剣は愛を語れず





  【16】




 大通りで馬車から下ろされた三人は、リシェ行きの馬車が出る西門へと向かっていた。
 本来なら、今日はウィアの家へ一先ず泊まる事にして……としたいところだったのだが、それについてはテレイズから禁止令が出ている。だから、リシェに帰るのは仕方ないとはいえ、シーグルの体調を考えれば馬で帰るのではなく、馬車に乗った方がいいという事になったのだ。
 基本、街間移動はクーア神殿の転送を使うのが一番早くはあるが、値段も高く、事前申し込みが必要で、おまけにいける場所がクーア神殿のある街に限られる為、一般人が使う事はまず滅多にあり得ない。
 首都から近い街ではこうして巡回馬車が走っているので、普通個人単位で遠出をする者は、こうして馬車を乗り継いで行く事が多かった。
 特に、クリュースの海の玄関口でもあるリシェと首都を結ぶ馬車は、一日に出ている数も多く、殆どの者がこの馬車を利用して街間移動をする。
 馬車を待つ列を見つけて走りだそうとしたウィアは、けれどもふと思いつくと足を止めて、更にシーグルの腕を引いて引き止めた。

「ちょっと、シーグル。少しかがんでくれるか?」

 ウィアが言えば、シーグルは一瞬首をかしげながらも、言われた通りに軽く腰を落とす。
 ばさりと、ウィアが持っていた鞄から布を広げてシーグルの体を覆う。
 深い青色のフード付きマントが彼の肩に掛けられる。
 シーグルが驚いていると、ウィアは得意げに胸を張った。

「お前さ、前に言ってただろ。リシェだとその鎧の紋章でちょっと面倒な事になるって。まぁそりゃ領主様の印見せて歩くといろいろ面倒だろうしなぁ。リシェ行きの馬車だとリシェに住んでる奴も結構乗ってるだろうからさ、隠しといた方がいいだろ?」

 確かにウィアの言う事はもっともで、シーグルも馬車に乗ると決めた段階でどうするか悩んでいた事ではあった。
 だが、シーグルがマントを被せられて驚いたのは、そのマントが、先日エルマを追う時に投げ捨てた筈の自分のものであった事だった。

「ウィア、これは、何処で……」

 聞き返したシーグルに、ウィアがウィンクをして見せる。

「シーグルお前さ、前に西区の中で娼婦の死体見つけた時、乱暴に処理しようとした警備隊の連中を怒って、ちゃんと弔いのお祈りしてやった事あるんだって?」

 何故唐突にそんな話をし出したのか分からないシーグルは、不思議そうに顔を傾げる。

「その娼婦が自分の母さんだったって坊主がさ、これ、お前のだって事務局に届けに来てたんだよ」
「拾ったのなら、別にわざわざ……」

 あんな場所で投げ捨てたのであるから、当然返ってこないものだと思っていた。
 シーグルにとってはそこまで高価な品物でもないが、布はそこそこ上物ではあるので、売り払えばあの辺りに住む子供にとってはかなりの収入になった筈だった。
 そう思って眉を寄せたシーグル見て、ウィアは人差し指を立てて、チッチッチと呟きながらそれを左右に振って見せた。

「お前の考えてる事は分かるぜ。何でその子がこれを売ってしまわなかったんだろうってさ。……うん、その子、お前に返したくて事務局の前うろうろしてたの偶然俺が声掛けたんで話聞いたんだけど……あのさ、そいつ、すごいお前に感謝してた。あんなトコで、母さん殺されてすげー大変だと思うのに、すっごい真っ直ぐな目で俺に『あの時の事は本当に感謝してます。俺は絶対に貴方みたいな立派な騎士になりますから』ってお前に伝えて下さいって言ったんだ」

 深い青のマントの布を掴んだまま、シーグルは驚いて目を見開く。
 その様子が少しおかしくて、ウィアは目一杯の笑顔を浮かべる。

「つまりな、その坊主にとっては、それを売って得られる金なんかより、お前がしてくれた事の方が得がたくて貴いものだったんだよ。あの坊主は、お前のお陰で、あんなトコ住んでてもクサんないで夢持ってがんばれてるんだよ」

 言われた意味を分かったシーグルの頬が僅かに染まる。
 にやにやとそれを見たウィアは、シーグルの背を少し強く何度か叩いた。

「なぁ、シーグル。ちゃんと神様は見てるもんだぜ。お前がいつでも必死に一生懸命がんばってるって事をさ。大丈夫だ、ちゃんと努力した分は報われる、だからお前はお前らしく、しゃんと胸張って背筋伸ばしてろよ」

 シーグルはマントを留めると、フードを頭に被って顔を隠す。
 けれどその口元は、彼には珍しい柔らかい笑みが浮かんでいた。

「シーグル、これが今日の最終らしいです。急いでくださいっ」

 フェゼントの声に二人は急いで馬車へと向かった。






「じゃーな、気を付けていけよ。それと、帰ったら絶対に連絡くれよなっ」
「分かりました、すぐに連絡しますね」
「ほんとーにほんとーの約束だからなっ」
「分かっています。大丈夫ですよ」

 見送りのウィアは、余程名残惜しいのかフェゼントに何度も確認に同じ事を言っている。フェゼントはそんなやりとりも慣れたものなのか、呆れる事なくずっと笑顔で返している。
 そんな二人のやりとりはとても楽しそうで、自然シーグルも口元が綻んでいた。

「お兄さん達は、リシェの人なのかい?」

 突然、前にいた初老の女がシーグルに声を掛けてきて、シーグルはそれが自分への声なのかと一瞬戸惑った。
 だが、にこにこと優しそうに自分を見つめてくる彼女の顔に、シーグルも肩の力を抜く。

「はい、これからリシェに帰るところです」

 彼女はそれを聞いて、嬉しそうにシーグルを見上げた。

「そうかい。兄さんの名前、リシェの次期領主様の名前と同じだから、あの方にあやかって親御さんが名づけたのかしらって思ったのよ」
「あ、いえ、その……」

 どう返したらいいのか分からず困惑するしかないシーグルは、マントをしっかりと持って、殊更顔が見えないように顔を下げた。
 だが、彼女はそんなシーグルの様子に疑問を持つ事もなく、その返事を聞いて何かに気付いたように笑い出した。

「あー……ごめんなさいね。そういえば、お兄さんの歳だとあの方から取るって事はないわねぇ。なら、偶然かしら、でも、素晴らしい偶然ね」
「素晴らしい……ですか?」

 シーグルが聞き返せば、彼女は目を見開いて、シーグルに訴えかけるように、身を乗り出して誇らしげに話し出す。

「そりゃそうよ、リシェがあんなにいい街なのは、国で一番領民思いの領主様が収めていらっしゃるからなのよ。次の領主様になられる方も、若いのにそれはそれは立派な方で、今は冒険者として自分でお仕事をしてらっしゃるそうなんだけど、報酬が安くて大変な仕事でも快く受けるような方なんですって。化け物に困っている小さな村をたくさん助けて、しかもいつでも必要以上のもてなしも受けなくて、怪我をしても追加報酬を取ったりしない、とても真面目で優しいお方だという事よ。そんな方と同じ名前なんて、とても素晴らしい事じゃない?」

 シーグルは思わず口を押さえる。
 むず痒いような恥ずかしいような、なんだかぞわぞわとした感覚に、フードで隠しているものの更に顔を隠したい気分になる。
 頬が妙に火照って、口を開いても妙に言葉が詰まってしまう。

「そう……ですか、はい、そう……ですね」

 彼女はその後も、シーグルにリシェの次期領主である『シーグル』の噂話をしてくれた。誇張も多く入っている分、聞いているだけで逃げ出したいような気分になるものの、それでも、リシェの民がこれだけシーグルの事を知っているというのは驚きであり……そして、嬉しかった。

 馬車が動き出した後、やっとウィアから解放されたフェゼントが、妙にそわそわした様子のシーグルに何かあったのかと尋ねれば、彼は答える。

「ううん、なんでもないんだ、兄さん」

 その口元には、まるで子供の時のような笑みが浮かんでいた。







 シルバスピナの屋敷に帰ると、門で連絡を受けた警備の兵は、大急ぎでシーグルの帰りを知らせにシルバスピナ卿の元へと走った。
 足取りのおぼつかないシーグルを支えながら本館の前までついてきたフェゼントは、屋敷の正面扉が開いて使用人達が出迎えるところまでくると、一歩引いてシーグルに別れを告げようとした。
 けれどシーグルは、その彼のマントを掴んで引っ張り、言葉にする事なくそれを引き留めた。
 困惑するフェゼントはそれでそのままシーグルを支え、本館の扉をくぐった。
 そうすれば、予想通り、現当主であるシルバスピナ卿が共の騎士を連れて立っていて、思わずフェゼントは足が止まってしまった。
 だがシーグルは、今度はフェゼントに振り返って笑顔で告げる。

「大丈夫だから、兄さんも来て」

 告げてから一度目を閉じたシーグルは、口を開けて息を吐き出し、大きく吸い込む。
 それから、力の入らない体をそれでも精一杯背筋を伸ばして立つと、じっと祖父の顔を見つめて礼をした。

「ただいま帰りました」

 シーグルの様子を見ていた老人は、それに口元を歪ませる。

「昨夜は何処にいた?」
「セニエティにいました。詳しい場所については、お爺様はお分かりかと思いましたが」

 シルバスピナ卿はそれには僅かに眉を寄せる。
 ヴィド卿からはおそらく連絡が行っている筈だった。その後の事に関しては、この言い方ならセイネリアの元へいたと祖父ならすぐに分かるだろうとシーグルは思う。

「ふん……まぁいい」

 どちらにしろ、シーグルが現状目の前にいる段階で追求する気はあまりないのか、祖父はそれ以上その話を続ける気はなさそうに見えた。
 だが、代わりに今度は、シーグルの後ろにいるフェゼントに視線を向けて、厳しい顔で口を開く。

「だが、お前の後ろの者に関してはどういう事だ? その者は、この建物に私の許可なく立ち入る事は出来ない約束だったのではなかったか?」

 シーグルは祖父の顔をじっと見つめる。
 睨むくらいのつもりで祖父の青灰の瞳をじっと見つめ、それから胸を張って答えた。

「何故、シルバスピナ家の者である『兄』がこの建物の中に入ってはいけないのでしょう?」

 老人は強い声で返す。

「シーグル。その者をそう呼ぶ事も許していなければ、その者がシルバスピナの名を名乗る事も出来ない約束の筈だ。お前は私とした約束を違える気か?」

 祖父の声は明らかに怒っている。
 ここまで怒っている祖父に、シーグルがそれでも尚逆らった事は今までなかった。

「では、兄がこの家の者でないというのなら、何故、貴族院には兄の名が登録されているのです? 登録の申請は現当主であるお爺様しか出来ない筈です。貴族院に名があるという事は、正式にこの家の者だとお爺さまが認めた事ではないのですか?」

 その事を知らないフェゼントが、後ろで驚いている事をシーグルは感じ取る。
 シルバスピナ卿は、一度眉を跳ね上げてシーグルを見つめると、その後ににやりと口元に笑みを浮かべた。

「何処で知ったのか……とは聞かないが、そうか、それを知られたか」

 老人は喉を震わせ、笑い声をあげる。
 こんな反応をする祖父を、シーグルは見た事がなかった。

「いいだろう。どうせあと数年もすればこの家の主はお前だ。その時までは黙っているつもりだったが、知られたのなら認めてやろう。お前に何かあった時の保険代わりのようなモノだったが、確かにお前の兄弟は既に貴族院には登録済みだ。それを否定する気はない。……まぁいい、ここの出入りくらいは好きにしろ」

 言うと彼は兄弟二人に背を向け、老いても尚力強い足取りで階段を上って去って行く。
 事情を知らない使用人達がフェゼントに視線を向ける中、シーグルはフェゼントに向きなおって彼の手を引いて、少しだけ自信なさげにぎこちなく笑った。

「まだ、一人で歩くのはきついんだ。俺の部屋まで付いて来てくれるだろうか……兄さん」

 事態の展開に呆然としていたフェゼントは、その彼に笑みを返した。

「勿論です、シーグル」




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シーグルの成長物語、自信を手に入れたって感じですね。
次回はラストらしい締めのお話で、『乾杯』となります。



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