【11】 昨日の雨がすっかり止んだ首都セニエティの空は、すばらしい快晴だった。 今日も早朝から首都に来て、つい先程屋敷にいる下の弟であるラークから来た伝言を受け取りにいったフェゼントを、ウィアは、事務局の前で出入りする人間を眺めながら待っていた。 そこに、気配もなく近づいてきた男は、ぼうっとしているウィアの隣にくると、前と同じく、顔も見ずに声だけを掛けてきた。 「リパ神官のおちびさん、ちぃっと話しがあるんですけど」 「ちびじゃねぇっ」 と、睨みを聞かせて隣の男を睨んでから、男の位置が近すぎる事にウィアは驚く。 「あんたの恋人のお嬢さんみたいな騎士の方は、何処行ったんですかね?」 相手の姿はすっぽりと頭からフードを被り、その顔を見る事は出来なかったものの、声と、僅かに見える灰色の前髪から、この男が前にも会った、あの灰色の髪と瞳の男だという事にウィアは気が付く。 「フェズになんか用なのか?」 「銀髪の坊やの件でね」 聞いた途端、ウィアは身を乗り出して男を見上げた。 「シーグルに何かあったのか?」 それでも男はウィアを見ない。 フードに隠された顔は分からなかったものの、前に見た時とは少し雰囲気が違うように感じるその男は、事務局を出入りする人の流れの方に目を向けながら、言葉だけを続ける。 「あの銀髪の坊やは、今、ウチのボスのトコにいますよ」 気の所為か、口調からして前とは違う気がする。 冷静に、淡々と言う言葉が、その内容と会わせてやけに不気味にウィアには感じられた。 「シーグルに何かあったのか? セイネリアの奴は、シーグルをどうするつもりなんだ?」 ウィアが男の服を掴んで揺らしても、男が動揺を見せる事はなかった。ただ淡々と、報告のように事務的な言葉を返してくるだけだった。 「今は、どうとも。俺には何も言う事が出来ないんですよ。……ただ、あの坊やの兄であるあんたの恋人に、ウチのボスから伝言を伝えるように言われて来ました」 なんだろう、酷く嫌な予感がした。 事務局の方をちらと見て、ウィアは、フェゼントがまだ出てこない事に内心焦っていた。 「シーグルを連れ戻したいのなら、傭兵団まで迎えにこい、と。それだけです、伝えておいてください」 言うと男は、くるりと体の向きを変えて去っていこうとする。 「待てよ、フェズは今事務局の中なんだ、出てくるまで待てったら、シーグルは何でアイツのとこにいるんだよっ」 男は振り返らない。足を止めもしない。 追うべきかどうか迷っているウィアの視界の中、大通りの人波に紛れてすぐに彼の姿は見えなくなる。 ウィアは呆然と立ち尽くすしかなかった。 どれだけの時間が経ったのか、恐らくそれ程ではなかったとは思われる後、うつむいて立っているだけだったウィアの側に、長髪の少女めいた顔立ちの青年が近づいてくる。 「……ウィア?」 声にびくりと反応をして、ウィアが顔をあげてフェゼントの顔をじっと見つめる。 その訴えるような真剣な顔に、フェゼントは訳が分からず困惑するが、ウィアが口を開けばすぐに、今度はフェゼントの顔が緊張に強ばる。 「シーグルが、今、セイネリアのとこにいるって。シーグルを連れ戻したいなら、あいつの傭兵団までこいって、それをフェズに伝えに、今、傭兵団の奴が来たんだ」 ウィアの表情が移ったように、フェゼントの顔は青くなる。 今、フェゼントは、リシェにいるラークからの伝言を受け取ってきたところだった。その内容というのが、昨夜も屋敷に帰ってこなかったシーグルは祖父にさえ何の連絡もなかったらしく、今日は使いの騎士が何度も事務局に確認に行っているという事だった。 「なぜ、シーグルが彼のところへ?」 「分からない、聞いても教えてくれなかった。でも、言ってる事は嘘じゃないと思う、セイネリアって奴はそんな事で嘘をついたりはしない」 それはフェゼントも思う。あの男がシーグルの事に関して、嘘を言う事はない。 「とにかく、来いというのなら私はシーグルを迎えに行きます。ウィアは傭兵団のある場所を知っていますか?」 「知ってるけど、でも、あのヘンは治安が悪いからいくなって、俺の友達に言われたんだ」 「なら、ウィアは待っていてください。私一人で行きます」 教えればすぐにでも行こうとするだろうフェゼントを、ウィアは必死に止めた。 「何言ってるんだよ、フェズ、そんなやばいとこ一人で行かせられる訳ないだろ。フェズに何かあったらシーグルは絶対に自分を責めるぞ、自分の所為でフェズを危険な目に合わせるなんて事、シーグルは絶対望んじゃいない」 「それでも……」 フェゼントの意志は覆らない。 そうして曲げない決意を抱いて思い詰めた顔をする彼は、やはり兄弟なのか、シーグルの顔を思い出させる。 止めただけでは思いとどまってくれないと思ったウィアは、一度自分の頭を落ち着かせて考えた。 そして、思う。 「……でも、おかしい気もするんだ。フェズに何かあったらシーグルが哀しむって、セイネリアだってそれを分かってる筈なのに、フェズに来いだなんてさ。なぁ、もうちょっと調べてからにしよう、伝言に来た奴が間違ってたか、そいつが嘘言ってたのかもしれないし」 セイネリアはそんな嘘はつかない。 だとしても、その部下が何か意図があってついた嘘かもしれない。特にあの男自身、前とは態度が違いすぎて、いかにも何かありそうだったとウィアは思うのだ。 「それでも、……それでも。シーグルがあの男のところにいる可能性があるなら、私は行きます。意図はどうあれ、今、彼の為に私が出来る事がそれしかないのなら、私は行きます」 フェゼントを止める事は無駄だと、その顔を見ればウィアもそう思うしかない。 優しい騎士の青年は、無理矢理振り切る事もせず、諭すように優しい目でウィアを見つめる。 「それに……もし、その伝言が嘘でないのなら、迎えにこい、という事は、どう考えてもシーグルが普通の状態ではないととれませんか?」 それは、確かに。 その可能性に気づいてどきりとしたウィアに、フェゼントは優しく、けれども強い瞳で笑い掛けた。 「だから、まずは行かないと。ウィアがどれだけ止めても、これは譲れません」 窓の外だけを見れば、清々しい午前中の青空が広がる。 重い気分からは皮肉な程の美しい空の青を眺めて、セイネリアは胸の痛みに一度目を閉じると、自ら外した装備を乱暴に床に投げた。 ガチャリと、無機質な音を立てて床に落ちて行く彼の体を覆っていた鎧達。 その重さが外れていっても、心の重りは少しも軽くなる事はなく、金属装備を全て外した後、セイネリアは執務室の椅子に座り込んで大きく息をついた。 それから、腕を組み、足を机に投げ出し、目を閉じる。 暫くそうして考え込んでから、思い切ったように彼は立ち上がると、この部屋に隣接する彼の寝室へと向かう。 扉の前に立ち、その向うから何も音がしない事を確認して、扉を開く。 寝室に入ると、双子の少年達の瞳が一斉に彼に向けられた。 「ご苦労だったな」 言えば二人は互いに顔を見合わせて、それから再びセイネリアを見上げる。 「ううん、これは僕達の仕事だから」 「マスターが望むなら、いいって言うまで、何日でもこの人を眠らせておけるよ」 だがセイネリアは顔を左右に振る。 「いや。……もう、いい」 「マスター?」 少年達の不安そうな視線が、セイネリアをじっと捉える。 「確か、術を切ってもすぐには目を覚まさないんだったな」 「うん、特に今この人は相当深いところまで意識を落してるから、術を切っても暫く……短くても1,2時間、へたをすれば半日くらいは目が覚めないかもしれない」 不安そうな瞳のまま、レストがその問いに答える。 セイネリアは、その彼の頭に手を置いた。 「そうか、それなら十分だ。術を切って、お前達は部屋を出ていけ。それからカリンに、俺が呼ぶまで誰もこの部屋に来させないよう言っておいてくれ」 らしくない程に穏やかな声の彼らの主に、少年達の不安は強くなる。 「マスター、どうする気? その人を壊しちゃわないよね? だってマスターそんな事したら絶対に……」 誰よりも強い筈の黒い騎士は、それに答えない。 ただ、穏やかな声に僅かの威圧を込めて、少年の声を遮る。 「後はお前達の仕事ではない。出ていって、カリンに言った事を伝えろ。それ以上をお前達が考える必要はない」 尚も食い下がろうとするレストを、兄であるラストが止めるように服を引っ張る。 それで彼も諦めて、おとなしく双子は部屋を出て行く。 子供達が出ていき、音のなくなった部屋で、セイネリアは一度目を閉じて深く息を吐き出した。 部屋のランプは最小限の明かりに設定されて、薄暗く辺りを照らしている。 ベッドの上に視線を向ければ、確かにそこに眠る彼の姿を認めて、セイネリアは一度唇を自嘲に歪めてから、ゆっくりと彼に向かって歩いて行く。 ベッドを見下ろす位置までくれば、眠っている彼の顔がよく見える。 目を閉じているだけで、普段より驚く程幼く見えるあどけなさすぎる彼の顔は、それでも僅かに苦しそうに見えた。 暫く、その顔をただ見下ろして。 それから、静かに手を伸ばして、彼の前髪を掻き上げ、その顔がよく見えるように顔を近づける。 「俺に、全てくれるというなら、何故、その心までくれると言ってくれない……」 そう言ってくれたのなら、セイネリアは彼の為になんでもしてやった。全てを捨ててでも彼を選んでやった。 けれども彼が望んだのは、自分に心を委ねるのではなく、その心を壊して無くす事だった。 「どれだけ残酷な事を言ったか、お前は自覚があるのか? お前は……他人に優しすぎる程優しいのに、俺にだけは平気で酷い事を言うんだな」 けれどもそれこそが、彼にとっての『甘え』である事をセイネリアも理解していた。子供の心を殺し、自分に甘えを許さず生きて来た彼は、セイネリアという絶対的な存在だけは自分を抑える事をしなくていいと自分の心に許した。誰も恨めず、誰も憎めなかった感情を、セイネリアにだけは許した。憎みながらも尊敬と憧れに見上げ、自分を奮い立たせた。 それはまるで、父親に反発する子供のようだったと、彼は自覚していただろうか。 「もし、お前が心さえ俺にくれるというのなら――」 銀色の髪を撫でながら、セイネリアはあり得ない夢想に意識を巡らす。 もしも、彼が自分に心さえ委ねてくれるのなら、セイネリアは彼をずっと自分の傍に置き、何があっても守ってやると誓うだろう。苦しみ足掻く彼のその苦しみを無くす為なら命さえ懸けよう。あの忌まわしい剣の力も、彼の為なら使う。彼の望みは全て叶えてやる。あの剣の力を使いさえすれば、おおよそ人が考え得る望みは叶える事ができる筈だった。 だが。 そう考えてから、セイネリアは気づいた事に苦笑する。 ――シーグルはそんな事を望みはしない。 セイネリアはずっと彼に手をのばしてきた。彼はずっと拒絶してきた。それは彼が自分を憎んでいるせいだというのもあっただろう。けれど、それが一番の理由でない事をセイネリアは分かっていた筈だった。 セイネリアが愛しているとシーグルに伝えた後、フユは、あの男にしては珍しく憮然とした表情をしてセイネリアに言ったのだ。 『なんであの坊やはそこまでしてボスを拒絶するんでしょうかね。ボスを受け入れさえすれば、あの坊やは全ての苦しみから解放される事だって可能でしょうに』 それを聞いてセイネリアは漠然と感じたのだ。 彼が自分の手の中に来たなら、彼は彼でなくなるだろう、と。 今、そう思った理由がはっきりとセイネリアには理解出来た。 苦しみ、足掻き、それでも彼は精一杯の努力をして、自分の力で今の強さを掴み取ってきた。それこそが彼の自信、彼が彼として強く在れる理由。 ならば、彼は他人の力で守って貰う事など望まない。 他人に頼って望みを叶えたいなどとは考えない。 手を伸ばし、掴み取ろうとしたものを、何の苦も無く他人の手で与えられたら、彼が今まで掴もうとした努力は全て無意味となる。今まで流して来た血と汗と涙を無駄にして外の力に頼る事は、彼にとって自身の存在を否定する事に他ならない。 そうなれば彼は、強く在れない。 「そうか――あぁ、そうだな」 セイネリアの口元が笑みに歪む。喉さえ揺らして、彼は声を出さずに笑う。 「お前はまだ、俺と違って失っていないのか」 ……だから、彼に惹かれたのか、と。 気付いたその意味に、セイネリアは笑う。 顔を上に向け、暗い天井を向いて目を閉じて笑う彼の唇からは、何時しか声さえ漏れ出す。 まるで泣くような、自分で自分の神経を逆撫でるような、この男の声としては高い音を鳴らして彼は笑う。 手を固く握り締め、歯を噛みしめて、それでも彼があげるのは笑い声だった。 やがて、喉の震えは止み、セイネリアは固く握った拳と噛みしめた口元はそのままで、ただ、手で顔を覆う。 それから。 暫くの間石像のように動かなかったセイネリアは、ゆっくりと立ち上がると、ベッドに乗り上げ、眠るシーグルの体を抱き上げた。 「軽いな……また食ってないのか」 深い眠りの所為でピクリとも反応しないその彼を抱きかかえ、そっと唇を合わせる。 静かに、ゆっくりと、彼の口腔内を感じる。 柔らかい唇の感触を感じる。 離しては、触れて。 何度も、何度も、その感触を覚えておく為に。 ――これが、最後かもしれないと思いながら。 薄暗い部屋の中。 窓のない部屋は、時間の感覚を無くす。 どれ程の時間、そうして彼を抱いていたのか、セイネリアも分からない。それが長かったのか、それとも短い間だったのか、それさえもが知覚の外にあった。 腕の中の彼の顔を飽きる事なく眺めて、時折、思い出したように口づけて。 そうして、見下ろす視界の中で彼の瞼が揺れた時、セイネリアはその優しい時間が終わる事を覚悟した。 震える瞼がうっすらと開く。 ほんの僅かのランプの明かりで、かろうじて青いと分かる濃すぎる青の瞳が現れて、セイネリアは思わず歯を噛みしめた。 抱きしめて、キスをして、愛していると囁いて。 そうして彼を手に入れられればどれ程幸せだろうかと。最後の最後まで迷う心に、セイネリアは言い聞かせる。 今、そうして彼を手に入れたなら、彼の心は消えてしまう。今ここで、彼に逃げ場を与えてやったのなら、彼の心は二度と戻ってこない。彼が彼である為には、自分の腕の中であってはいけないのだと。 今度こそ、セイネリアは選択を間違える訳にはいかなかった。 どこかまだ意識のぼやけた青い瞳が見開かれ、それが、セイネリアの顔を映す。 恐らくそれで意識が覚醒出来た筈の彼は、けれどもその顔に何の表情も浮かべなかった。 だから、まずは、セイネリアが言う。 「ヴィド卿はもう終りだ。お前の声を入れた石は全て処分した。お前を襲った連中も、それを他言する事はない」 青い瞳が、言葉の意味を理解して一瞬だけ見開かれる。だが、その瞳の中に、彼の強い意志の光は戻らなかった。 「……どうやって、それを知った」 「寝てる間に、お前の意識を読ませた」 「成る程、お前の部下は特殊な能力持ちが多かったな、そういえば……」 淡々とした声は、なんの感情も入らない。 腕の中で身じろぎさえしない彼は、その美しい容貌の所為で余計に人形じみて見える。 「もう、お前があの男に従う理由は何もない、シーグル」 だが、告げた言葉は彼の心の中にやはり何も生まなかった。 「――だから?」 聞き返した平坦な声が冷たく響く。 青い瞳は少しも動く事がない。 「だから、全て問題はなくなったとでもいうのか? ……生憎、それで時間が戻る訳じゃない、失われたものは戻らない。俺が俺でいる価値が無くなった事に変わりはない」 動かない青い瞳はただセイネリアを見て、そうして、唇だけがぎこちない笑みに僅かに歪んだ。 「……なぁ、セイネリア、俺の意識を読んだのなら、何が起こったのか分かったんだろ? 俺はな、自分から足を開いて声を上げて、喜んで連中の上で腰を振ってたんだ。命令されるままに挿れてくれって言ってな……あぁ、もっと酷い事も言わされたな。石を再生してみたなら、何を言ったかも分かったんじゃないか? 喜んで奴らのものを口で銜えて、出されれば飲み込んで、奴らの言う通りに何でもやった、何でも言ったさ。……自分が助かる為に、俺は自分のプライドを売ったんだ。そんな俺にはもう何もない、何の価値もない」 感情のない声が紡ぐ言葉は、知ってはいても聞く事が苦しくて、セイネリアは目を細める。全てを諦めた彼の瞳の中にはただ深い絶望が宿るだけで、こうして話している間にも、更に深くへと落ちて行く彼の姿が見えるようだった。 そして、絶望しかない彼の顔は、絶望しかない言葉をセイネリアに告げる。 「だから、壊してくれ。いらないなら、殺してくれ。もう、俺は俺でいたくないんだ」 何故、と未だに諦めきれない心は叫ぶ。 けれども、セイネリアは琥珀色の強い瞳を彼に向けて、殊更冷たく彼へと答えた。 「……分かった、望み通り壊してやる」 シーグルの口元が安堵の笑みを浮かべる。 セイネリアの心の内など知ろうともしないで。 --------------------------------------------- 次回はラストのエロです。 |