鋭い爪には警戒して、シーグルが構えながらドラゴンに近づく。伸ばされる爪や翼を避けながら、今度は足に切りつけると一度下がる。
 ウィアはすかさず盾の呪文を重ね掛けする。
 だがもうそれは殆ど必要がなさそうで、次にシーグルがもう一度近づいてドラゴンの喉に剣を突き刺せば、ドラゴンは暴れる力さえも失くし、翼も頭も地面に落ちた。
 それからシーグルは、今度はゆっくりとドラゴンの頭に近づき、最後のトドメとしてその頭に剣を突き立てた。
 ドラゴンがビクビクと、まるで雷に撃たれたように痙攣し、そして完全に動きを止める。
 剣を抜くシーグルの姿を追えば、僅かに祈りの言葉が聞こえた。





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