【17】 リシェの高台にある、大きな屋敷。 この街の領主であるシルバスピナの屋敷は、確かに周りの金持ち達の屋敷のような豪華さはないものの、由緒ある旧貴族の名門だけある威厳というか威圧感を持っていた。 おかげで屋敷の前に立ったウィアは、勿論本物の貴族の屋敷に入るのは初めてであったので、すっかり圧倒されて暫くは立ち尽くしてしまったのだが。 今朝、昼近くにフェゼントからウィアに来た連絡で、よければリシェの屋敷に来てくれとあった為、ウィアはその足ですぐリシェ行きの馬車に乗った。 とはいえ、勢いでシルバスピナの屋敷に来たものの、門番に話しかけるところで不安になって、暫くうろうろと不審者のような事をしていたのであるが。 当然、そんな怪しいウィアを門番が呼び止めて、事情を話して、そこでやっとウィアは中に入る事が出来たのだった。 ウィアが来る事はちゃんと使用人達に伝えられていたらしく、そこから後はすんなりと事が運んだ。 使用人の一人に案内されて、広いその中に感心しながら歩いていたウィアは、長い廊下の先にある部屋に通された。 「フェズっ」 部屋に入った途端見えた大好きな恋人の姿に、ウィアは思わず走り出してフェゼントに飛びついた。 「ウィアっ、ちょ、ちょっと待ってください」 焦ったフェゼントの声に顔をあげれば、彼は水差しを持っていて、それでウィアも彼から急いで手を離した。 「あー、悪い……」 「いいんですよ、よく来てくれました、ウィア。でも、少し静かにしていてくれますか?」 言われて口を閉じたウィアは、それから部屋の中の見回して、そして、ベッドの中で眠っているシーグルの姿を見つける。 ウィアの視線に気づいたフェゼントが水差しをベッドの傍の台に置きながら、柔らかい瞳をシーグルに向けて話す。 「昨日、帰ってきてからシーグルは熱を出してしまって、夕べからずっと寝ているんですよ」 「大丈夫なのか?」 小声で心配そうにそう返したウィアに、フェゼントは笑いかける。 「大丈夫です、結構彼は無茶した後によくこうして熱を出す事があるらしくて、暫く寝ていれば良くなるとかかり付けの治療師の方も言っていました」 ならばフェゼントはずっとここにいて彼を看病していたのだろうか、とウィアが思えば、それが顔にでてしまったのか、フェゼントはウィアを安心させるように笑いかける。 「私は大丈夫ですよ。ラークも手伝ってくれてましたし。シーグルもそこまでしなくていいって言っていたのですが、私がしたかったのでしていただけです」 「そっか……」 「はい、彼がずっと私達の為にしてきた事を考えれば、この程度大した事ではありません」 柔らかく微笑んでいたフェゼントの顔が、ふと、シーグルの顔をみて沈んで行く。空色の優しい瞳が泣きそうに細められて、ベッドの中のシーグルの顔を見つめる。 「シーグルは小さい時から、意地っ張りで我慢強くて……体調が悪くても倒れるまでは普通の振りをして、母親に怒られている事がありました。……そんなところは変わっていないんですね」 ベッドの傍に座り、フェゼントはシーグルの顔をのぞき込む。 ウィアもつられてその顔をじっくりと見てしまえば、その頬は熱に少し赤くなっていたものの寝息は穏やかで、病状が回復に向かっている事は確かに見えた。 けれども、それよりまず彼の顔を見た瞬間に思ったのは、普段の彼とは別人に見える程、その表情が幼く見えた事だったのだが。 もしかしてフェゼントが傍にいる所為なのか、その顔は妙に子供っぽく、普段の彼の表情を知っている所為かウィアは少なからず驚いた。でもそれこそが、彼が兄の傍で安心している証拠なのだとも思え、ウィアは自然に口元に笑みが湧いた。 「ねぇ、ウィア」 けれども、呟くように小さく眠る彼の顔に掛けられたフェゼントの声は何処か沈んでいて、僅かに震えているように聞こえた。 「この部屋もベッドも広くて……広すぎますよね。シーグルは4歳の時から、ずっとこの部屋で一人で過ごして、このベッドで一人で眠っていたそうです」 言い切った後には声の震えははっきりと分かる程になっていて、もしかしたらフェゼントは泣いているのだろうかとウィアは思う。 彼の顔を上げさせてそれを確認したいと思ったウィアは、けれどもそれを我慢して、彼の話を黙って聞く。 「私は、シーグルがいなくなってから、一人で寝るのが寂しくて、母親か父親のベッドに泣いて入れてもらっていたんです。でも彼は……ずっと一人だったんです、心細くて寂しくて、きっと一人で彼は泣いていたのでしょうね。それでも我慢強い彼は、きっと弱音も吐かずに耐えていたんです。本当に、ずっと彼は、私達の為に犠牲になっていたんです……」 ぽたりと、ベッドの上に落ちた涙を見て、ウィアは戸惑いながらもフェゼントを後ろから抱きしめた。 背中からでも、懸命に抑えている小さな嗚咽が聞こえる。 ウィアはだから、出来るだけ優しくて明るい声で彼に言った。 「そうだな、だからさ、これからはシーグルに苦労させた分、フェズが思いっ切り甘えさせてやればいいんだよ。過ぎた事はどうしようもないけど、これからそれを取り戻すのはいくらでもやりようがあるだろ?」 フェゼントが涙を手で拭う。 「そう、ですね。……本当にありがとうございます、ウィア。貴方がいたから、こうして彼と話す事が出来ました……本当に、貴方のおかげです。何と言えばいいか……」 言葉を詰まらせながら言うフェゼントの言葉に、ウィアは焦る。 「なに言ってんだよ、フェズと俺の仲で感謝も何もないだろ。フェズの兄弟ってんだからシーグルだって俺の身内みたいなもんだし、身内が皆仲良く楽しくなれば俺が嬉しいんだからさっ。……あ、でも、別にフェズ達は俺の兄貴の事を身内みたいに思ってくれなくていいからな。あいつは別枠で仲良くならなくていいから、気にしないでくれ」 くすり、とフェゼントが笑う。 それでウィアも少し調子に乗って、フェゼントの顔を覗き込んだ。 「どうも大神官様は公的な立場があるとかで、公人として振舞わないとならないとか言ってシーグルに関われないとかいってんだからさ。あんなスカしてるけど結構あれで腹黒いからな、いわゆるあれは殺しても死なないタイプ、憎まれっ子世に憚るってやつだからほっときゃいいんだよ」 けれどもそんなウィアに、フェゼントは諌めるように全く痛くないげんこつでコツンとその額を叩く。 「だめですよ、ウィア。テレイズさんはいつでもウィアの事を心配してるんですから」 「えー……まぁ、心配してるのは知ってっけどさぁ……」 明るい声で返してくるフェゼントにほっとして、ウィアはそのまま彼に甘えるように抱きつきながら頬を摺り寄せる。 「私も同じ兄という立場として、弟に嫌われるのは悲しいですから」 ウィアが唇を尖らせて少し拗ねた顔をしてみせても、フェゼントのその言葉には重みがある。 だからウィアも仕方なく、フェゼントに抱きつくというよりも寄りかかりながら、しゅんとして答えた。 「うん……まぁそりゃぁ……嫌いだけどさ……本当に嫌いっていうんじゃなく、うん、まぁ兄貴だからさ……」 我ながら意味不明だと自覚しつつもそのニュアンスは伝わったようで、フェゼントは軽く吹き出して、それからご褒美とでもいうように抱きつくウィアの頬にキスをくれた。 「分かっていますよ。大好きです、ウィア」 「俺も大好き、愛してる、フェズ」 「私も大好きです、愛しています」 嬉しくてぎゅっとフェゼントを抱き締めて幸せに浸ったウィアは、だがそこで浮かれすぎて今の状況を瞬間的に忘れていた。 だから。 「本当に仲がいいんだな」 その声で、ここが自分達二人だけではないという事と、ここが誰の部屋かという事を急激に思い出した。 「シーグル……」 フェゼントが少しばつが悪そうに顔を赤くする。 「あー……シーグル、起きてた……んだ」 ウィアは照れるというよりも、苦笑いをしてみせた。 けれどそのシーグルの目が少しだけ羨ましそうしているようにも見えたウィアは、すぐにその笑みを収めると、今度は少し意地の悪い顔を作る。 「あー、もしかしてシーグルは羨ましいのかぁ? 折角仲直りしたんだから、昨日はちゃんとたっぷり兄ちゃんに甘えたか? シーグル」 言われたシーグルは最初は目を大きく見開いたものの、その内顔を赤くして、彼らしくなく視線を泳がせながら小声で呟いた。 「その……昨日は、兄さんにずっと支えて貰って歩いてきたし、ベッドに寝かせて貰ったし、今日は食事を作ってもらって、ずっと看病して貰ったから十分……」 「ちっげーなー」 ウィアは指を立てながら、顔を左右に振ってみせる。 「甘えるってのは、いわゆるスキンシップって奴だよ。兄ちゃんに抱きついたり、おでこにおやすみのキスしてもらったりとかそういうのな」 「それは……もうそこまで子供でもない……」 照れくさそうに下を向くシーグルは、なんだか同い年どころか年下に見える程に子供っぽく見える。だからウィアは更に調子に乗る事にする。 「そうだ、シーグルの看病しててフェズは昨日あんま寝てないんだろ? シーグルも結構良くなったみたいだしさ、だったらフェズはちょっとこのベッドに一緒に寝かせて貰えばいいじゃねーか。そーだそーしろよ、これだけクソでかいベッドなら全然窮屈じゃないし、子供の頃は二人いつも一緒に寝てたんだろ?」 「え、いや、それだと……」 「そうですよ、ウィア、私は大丈夫ですので」 「えー、いいじゃん、いい考えだと思ったんだけどなー」 流石にこの歳ではそう簡単に思い切れないらしい、と思ったウィアは、とりあえず今は照れて赤くなる二人を見れただけでいい事にしておく事にした。……勿論、諦めた訳ではなかったが。 それでも、照れくさそうに顔を見合わせて笑顔を交し合う二人を見ていると、ウィアも笑顔というよりも顔がにやけてきてしまう。 特にシーグルのこんな顔は、普段とのギャップの分、見れた事がすごく得した気分になれる。 だがそこで部屋のドアが開いて、もう一人のここにいるべき人物が姿を現した。 「あれ、ウィア。なににーさんの邪魔しに来てるんだよ?」 不機嫌そうに口をへの字に曲げた少年が、すさまじく嫌そうにウィアを見つめる。 「あー……ラークか。そういやお前もちゃんとシーグルと仲直りしたかー?」 ここにいるのならその筈だとは分かっていても、あれだけシーグルを嫌っていたこの末っ子がどう返すのかが聞きたくて、ウィアはわざとらしく聞いてみる。 「そりゃぁ……にーさんが言うからさ……でも俺こいつの事は兄弟だったって記憶ないし、今更言われたってさぁ……」 ちらちらとベッドの上のシーグルを見ながらぶつぶつと呟く少年は、どうやら拗ねているらしかった。 ウィアは口元に嫌味っぽく笑みを浮かべ、そんなラークの肩に手を回す。 「お前さー、フェズがシーグルにずっと付いてるのにやきもちやいてんだろー。俺のにーさんがとられちゃうーって。やっぱガキだよなぁ」 「煩いな、それはウィアの方じゃないの? いつだってフェズは俺のものーって言ってるじゃないか」 ムキになって言い返してくる辺りはやっぱり子供だな、とウィアは大人の余裕で返してやる事にした。 「ちーがーうーなー。そこが俺とお前の違いだよ、俺は大人だからなぁ、二人が仲良くしてるのを暖かい目で見守っている訳だ」 ラークはそれに拗ねて唇を尖らせながらも、返す声は少しだけ弱くなる。 「俺だって……にーさんがすっごい嬉しそうだから良かったとは思う、けどさ……」 それからちらりとまたシーグルの顔を見て、どう声を掛けるべきか困惑している彼をぐっと睨みつけると指を指して怒鳴る。 「でもさ、俺こいつの事なんか嫌いなんだよ。だってこいつ、貴族様だし、騎士様で強いし、背ェ高いし、顔いいし、おまけに騎士のくせに俺より保持魔力が高いって師匠が言ってたし……」 その台詞で、なんとなくウィアは分かってしまった。 つまり、ウィアがテレイズを嫌いな理由に近いのだ。 「ラーク、シーグルの事をこいつなんて呼んではいけません。ちゃんとこれからはシーグル兄さんって呼ぶって約束したじゃないですか」 「分かってるよ、でもさ、そんな急に出来る筈は……」 「いいんだ兄さん、ラークは好きなように呼んでくれて構わない」 長男、次男、末っ子と、それぞれなんとなく『らしく』なっているじゃないかとウィアは思う。 この分なら、兄弟の仲は今後心配する必要がないなと思って、それからすっかり家族会議をはじめてしまった3人の中に、ウィアは笑って入って行った。 「よーし、シーグルももう体調は大丈夫みたいだしさ。ここは一つ、兄弟仲直りを祝って乾杯だろっ」 そうして手に持ってきた荷物をから瓶を一つ取り出して、ベッド傍の台にでんっと置く。 そこで、瓶を見たままシーグルとフェゼントが黙り込むのは、ウィアの想定内の事だった。 「やーだなぁ、ジュースだよジュース、ぶどうジュース。高級品だぜ? 俺がお前達が飲めないの知ってて酒を持ってくる訳ないだろー」 言えば止まった時間が動き出すように、ほっと安堵の表情を浮かべる二人。 ウィアは笑顔でコップになるものをそのヘンから持ってくると、それぞれを各自に持たせて、瓶の中身を注いでいった。 「それじゃ、兄弟の仲直りを祝って、かんぱーい」 「乾杯」 「乾杯」 「乾杯」 ウィアが音頭を取って、4人がそれぞれコップの中身を飲み干す。 飲み干した後、ラークだけがちらりとウィアの顔を見たが、彼はそこでは特に何かをいう事なく、手を伸ばして瓶を受け取るとおかわりを黙って自分で注いだ。 ――それから、少し経って。 貴族様特有の天蓋つきの大きなベッドの上には、屈託ない顔で眠る二人の青年の姿があった。 にやにやと、自分の計画が成功したのをほくそえむウィアは、ベッドの横で飽きる事なく二人の寝顔を眺めていた。 「なーに企んでるんだよ、ウィアは」 『ジュース』の残りをちびちびと飲みながら、ベッドの横の床に座り込んだラークがウィアを見上げる。 「いいだろー、やっぱ、これこそ仲直りって感じじゃね。後は目ェ覚ました時の二人の反応がすっげー楽しみだよなー」 「怒られるよ」 「だいじょーぶ、フェズは俺に甘いからっ」 「うわ、やっぱなんかウィアをにーさんの恋人としては認めたくないんだけど」 「なーに言ってるんだよ、俺の事もこれからはウィア兄さんでよろしくな」 「絶対嫌だね」 ウィアは笑ってラークの隣の床に座り込むと、自分にも注ぐように彼にコップを差し出した。ラークはしぶしぶといった顔をしながらもそれに注ぐと、ベッドに寄りかかって自分のコップの中身を啜る。 飲める組みの二人は、眠ってしまった二人をよそに、その後も暫くこっそりとささやかに酒宴を続けた。勿論、酒の肴は主にデキのよすぎる兄への愚痴だったのは言うまでもなく……。 その間もベッドの上の二人は、少し頬を赤くしながら、幸せそうな笑みを口元に浮かべて眠っていた。 上掛けからのぞいた、銀色の頭と薄茶色の頭が仲良く寄り添うように眠る姿は、まるで子供のように幼くみえた。 あの、幸せだった頃と同じ。 それは、あの時のまま、小さな小屋の小さなベッドに寄り添うように眠っていた二人の少年が、少し大きくなっただけの姿だった。 END >>>> エピローグへ。 --------------------------------------------- お疲れ様です、本編はこれにてEND。 ただ、まだ最後にセイネリアに関する話をエピローグでやります。 セイネリアは?!あれで終わりなの?!!って方はそちらをお待ちください。 |